Episode12-B 嗚呼!哀しき聖夜~港一の場合~
年号が令和となって初のクリスマスイブ。
港一(こういち)もまた、今年は初めてのことづくしだった。
生まれて初めて彼女ができた。
そしておそらく、もうそろそろ童貞も卒業。
大学の柔道部仲間とよく足を運ぶ定食屋で働いている聖羅(せいら)ちゃんに、港一はここ数か月、声をかけ続け、先月やっと聖羅ちゃんからOKをもらえたのだ。
そのうえ聖羅ちゃんの方から「今年のクリスマスイブは、一緒に過ごしたいの」と言ってもくれたのだ。
ここ数年のクリスマスは、母や妹2人と過ごしていた港一が、今年は一緒に過ごせないことを告げると、母は「まあ、仕方ないわね。遅くならないうちに帰ってきなさいよ」と言い、ともに中学生で年子の妹2人は「え~!今年のクリスマス料理は私たちが作る予定なのにぃ」と揃って頬を膨らませていた。
港一にとって、勝負の夜である聖夜がついにやって来た。
クリスマスならでのイルミネーションで輝く街中を、聖羅ちゃんと歩く港一。
鼻筋の通った、どこか影のある聖羅ちゃんの横顔を港一はチラリと見下ろす。
聖羅ちゃんには、どこか寂しげで退廃的な独特の雰囲気があった。太陽か月かと問われれば、間違いなく月タイプの娘だ。
当の自分と言えば、いかにも暑苦しい太陽タイプの体育会系で、顔も体型も体毛の濃さまでもが、熊のようであると自覚している港一は、自分たちカップルは見た目的にバランスが取れていないのでは……と、ついつい周りを気にせずにはいられなかった。
いや、何より聖羅ちゃんは俺からのアタックに”めげて”、しぶしぶ彼女となってくれたのでは……と今更ながらに不安になっていた。
思えば、聖羅ちゃんは最初はとてもそっけなかった。というか、俺のことなどよく飯を食いにくる”太い客”の一人としか見ていなかっただろう、とも。
だが、港一はめけずに聖羅ちゃんへとアピールし続けた。
アピールするには、そのポイントを絞る必要がある。
だが、アピールポイントと言っても、自分のルックスは前述した通りまさに熊みたいだし、今通っている私立大学だって誰もが認める名門だったり、高偏差値というわけでもない。
けれども、中学時代から柔道を続けており、黒帯保持者であるということ。
そして、数年前に事故死した父親の代わりに、母親と中学生の妹2人を守っている”強い男”ということが、港一のアピールポイントであった。
このアピール戦略は、聖羅ちゃんには効果的であったらしい。
聖羅ちゃんは、港一の話に耳を傾けてくれたのだ。
交際することになってからも、聖羅ちゃんは我儘を押し通したり、「あれ買って」&「どこそこに連れて行って」なんてことは一度だって言わなかった。
聖羅ちゃんのその慎ましさが余計に、港一の庇護欲をそそった。
さて、これからどうする?
隣を歩く聖羅ちゃんをどこに連れて行く?
金額的にも格式的にも、やや背伸びをしたクリスマスディナーは、先ほど済ませたばかりだ。
自分の家(一軒家であり、いずれ結婚すれば姑付きではあるも、聖羅ちゃんの物になるかもしれない)には、母親が妹たちがいるし、聖羅ちゃんを紹介したいのはやまやまであるも、何の準備もなくいきなり連れて行ってもお互いが困るだろう。
それに、母親たちがいるのに、初めてのセックスなんて出来るわけがない。
さて、そうなると聖羅ちゃんの家か?
自分の家の住所は彼女に教え済みであるも、聖羅ちゃんの家はまだ知らなかった。
「汚いアパートだから恥ずかしいの」と彼女は言っていた。
そんなこと構やしない。たとえ、君がどれだけ汚いアパートに住んでいても俺の気持ちは変わらないんだから。
けれども、聖羅ちゃんの家に行くことを彼女が嫌がったなら、あとは……
「私、今日は帰りたくないの」
突然に、聖羅ちゃんが港一の野太い指に自分の細い指を絡ませてきた。
”分かるでしょう?”と、港一を見上げる彼女の瞳は言っているようだった。
こうなったら、ホテルに行くしかない
ホテル代を全額出すぐらいの金の余裕はまだある。
けれども、クリスマスイブにホテルの空き室はあるんだろうか?
そんな心配は徒労であった。
ラブホテルの一室にチェックインすることができた港一と聖羅ちゃん。
鼻息が荒くなってしまう港一とは正反対に、聖羅ちゃんの様子が少しおかしかった。
「あのね、港一くん……私は港一くんのことが好きだし、もちろんちゃんと覚悟して、ここにも来たんだよ。でもね……」
言葉を詰まらせた聖羅ちゃんが、服をするりと脱いだ。
そして彼女は、白いブラジャー1枚だけとなった細い背中を港一に見せた。
「!!!」
聖羅ちゃんの背中一面に彫られたタトゥー。
いかにも任侠なモンモンじゃなくて、洋風でお洒落(?)なデザインではあったも、港一をビックゥ! と飛び上がせるのには充分であった。
これは、想定外にもほどがある。
港一の驚愕とドン引きは聖羅ちゃんにも、伝わったらしい。
振り返った聖羅ちゃんの目には、涙が光っていた。
「……嫌われちゃうよね。前に付き合っていた人に影響されて、彫っちゃったの」
前に付き合っていた人。
すなわち、聖羅ちゃんは処女ではないということだ。
それにそいつに影響されてこんなタトゥーを入れるぐらいだから、聖羅ちゃんはその男にどっぷり溺れていたのだろう。
「でもね、今はもうその人とは付き合っていないの。お願い、私を信じて」
聖羅ちゃんがポロポロと涙を流しながら言う。
港一は考える。
もし、聖羅ちゃんが今もその男と付き合っていたとしたなら、あんな下町風のいかにも純朴な定食屋に勤めているだろうか?
偏見だと思うが、いわゆる水商売な夜の仕事、もしくは性産業に従事している可能性が高いだろう。
彼女は過去の過ちを悔いているからこそ、今の彼氏である俺には何も望まず、我儘も言わず、そして事前に(”本当に”事前になってからではあるも)、正直に見せて話してもくれた。
涙声の聖羅ちゃんが言う。
「私と別れたいっていうなら、それでもいい。私に触りたくないっていうなら、それでもいい。でも、お願い……今夜だけは、私とずっと一緒にいて。それが私にとっての何よりのクリスマスプレゼントなんだから……」
泣きじゃくる聖羅ちゃんを抱きしめていた浩一。
そして、彼は彼女の唇を自身の唇で熱くふさいだ。
誰にだって過去はある。過去なんてどうでもいい。ただ、俺はこのはかなげな聖羅ちゃんを一生、守ってやりたい。いや、絶対に守り続けるんだ……と。
※※※
翌朝。12月25日の朝。
聖羅ちゃんは消えていた。
聖羅ちゃんは港一に”童貞卒業”というプレゼントをくれたまま、彼の前から姿を消してしまったのだ。
”このまま聖羅ちゃんを失ってたまるものか!”と慌てた浩一は、昨夜は鞄に入れっぱなしだったスマホへと手を伸ばす。
しかし、聖羅ちゃんへL〇NEメッセージを送るよりも先に、尋常じゃない量の着信履歴がたまっていることに気付く。
2人の妹からの着信に始まり、親類や友人知人、それに見慣れない番号からも……
その”見慣れない番号”は、なんと警察からのものであった。
なんと!
昨夜――12月24日の聖夜、母親が人を刺して殺してしまったと!
いや、正確に言うと、母親の”その行動”は正当防衛でしかなかった。
女だけとなっていた港一の家に、男3人組の強盗が押し入ってきたのだから!
母親は娘たちを懸命に守ろうと、キッチンにあった包丁を手に強盗の1人と格闘するうちに刺してしまった。
他の2人の強盗は、血だらけで呻き声をあげる仲間を見捨てて逃亡。
母親に刺された強盗は、通報を受けてやってきた警察が救急車を呼ぶ前に、出血多量が原因で家の中で死亡したらしい。
港一は慌てて、妹たちが保護されている警察病院へと向かった。
おそらく強盗たちから逃げる時に負ったと思われる擦り傷や、殴られたりもしたのか顔に痣までも作った妹たちが「お兄ちゃん! 私たち何度も電話したのに、どうして出てくれなかったの!」「ひどいよ! ひどいよ!」と泣き叫ぶのを、彼はどこか遠くで聞くしかなかった。
母と妹が強盗たちに襲われ、この世の終わりかと思われるほどの恐怖の中にいた時、自分は初めて出来た彼女の肉体に溺れていたのだ。
まさに、最悪のタイミングだった。
しかし、それにさらなる追い打ちをかける裏側が”今回の事件”にはあった。
死亡した強盗の身元が特定され、その交友関係により、2人目の強盗犯が逮捕された。
そいつは、自分は主犯格ではないことを強調したうえで、以下の供述をした。
仲間に強盗に誘われた。標的となる家に金があるからって。それに、その家にはクリスマスイブは女しかいない予定だ。犯行後、最終的には女たちを口封じに殺害することも想定していた。金を奪った後に脅しつけるよりも、殺して永久に口を封じた方が確実だから、と。
年が明ける前に、3人目の強盗犯――すわなち主犯格の男が逮捕された。
その男の隣には、聖羅ちゃんがいた。
聖羅ちゃんは、その男の内縁の妻であった。
2人は飛行機で逃げるつもりだったらしい。
聖夜の惨劇の真相は、以下となる。
碌な定職につもつかず、警察の厄介になったことも多々ある男と同棲中であった聖羅ちゃん。
彼女は自分の昼間の勤め先の定食屋に来るお客さん――何やら自分に気があるらしい熊みたいに体毛の濃い芋臭い男子大学生から声をかけられる。
最初は”はいはい”といった感じでスルーしていた聖羅ちゃんではあったも、自分の気を引きたいのか、その大学生は聞いてもいないのに自分のスペックを喋り始めた。
とある私立大学に通っていること。柔道の有段者であること。そして、母親と妹2人と暮らしていること。
聖羅ちゃんの目は、獲物を狙う肉食の獣のごとく光った。
彼女は、何気ないふりをしながら”金が眠っている扉”への鍵を開かせようとした。
獲物である港一は、ペラペラと喋ってくれた。
さすがに事故死した父親の保険金の具体的な金額までもは喋らなかったが、自身が私立大学に通い、母親も週3回のパートと子育てをしつつ、一軒家で暮らし続けているのだから、経済的には相当に裕福なのは明らかであった。
ご親切なことに、港一は金が眠る”自分たちの住処”までも教えてくれた。
港一から引き出せた情報を、”自分の男”へと伝える聖羅ちゃん。
その男から仲間へと伝わった獲物の情報。
聖羅にちょっかいをかけてくる港一という男子大学生の家には、相当な金がある。奴らは、グー〇ルのストリートビューで、家を確認もしていた。
じっとりじわじわと練られていた計画。
しかし、この計画においてネックとなるのは港一だ。
港一は、柔道の有段者である。
女3人(うち2人は中学生の子供)と港一がいる家に、男3人と女1人で強盗に向かったとしても、港一に投げ飛ばされて再起不能となる可能性もある。
となると、当初は強盗計画に自分も顔を隠して参加する予定であった聖羅ちゃんは、別の方法を考えた。
犯行の決行日に定めた聖夜は、港一を家には帰らせない。
その間に、自分の男含めた男3人で獲物の家へと向かう。
けれども、何もかもがそう計画通りに行くはずがない。
強盗たちは、1円の金も手に入れることができなかったばかりか、獲物に反撃されうち1人が死亡してしまった。
強盗計画が――いや”強盗殺人計画”が最後まで遂行されてしまい、一皮むけた男となって帰宅した港一が、散々に荒らされた家の中で、母と妹たちの惨たらしい遺体を発見するといった、まさに最悪中の最悪で陰惨な結末とならなかったのは、聖夜の奇跡かもしれない。
けれども、娘たちを守るためとはいえ、それに誰が判断しても正当防衛に該当するとはいえ、人を刺して死に至らしめてしまった港一の母親はどうなる?
それに、母親が自分たち娘を守るためとはいえ、人を刺すところを目の前で見てしまった妹たちだって、どうなる?
強盗たちに襲われた母親や妹たちが、懸命に自分への助けを求めている最中、当の港一は強盗の一味である女の色香に惑わされ、女の上で必死に腰を振っていた。
いや、何より、港一の家が狙われることになったは、彼が女の気を引こうとして、家のことをベラベラと喋ったのが原因なのだから……
―――完―――
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