Episode11 滅茶苦茶風味『桃太郎物語』~破の巻~
村丸ごとの大虐殺か、それとも『桃太郎の爺と婆の二人をわしらに差し出せ。そうすれば、村丸ごとの粛清は勘弁してやる』か?
村の全員が無惨な屍となり血濡れた地面へと転がるか、それともたった二人の犠牲で済むか?
そうじゃ、わしと婆さんを除いた村の者たちは皆、同じ選択をしたんじゃ。
普段からわしら夫婦と懇意にしていた近所の者どもも、親類縁者も皆、必死で抵抗して逃げようとするわしらを捕まえて押さえつけた。
「お前たちの桃太郎の育て方が悪かったから、こんなことになったんだ!」
「今こそ保護者としての責任をとるべき時よ!」
「本当にすまないが村の者たちを助けるためにも、ここは犠牲となっとくれ! 後生じゃ!」
わしと婆さんは村の者たちによって、あっという間に木に十字の体勢で縛り付けられてしもうた。
桃太郎を育てたのは確かにわしらじゃが、これはあまりにも理不尽過ぎるじゃろ?
もう七十年も前のこととはいえ、いまだにわしは時折、あの時のことを夢に見てうなされるんじゃ。
今で言う心的外傷ってやつかもしねぬのう。
木の十字に磔にされたわしと婆さんは、そのまま、村の外れに連れていかれた。
なおも助けを懇願するわしらを地面に突き立てた村の者たちは、それぞれの家へと一目散にビュンと舞い戻っていった。
村の空気が一変したからじゃ。
神がかり的な力など皆無な人間でも分かるほどに、村の空気はゾゾッと変わっておった。
どこか底冷えしているかのように冷たく、どこか血の臭いが漂っているかのように生臭く……
それは、鬼ヶ島の鬼どもが早くも上陸し、早くも桃太郎の出身地であるこの村へとやってきたことを意味しておった。
沈みゆく夕陽は、わしと隣にいる婆さんへ降り注ぐ。
わしらの体を血の色で染め上げるようにな……
婆さんは啜り泣きながら、すでに念仏を唱えておった。
わしといえば、この世に生まれてきたことを後悔しておったんじゃ。
”桃太郎の爺”となる運命の元に生まれてしまった己自身の運命を呪わずにはいれらんれんかったんじゃ。
死んだように静まり返った村に、婆さんの泣き声と念仏、そして、鬼どもがわしらへと歩みを進める足音だけが……段々と大きくなってくる足音だけが響いておった。
※※※
鬼ヶ島の鬼どもが、わしらの前についに姿を現した。
しかし、鬼どもは、わしが絵巻などで目にしておった鬼どもとは一風変わっておった。
角や牙、そして皮膚の色を見れば確かに鬼だとは分かる。
けれども、あやつらは人間どもと同じくきちんと着物を着ておってのう。
さすがに鬼だけあって眼光も鋭く、顔つきもそれはそれは恐ろしいものの、単に狂暴で荒々しいというよりも、どこか落ち着きがあって一種のインテリのようにも見えた。
大将らしき鬼が、わしと婆さんへとスッと一歩歩み出た。
「桃太郎の爺と婆よ……村の者どもに生贄にされたのか? 人間とは醜く身勝手なものだろう。まあ、わしら鬼の恐ろしさを思えば、これは仕方のない選択とも言えるか」
低い笑いを漏らした鬼の大将は、啜り泣き続けている婆さんへと目をやった。
「婆よ、お前はその年でも面差しはなかなかに整っておるのう。若い娘の時分はさぞかし美しかったんだろう」
鬼どもにむしゃむしゃばりばりと食われると思っていたらしい婆さんは、皺に埋もれているうえ涙に濡れた目をパチクリとさせおった。
確かに若い頃の婆さんはそれはもう別嬪さんじゃった。
しわしわの婆となった今も、血も涙もない鬼の目から見てもそれなりの美の残骸が残っているということは婆さんはある意味、本物の美女と言えたのかもしれん。
「お前の首をすぐにでももぎ取ってもいいんだがな。婆、違った運命の波に乗ってみたくはないか? お前が本来は予定されていなかった”桃太郎の婆の物語の第二章”を始めたいというなら、”これ”を食ってみろ」
そう言った鬼の大将は手下に目配せし、手荷物より何やら”黄色い果物”を取り出させた。
鬼の大将はそれを素手で二つに割り、うち一つを婆さんの口元へと近づけたんじゃ。
婆さんはそれを食べおった。
婆さんが”桃太郎の婆の物語の第二章”などといったワケの分からぬことを始めたくなどなくとも、恐ろしい鬼に口元に食べ物を死と引き換えに突き付けられて拒否することなどできようか。
得体の知れぬ”黄色い果物”を食べた婆さんは、案の定、苦しみ出した。
「か、体が熱い! 燃えるようじゃ!」と、全身から湯気を立ち昇らせ、悶え苦しんでおった。
だが、それはほんのわずかな間じゃった。
苦しみ終えた婆さんは、もう婆さんではなくなっておった。
鬼たちの間に溜息が漏れる。
そうじゃ、婆さんは若い娘時代の姿に戻っておった。
花の盛りともいえる年頃に……まさに、もぎたて果実のお年頃へと戻っておったんじゃ。
婆さんならではの地味な色合いと模様の着物を着ていためか、余計にその娘ならでの肉体の若さは際立っておった。
鬼どもによって戒めを解かれた婆さん自身も、信じられないというように自分の瑞々しい肌、艶やかな髪、盛り上がった乳や尻に幾度も手をやっていた。
「婆よ、今、お前に食わせたものは、わしらが大陸の方から仕入れた”仙桃(せんとう)”という果物だ。熟す機によって、その効能の程度は違っておるがの、今、お前に与えた仙桃は、不老不死とまではいかぬが肉体的な若返りをもたらす」
鬼の大将は、婆さんの全身を嘗め回すように眺めた後、さらに続けおった。
「婆……世には生娘好きの男も多々いるらしいが、わしらは生娘は面倒での。ある程度、男を知っている落ち着いた女の方が良い。お前は”わしら共有の妾(めかけ)”となって鬼ヶ島で暮らす気はないか?」
その言葉を聞いた婆さんの顔は一瞬引き攣ったも、すぐにパアアッと輝きおった。
「もちろんでございます! 私はあなた方にお仕えいたします!」
婆さんは、鬼の大将の足元にガバッと跪いた。
その動きは、遠い昔、わしのプロポーズに――『幸せにするから、妻となれ』というわしの言葉に、首を縦に振った時よりも速いもんじゃった。
「私の名は瑠璃(るり)と申します! どうか、可愛がってくださいませ!」
「ほう……瑠璃とは良い名だな。空を飛ぶ鳥にもそのような名の鳥がいたな。だが、お前は空を自由に飛ぶ鳥ではなく、籠の中の鳥となってわしらに飼われることとなるがの」
鬼どもの肉奴隷となることを承知した婆さんは喋り方まで若い娘の頃に戻っておった。
ここでとりあえず、婆さんは貞操はともかく命だけは助けられることとなった。
しかし、わしはどうなる?
鬼どもの視線が、わしへと集まった。
鬼の大将の側にピトッとくっついていた婆さんは、わしから目を逸らしたんじゃ。
女であるがゆえに鬼どもに”一種の情け”をかけられることなった自分とは違い、男であるわしは鬼どもに八つ裂きにされて殺された残酷な”絵”を婆さんも描かずにいれなかったのだと思っておった。
しかし、それは違ったんじゃ。
「こんな爺など、煮るなり焼くなりお好きになさってくださいませ!」
口を開きかけた鬼の大将の言葉を遮るかのように、婆さんは声を張り上げおった。
「お、お前……!」
わしは婆さんを睨みつけた。
婆さんは自分だけ助かるばかりか、わし一人を鬼どもの生贄として差し出そうとしておったんじゃ。
わしに負けじと、婆さんもわしをギッと睨み返した。
「長年一緒に暮らしていたお前さんは気づきもしなかったが、私はずっと我慢しておったんじゃ! いつもいつも考えておったんじゃ! 私の人生、いったい何だったんじゃろうかと! 無駄に長く生き続けているだけで、私が望んでいた幸せなど何一つ手に入れることなどできないまま死んでいくしかないんじゃと!」
わし相手では、婆の喋り方へと戻っている婆さんは、さらにがなり立て続けおった。
「何が『幸せにするから、妻となれ』じゃ! お前さんと一緒になったがために、美味しいものも食べれず、綺麗な着物も着れず、碌な暮らしじゃなかった。自分の子だって産んでこの手に抱きたかったが授からなかったばかりか、あんな”とんでもないオスガキ”を抱えるはめになっちまって……」
「桃太郎を川から拾ってきたのは、他でもないお前じゃろうが!」
「確かに拾ってきたのは私じゃ! だが、あやつがまだ小さいうちに、男親のお前さんが”引っ叩くなりなんなり”あやつの体に教え込む躾をきちんとしてくれていたら、良かったんじゃ!」
「お前こそ、子育ては女の仕事じゃろう!!!」
「何をォォ! 碌な稼ぎもないくせに、この時代錯誤爺ィィ!」
「この鬼嫁め! 飯は不味いし、掃除も適当なくせに! わしの方こそお前にはずっと我慢しておったんじゃあ!!」
鬼どもは、わしと婆さんの――いや、わしと元婆さんの痴話喧嘩を面白そうに眺めているようじゃった。
だが、いつまでも終わりそうにないことに苛立った鬼の大将が火花を散らし続ける、わしらの間へと割って入った。
「さて、そこまでだ。爺と婆よ。いや、爺と”瑠璃”よ。崩壊してたお前たちの家庭は気の毒に思うがな。わしら鬼にとっては、そんなことどうでもいいことだ」
鬼の大将は、半分に割っていた仙桃の残りをわしの口へと近づけた。
「爺よ、お前も違った運命の波へと乗り……本来は予定されていなかった”桃太郎の爺の物語の第二章”を始める必要がある」
まさか、鬼どもは男のわしをも婆さんと同じく籠の中の鳥として性的に飼うつもりなのじゃろうか、と思った。
だが、鬼どもは婆さんには婆さん自身の選択に委ねる問い方をしたのに対し、わしには「始める必要がある」と言い切っておった。
これはいったい、どういうことじゃ?! とは思ったものの、口先に突き付けられた”仙桃を食べる”以外の選択肢は、わしには残されてはおらんかった。
仙桃を食べたわしもまた、全身から湯気を立ち昇らせ、体の奥底から湧き上がる熱に悶え苦しんだ。
しかし、その苦しみが終わると、わしも体もまた爺ではなくなっていた。
そう、わしも若者に戻っていたんじゃ。
まさに逃亡中の桃太郎と同じ年頃の若者へと……
※※※
童よ。
聡いお前さんには、分かったじゃろう。
お前さんの目の前にいる、この爺は一度、確かに爺であったものの、鬼どもが持っていた仙桃によって若者へと若返り、その後、また本来の肉体的な時間軸に沿って老い、二度目の爺生活を送っている者であるのじゃと。
そして、あの時、わしを若返えらせた鬼どもの大将はこう言ったんじゃ。
「爺、男であるお前には別の方法で、桃太郎たちがしでかした大量殺戮のけじめをつけてもらうとする。桃太郎をわしらの元へと連れて来い。生きていようが死んでいようが構わん。首だけの状態でもいい。その期限は今日より三年とする。『桃栗三年柿八年』という言葉にちなんでな」
そうじゃ。
わしの……”桃太郎の爺の物語の第二章”は、こうして始まることとなった。
しかしのう、いくら若返り肉体的には頂点となる時分に戻ったとはいえ、柴刈りを生業としてたわしが”英雄となるべくして生まれた(はずであった)桃太郎”に正攻法では勝てぬということはわしだけでなく、鬼どもも分かっておった。
だから、鬼どもはわしを一度、鬼ヶ島へと連れて行き、わしに”桃太郎討伐のための道具”を授けてくれたんじゃ。
――急の巻へと続く――
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