Episode8 証拠不十分 10月8日(火)に巻き戻し

 時間は巻き戻される。

 10月8日(火)午後6時少し前の平良家に。


 玄関のインターホンが鳴る。

 この時、家にいたのは学校から帰宅したばかりの実葉だけだ。

 父・実が仕事から帰ってくるのは、この日も”いつも通り”午後7時過ぎであった。


 実葉は”来客”をリビングルームではなく、自分の部屋へと招き入れた。

 中学時代からの友人・津久井園香(つくいそのか)を――



※※※

 


 津久井園香は、実葉と同じ上住第一高校でもなく、また尾見希来里と同じ蘭舞高校でもなく、實田美優華と同じ飛杭高校でもない、同じ学区内のまた別の高校に通っていた。

 しかし、違う高校に進学したという物理的な距離とともに徐々に疎遠になりゆくわけでもなく、実葉と園香は中学校を卒業してからも時たま連絡を取り合う関係であった。


 実葉がトレイに載せた飲物を――冷たいお茶を園香に差し出した。

 今はもう10月だ。秋だ。

 だから、統計的には温かい飲み物を望む人が多いだろう。しかし、実葉は園香との付き合いで、彼女は冬でも冷たい飲み物を好むことをちゃんと覚えていた。


 「ありがとう」と冷たいお茶をコクリと一口飲んだ、園香の愛らしい唇が露で濡れる。


 園香は美少女だった。

 本人は意図しなくとも、雑踏の中で目立ってしまうほどの美少女。どこか気弱そうでというか、実際気弱で、ただただ愛らしいばかりの儚げな美少女。

 しかし、その彼女の胸元は儚げどころか、しっかりと主張をしており、冬の制服の上からも柔らかな膨らみが分かるほどであった。

 いかにも弱弱しく自己主張のない美人であるも、体はしっかりと成熟しておりグラマラス。

 そう、男には好かれやすい傾向であり女には嫌われやすい傾向にある娘といったところか。


「やっぱり実葉の部屋って,いつ来ても綺麗に片付いているね」


 ”理路整然”が具現化されたかのような実葉の部屋の中を見回した園香が、感心したように息をつく。


「最初から余計な物を増やさないようにしているのと、いらない物は捨てるだけよ。いらないと思ったものは、すぐにね」


「私も実葉の潔い取捨選択は、見習わなきゃ。ほんと……明日を”決行日”に決めたっていうのに、私まだ自分の部屋をきちんと片付けきれていないからなあ」


 目を伏せた園香の長い睫毛が、なめらかな肌の上で影を落とす。


「実葉……ほんと、ありがとうね。そして、”巻き込んじゃってごめんね”。私、実葉がいなかったら、もっと早くに…………で、でも、さすがに”あの人の娘”は可哀想だったね……蘭舞高校の文化祭の舞台で、しかもあんなに大勢の前で漏らしちゃうなんて……」


「うん、まあ、それは確かにそうだけど。まさか、私だって”あの人の娘”が舞台の上で、しかも最高潮の盛り上がりとなるクライマックスシーンで漏らすことになるなんて、想定外だったんだもの」


 自身も冷たいお茶をコクンと一口飲んだ実葉の唇も露で濡れる。


「トイレに行きたいって意思表示ができない年齢でもないんだし、舞台の上で限界を突破してしまうかもしれない予兆を感じていただろうに、舞台に出ることを選んだ”あの人の娘”の選択ミスが大きいと思うよ。”あの人の娘”は、SNSにも『ド根性! 何があっても私は頑張り抜く! 限界なんてないんだもの』なんて、自分のポリシーも書いてたけど、完全に頑張りどころを間違えて、公衆の面前で限界迎えることになっただけだよ」


 やはり、”あの人の娘”――尾見希来里の脱糞事件には、葉子の確信通り、実葉が関わっていたのだ。


 実葉と彼女の友人・津久井園香は、尾見希来里には直接の面識はなかったが、彼女の顔をあの文化祭の前から知っていた。

 SNSで顔出し、本名出しのうえ、全体公開していた尾見希来里が、蘭舞高校のダンス部に所属しており、文化祭でダンスの発表をすることは、ネットに繋がることができる全ての者が自由に閲覧できることができたのだから。


 あの脱糞事件後、すでに尾見希来里のSNSは全て削除されているも、彼女は自分の”充実していた”学校生活だけでなく、家庭についても、なかなかにオープンで誰でもウェルカムな状態――別の言い方をするなら、”どんな思惑を持った者が見ているか分からないのに極めて危機管理意識が低い状態”であった。


 家の中やどこかの外出先で撮影したものらしい、尾見希来里と彼女の父母との2ショット写真や3ショット写真も複数枚あった。

 希来里の「今のママは2番目のママだけど、本当に優しいママで大好き! ママと巡り合えて良かった、いつもありがとう!」といった、いわゆる家庭の事情が丸わかりのコメントも。


 実葉は自身の産みの母・葉子が、今は尾見希来里の母となっていることを知っていた。

 となると、やっぱり、彼女たちの真の狙いは、葉子であったのか?

 彼女たちが言う”あの人の娘”の”あの人”とは、葉子を指しているのであろうか?


 しかし、実葉は尾見希来里のSNSで彼女と肩を並べて微笑んでいる”2番目のママ”が、かつてこの家で暮らしていた自分の産みの母であることは園香に話していなかった。

 さらに言うなら、園香に実葉に出会ったのは中学生時代だ。中学校入学前にすでに父子家庭となっていた実葉の母親の顔を、園香が知るはずもなかった。

 だとすると……


「実葉、今回の始まりは全て私の自業自得だよね……私が”あの人”に万引きを見つかって、そのことで脅されて……車の中で……っ……」


 園香の瞳から涙が溢れる。

 溢れ出た涙の一粒はそのまま、彼女が両手で握りしめたグラスのポタッと落ち、小さな波紋を描いた。



※※※



 巻き戻された時間は、さらに巻き戻る。

 全ての始まりは、今年の春であった。


 高校2年生となった園香は、クラス替えによって1年生の時に仲が良かった友人たちと離れてしまった。

 少しだけ落胆した園香であるも、新しいクラスでも何人か気の合いそうな雰囲気の女子生徒もいたため、声をかけて徐々に仲良くなっていければいいとふんわりと考えていた。


 けれども、同じクラスになった男子生徒の1人が、クラス替えまもなく、可愛い園香にちょっかいをかけてきた。

 しかも、その男子生徒の彼女が――別れる別れないで揉めている最中であるらしい彼女も、同じクラスにいた。


 元々、気が小さく、言いたいことをはっきり言うことができない園香だ。

 自分から男子生徒に声をかけたわけでもないのに、クラスの女子のリーダー格である彼女&彼女の友人たちから、敵視されることになった。

 ボスが水面にポタリと落とした一滴は、瞬く間にクラスの女子の間に波紋のごとく広がりゆく。

 園香は、いつ終わるともしれない針の筵に座らされてしまうこととなってしまった。


 大半の女子生徒たちは、園香から男子生徒に声をかけたわけではないと、頭では理解していたはずだ。

 だが、ボスには迎合していた方がいい。さらに、クラスの民度自体があまり高くないことと、園香自体がハッと人目を惹くほどの美少女であるうえに、高校生にしては相当に豊かな胸であるという僻みも手伝ったのだろう。 


 お弁当を食べるのも1人、移動教室も1人の園香。

 1年時に仲が良かった友人たちは、他のクラスでもう新たな友人関係を築いている。

 園香の精神は、ジワジワと擦り減らされていた。

 園香は1人でいることに寂しさを感じるタイプだった。

 1人でいる辛さをバネとして、勉強やスポーツ、趣味に打ち込むこともできなかった。ただただ、ベッドの上で膝を抱えて、クヨクヨと悩み続け、涙を流し、怯え続けるばかりであった。

 

 そんなある日のこと、下校途中の園香は、あるセレクトショップにフラリと立ち寄った。

 絶対に買わなければならない物があったわけではない。ただ、なんとなくフラリと立ち寄っただけだ。

 この下校途中の何気ない寄り道が、園香本人だけでなく、他の者の運命をも狂わす結末になるとは、誰も予測だにしなかっただろう。


 店内のとある一角で、園香は香水アトマイザーをそっと手に取った。

 園香の小さな手にもおさまる――口紅ほどのサイズの香水アトマイザーを手にしながら、園香はぼんやりと考えていた。


――そういえば、春休みに親戚のお姉さんから、外国のお土産の香水もらったっけ……香水をこれに入れてみようかな。友達と遊びに行く時とかに……あ、忘れてた。今の私には同じ高校で遊びに行ってくれるような友達なんて、もういないんだ……中学時代の友達とは、今もたまに連絡を取ってるけど……中学生時代は楽しかったなぁ。戻りたいな……でも、時間は巻き戻せはしないもんね。


 手のアトマイザーをギュッと握りしめた、園香の心は陰鬱な空気に包まれゆく。

 その陰鬱な空気に追い打ちをかける声に、園香は飛びあがった。


 「ねえ、津久井さんのことだけどさあ」と同じクラスの――しかも、(ボスは今日不在らしいが)園香を絶賛敵視中の女子グループの者たちが他でもない自分を話題にしている声が聞こえてきたのだ。

 反射的に陳列棚の影に隠れてしまった園香。

 手にアトマイザーを握りしめたまま……


「ねえ、津久井さんのことだけどさあ、よくよく考えたら、津久井さん、何も悪くなくない?」

「まあ、皆、それは分かってるよ。単にあの”アホ猿”に一方的にちょっかいかけられただけっつうことはね」

「いじめではないけど、”プチ”ハブりとか可哀想なことしちゃってるよねwww」


 彼女たちも、一応は分かってくれていたんだ。

 しかし、ボスに従う彼女たちがしていることは、”プチ”ハブりではなく、園香からしたら完全なハブりというか、いじめなのだが……

 もしかしたら、針の筵の状態はもうすぐ終わりを告げるかもしれない、と園香の心の希望の光が差す。


「でも、さあ、私、やっぱり津久井さん嫌いだわ」

「なんで?」

「可愛いから」

「それ、単なる妬みだっつうのwww」

「だって、やっぱりなんだかんだ言って、男子とか津久井さんのことチラチラ見まくってるじゃん。津久井さん、乳だってデカいし」

「自分が可愛いことを自覚して武器にしまくっている女もそれはそれでムカつくけど、津久井さんみたいにオドオドキョトキョトして、文句も言わず、人の顔色うかがっているタイプも妙に人をイラつかせるんだよね」

「分かる、分かる。常に誰かが助けてくれるのを待ってそうな感じ。何かあったら、泣いて誰かにすがったらいいとか思ってそー」


 園香の手の内のアトマイザーが冷たい汗で湿り出す。


「私さあ、津久井さんとオナ中(同じ中学校)だったんだけど、津久井さんって金魚の糞っつうか宿り木体質? いっつも、隙のないしっかり者タイプの子に引っ付いてたような気ィする。私は、津久井さんとよく一緒にいた”そいつ”もあんま好きじゃなかったけど」

「へえ、”そいつ”って、私たちと同じガッコの子?」

「ううん、確か”そいつ”は上住第一に行ったはず」

「上住第一?!」

「すっげえ、頭いいじゃん」


 彼女たちが話題にし始めたのは、間違いなく平良実葉のことだろう。


「私、”そいつ”とはほとんど絡みなかったけど、なんか敵に回しちゃいけない危険信号を、本能的に感じてたんだよね」

「本能的ってwww 野生動物www」

「いや、ほんと、マジな話だって。”そいつ”はうちらとは、どこか違うんだよ」

「あーはいはい。要するに”頭の出来が”ってことっしょwww」


 彼女たちのけたたましい笑い声。

 店内の客の何人かが怪訝な視線を向けるも、彼女たちはそんなこと気にすることもないようだ。

 そして、彼女たちはそのまま、園香が身を隠していた陳列棚の方へと足を向け始めた。


――!!!


 園香はダッと駆け出した。

 セレクトショップの外へと。彼女たちに見つかりたくない、との一心で。

 手の内に”未精算の”香水アトマイザーを握りしめたままであることも忘れて――


 しかし、外へと飛び出た園香は、すぐに気づいた。


――やだ! 私、あのまま、持ってきちゃったの! これって万引き? 万引きになるのよね?


 恐る恐る振り返った園香であるも、元々警報ブザーの設置のないお店であるうえに、血相を変えた店員が自分を追いかけてきてもいなかった。

 万引きする気なんてなかったが、商品を手に持ったままお店の外へと出てしまった。


――すぐに戻しに行こう。今ならまだ間に合うはず……


 園香はお店に引き返そうとした。

 しかし、園香の足はピタッと止まってしまった。

 この香水アトマイザーを商品棚に戻しにいったところを、店員に見つかってしまったら?

 商品を未精算のまま、一度、店の外に出てしまったのは事実だ。

 店員が自分の釈明を信じてくれずに、警察を呼んだなら?

 そして、”万引き犯”として警察を呼ばれてしまったことを、同じクラスのあの人たちに見られてしまったなら?!


 園香の足がガクガク震え出した。

 身の破滅が待っているかもしれない空間に再び足を踏み入れることができようか?

 ゴクリと唾を飲み込んだ園香。


――このまま、何もなかったことにしよう。何もなかったことにはならないけど……それは分かってるけど……


 冷たい汗でぬるりと湿った”罪の証”を握りしめた園香は、店に背を向けた。

 その時だった。


「ちょっと待って、キミ。手の中の物は何かな?」

 見知らぬ男に――園香の父親ほどの年齢だと推測される男に、ポンと肩を叩かれた。


――まさか、この男の人、万引きGメン?!


 瞬時に青くなった園香の顔を見て、男は目を細めた。


「お店に入った時から、可愛い子だなあってずっと見てたんだよ。キョトキョトして挙動不審だったけど、まさか、万引きするなんて思わなかったなあ……キミ、”天網恢恢疎にして漏らさず”って言葉を知ってるかな?」



 天網恢恢疎にして漏らさず。

 この言葉は、万引きをセレクトショップの者にも園香の学校にも黙っておいてやる代わりに、園香の体を要求してきた男にこそ、ブーメランで突き刺さる言葉だったろう。


 震える肩を男に抱かれた園香は、そのまま男の車に乗せられ、人気のない場所に連れていかれた。

 「避妊はちゃんとするから」と、園香は後部座席へと押し倒された。

 キスすら未経験だった唇どころか、口内までもが蹂躙された。乳房は好き放題に舐められ、揉み込まれた。処女を奪われた。痛みと恐怖で泣きじゃくり続けたにもかかわらず、その後、2回、3回と男は園香の上で息を荒げ、果てた。

 虚ろな表情で車の天井を見上げる園香を、男はスマホで撮影した。園香の両脚を広げて、局部の写真までスマホにおさめた。園香に向かって、スマホのフラッシュは幾度も光った。

 園香本体の撮影を終えた男は、園香の付属品である生徒手帳を撮影した。園香が通う高校どころか、名前も住所までも男に握られてしまった。


 たった数時間のうちに、命以外の大切なものを何もかも奪われてしまった園香の手に、男は6千円を無理矢理握らせた。

「はい、これ、お小遣いね。それに今日のことは強姦じゃなくて、今流行りのパパ活だから。”毎回”これぐらいは渡せるから、万引きなんてもうしちゃだめだよ」と。


 その後、”毎回”という言葉どおり、男は学校帰りの園香を再三にわたり、呼び出した。

 「制服姿のまま、ラブホテルに連れ込むわけにはいかないし、料金もかかるから」と、男は車の中で毎回”雄”となった。

 男は、妙なところで几帳面な性質であるのか、園香の中で1回果てるにつき2千円、生理中の園香の口の中で果てるにつき千円といった具合に、支払う価格を設定しているようであった。


 大人しくされるがままになっている園香に、男は安心したのか、自分の家のことを話すようになった。

 性の捌け口だけでなく、家庭の愚痴の捌け口にもされたのだ。


「娘は確かに娘としては可愛いんだけどね。客観的に見ると不器量で……今は高校のダンス部に入って、将来はプロのダンサーを目指してるんだけど、やっぱり、ああいう世界って顔とかスタイルも重要視されるだろ。なんか、時折、娘が痛々しく見えてさ。園香ちゃんみたいに可愛い子だったら、もっと将来が楽しみだったんだけどなあ、ま、さすがに実の娘とのセックスは無理だけど」


「今の奥さんは2番目の奥さんで、前の奴(妻)と違って料理も上手だし、家のこともきちんとしてくれてて、いわゆる”生さぬ仲”な娘との相性もすごくいい。妻や母として見れば、ほぼ満点なんだけど、女としてはどうも地味で刺激がなくてねえ。だから、現役女子高生の園香ちゃんに刺激と若さを求めてしまうのかな」


 ……男は妻子持ちだった!

 自分を蹂躙し続けるこの男は、自宅に帰るとごく普通の父親であり、ごく普通の夫として、家族と暮らしているのだ。

 さらに言うなら、”家族サービス”と称して、自身の家族を性犯罪の現場であるこの車に平気な顔で乗せているのもしれないのだ!

 

 男からの呼び出しは、それからも続いた。

 学校でのハブ状態の方がまだ遥かにマシと思える拷問だった。

 園香は、汚され汚され汚れ続けて、壊され壊され壊され続けた。


 死にたい。

 もう生きていたくない。

 男はいつかは私に飽きる……私が女子高生でなくなった時に飽きるかもしれない。

 いつかは、解放される。

 でも、解放されたとしても、もう私は……



 そんななか、たまたま道で実葉に再会した。

 LINEでのやり取りは続けていたも、実葉の顔を実際に見るのは数カ月ぶりだった。

 堰を切ったかのように、実葉との楽しい中学生時代の思い出が、園香の目から溢れる涙とともに蘇る。


 突然、泣き出した園香に驚いた実葉は「とりあえず、落ち着いて」と自分の家に園香を連れてきた。

 園香は実葉に、自分の(するつもりがなかった)万引きが元で、名前も知らぬ中年男に脅されて幾度も体を強要されていることを話した。誰にも言えなかったことを、実葉の腕の中で、言葉を詰まらせながら話した。実葉に縋り付いて泣き続けた。



「話を聞いた限り、園香の万引きだけど、クレプトマニア(窃盗症)じゃなくて、偶発的なものよね」

 

 それが一連の話を聞いた実葉の第一声だった。

 園香は、クレプト何とかなんて言葉は知らなかったため、実葉が何を言っているのか、分からなかった。


 実葉はしばらく何かを考え込んでいた。

 だが、何かを決意したかのように園香を抱きしめた。

「もっと早くに私に話してくれればよかったのに」と。


「園香、私が何とかしてあげる。でも、そのために園香にまたつらい思いをさせることになるけど、次にその男からの呼び出しがあった時に、その男の家族の情報を出来るだけ聞き出してきて……特に男の娘は私と同じ高校生で、ダンスをしてるって言ってたわよね。その娘のことを重点的にね。そして、余裕があればだけど、男の車のナンバーも”覚えてきて”」とも――


 それから、数日もしないうちに男からの呼び出しがあった。

 園香は実葉に言われた通りにした。

 しかし、あまりにも食いついて聞くと男に怪しまれるため、聞き出せたのは「娘の所属している高校のダンス部が全国大会で入賞したこと」と「娘の名づけの際、男は最後に”子”がつく名前をつけたかったが、元妻のゴリ押しで”キラリ”という名前になったこと」ぐらいであった。

 さらに、記憶力にはあまり自信はない園香であるも、車のナンバーぐらいは覚えることができた、というよりも今までに幾度も機会があったのに性犯罪者の車のナンバーをなんで覚えなかったんだろうとも……



 園香から一連の情報を聞いた実葉は、「それだけ”具材が”揃えば本当に充分だわ」と実葉は、ニッと笑った。

 そして、数日もしないうちに実葉は、とあるSNSのアカウントの家族写真を園香に見せ、「この写真の男で間違いない?」と聞いてきた。


 ポツポツと赤く咲いているニキビによって肌が荒れていることは写真で分かるもいかにもなリア充で明るそうな女の子と、地味だが優しそうな”彼女の母”、そして、自分の体を散々弄び続けている”雄の怪物”が笑顔で映っていた。

 そして、3ショットの家族写真だけでなく、園香の記憶と一致するナンバーの車の画像も「今日はパパと一緒にドライブ♪」とスタンプもモザイクもなしで載せられていた。



「ネットのない時代だったら、突き止めるのにもっと時間がかかっただろうけど、今の時代は素人でも特定は簡単よね。ダンスをしている子って社交的で、いわゆる”陽キャ”な傾向にあるだろうし、SNSをしている可能性はすごく高いと推測していたの。まさか、こんなに何もかも丸出しとは思わなかったけど。ダンス部がある高校は多くても、全国大会で入賞までする高校は限られているでしょ。それに”キラリ”と言う名前……ターゲットの情報の欠片さえ的確につかめば、ネットという庭園は広いようで狭いものなのよ」


 園香は、ネットなんて果てのない海のごときものだと思っていあ。しかし、実葉の手にかかれば、人の手によって造られた庭園のごとき場所へと変わってしまったのだ。


「ね、園香。この男からの次の呼び出しには私も連れて行って。園香がこの男に会うことになるのは、私が次で最後にしてみせる」


 園香は約束通り、男からの呼び出しに実葉を連れて行った。

 「会いたいって言ってる友達が1人いる」と。

 そして、待ち合わせ場所には、実葉の指示通り、”繁華街にほど近い場所”を指定した。

 繁華街にほど近い――近くにラブホテルもあるとはいえ、人通りの多い場所での待ち合わせに、男はわずかにしぶっていたようだったが、最終的には承知した。

 1発数千円で好き放題に出来る若い娘がもう1人増えるという性欲の方が勝っただろう。

 いや、今度は園香のように弱みを握って犯したわけでもなく、最初から合意で”パパ活”――男の年代で言う援助交際をしたいという娘がやってくると。



 ”私服姿の”実葉を見た尾見明義は、一目で実葉を気に入ったようだった。

「大人っぽいから最初は大学生かと思ったよ。園香ちゃんと同じ学校の子? 頭良さそうだし、園香ちゃんとはまた違ったタイプでいいねえ」と、園香と実葉を交互に見て、ニヤニヤしていた。

 さらに言うなら、この時の男が”膨らませた欲望”がそのまま実現したなら、男は自分でも知らないうちに”親子丼”を堪能することになっていただろう。



 しかし、実葉は自分のスマホを男の目の前にかざした。

「尾見明義さん……そろそろ終わりにしましょうか。奥様や娘さんが悲しみますよ」


 娘・尾見希来里のSNSを見せられた男――尾見明義の頬が凍りついた。


「1回だけ偶発的に万引きしてしまった未成年と、その未成年を脅して何度も凌辱し続けた大人は、どちらが重い罪に問われるかはご存知のはずです。”園香が私と一緒にこのまま警察に駆け込めば、あなたは完全に終わりです”。そもそも、本人の同意があっても、18才以下の子供と性行為をするのは青少年健全育成条例違反ですけれど」



 明義の凍りついた青い顔は、みるみるうちにドス黒くなっていく。

 今すぐにでも、目の前のこの娘の顔をボコボコに殴って黙らせてやるか、それとも裸にひん剥いて犯し抜いてやるか、それともその細い首を締め上げて二度と喋れなくしてやるか……


 しかし、自分たちのすぐ隣を通行人たちが次々と通り過ぎていく。

 人目がある。だから、暴力による口封じはできない。

 明義の怒りを感じ取った園香が、実葉の細い腕にギュッとしがみついてきた。


「……金が望みか?」


 実葉が首を横に振る。そして、実葉に促された園香が鞄の中に入れていた茶封筒を黙って明義に差し出した。


「尾見さん、これは今までにあなたが園香に押し付けたお金です。私たちはお金なんていりません。”まずは”あなたが撮影した園香の画像を全部、消去してください。今、私たちの目の前で全て」


 明義はホッと胸を撫で下ろす。

 大事にしたくないのは――”何もかもなかったことにしたい”のは、向こうも同じなのだと……

 明義のスマホの中にいた園香は、削除された。いなくなった。


「”次は”尾見さんの運転免許証を見せてもらえますか? あなたが園香の生徒手帳を撮影したみたいに、スマホで撮影する気は私にはありません。ただ、私のこの目に焼き付けておきたいだけです」


 渋々ながら運転免許証を実葉の眼前に突き付けた明義。

 もう、自分のフルネームも、妻の顔も、娘の顔も名前も高校名も全て、この忌々しい娘に把握されている。今さら、運転免許証を見せたところで、状況はそう変わらないだろうと。


「”最後に”尾見さんは、奥様と娘さん、どちらが大切ですか?」


「は?」


 実葉はいったい何を言い出したのか?

 尾見明義だけでなく園香もポカンとする。


「どちらが大切なんですか?」


「そ、そりゃあもちろん、娘に決まっているだろう!」


「そうですか……なら、大切な娘さんの”夢”を尾見さんが壊してください」


「な……っ!」


「だって、園香は尾見さんに全てを奪われ壊されたんですよ。”何もかも”を」


 実葉は淀みなく続ける。


「他人の娘をズタズタに引き裂いておいて、自分の娘だけは大切に無傷のまま成人させるなんて、こんなのフェアじゃないですよ。時間は巻き戻せないんだし、何もなかったことになんてなりません。尾見さんの娘さんって、蘭舞高校のダンス部に所属してますよね。もう全国大会は終わっていますから、とりあえず9月の文化祭の舞台に娘さんを立てないようにしてください」


「そ、それは…………む、娘は俺が『ダンスをするな、舞台に立つな』って言っても、あいつは本当にダンスが好きなんだ。俺の言うことなんて聞くはずがない。もちろん、娘を応援している妻だって……俺に娘の足でも折れっていうのか?!」


「家の中で自分が悪者になるのは嫌なんですね。子供と妻に嫌われるのは嫌なんですね。足の骨を折らなくても、娘さんを舞台に立てなくする方法なんて、考えればいくらでもあると思いますよ。例えば、娘さんが食べるものの中に下剤を仕込んでおくとか……これは”例えば”の話ですけど。娘さんだって、自分自身の体調不良による欠場なら、パパを憎んだりしないでしょう」


 尾見明義は、しばらくの間、唇を震わせ項垂れていた。

 しかし、決心したかのように「…………分かった」と呻きのごとき声を絞り出した。




※※※



 以上が”真相”だった。


 第42回 蘭舞高校(らんぶこうこう)文化祭。

 実葉は上住第一高校での友人3人と連れだって、そして園香は1人で足を運んだ。

 14時からのダンス部の発表。

 薄暗い体育館の中で、実葉と園香の視線がスッと交わった。


 彼女たちは、実力派な蘭舞高校ダンス部の素晴らしいパフォーマンスではなく、”1人のダンス部部員の不在”を確認しにきたのだ。


 が、なんと、遠目ではあったものの、尾見希来里らしき娘はしっかりと舞台に立っていた。

 彼女は出場停止などすることなく、ユーロビートに合わせて激しいダンスを踊り始めていた。

 やはり、尾見明義は娘の夢を潰すことはできなかったということだ。


――さて、どうしようかしら……


 ”約束を破った尾見明義に対する次なる手”を、実葉は舞台を見つめたまま、表情一つ変えずに考え始めていた。

 しかし、寸分の狂いもなく乱れもないままで終わると思われたダンスに綻びが生じ始めた。

 明らかに様子がおかしいその綻びは、他でもない尾見希来里からだ。尾見明義がちゃんと約束を守っていたなら、舞台に立っているはずのない者からだ。


 ついに尾見希来里は、体を――上半身をグッと前に曲げた。

 奇しくも最高潮の盛り上がりとなる場面で体を折り曲げた希来里の”両太腿の内側を茶色の液体らしきものが伝っていく”のは、実葉にもしっかりと見えた。


 尾見明義は、実葉が”例えば”で提案した案をそのまま実行したらしかった。

 何に仕込んだかは定かでないが、自分可愛さに娘の食べる物に下剤を仕込んだのだ。

 そして、その下剤が、最悪のタイミングで強烈に効いてしまった。


 さすがの実葉も、こんな大勢の前で脱糞してしまった希来里を気の毒には思った。

 無慈悲な野次と笑い声、舞台に向かって幾度も光るスマホのフラッシュが、彼女の大悲劇に追い打ちをかけているとも。


 混沌とした薄闇の中、実葉は後方にいた園香を振り返り、目配せし、フッと笑った。


――園香、あの男の娘に関しては、もうこれで充分。充分過ぎるほどよね。

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