第17話

 音の出所に近づくにつれて動作は激しくなり、小動物らしく機敏になる。細い骨と水っ気のない皮、それにわずかな脂肪で成り立つ柳の肉体は、とにかく無駄がなく、ひ弱な瞬発力に優れている。それでいて中々持久力もある。規則正しく髪の旗を振り、拳を握らず手刀鋭く、機械の動作で何度も宙を突き刺す。神経質な動きに流れる音はより染み渡り、鼓膜でなく肉で拾い、脳を通すより早く、全身の細胞に振動は響き、より透〈す〉いた音の効果を体感する。


「音が漏れたら近所が騒ぐ。近所が騒げば世間は騒ぐ。世間が騒げば世界は騒ぐ。世界が騒げば宇宙も騒ぐ。宇宙騒げよ神様驚く! おおお! 神秘的音量! 神秘的音量! 血管震える音をくれ! 骨の削れる音をくれ! 脳に泡立つ音をくれ! おおお、すばらしい音響にこれほどの効果が、しかし選曲が悪い! 選曲悪くとも、音の重圧に体は強震してしまい、ああ、くずばかりだ! 音に取りつかれたくずばかり、音に揺らされ、くずの踊りを、ああ醜い、音に揺られて芥が舞う! ああ、不自然な動きをするやつばかりだ! やつらの踊りはただのお遊戯! ははは、音に酔えない試行錯誤の物まね踊り、音に踊るどころか、周りのくずに踊らされている! ははは、アジアの不出来! ははは、細いノイズは食われてしまえ! 細いノイズは食われてしまえ!」


 真上に上げてばかりの腕が、やがて前にも伸び始める。毛髪も宙を舐〈な〉めろと上下に動く。下唇を限りなく突き出し、眼球を上に向け、わざわざ荒い呼吸を鼻でする。 


「ところかまわず音をたいらげ、ひりひりする効果を求め、太いベースで誤魔化すことなく、エッジのきいた弦を光らせ、遠退〈の〉きそうな鍵盤を打ち続ける。やはり決めては丸太のドラム、股間を鐘突く丸太のドラム! あああ、太いだけが音楽じゃない! 浮かぶだけが音楽じゃない! 連れて行くだけじゃ音楽じゃない! 爬虫類のつぶやく外国語だからって、必ずしも音楽じゃない! ああ、花卉はどこ? どこにいる? こんな毒づいた音を聴いて、踊る花卉さえ見てしまえば、一緒に串刺しに成りたくなるのもしかたない。ああ、こんな音楽、狂った人間だけが聴いて、狂って踊ればいいんだ! ああ、失禁もの! 脳に良いこと無し! ああ花卉はどこ? こんな場になんかいちゃいけない! 絶対にいちゃいけない、あんな、形容しようのない花卉が、こんな、地獄! 地獄になんかいちゃいけないんだ! 一瞬だっていちゃいけない、こんなの、音に魂奪われた木偶〈でく〉だけが味わえる、高尚な、ああ、違う! 高尚のかけらも、知性の切れ端も必要としない、叫びをあげる肉の衝動以外の何物でもない! 音とセックスして殺し合うだけの、単なるわびとさび! わびとさび? ははは! 茶でも飲んで自慰する獣だ! 茶碗をかき混ぜ音に流し込み、渋みのある色つやをぶちまけるだけの、伝統も礼儀もない、まさに糞がはびこる原始的歩道だ! あああ、花卉は、こんな音楽を好きになっちゃいけない……」


「柳! 柳! いつ来たんだ? おい、なんだよ、ひでえ格好だなぁ、せっかく早い時期に誘ったんだから、身だしなみ揃えてから遊びに来いよなぁ、いくらなんでも『ぼく、引き篭ってたから、近寄らないでくださいね、憂鬱になりますよ』って宣伝してい……」


「あああ! この唐変木! 君のせいでねぇ、ぼくはどれだけ酷い目にあったと思います? ええ? わからないでしょうね、君みたいな人には、細やかな人間の心情というものが、宇宙の果ての次元の違う存在であって、いいや、君に長々と話したところで、なんの意味もありませんからね、ええ、無駄です、君の前では一切が無駄です! だから言ってやります、桂君、ぼくは君のせいで今日死にます、ええ、完全に死にますよ、どうしてくれるんですか? せっかく長年篭って音作りに命を注いできたのに、君が外に連れ出したりす……」


「柳、どうだ? このパーティーどう思う?」


「パーティー? このパーティーですかぁ? 糞に決まってんじゃないですか! 他の形容もしますか? 糞が漏らす糞パーティー、主催する人間がまず糞、主催する季節も糞、主催する日時も糞、主催する場所なんか特に糞、主催する時間もやっ……」


「だろぉ? 俺も前々から気づいていたけど、DJの質が本当に良くないよな、そりゃ装飾や機材も甘いけ……」


「DJの質どころか、まず主催者の質が良くないんですよ! ええ、主催者は桂君ですよぉ? 君は何事も気がつけない人間だから、ぼくがはっきり言いますが、君は……」


「タイムテーブルに気をつかってもさ、結局は同じなんだよ。本当に無駄だ、無駄、徒労以外の何物でもなくてさぁ、素材その物が良くないから、配列の効果を存分に発揮しても一定のレベルを超えるこ……」


「まず主催者の頭が悪いんです、ええ、どんなにお世辞を言っても、頭が悪いより言いようがないんですよ、そう、頭が悪いから、自分の頭の悪さに気づけないという、それも人に言われても気づけないという、どうにも手に負えない……」


「民主制に根ざしたパーティーを試したけどさぁ、やっぱりだめだよな、大した規模でないパーティーに民主制を導入するとさぁ、質の高い仲間同士なら効果も上がるだろうけど、つまんで剥いてやらないと味の出ないような、皮に覆われた食材となると……」


「ええ、唯一の長所が、耳と行動力ですよ、ええ、人間としては最悪ですが、音楽を作る道具と考えれば、それは立派な性質ですね、ええ、創造力はそれほどでもありませんが、行動力がなければ、やはり創造……」


「とにかく素材が良くないんだよ、どんなに相手の能力を引き出そうったってさぁ、種が良くなきゃ良い実を結ばないないよな、そりゃ環境も大切だが、根本は種だ、種さえ良ければいくらだって引き出せるんだ……」


「小さな創造力と大きな行動力、大きな創造力と小さな行動力、どちらかの性質を持っていればある程度を成すには事足ります、ええ、両方とも強大な物を持っていれば言うこと無しですが、そんな人は滅多にいませんからね、ええ、君はとにかく行動力だけは並外れたものを持って……」


「それで俺は考えたわけだ。いつ自爆するともわからない種は知っているが、そいつを貧弱な種の集まりに入れても大丈夫か? これは簡単に答えが出て、ちっとも大丈夫じゃない。強大な種が勝手に破裂するか、それとも貧弱な種が毒気にやられて死んでいくか……」


「要するに、パーティーなんか主催してる場合じゃないんですよ、ええ、君はまったくパーティーの主催に向いていません、なんですかこのパーティー? 恥ですよ恥、まず音の面で言わせると、絶望と言っていいほど音の質が悪いです、ええ、イベントの装飾なんかぼくの知るところじゃありませんから、いちいち口にすることじゃないので、特にうるさく言いませんが、音です音、こんな音を許していて……」


「やっぱり独裁だろうな、独裁こそ強烈な個の能力をじかに発揮できる優れた形態だよな? とにかく数があればいいわけじゃなくてさぁ、質を見て数を洗練してくのが望ましいよな? 数なんてあとからいくらでも付いてくるんだから、自分の限界が切れて自殺するまでは、とことん独裁に徹底するべきだよな? 貧弱な種に自由を与えれば、行き場もわからずあっぷあっぷするだけで、ちっとも能力なんか活かしきれな……」


「桂君、いったいどうしたんですか? ぼくには今の君が信じられません、こんな音楽をわざわざ発信する君の存在が理解できません、ええ、死んだほうがいいですよ、こんな音楽発信し続けるくらいなら、死ぬべきだと思いま……」


「そこでだ! 柳、おまえがこのパーティーのDJを仕切れよ、いいか、まず最初は俺と柳だけですべての時間を回すんだ、俺の選曲が気に食わなければ、すべておまえが回していいけどさぁ、どうせ俺はおまえに駄目だしされることはないか……」


「すべて回していい! 今言いましたね、ぼくがすべての音を回していいって? ええ? 野暮ったいDJなんか一人だって使うもんか、ええ、ぼく一人で十分です! ええ、何時間ですか? ぼくは薬物抜きで、二十四時間はかるくいけますよ? それに、ぼくの音楽を表すのに最低でも八時間は必要でして、もちろん部分々々をつまんで味わう事もできますが、そんなのは胃袋の小さな人間のすることで、耳の肥えた太鼓腹を喜ばすには、最低八時間必要です、そう、それがぼくの音楽を表現するのに最適な時間です、ええ、相手に合わせて時間を変えることもできますよ? でも大きな枠を与えてもらったほうが、より混沌とした作品を形にすることができます、そうです、凝縮しないと批判されるかもしれませんが、いいんです、聴いていて内臓の飛び出るほど気持ち悪くなるのも、それは一つの効果であって、あとあとになって響いてくる、でもだめだぁ! ぼくは今日死ぬん……」


「そういうわけで、来週から俺とおまえがメインのDJとして音を作りあげるぞ、いいか、来週から週に二度、三十六時間だ、回数欲しければ週に四度ぐらい回したってかまわない、むしろ俺はそれぐらいがちょうど良いと思う。金は気にすることないぞ、俺がすべて調達したから、月に百万ぐらいの出費なら約三年は続けられるさ。装飾や運搬も大丈夫、肉体自慢の筋肉芸人二人組を見つけたから、そいつらに運搬をすべて任せて、あとは適度なプロテインと筋肉を披露する舞台を与えれば、毎日動くと言っている。それに、デザインするしか能のない、芸大くずれのヒッピー集団を栃木の山で見つけたから、装飾を手がけるやつらはいくらでもいる。そうだ、毎日違う装飾を……」


「だめですよぉ! 全然だめです! ぼくは今日死ぬ、いや死んだんです! そうですよ、桂君、すべて君のせいですよ、ええ、部屋に閉じ篭って、ひたすら音楽を練りあげていたのに、ぼくを外につれ出したせいで、築きあげた音楽はもろく崩れ去ったんです! ええ、花卉、花卉に会いました、あの、一緒に串刺しにされて、地獄の果てまで叩きつけられてもいい、ええ、肉以上に精神の交わりを欲する、ああ、可憐な花卉に! ぼくは、もう、花卉を表現する以外に音を組み立てられませんよ!」


「へっ? 花卉ちゃんかぁ? おまえ花卉ちゃんに惚れたのかぁ? ああ、そいつは喜ばしいことだ、俺もうれしいよ、けれど、おまえがそんな人間らしい気持ちに浸〈ひた〉れるなんて、そっかぁ、そうだな、昔の柳の話題が持ちあがると、花卉ちゃん薄い頬をぴくぴくさせて、酸素みたいにテキーラを飲んでいたもんな、そっかぁ……、おまえ死んだな! 完全に柳は死んだな! そんなの音を聴くまでもな……」


「そうですよ! ぼくは死んだんです! 君のせいですよ、ええぇ? どうしてくれるんです? 虹色逆巻くつかみのない音は死んで、どぎつい蛍光ピンクだけを擦〈こす〉って発信する、一つの色に染まった柳! ああぁ、ぼくは、花卉への想いを表現する以外に、音を組み立てることは出来ません、ぼくを媒体に湧き出る音は、愛に浮かれたフィルターを通して、かわいい人の讃歌しか生み出せませんよ! ええぇ? どう償ってくれるんですかぁ? ええぇ? 桂君、ほん……」


「おまえ今から回せよ、どんな音を出すのか興味あるから、この次の曲が終わったら開始な? 機材の説明なんかする必要ないだろ? いいか、ここに来ているDJの音を勝手に使っていいから、今から三時間回して、その花卉ちゃんへの想いを表してみ……」


「君はほんとに糞ったれですね? ええぇ? 花卉は今、人に怯えながら、ぼくの来るのを待ち焦がれているんですよぉ? この時を逃せば、ぼくは、あああ、死んでしまいたい! 花卉と一緒に死にたいです、あああ! 死んでやる! もう未練はない! すべてを裏切り、花卉の為に生きて、花卉の為に音を作って……」


「いいな、今からブースに行って準備しろ、桂の命令と言えば使わせてくれるから、そうだ、これは絶対だ、じゃなきゃ、おまえは意味がないからな。おまえは音楽を作る以外まったく必要とされない、ただの害虫だからな、それを忘れるなよ! まあ、こんなこと言わなくても、おまえが偽った音を作れるわけないしな、ほら、早く行けよ、俺が花卉ちゃんを見つけて、事情を説明してやるからさぁ、いいか、覚えておけよ? 俺を満足させなきゃ、花卉ちゃん殺すから……」


「ぼくが殺すんです! だれが、糞ったれの桂君なんかに殺させてたまるもんですか! ええっ? この場で君をきざみ殺してやりたいところですが、君は音でなきゃ死なない男ですから、えええ、殺してやりますよ! 君も、花卉も、誰も彼も、ぼくの音で殺してやりますよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

谷のパーティー 酒井小言 @moopy3000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ