第9話

「おい柳、肉を取られたぐらいで、そんなきたねえ言葉口にするな。魚介類だってあるだろ?」咄嗟〈とっさ〉に菅田は立ち上がり、手馴れたように柳を羽交い絞めすると、“魚介類”の部分に力を込めて話す。


「だって生臭いじゃないですか! 菅田君離してください、早くしないと、あの、恐ろしい雌豚にすべて食べられて、無駄な脂肪に変えられてしまいます、ほら、早く離してくださいよ」必死に抵抗するが、五分の力にも及ばない。


「なによ、肉を食べれないだけでそんないきり立っちゃって、いやしい男ね、ああっ! 柳君、肉が食べたい食べたいってさぁ、皿の肉じゃなくて、ひょっとしてあたしの肉のことぉ? そうでしょ? 飢えてやせ細った狼みたい、ひさしぶりにおいしそうな肉を見たから、興奮して見境つかなくなったんだ」


 脂ぎった笑顔を浮かべて体をくねらすと(気持チ悪イ男)、真理藻は肉を口に頬張って、胸の食〈は〉み出るように腕で隠す。


「あああっ? なんですかぁ? 雌豚が人間の言葉を生意気に口にしちゃいけませんよぉ! 自然に反する行為をしちゃいけませんよぉ! あああぁ! 柴田君包丁を! 菅田君離してください、ぼくが今から、生きてきた人生の中でも最大の魂を注いで、このさばきがいのある家畜をばらしてやります! えええぇ、それは、見ている者が息をするのも忘れるほど、鮮やかにばらしてやります! 性的興奮は一切ありません! 残酷に見える行為ですが、職人芸を超越した手際に魅了されて、人生を変えるような、ええ、神に触れるような感動を与えます! そうです、もう一頭家畜を用意せずにはいられない技巧です! しかぁし! 技巧はしょせん技巧です! 肝心なのは熱情です! この、ぼくの、水も沸点を忘れるたぎりがあってこそ成せる技です! さばいたあとに死んでもかまいません、いえ、おそらく死にます! 異常な量の汗を流したせいで体重は半分に減り、体の内の水分はからからに尽きると思います! でも屠殺してやります! この人間振った豚の片端に崇高なる生の終末を与えて、醜い体ながらも、華々しい瞬間を得られるようにしてやります! ええ、わかりますか? 醜〈しゅう〉のみを存在に生きてきた家畜に、ぼくが熱情を持って美を与えてあげるのですよ、えええぇ、その糞にも劣る肉を昇華させてあげるんですよ、おい雌豚! 感謝しろよ、ぼくが今から殺してやるからな、まてよ、礼を言って人間の言葉なんか話すなよ、身分を忘れて言葉なんか話すなよ、脳の血管からしぶきをあげてしまいそうだ、あああ、柴田君! さあ包丁を! ぼくは道具を選ばない男で……」


「うるせえ柳! おい真理藻、こんなやつの言うことは気にするな、けど何されるかわからねえから、皿にある肉を食ったらここから離れろ」菅田は力なく暴れる柳を軽々と押さえつつ、男らしい目差しを真理藻に向ける。


「立君、肉食べたいから焼いてよ」玉葱を切ったせいか、柴田は細い目をより細くする(ナンカ凄イナ)。


「そうね、そうする、柳君じゃ、ほんとに殺しかねないもんね」舌なめずりを二度して真理藻は返事する(全然足リナイ、モット食ベタイワ)。皿の肉はすでにない。


「離してください菅田君! 獲物が逃げてしまいます!」引きつった大声を挙げて柳がもがく。


「柳、今から新しい肉を焼くから気を静めろよ。おまえの言う物騒な解体も見てえけど、それより楽しく肉食おうぜ、それに、肉食ったあとの方がいい仕事できるんじゃねえの? ほら、カルビだけじゃなく、おまえの好きなホルモンやレバーもあるぜ」立石はそう言って、クーラーボックスから取り出した肉類を見せる(真理藻ノ解体ナンテ、シャレデモ見タクネエヨ)。


「あたしもホルモン大好き! いいな、ねえ菅、あたしブースの裏にいるからさぁ、柳君をなだめたら大量の肉を持ってきてよ。たくさんだよ?」真理藻は素早く立ち上がり(マダイッパイアルジャン!)、ねっとり舌なめずりして肉を見やり(ドレモウマソウネ)、胸をこれでもかと突き出し、媚態とも受けとれる素振りを菅田に見せる。


「おおおい! この肉豚ぁ! 肉のくせに、肉見て発情するな! け……」


「おおわかったわかった、たくさん用意して持って行ってやるから、早くブースの裏へ避難しろ。柳は俺にまかせておけ」盛り上がった股間をつい柳の尻に撃ちつけ、変に気取った顔して菅田が声出す。


「たくさんだよ菅、たくさんじゃなきゃ、いつものはなしだからね」偉そうな口調に真理藻が話すと、歩幅の短い足取りでそそくさその場を離れる(アア言ッテオケバ、アノ男モタクサン運ンデクルデショ)。


「こらあぁ! 誰が逃げてい……」


「だからうるせんだよ! 真理藻、すぐにたくさん持ってくからな!」菅田は腐った桃色顔して大声を出し、柳を締め締め、闇に消える大尻を見つめる。


「菅、この海老おいしいよ、今いい感じで焼けてる」赤くなった海老の尾を抓んで、柴田が平然と菅田と柳を見上げる(杉下サンモイナクナッタカラ、静カニ食ベラレル)。


「おお柴ちゃん、その海老うめえだろぉ? わざわざ朝市まで行って買いつけたんだぜ」眼を見開いて菅田は機嫌良く答える。


「まじかよ、すげえ気合だな菅田、どれどれ」肉を並べていた手を停めて、立石は大きい海老を取る(タシカニウマソウジャン)。


「菅田君、なんなんですか、なんであの糞豚を逃がすんですか、ええ? 解体を見たくないんですか? ええ? せっかくぼく、痛い痛い! そんなに締めつけ、痛い痛い、背骨が割れそうで……」


「柳君、肉もいいけど海老もおいしいよ」海老から染み出た汁を手に滴〈したた〉らせ、羽交い絞めに苦しむ柳を見上げる(スゴイ体格差)。


「この海老うめえじゃん、まじ超うめえぞ菅田、ぷりっぷりで噛みごたえがいやらしいや、おい柳、海老食えよ、即射もんだぞ」ひょっとこに口を尖らせ(アチチ!)、湯気を吐いて見開いた眼を柳に向ける。


「そんなにうめえのか?」正直な喜びを顔に表しながらも(ヘヘヘ、朝市行ッタカイガアルゼ、アトデ真理藻ニモ持ッテ行ッテヤロウ)、微〈かす〉かな謙遜を疑惑に変えて口にする。


「即射ですか? ええ? 本当に即射もんですかぁ? 口が軽くないですか、立石君、ほんとに即射ですか? 即射ですよぉ? 意味わかります? 即、射ですよ? え……」


「おい柳、海老食おうぜ!」荒っぽく柳を突き放すと、包丁とまな板に目を向ける(マズ、コレヲ柳ノ視界カラドカソウ)。まな板に手を伸ばし、柴田の持ってきたビニール袋に輪切りの玉葱を流し、手早く道具を片付け始める。


「まだナスを切ってないよ」柴田は山芋の声を出す。


「柳、この海老ちょうどいい具合だぜ、ほら、皿に載せてやるから、イスに座って食ってみろよ、俺の中ではこいつは即射に値するぜ、これならマヨネーズと七味唐辛子でも持ってくりゃよかったぜ」柳に手招きすると、立石へ素直に皿を渡す。


「ナス? ナスなんかそのまま焼いて食えばいいだろ」ピクニックテーブルの下に置かれた麻袋に、道具を無造作にしまう(柴チャンモ気ガ利カネエヨナ)。


「ほんとにおいしいんですか? ぼくは小さい頃ザリガニ釣りをしすぎたせいで、海老とザリガニの区別がつかないんですよ、ああ、勘違いしないでくださいよ、海老とザリガニでは名前も種族、んっ? 種族ですか? いや種族は知りません、そもそも種族ってなんですか? ああどうでもいいですね、すいません、そうなんですよ、ザリガニと海老じゃ名前と分類が違う、分類? いえいえ、とにかく違う生き物じゃないですか。もっと詳しく説明すれば、ぼくの中でのザリガニといえば、世間で言うアメリカザリガニなんですよ、ニホンザリガニでも、ウチダザリガニでもありません。世界には無数のザリガニが存在しますね、たとえば熱帯魚屋に行けば見られるような、青や白、もっとひどく言えば虹色のザリガニも、そう、色々なザリガニがいるんですよ、LSDや大麻を食ったようなザリガニもいるんですよ、ええ覚せい剤もいますね、でも、ぼくにとってザリガニといえば、小さければヘドロ色、大きくなれば腐ったホヤのような、まるで女性器を茹でた、いえ、もう失言はしません。卑猥〈ひわい〉なことは言いません。菅田君にぶん殴られますからね、ああ、そういえばあの家畜はどこに……」


「ええぇ、薄切りにして、生姜醤油につけて食べたいよ」茄子〈なす〉を取り出し、柴田が声だけ残念そうに言う。


「なあ柳、あんな豚忘れて楽しく食べようぜ、せっかくのバーベキューなんだぜぇ、ほら、冷めないうちに食ってみろよ」顔を突き上げて行為を促〈うなが〉し、立石は湯気の立つ海老にかぶりつく(トニカク、真理藻ヲ忘レサセネエトナ)。


「またぁ、柴ちゃんは、生姜も醤油も持ってきてないくせに」調理道具を片付けた菅田は、イスにどっかと座り、落ち着いて網に目をやる(サテ、真理藻ノ肉ヲ集メルカ)。


「生姜はねえけど、醤油ならあるぜ」立石はピクニックテーブルに手をやり、醤油の小瓶を手に持ち上げる。

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