花に誘われたあの人は今

朝凪 凜

第1話

 私は花を育てている。

 今年も綺麗な蒼い花が咲いた。

 明け方から降り続いた雨が上がり、朝焼けの中でその花は白く輝いていた。

 この花は私が引っ越すときに貰った大切な花だ。


 それはもう何年も前。小学校4年の頃だった。

 今よりずっと寡黙で1人でいることが多かった。

 昼休みになると給食を食べ、すぐに外に出た。

 遊ぶためではない。校舎裏に花壇があるのだ。そこでプランターを勝手に置いてデルフィニウムをこっそり育てている。

 校舎裏といっても日当たりは良く、広い花壇があり、様々な植物が植えられている。

 最初は育て方も分からなかったから図書館で本を探し、ようやく芽が出たところだった。

 そんな折――

「あ!」

 いわゆるサッカー少年が顔を出した。

 普段来るところではなく、ボールが飛んできたという訳でもなさそうだった。

 私はその声を無視してプランターを見ていた。

「その花、育ててるの?」

「そうだけど……」

 ずかずかと歩み寄られて不快に思いながらも応える。

「この花……デルフィニウムかな」

「!? なんで知ってるの?」

 庭いじりとか植物のことを知っているとは到底思えなかったので驚いて振り向いてしまった。

「いや、まあ家が花屋でね。店番とかするから店にある花は覚えさせられてね。似合わないだろ?」

 確かに似合わない。サッカー少年が花屋……。

「しかも友達に言うと馬鹿にされるから絶対に言わないし」

 何かあったんだろうという察しはついたけれど、だからといって詮索する気もない。

 出来れば早くいなくなって欲しいと切に願った。

「俺、また見に来てもいい? 他のやつには絶対言わないから」

 小学生男子のことだ、バレたらどうなることか分かったものじゃ無い。

「いや、来なくていい」

「この花は涼しいところの方が育つから風通しの良いところに置くといいんだ」

 そんなことは何も訊いていないのだけれど。

「そうしたらまた来年も花を付けるんだって」

 来年?

「この花は一年草って書いてあったけど。夏で枯れるって」

「あぁ、暖かいところだと枯れるけど、寒いところの花だから、涼しくすると何年も育つんだ」

「ふーん」


 そんなことを一方的に話しているので、多分花が好きなんだろうと思い、それから仕方なく来ても良いことにした。


 そして花が咲いた6月のある日、いつものように給食が終わると校舎裏に駆け込む。

「ほら、花が咲いてる。良かったな」

 そう言う男の子の前にあるプランターで蒼い花が咲いている。図鑑に載っていたものより背は低いけれど、初めて種から育てて花が咲いたという感動の方が大きかった。

「うん。良かった。でも私はこれで終わりなんだ。2学期になったら引っ越すんだって」

 えっ、という顔をして暫く考え込んでいた。

「そっか。それじゃあ引っ越した先でもまたこの花育ててよ。このままだと7月には枯れちゃうから種を取ってまた秋に植えるんだ」

 思いがけないプレゼントに、学校自体に特に思い入れは無かったけれど、この花のことは寂しいと思ってしまった。

「うん、わかった。じゃあ半分ずつにして、それぞれで育てよう」

 男の子はにっこりと笑って

「うん。また会うときまでずっと育てるよ」


 そうして終業式の日に校舎裏で約束をして、男の子から種を貰う。

「それじゃあまたな!」

 そう言って貰った種は袋に入っている以上に重く感じた。



「確かに、何年も枯れずに育つのね……」

 目の前にある花はもう5年も枯れずに育ち続けている。

 引っ越した先が北陸の市街だったこともあり、寒かったけれど、おかげで夏でも枯れなかった。いや、それだけではなく、育て方や注意点とかもあの頃の男の子に色々と教えて貰っていたのだ。本の知識より生きた知識の方が役に立つということね。


 花弁から滑り落ちる透明な雫を眺めながら、あの時男の子はなんで育ててくれって言ったのか、今になったら分かる。「離れていても僕のことを覚えててくれるように」ということだろう。遠回しな約束だ。

 しかしその約束は未だに果たされていない。果たされることも無いと思っている。漫画でもないのにそんなに都合良く遇う訳がないのだ。

 そんな昔の思いに更けながら学校に行く。



 ホームルームが始まると、先生と見慣れない生徒が入ってきた。

「ちょっと時季外れだが転校生が来た。それでは紹介を」

「日暮颯太です。好きな花はデルフィニウムです」


 まるで季節が巡るように私たちも繰り返し繰り返し少しずつ進んで行っているのだろうか。

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