泣き虫カシオペア座

@licht09

前編

「椎名(シイナ)、それじゃ頼むな」

 金曜日の夕方、俺は副担任が運転する車から近くの駅で降ろされた。隣には一緒に行っていたクラスメイトがいる。

「俺はこのまま学校に行くから、佐武(サタケ)の家の近くまで送ってやってくれ」

 そう言い残して、副担任は赤いテールランプで線を描きながら消えていった。

「……それじゃ、帰ろうか」

 俺はそう言うと、佐武さんは頷くと歩き出した俺に着いてきた。

「家、こっちなんだ」

 何度か見かけたことがあったなーと思いながらもそれを言わず、ただぼんやりと言うと、

「うん、そう」

 と蚊の鳴くような小さな声で佐武さんが言ってきた。

 中学1年の俺は同じクラスの佐武さんとこの時、始めて喋ったような気がする。

 物静かで落ち着きがあって、声も小さくってよく大人しめの女子が集まるグループにいる子だった。俺は騒がしくって、よく遊んでいたので接点は余りなかった。住んでる学区や帰る方向も同じだけど、佐武さんとは同じ小学校出身ではない。

 転校生の佐武さんは中学に上がる頃に別のところから引っ越してきた子だった。

「寒いな」

 くしゃみをもらして、空を見つめながらそう言うと、隣に歩く佐武さんが頷いてきた。

「冬が近いから」

 俺の横で佐武さんも同じように空を見上げ、二人でとぼとぼと家のあるほうへと歩いた。空には星が輝いていて、いくつかの星座が見えているはずだがどれがどの星がどの星座のどの位置にあたるかなんて解らない俺は、ただ星が綺麗だなーと思いながら眺めていた。

「今日の朝、雨降ったからか星が綺麗だな」

 思ったままに言うと、佐武さんが足をいきなり止めた。横を歩いていた俺は驚き、1,2歩進んだところで立ち止まり、後ろに振り返ると空を見つめたまま佐武さんが手を上げて空を指差していた。

「あれがアンドロメダ座のアルフェラッツで」

 指していた腕は動き、別の方向へと指差すと、

「カシオペヤ座のシェダル、ペルセウス座のミルファク、ペガスス座のマルカブ」

 次々と指差していき、一つ一つの星の名前を言っていたがそれが合っているのか、ましてやどの星を指しているのかすらも俺にはわからなかったが、すらすらと言ってしまう佐武さんに驚き、またここまで饒舌に話せることにも驚いていた。

 驚いき固まっていると、空を眺めるのをやめてこちらを見てきた佐武さんが首をかしげてきた。

「あ、いや、よく知ってるなーって感心しちゃってさ……」

 目を合わせ続けるのも恥ずかしくって、俺は目を逸らして夜空をまた見上げた。つられるように彼女も夜空を仰いだ。

「そうでもない」

 ただぽつりを言われた否定の言葉に驚き見ると、

「古代エチオピア王家の四星座、ケフェウス座がどこにあるのか忘れたわ」

 無表情のまま彼女は夜空を眺めていた。

「星とか好きなの?」

 俺の疑問に対して、何も答えることなく首を左右に振ると、

「今日読んだ本に書いてあったの」

 そういえば休み時間は大人しめのグループの子と話しているか、ほとんど読書だったなと思い出し、俺は納得した。

「それでも……それだけ覚えてるってことはすごいよ」

 純粋に感心しながら言うと、何億光年先の星の光に向けていた瞳を一メートルほどしか離れていない俺のほうに向けてきた。

「ありがとう」

 にこりと笑うことなく言われた感謝の言葉に驚いていると、佐武さんは俺を抜き去り先へと歩き出してしまった。

「ちょ、待って。一応、家に送るように言われてんだからさっ!」

 慌ててその小さな彼女の背中を追った。


 出会いなんてこんなものだった。

 入院した担任にクラスみんなで書いた手紙を送るために、副担任が運転する車に乗って担任のいる病院まで行って来た。佐武さんは転入早々で知らない子ばかりのクラスで運悪くくじ引きで決まった学級委員で、俺はもう一人の学級委員が風邪で休んだため、その代理として行かされたのだ。

 そしてその帰り道、俺と佐武さんは同じ家の方向だからということで駅のロータリーで降ろされ、佐武さんを家まで送るように副担に言いつけられた。その時初めて話した。会話の内容は色濃く覚えている。彼女が寒い夜空の下で唇を少し青くしながら、帰りの道すがらに星座の由来や主な天体、雑学などについて、だ。油を差したばかりの車輪のような口で鈴のような音色の声で星の話を俺は時々疑問に思ったことや、くしゃみなんかを漏らしながら聞いた。

 そんなさして珍しくもない出会いだった。

 休み時間、お互いにバラバラに過ごしながらも、学級委員で帰りが遅くなった佐武さんと俺は部活終わりに会うと一緒に帰った。待ち合わせなんてしない、ただ偶然会うと一緒に帰るだけの間柄だった。だから一人で帰ることも多かった。だけど時々、先を歩く小さな背中を見つけては声をかけて一緒に帰った。学校でも特別教室とかで隣同士になると声を掛け合わず、筆談で会話した。中学校に行っている間や、帰りしなに友達を見つけると少し距離を置いて離れて歩いたりして、お互いの中を疑われないようにしていた。そんな程度の付き合い。だけど、佐武さんと話す内容はとても面白かった。

 例えば、

「前、どこに住んでたの?」

 転校してきた佐武さんに俺はかねてから疑問に思っていたことを訊くと、

「蛇の血を飲んだりするところ」

 無表情で佐武さんは行ってきたが、俺はその言われた内容に後ずさった。

「蛇って………、あの蛇?」

 何も言わず、ただこくりと頷いてきた。

「うえ……」

 気持ち悪くて大げさに吐くような素振りを見せると、佐武さんが薄く笑ってきてくれた。

「元気になるらしいの」

「……そして蛇の毒にやられて死ぬんだね」

「それだと私、死なないといけない」

「え、飲んだの!?」

 慌てて言うと、彼女はそれほど驚いた様子もなくいつもの無表情で頷いてきた。

「ええええっ……」

 すごいな、と言うと、そうでもないと謙遜でも自慢でもなく普通に彼女は言ってきた。

「それなら嫌いなものとかあるの?」

「暴力が嫌い」

 考える余地すらなく、即答で佐武さんから帰ってきたことに驚き見ると、どうしたの、と首を小さく傾けながら訊いてきた。よくクラスで友達と会話がかみ合わなかったりするとケンカではないが、殴り合いをしていたのを思い出し、俺は明日からそう言うことをしないようにと思ったのを覚えている。


 一年が終わり俺と佐武さんのクラスは解散した。

 その時になってようやく、中学校に上がるとクラス替えがあるということを知らされた。佐武さんとクラスが変わるかもしれないということに焦りを覚えながらも何も出来ず、ただただ同じクラスに成れますように春休み中毎日願いながら過ごした。バカみたいだと、滑稽だと、胸が苦しくなりもしたけれど、俺は願わずには居られなかった。

 そして俺の願いは通じ、

「一緒のクラスになったな」

「そうね」

 無表情のまま頷いてくれた佐武さんに、俺は飛び上がってしまいそうなほどに嬉しかった。もし犬のような尻尾があれば嬉しくてぶんぶんと音を鳴らしながら振ってしまったかもしれない。

 いつもどおり学校では特に仲良くはせず、また会話らしい会話もせずに過ごし、時々筆談で話したり、もしくは帰りしなに偶然出会えればその時間を惜しむように会話をした。近くの公園によって話しをしたり、佐武さんの家の前で話したりもした。

「今日の社会、難しかったなー」

 ブランコに座ってうなだれながら言うと、隣のブランコに座った彼女がブランコを動かしながら、

「私は簡単だった……」

 抑揚のない小さな声で、佐武さんが言ってきた。確かに佐武さんは社会が得意で、他には国語や英語などの文系が得意で、反対に俺は物理や数学などの理系が得意だった。

「よくあんなの覚えていられるなー」

 ブランコをこぐ佐武さんを見ながら言うと、

「本を読んでると普通に覚えられる」

 どこか自慢するように佐武さんは小さく笑いながら言ってきた。俺はその佐武さんの小さく浮かべる笑顔が好きだった。照らしてくれるほどの眩しさはないけれど、どこか温かさを感じさせる明かりがあった。

 その笑みの光に対して、俺は手を伸ばすこともましてや口に出す事も出来ない。それをしてしまえば今の関係を壊すことになってしまうからだ。それが怖くて、俺は何も出来なくなっていた。

 もどかしくも、けれど俺としては精一杯の距離だった。



「なあ、椎名。お前って佐武と付き合ってるのか?」

 同じクラブの奴と話していると、遠巻きに今日の朝から俺を見ていたクラスメイトが話しかけてきた。

「いきなり、なに?」

 俺の返答にどこか下卑た笑みを浮かべながらそいつはもう一度、

「佐武と付き合ってるのか?」

 ちらりとわざとらしく窓際で話す佐武さんを視界におさめながら、そいつは言ってきた。

「そんなんじゃないよ」

 俺はその視線を追わないようにしながらそのクラスメイトを睨んだ。

「えー、うそだぁっ! だって見たもん!」

 すると大げさに驚いたような感じで言ってくると薄く笑いながら、俺を指差してきた。その指が腹立たしくて、いやそいつの一つ一つの行動が煩わしくて、鬱陶しくて俺は腹の底が熱くなってきた。

「どこでだよ」

 しかしそれを悟られないように、俺は頭の中で冷静な部分をフル稼働してそういうと、そいつは下卑た笑みを数倍増させながらは気持ち悪く笑ってきた。

「近所の公園」

「違うよ」

 いった場所に心当たりがあったが、俺は即答してやると、そいつは演技でもなく本当に驚いた顔をした。けれどすぐに先ほどまで浮かべていた気持ちの悪い笑みで、

「嘘、付き合ってるだろう?」

 下世話に笑ってきたそいつの顔面を殴り飛ばしたい気持ちになったが、暴力が嫌いといった彼女の言葉を思い出し、俺は自制すると、

「そんなんじゃない」

 繰り返すように言うと顔を近づけて、どこか愉しげにそいつは本当かよー? なに、もしかして出来てんの? と訊いてきたので、俺はイライラとそいつを睨み返しながら、

「違うって言ってんだろ!」

 叫ぶつもりはなかったが俺の声は響き、クラス中にいた奴らの視線の釘付けになった。

「なんだよ、怒鳴らなくたって良いだろう」

 唇をとがらせ言ってきたそいつが腹立たしくて、

「うっさいな、お前に関係ないだろうがっ!!」

 引っつかみあって殴り飛ばしてケンカしたい衝動に駆られたが、視界の端に移った佐武さんのいつもの無表情の顔にどこか心配げな色を見つけ、俺は苦しくなって振り上げた腕を下げ、佐武さんの視線から逃れるように教室から飛び出た。

 背後で何がしか騒ぐような声が聞こえたが、無視して走った。


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