君ありて幸せ

篠岡遼佳

君ありて幸せ


「へくちっ! ……ふ……ふ、ふえっくしっ!」


 なぜ、人のくしゃみのいうものはこうも個性が出るのだろう。

 ぼんやりとくしゃみをした彼女を見ていたら、

「なに」

 低い声で絡まれた。

 私は優しく言ってみる。

「君がくしゃみを連発してると、春だなあって感じがするよ」

「花粉症の辛さという呪いをかけちゃうぞ!」

「すいませんでした」

 彼女は長い前髪をかき上げ、ティッシュでビーと私に構わず鼻をかんだ。

 ゴミ箱にシュートを決めて、ふう、と息をつく。

「あ~、こたつって最高。やっぱいつも居るところって、おしり寒くてさ」

「でしょうね」

「んでも、今年ももうそろそろ行かなきゃいけない」

「行くの早くない?」

「そりゃ、まあ、基本位置はお墓ですよね、幽霊だし?」

 背景が薄く透き通る肩をすくめて、彼女はそう言った。


 花粉症の幽霊は、私のパートナーだ。(本来は「だった」と過去形になるのだろうが)

 当時の私は花屋のバイトをしていて、両腕に筋肉がつくのを日々感じていた頃のこと。

 パジャマにカーディガンを着た、長い栗色の髪の彼女は、そんな私のまえにあらわれた。

 はじめて話しかけてくれた時をよく覚えている。

 病院の中庭で、冬の花から春の花に植え替えをしていた初春。

 私は赤色のゼラニウムを片手に、軍手とエプロンを土まみれにしていた。

 彼女は教えてくれた。

 病室で見ているのはいつもその中庭だということ。自分で買ってきた好きな花をリクエストしてもいいかということ。

 植物は水と土と陽の光で生きていけるから、少しうらやましいということ。


 ――彼女の病のことは、いまもあまり深く知らない。

 けれど、治る見込みのないものだということは知っていた。

 そこはターミナルケアをする病棟だったからだ。

 終末期医療については、その頃ちょうどテレビや映画で触れていて、なんとはなしに理解はしていたと思う。

 それでも、そこで彼女は強く精一杯生きていた。

 笑って私に好きだといってくれた。

 私はその姿に心を打たれた。

 惹かれる、という言葉の意味を知ったような気がした。


 生身の彼女を抱きしめたことは、だから、数回しかない。

 彼女は、出会って数ヶ月、本格的な夏が来る前に、亡くなった。


 けれど、この世界には、魂というものが存在して、こうしてまた会うことができるらしい。

 妖怪とかは居ると聞いたことがあるけれど、これは一体、世界のバグかなにかなのか、よくあることなのか、寡聞にして知らない。

 けれど、彼女が再びやってきてから、彼女以外の幽霊もたまに見るようになったから、私がちょっともうダメなのかも知れないとは、思う。

 それでもいい。彼女に会えるなら、別にどっか壊れてても。

 そもそも、人間、大なり小なりどこか欠けたまま、さまよって生きているのだというのが、私の持論だ。


 彼女が幽霊になって現れたのも、そういえば唐突だったな。

 月命日にお墓参りに行ったら、上着も着ずに、パジャマとカーディガンの格好でお墓の前にいるんだもん、びっくりするより、なんで? っていうのが先に来た。

 二度と会えないと思って、泣き暮らしてたから、最初は幻覚だと思ったよ。


 そんなことをなんとはなしに話し合っていると、 

「ねえ、あのね、こうなってもう三年目だけど、いいんだよ、待ってなくても」

 私の答えは簡潔だ。

「嫌だ。待つ」

 それでも彼女は続ける。

「だって、花だって、伸びて、花開いて、それでしぼんでなくなっちゃうんだよ」

「――枯れるのが怖い?」

「怖いよ。だって……」

 彼女は微笑んだ。

「――ひとりで待ってるのって、寂しいんだ」

 それは強さではなく、自嘲の微笑みだった。

「ばかみたいだよね、だって、死んじゃったんだから、どこか遠くに行かなきゃいけないのはわかってるんだけど、でも、君をおいていけないの。だからって、君を連れて行くなんてできない。毎年会えるこんなラッキーなことなんてないんだから、さびしいきもちくらい我慢しなきゃなのに」

 彼女の瞳から、透明な雫がはらはらと散る。

 それはテーブルに落ちて、消えていった。

「ごめんね……」

 私にそう言うのは、"あきらめきれないこと"と、"すきでいたいこと"だということは、ちゃんとわかった。

 私は応える。彼女の、触れられない髪を撫でながら。

「――ねえ、たとえ花は枯れても、季節は巡って、また芽が出るよ。私が一番それを知ってる。植物が強いことを、君も知ってるじゃない。きっと、私たちもそうなれるよ。とても寂しいことだけど、また巡ってくる季節に出会えるのは、約束みたいなものだよ」

 彼女を両腕に抱きしめる。彼女の涙をとめるのは、いつもこうしてあげることだった。

「会えない間は、一生懸命生きてる。君の分まで、いろんなものを見る。二人分生きてるんだよ、好きな人と。そんなに幸せなことはないよ」

「幸せなの……?」

「もちろん。会えたら、もっともっともっと、幸せだけどね」

 私は笑おうとした。けれど、笑うそばからなぜか視界が揺らぐ。

「大好きだよ。いつも君のことを考えさせてくれて、ありがとう」

「……どーして、そういうこと、言ってくれるの?」

 彼女が涙声で言う。

「愛してるからだよ。こんな気持ちにさせてくれるのは、君だけだよ」

「私も、私も、大好き、君に会えて、本当にうれしかったし、今も、いまだって」

 私たちは、そっと額を合わせた。

 触れられなくても、そのくらいできる。

 手を取り合い、巡る季節を待つことができる。

 いつか消えてしまうのは、生きてる時と一緒だ。

 私は、だから歩いて行ける。

 彼女と、まだたくさんのものを、新しい思い出にしながら。







「――そうだ、風の噂に聞いたんだけど――」

「――幽霊を相手に商売してくれる、退霊士の人が居るんだって――」










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君ありて幸せ 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ