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 【二千二百四年_卯月第一週月曜日_二十二時二十八分 《一三九.七七***/三五.六七***》_エリアB:旧東京都 コアガーデン第十二号館 電脳庁 関東観測局】


 光を反射して鮮やかに浮かび上がる創出の世界は、五感で干渉可能なソフトウェアを現実の環境で再現するRI型分子構成・構築情報展開システムと、それを実現させるための環境型マイクロマシンによって表現される。道路やそこに等間隔で置かれたゲート、建物の外壁、広場のモニュメント等は全てマシンの集合体である〝シェルター〟で作られていて、仮想の空間と現実の空間は必要に応じてそこら中で混ぜられた。

 本当の意味、、、、、で時間ごとに顔を変える街で生まれて育った神木が、これらの変化を常に意識するようなことはなく、それは神木以外もそうである。知覚する世界がどれほどちっぽけな一面であるか、例えそれに気が付いたとしても、現実空間の大部分が不可視と未知に溢れていても不都合はないから。

 ただ、神木は、人々が標準的に持つ価値の範囲を悲観するようなことはしなくても、常軌を逸した一面をひた隠しにする〝Seinザイン〟のシステムの殆どを正確に認識できないことは不憫に思った。

 昨年夏まで、神木も箱庭に生きる不憫な人類――現代では正常番号セーフコードと呼ばれる――の一人だった。ザインの存在とその役割は大雑把に理解して、それ以外については知る術を持たず、そうする必要もなかった。

 〝箱庭〟と呼ばれる閉鎖的な〝識別の社会〟にどっぷりと浸かり、イデア・ファイルが幸福論の種を計算し終えるのを呑気に待ちながら、国際社会が掲げる【楽園】のスローガンを受け入れる。そんなふうに時間を浪費して、最たる幸福が云々はともかく、不可視も未知とも無縁のまま生を終えることに何の異論を唱えたか? もし今、不変の日常は巧妙に組まれたプログラムの塊と大差はないと過去の自分に伝えたとしても、一晩で忘れる程度の記録には残るだろうが、時間で固定された現在の自分のアドレスは削除するに違いない。

 今の神木――己のアクセスコードがあらゆる環境を知覚し、干渉や改変をも可能とする《秀才番号エリートコード》等になる未来を確信していたとしても、それは変わらないだろう。

 ザインが世に齎したものは、完全な〝個〟そのもの、〝認識〟、〝識別〟、実在者のみが実在するすべてを支配する環境。イデア・ファイルから抽出した唯一無二の存在値アクセスコードと、それを用いた巨大な高度生体認証システムが叶えた安寧秩序の現実である。その象徴となる超高層ビル、通称〝ゼロタワー〟を中心に広がる官衙地区コアガーデンの各館がそれぞれ異なる発色の光を放って空を染め、世に変わらぬ平和を伝えている。それを眺めながら、神木は小さな溜息を吐いた。

 今更、日常を意識して認識するなど、どれほど滑稽な事かはわかっている。不憫な人々とその先人の理想に、世界が初めから忠実ではなかったことも。これが、過去がザインによって約束した恒久的な安寧秩序の因果であるというなら、その解と答はまた別の場所にあるのだろうが。

 神木は、それが絶縁都市と呼ばれる不可思議な空間に存在しないことだけを祈って、その可能性を示された計算不能な数式を破棄した。

「選んだのは僕だけど、黙っていたのは君だよ、さち丸。あの世界も、欠陥番号バグの存在も。

 本来排除すべき異常番号アンチユーザを使役する任務が在る事は知っていたし、それには僕の幸福論が唯一の適性を示したのだから良いとして、それがこれなのか?」

 神木の表情は右流しの長い前髪に隠れて窺えない。下降する球形の昇降機の中で、硝子に触れた指先が黒い空間の輪郭をなぞった。

 その隣に浮遊する彼のドッペルアバター、さち丸は黄色い風鈴のような容姿を左右に揺らす。それから、『どこまで話せばいいかわかんなくって』と暢気な声を発した。

『昨日は急いでたし。でも、帰ってすぐ爆睡するくらいの余裕があったんだから、問題なかったでしょう』

「爆睡……は、したけれど。今日までに三ヶ月も時間があったのに。さち丸は電脳庁の仕様にアップデートしてから、ちょっと意地悪になったね」

『そんなぁ、誤解しないで。あれもこれも、そう簡単に話せることじゃないのはわかっているでしょう。ぼくが自発的に情報を発信しないっていうのは、そういう事なんだよ。っていうか、ぼくはユキムラのゲシュタルト・パッケージから抽出されているんだよ? ぼくが意地悪だったらユキムラだって意地悪だよ』

 神木は黙った。指が輪郭を捉えきれなくなると、今度は掌で覆い黒を隠す。その後徐々に手をずらせば黒の街は徐々に顔を出し、目を逸らした。

 なんの装飾もない質素な小ホールに降り立って、神木はさち丸について歩く。少数では照明が灯らない環境なのか廊下は薄暗く、外の光でぼんやりと道が浮かび上がっていた。

 ガラス張りの側面から、眼下に広がる街を見る。派手やかなプラズマ光を自由気ままに撒き散らす中、塔のように聳える黒を見て、神木は歩みを緩めた。

 あれが当たり前のように日常へ紛れていて、常に現実を脅かしていた事実など、知らずに済むならよかったのに。感知することもなかったあの頃を想っても、現実はしつこく五感を突いてくる。

「絶縁都市を生み、その心臓を持つのが欠陥番号。アレがどんな法則を以て存在するのかは誰にもわからない。内部の物理法則のほとんどがこちら側と相違ないようだが。空間はずっと干渉不可能なのに、運が悪ければ転がり落ちる。

 見えないだけで全てが実在する。絶縁都市は独自の空間を作り上げて、現実に生まれて蝕んでいく。寄生虫みたいだよね」

 昨晩、絶縁都市へ降り立った時、柊は吐き捨てるようにそう言った。

『《Verbum》』

 さち丸が呟き、神木は聞き返した。

『あの大きい絶縁都市にいる欠陥番号の呼び名』

「なにそれ。名前なんてあるんだ」

 さち丸は左右の端いっぱいに大きく揺れながら進み続ける。そして、少し得意気な様子で答えた。

『核を持った欠陥番号には名前が付くのさ。因みに、昨日のイモムシみたいなヤツは《Serpere》だよ』

「ふぅん。で、今更教えてくれるんだ」

『ユキムラ。キミは今日から、電脳庁観測局 異常番号エラーコード対策課の一員だよ』

 淡々と言うと、風鈴擬きは大回りで廊下を折れ曲がった。神木は不服そうに声を漏らしたが、《Verbum》を一瞥した後、さち丸に続いて通路を進んだ。

――あの時現場で見た《Serpere》という欠陥番号は、赤い男性に切断された頭部から酷い腐臭を放つ血を撒き散らした。その後滅茶苦茶に歪んだ歯車が飛び出してきて、それを柊が銃型の機械で撃ち抜いた時、一瞬にして景色は硝子に罅が入ったようになった。続けてそれらはボロボロと崩れかけ、然し地に降り注ぐより前に空間へ溶け込んで行き、静かな夜の世界は戻ってきた。

「絶縁都市には必ず欠陥番号がいるんでしょう。どうして、あんな間近にある絶縁都市を壊さないんだ?」

 神木が問うと、さち丸は困ったような声を出した。

『いるには、いる。ただ、その危険性だとか何だとかで、迂闊に手を出せないものなんだよ。……らしい、だけど。ちゃんと知りたいなら、あの柊って人か、殺人番号キラーコードに聞いた方がいいね』

 そうか。神木は小さく肩を竦めさせる。

 その後暫く、彼等は沈黙していた。


 潜んだ脅威が箱庭を掻き乱し始めたのがいつの頃であったのか、正確な記録は無いという。

 数ある中でも最たる猛威を振るう異常番号と欠陥番号。これらは超現象を何らかの形で表現するという点では共通しているものの、存在そのものは全く異なった形で箱庭と幸福論の平穏を脅かしてきた。

 人であって人でない、、、、、、、、、異常番号は、発症すれば己の欲の限りを現実に齎す者。

 絶縁都市に潜む異形の欠陥番号は、暗闇に隠れて箱庭を蝕む不可思議な空間を産むモノ。“夜”とも呼ばれる。

 電脳庁という組織が、脅威に対し力を持って対抗する方針を確立したのは、これらの発現の観測が始まってから十数年後の話だ。然し、その為に取られた手段は、あれから半世紀は経った現在も、決して正解と呼べるものでは無い。

 ザインが選んだのは、ある二つの存在に依存する道だった。

 秀才番号エリートコード殺人番号キラーコード、彼らはそう呼ばれて久しい。

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