Access-Code_《brank》

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 重い瞼をこじ開けて、目を開いた。

 夜明け前の薄い青が部屋に広がる。見慣れているのに見慣れない部屋だ。僕が此処で目を覚ますのは、ひょっとして今日が初めてなのではないだろうか。そんな筈はないのに、ふとそう思った。

 シーツを泳ぐように体勢を変える。うつ伏せに。横向きに。最後は仰向きに。寝惚けた頭はまだ夢の続きを強請り、反対に活動を始めた身体は数度の瞬きを所望した。

「……何なんだ」

 夢の中で響いた声が反響して脳髄を侵す感覚。寝転がったまま見上げた天井が、ぐにゃりぐにゃりと捻じ曲がって見える。段々気分が悪くなり、一度重い身体を起こす事とした。

 降り立ったフロアは朝の温度で容赦なく素足を刺す。その冷たさに目も醒めると、眩暈のような感覚は失せたものの、代わりに押し寄せた妙な焦燥感には気が滅入った。

 少し部屋を歩き回ってみたが、必要最低限の生活道具のみで構成された質素な様は普段と何も変わりはない。なのに、此処での記憶は全て他人の事であったような気がしてならない。やはり非常に気分が悪く、僕は無意識の内に鼻を鳴らしていた。

 誰に言われたか、これは僕の悪い癖だ。

 片方だけが立っていた不格好な襯衣の襟は簡単に直し、殆ど乱れのなかった寝具は放置して、寝室から移動する。すぐ隣の居間は、壁一面ガラス張りの窓から射す夜明け前の青に染まっていた。

 僕は窓の前に立ち、眼下に広がる街を見下ろした。

 得体の知れないシステムの元に成った社会は、まるで無機質な塊は何かの巨大な生命体のようで甚だ奇妙だ。

 再び、軽い眩暈を覚える。

 △

 僕には此の街が、此の世界が、確実に現実のものであると断言する事ができない。現実世界と仮想世界の入り交じる二千二百年代の日本国、其の有りの侭の姿は、其れ自体が《夢》の中の世界であるようだからだ。

 誰しもが平等に見られる《夢》の中。醒めた目で見る曖昧な現実。現実など、不鮮明なもので泡沫のようなものだ。僕はそう思う。

 指で街の輪郭をなぞった。其の中でも黒へ溶けたような空間に、僕の意識は集中した。

 いつに聞いたか、世には奇妙な“絶縁都市”という存在があるという。絶縁都市は仮想世界でも現実世界でもない異空間である。落とし穴の如く存在し、気紛れに人を欺く不可視の領域だという。

 点在する絶縁都市は「都市伝説」だの「心霊」だのと名前を変えては語り継がれ、夢を悪夢へと塗り替える。こんなものが存在する理由は不明、然し確実に存在するらしい。

 まあ、なんの存在にも、必ず理由が必要だなんて思わない。僕らだって、そもそも本当にここにいて然るべきか、なんて分からないのに。

ーー過去の偉人が、此の世界は船だといった。人々が求める瑕疵無き世界、恒久の幸せを約束する“楽園”となる為の礎が現在の此の様なのだと言う。

 僕は彼に問いたい。楽園を楽園たらしめるのは何か。様々な思想が生きる世で、其の全てに「応える」とは。


 必要なものとは。


全能なる存在か、楽園の頂点に君臨するに価する存在だと言うか?

 △

 いつの間にか閉じていた瞼を開けると、夜は朝に飲み込まれようとしていた。

 自分の思考回路が読めない。こんな事を考えたのは今までにあっただろうか。さっきの夢のせいか、頭が寝惚けているのかもしれない。

 やけに暗く沈んだ街を認識していた場所には、只の見慣れた風景がある。何処よりも淡く、優しい青の中に落ちている。

 始まりからおかしな日だ。そう思い、再び気が滅入った。

 薄らと窓に反射して映る部屋にふと違和感を感じて、僕はそれを目で辿った。街をバックに見える反転した机、通信機器、正体不明の違和感に、ソファとルームランプ、僕自身。

 何かが、背後で動いた。

「夜が殺されるみたいだね」

 小さな声が響く。これは僕のものでは無い。幼女、少女か、いや女性かもしれない、何にしても高く透き通った声は、形もなく窓に映り続けた。

 彼女はそれから何かを言ったようだが、聞き取ることはできない。陽の光が伸び始め、恐ろしく緩やかに世界を侵蝕していく中、僕は違和感と向き合い続けた。存在しない瞳と僕の瞳は、ガラス越しで確実に重なっていた。

「本当にこの世に神なんてものがいるのならば。望む世界とは、一体誰のものなの?」

 静かで、凛とした声は反響する。軈てこの部屋にも光が齎された時、僕は振り返った。

 陽の色が押し寄せた、そこには誰もいない。

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