第202話 ルージュの伝言

熊退治から戻った希美の元に、二つのお届け物が来た。


一つは、神保長織からの書簡。


もう一つは、うる艶紅(リップ)。


持ち込んだのは、それぞれ、神保家の使者と、甲賀は多羅尾家所属のくノ一?だ。


くノ一に?がつくのは、理由がある。


何故なら、甲賀多羅尾家は男だらけの硬派忍者。甲賀にくノ一はいない。


……後は、わかるな?みんな大好き、男の娘である。




現在の彼女?を説明するならば、




ある時は郵便配達員、またある時は大坂本願寺の坊官一族下間家に仕える侍女、しかしてその実体は、ガチムチホモ忍者多羅尾四郎右衛門の孫娘?だ!




というわけで、現在は、希美の命により下間家に潜入している。




この男の娘忍者、名を多羅尾伴外という。だが、男の名を呼ばれるのを嫌うので、コードネームの『伴(とも)ちゃん』で呼ばれている。


見た目は、確かに小動物系の少女にしか見えない。ツルペタ胸は、どうせ着物でなんとか誤魔化せる。


そんな彼女?は趣味と実益を兼ねて、侍女としてスパイ活動をするのを得意としている。




それを知った希美は、近江での戦以降不気味な沈黙を保っている大坂本願寺の動向を探るために、彼女?を、下間頼宗の元へ預けたのである。


ちなみに以前宗教法人向けえろ教説明会で知り合った頼宗は、今やどこに出しても恥ずかしい隠れ女装家えろ門徒となっており、希美にとっては本願寺内の内通者として、また柴田屋化粧品のお得意様として、有り難くも得難い存在だ。


ただ、大坂本願寺内は寺内町も含めて要塞化しており、下間一族としての立場もあって目立ってしまう頼宗が、気軽に外と連絡を取るのが難しい。


時々頼宗が堺の柴田屋に化粧品を買いに行くのに合わせて情報を流してくれていたが、それではいざという時に連絡を取れない。


そこで、男の娘忍者『伴ちゃん』が連絡役として潜入する事となったのである。






そのような事情を考えると、このうる艶紅は、下間頼宗からという事になる。


「なんで、うる艶紅?まあいいや。まずは、神保さんのお手紙から見てみようか」






(前話後半部の神保ラブレター内容を読む希美)






「何これ、こっわ!」




(信玄が私の尻を狙って、神保さんと尻の攻め合いをしていたはずなのに、なんで神保さんが私に尻を差し出すケツ末に?!)


意味不明な事態に、希美は書簡を放り投げた。




「何が書いてあるのじゃ?」


上杉輝虎が落ちた書簡を拾い上げ、中身を確認してからため息を一つ吐いて、柴田家筆頭家老の吉田次兵衛に回した。


それを読む次兵衛の顔が険しくなる。




次兵衛は読み終わった書簡を希美に手渡して聞いた。


「どうなさいますか、殿?これをお受けして神保氏を傘下にすれば、武田との関係が拗れると思われまするが」


「うーん、言い回しが妙に気持ち悪いけど、これを読むに信玄は諦めてないようだし、もし神保さんがヤられたら、あいつ、絶対加賀に押しかけてくるぞ?それに、あいつ節操無いから、能登にも手を出すだろうしな。能登のまぞ猪(ぶた)氏、なんか柴田家入りを希望しているから、守ってやらんといかんだろ」


「能登のまぞぶた??そもそも、神保は能登畠山に頼んで、武田に停戦を持ちかけてもらっていたはずじゃ。守ってもらうなら、能登畠山に頼めばよかろう?」


首を傾げる輝虎に、伴ちゃんが答えた。


「恐らく能登が今、割れているからで御座いましょう」


「割れている?尻が、か?」


「殿、尻は皆様割れておりまする。……尻の話ではなく、能登の内部に御座います」




「内部?御家騒動か?」


輝虎が尋ねる。


伴ちゃんは少し考えて、首を横に振った。


「まだそこまでとは聞いておりませぬ。噂によりますと、先代と当代の考え方が対立しているようで。先代派と当代派が出来つつあるように御座います」


「先代というと、畠山左衛門佐義続殿か。当代は息子の修理大夫義綱殿であったな。これまで親子仲が険悪だなぞ聞いた事はなかったが」


「むしろ、親子二人で権力回復のために、力のある家臣を粛清し、それに反発した家臣達や加賀一向一揆を見事鎮圧して、今は当代殿がよく能登を治めていると聞いています」


輝虎と次兵衛が顔を見合わせた。




伴ちゃんが「それが……」と言いにくそうに希美を見た。


「どうも、先代が『えろ』に目覚めたとかで、その『えろ』を広めているらしく……。それだけならよいのですが、柴田家の家臣になりたいと言い出し、織田家や柴田家と同盟関係のある武田家と敵対せぬように、神保氏への介入はせぬと言っておられるのだとか。能登の先代派は皆、何やら三角の鞍に乗り、『猪ぶた』と呼ばれると悦ぶので、『三角豚(ぶた)派』と呼ばれ、現在能登内で勢力を拡大中らしいです」




「「「……」」」




ぱこーんっ!!


「ゴンさんの仕業ではないかあっっ!!能登畠山の先代に何をしたのじゃ?!」


輝虎に拳骨を入れられた希美は、何事もなかったかのように伴ちゃんに話しかけた。


「さて!伴ちゃん、このうる艶紅はどういう……」


「誤魔化せるとお思いか、殿……?」


輝虎と次兵衛に詰め寄られ、希美は観念する。


「すみませんでした……。私が指示し、七里が実行しました……」


「何を実行したら、『猪(ぶた)』と呼ばれて悦ぶようになるのじゃ!?」


「ちょっと三角木馬に乗せただけなんだ!後は七里に任せて……、ちょうど三好の事で忙しくなってすっかり忘れてて……。まさか、三日間ずっと三角木馬に乗せられてるなんて知らなかった!」


「「三角木馬……」」


「気がついたら、ただの豚だったのがすっかり『まぞ猪ぶた』に……」


「名門畠山氏の先代を、猪(ぶた)呼ばわりはやめよ……」


「それは、七里に言って。あいつが言い出しっぺだし」




会話する希美と輝虎の間に入った次兵衛がまとめる。


「猪ぶた。殿が家畜化を進めているあの美味しい獣ですな。つまり、能登畠山の先代は『まぞ猪(ぶた)』となって殿の家畜として生きていきたい。どうせなら、能登国を殿の家畜小屋にしたい。武田は柴田家家畜の先達だから、同じ家畜仲間として邪魔をしたくない。そして、能登畠山の家畜化に困った神保氏が、ならば己れも家畜を希望、と、そういう事ですな?」


「だから、大名を家畜呼ばわりはやめんか。柴田家はこんなやつらばかりじゃな!」


「次兵衛、能登と越中が『まぞ猪(ぶた)』小屋とか、怖い事言うなよっ!」


希美と輝虎が抗議するのを次兵衛は聞き流し、尋ねた。


「それで、どうなさるので?」




希美は腕を組んで唸る。


「うーん……。神保氏を横取りしたら、やっぱ信玄怒るよなー。でも、合コンで狙ってる男が友達にいってくっついたとして、それは私が怒る筋合いではないしなあ」


希美とて、昔、友人が狙っていた男子といい感じになった事もある。


恋も武将も、切り取り次第。


希美は決めた。


「よし、神保を受け入れる。そんで、信玄追い返しマシーンと化してもらおう!」


「信玄追い返し……?」


「うん。越中武田領と加賀の間で、壁になってもらう。信玄が来たら追い返すだけの簡単なお仕事だ。それが受け入れ条件だな」


「それ、結局今までと変わらぬのではないか?」


「ハハハッ!かもな!」


「鬼か、お主」


「まあ、信玄の方は、何とかするさ。最悪戦になるかもだけど、そん時はみんなで武田包囲網作ろうぜ!」


輝虎が呆れたように希美を見た。


「わしは初めて武田に同情したぞ……」


「あれ、初めて?ケンさん、塩不足の信玄に、昔、同情して塩を送らなかった?」


「ハッ、あれは、そんなものではないわ。あやつ、今川に塩止めされて喉から手が出るほど塩を欲しがっておったからの。越後の塩商人に命じて暴利で塩を売りまくってやったのよ。ああ、そういえば、多少の塩を『え?そっち塩とれないの?うちには腐るほどあるんじゃが?恵んでやるぞ?』と送ってやったのう。やつめ、感謝という名目で、『いつか絶対殺す』と刀を一振り送ってきたわ」


「ええ……。あれ、内情はそんな話だったの?」


「さらにいえば、あやつはうちの塩商人に随分絞り取られて、表面上わしに塩の礼をせねばならんかったのに、その金がなかったものだから、仕方なく持ってた刀を返礼代わりにしたのよ。あの刀を見ながら飲む酒は旨かったのう……」


輝虎が遠い目をして語る。


希美は脳内の故事ことわざ知識を修正すべきか迷って、やっぱり聞かなかった事にした。






「それだけ仲悪いなら、私が越後にいてもケンさんがいるし、こっちには押しかけては来ないかな?じゃあ、次!伴ちゃんの持ってきたうる艶紅だけど……」


「はい。その器の蓋に細工が。二重になっておりますので、小刀を差し入れてお開け下さい」




ガリガリガリガリ




蓋の上部が取れて、中に紙切れが入っている。


「どれどれ?何が書いてあるの?」




希美は紙切れにある小さな文字を読んだ。


読み進めるうち、表情がみるみる厳しいものへと変わる。


「何が書いてあるのじゃ、ゴンさん?」


己れを見つめる輝虎と次兵衛に、希美は少し逡巡する様子を見せた後、吐き捨てた。




「一揆だ。織田領や同盟国の門徒を大坂本願寺顕如が秘密裏に煽動していたらしい。先だって、本願寺の坊官や侍達にそれが明かされ、派遣先が割り振られたのだそうだ」


「何ですと!?それでは、この越後や加賀も!」


「おのれ、一向宗め!どこまでも邪魔な!!」


次兵衛た輝虎が声を上げる。


希美は、次兵衛に命じた。


「早急に加賀に繋ぎを。それから、織田領にもだ!」


「御意。越後国内の門徒はいかがしましょうや?」


「……まだやってもいない事で、処罰するわけにはいかん。逆に信頼を失いかねんからな。ケンさん、彦姫が来るのは?」


「四日後じゃ」


「ならば、私は四日間で国内の熊を退治しまくってくる。他の地からも熊退治の陳情が来ていただろう?そのついでに、各地のえろに注意を促す」


「なるほど。下手に事を荒立てぬのは、一揆に関わらぬえろ門徒にご配慮ですか」


「流石、私の次兵衛。わかっておるな!」


「殿、そのお言葉、後五十回繰り返していただけますか?」


「多いな!おい、鼻血を噴出させたままにじり寄るなよ!」


希美は、次兵衛の鼻を手拭いで押さえながら、伴ちゃんに命じた。


「同盟国への連絡は、忍者部隊に任せる」


「御意」


輝虎が希美に言う。


「ゴンさん、四日で国内を全て回るのは無茶だ」


「うん。私一人なら、かなりの強行軍でいけるから供は連れていかないつもりだけど、それでも全部回れるわけじゃない。回りきれない遠方は、越後の地元忍者の軒猿に任せる」


「わかった!ならば、今から確認じゃ。地図を持ってこさせ」






スパーーンッ!!


「話は全て聞かせてもらったわあ!!!」




突然、襖が開き、ゴリッゴリの髭女中が現れた。




「「「ひ、髭ええーー!!?……って、なんだ、『てる』か」」」




そう。元一向一揆軍の総大将で、今は加賀で女中をしながら城内恋愛で結ばれた夫とラブラブ中。下間頼照こと、『てる』である。


彼女は、彦姫がやって来た時の女手として希美が加賀から呼び寄せていたのである。




そんな異色のドラァグクイーン女中に腰を抜かしかけた一同だったが、すぐに髭の女中がいた事を思い出し、平静を取り戻す。


「ちょっと!殿まで、酷う御座います!」


「ごめんごめん。だって、女子にしては髭が立派過ぎるから……。で、急に入ってきたらいかんだろ。話もなんか勝手に聞いてたみたいだし」


「それは確かに申し訳御座いませぬ」と、てるがしゃなりと頭を下げる。


「うちの息子の嫁になる子が来ていると聞きまして、いてもたってもいられず、外で待っておりましたの。せめてどんな声か聞きたくて、耳をそばだてていましたら、『一向宗』とか『一揆』とか聞こえて参りまして。殿、どうか、その熊退治に私をお連れ下さい!」


「ちょっと待って。今私が聞くべきは、お前が熊退治に着いてくる動機だと重々承知しているんだ。だけど、どうしても聞き捨てならない。『息子の嫁』って、何??誰の事言ってるの??」




てるは、ほほ、と笑って伴ちゃんを見た。


「あなたですね?先ほど息子からの文を私の部屋に置いていったのは」


伴ちゃんが三つ指をついて、頭を下げた。


「あ、あの、私、伴(とも)と申しますっ。その、仲孝様とは、大坂で頼宗様と仲孝様が連絡を取るための繋ぎ役として知り合いました。それ以来私のような者に、優しくしていただいて……」


「手紙に書いてありましたよ。あの子、あなたを嫁にしたいのですって。ふふ、私は歓迎よ。よろしくね、伴さん」


「お、お義母上様!!」


女装家(男)達が嫁姑として手を取り合っている。




さて、確認しておこう。下間仲孝(しもずまなかたか)。てるの息子である。


彼は父親が希美に殺されたと思い込んで、近江に敵討ちにやってきたのだが、父親が生きて母親になっているという、ある意味さらに酷い現実を突きつけられた可哀想な坊やである。


その後、父親と加賀に戻り、しばらく父親の夫家族と暮らしていたらしい。


最初は刺々しい態度だった彼も、父親夫の連れ子になつかれて絆されたらしく、今では門徒の中でもえろと敵対しない親和派となっている。


だが、大坂に残した母親を一人にしておけぬと、大坂に戻ったようなのだが―――。




(何があった、仲孝少年ーーー!!?)




よく、『娘は父親に似た人を好きになる』というが、息子が父親に似た人を好きになってしまったのか、はたまたこれは『母親に似た人』というカテゴリに入るのか。


うーん、悩ましい。




「本当に、お主の所の家臣は、何でこんなのばっかなんじゃ……」


「ケンさんもその一員だからな?」






衝撃の場面に気をとられた希美の腕の中、いつしか手がずれて鼻だけでなく口まで手拭いで押さえられた吉田次兵衛が、恍惚の表情で昇天しかけていた。


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