第176話 えろ神伊賀越え

希美と信長は、多羅尾四郎右衛門が気絶している間に、小三郎に風呂を点ててもらい、汗と汚れを落とし、着物を借りてこざっぱりして部屋でくつろいでいた。


朝に近江の宿を発ち、悪魔にわながひでに出会って散々山で迷い、この多羅尾領の集落にたどり着いたのが、申時の入り(午後三時)を過ぎた頃か。


そして今は既に夕刻である。


夏でまだ日は落ちていないが、後半刻もすれば、明かりを灯さねば互いの顔が見えなくなるだろう。




そして希美は、現在、信長の顔を笑顔で見つめていた。




「なんじゃ、そんなにニヤニヤしながら、わしを見て。気持ち悪いのう!」




信長に悪態を吐かれ、希美は「いやいや、殿と二人で風呂に入るなんて、初めてで御座ったから、嬉しくて」などと言って、「まさかお前、わしの尻を狙うておらぬよな……」と、さらに信長を気味悪がらせたが、真実は、




(やべえっ!マジで乳首が片方伸びてた!腹いてえ(笑))




であった。


まあ希美にとって、信長と二人で旅をするのも、風呂に入るのも、なんだか嬉しく思っているのは事実ではあったが。


そんな希美の気持ちをなんとなく感じているのか、信長は、にやつく希美はに対し、小三郎から返してもらった荷物の中からバラ鞭を取り出すことはしなかった。






信長が、多羅尾家の小姓が用意してくれた茶に手を伸ばす。


少し温くなったそれを口に含んだその時である。




バンッ!と急に一畳の畳が向こうに吹っ飛んだかと思うと、下から新たな畳と、その畳の上で土下座中の多羅尾四郎右衛門が、せり上がってきた。


信長は茶を吹き出し、希美は仰天して信長に抱きついた。




そして、今度は四郎右衛門の真上の天井が一部外れ、上から『誠に申し訳御座いませんでした』と書かれた垂れ幕が落ちてくる。




四郎右衛門は、何を言うでもなく、ただひたすら土下座中だ。


信長と希美は唖然としたまま、四郎右衛門は土下座スタイルのまま、無言の時間だけが続く。


希美は、その音の無い時間に耐えられず、四郎右衛門に声をかけた。


「お、面を上げよ……?」


「ははあーっ!」


四郎右衛門が顔を上げた。


やはり、「面を上げよ」待ちだったようだ。




「この度は、ご無礼の段、誠に、誠に申し訳御座いませんでしたあっ!!」


そう言って、四郎右衛門はまた土下座した。


希美は、再度「面を上げよ」の呪文を唱え、四郎右衛門の土下座モードを解除した。




希美はたまらず突っ込んだ。


「なんつー入室の仕方してんの!何、あの垂れ幕!」


「某の持てる技を用いて全力で謝罪を、と思いまして。どうか、どうか某の謝罪を受け取っていただければっ……」


その言葉の後に、どこからか飛んできた白い手裏剣が二つ、希美と信長の前の畳に突き刺さる。次の瞬間手裏剣がパタパタと崩れ、一つは『謝』と書かれた紙に、もう一つは『罪』と書かれた紙になった。




「「『謝』『罪』……」」




信長はその紙を取ってくしゃくしゃに丸めると、振りかぶって庭に向かってぶん投げた。




「ああっ!」と四郎右衛門が叫ぶ。




信長は、ハッハッハッと笑って言った。


「お主、わしの家臣を辞めたいのであろ?安心せい。わしも同じ気持ちじゃ。お前はもう織田の家臣ではない。今わしが決めた!好きに致せ!」


「で、では、某が柴田様にお仕えしても……」


四郎右衛門の言葉を信長は遮った。


「おい、権六うっ。命令じゃ!多羅尾家の者を家臣に加える事、まかりならんぞっ!」


「そ、そんなっっ!!」


「子どもか!」


希美は信長にも突っ込んだ。






そこへ、多羅尾家の若き家臣、小三郎が飛び出してきた。


「恐れながら申し上げます!お腹立ちはごもっともで御座いますが、それはそれとして、まずは柴田様が我らを用いた時の利をお考え下さいますよう、伏してお願い申し上げまする!」


「ほう、利とな?」


小三郎は、希美達のために風呂を点ててくれた。


信長はそれもあり、小三郎の言葉を聞く気になったようだ。




小三郎は、頭を下げ、プレゼンを開始した。


「織田の殿様におかれましては、既に別の忍びを長くお使いと聞き及んでおりまする」


「うむ」


「故に、新参の我らが活躍できる場は多くは御座いませぬ」


「そうじゃの」


「一方柴田様は、まだ抱えの忍びをお持ちではない。故に、織田家の忍びをお借りしている状態で御座いましょう?」


「確かに、彦右衛門のとこの人達にめっちゃ動いてもらってるわ」


希美も頷く。


小三郎は「そうで御座いましょう」と話を続けた。




「我らが柴田様の元で働けば、織田家の忍びを柴田家に割かぬともよくなります。しかも多羅尾の殿は、柴田様を崇めておりまする。我ら多羅尾は柴田様の忠実な家臣となりましょう」


「ふうむ」


信長は一つ唸って、ちろりと四郎右衛門を見やった。


「じゃが、この権六は、お主の主の言う通り、思慮が浅く考えなしの大うつけじゃ。神として見ねば、そういう男じゃぞ?本当に仕えられるのか?」




「ちょ、急に悪口……」


希美はジト目で信長を見ている。




信長の懸念に、四郎右衛門が堂々と答えた。


「確かに、柴田様は思慮浅く、考えなしに動きまする」




「崇めるどころか、ディスられてる……」


仕方ない。信者だからといって、事実をねじ曲げる事はできない。


だが、その上で四郎右衛門は自身の思いを語った。




「人と神は在り様が違いまする。人なれば、身の丈に合わぬ行動をとるは己れ自身を滅ぼす愚か者。しかし神は、人とは違う。神はただ天衣無縫にて、その意は人の思い通りにできるものでは御座らぬ」


希美は、真面目な顔をしてまとめてみた。


「よくわからないけど、私はめっちゃ自由にしてもいいって事ですね?」


「お主、こやつに自由にせよとは、うつけに翼を与えるのと同義ぞ!?」


「あ、柴田様、物事にはやはり限度というものが御座います」


信長の指摘に、四郎右衛門は手のひらを返した。






希美としては、正直、多羅尾一族を家臣に加えるのにやぶさかではない。


人手不足ではあるし、諜報機関のトップに立てるなんて、胸熱展開である。


(チャーリーズエ○ジェルみたいな?いや、シバターズエンジェル!でも、毒とか使うし、どっちかというと、エンジェルよりデーモンかなあ)




希美は、信長にねだった。


「ねえ、殿~、飼ってもいいでしょ?うちも忍者欲しいよう!シバターズデーモンにミッション出して、指令書を爆破したいよお!」


「しばたあずでえもん!?また、妙な事を言い出しおって!その方、そやつに散々誹謗されたのを忘れたのか?」


「殿だって、たった今某を誹謗したばっかでしょうが!それに、忍者って便利そうだし、家臣にしたいで御座る~。不可能な指令を与えて、城の天守から飛び降りさせたり、ヘリコプ……はまだ無いから、とにかく高い所から飛び降りさせたいよう~!」


「その方、鬼か!」


「柴田様……、何故我らをそんな恐ろしい目に……!」


皆が恐れ戦いて希美を見る中、四郎右衛門は目を据わらせて言い放った。


「小三郎、神はわしの悪口を怒っておられるのだ……。わしも、甲賀の術を継承せし男じゃ。神の思し召しとあらば、城の天守からの飛び降りの手妻芸マジックショー、見事やって見せようぞ!」


「殿!お考え直しを!」


「死んでしまいますぞ!」


天井裏や床下から、さらに壁も回転して、多羅尾の配下が飛び出し、周囲は騒然となってしまった。




小三郎は、なんとか飛び降りイリュージョンを思い止まってもらおうと、希美に甲賀の得意とする所を説明することにした。




「し、柴田様?甲賀は確かに手妻は得意としておりますが、流石に飛び降りは死んでしまい申す!それに我ら甲賀者は、薬の扱いに長けておるのですよ」


希美は不思議そうに小三郎を見た。


「薬?毒じゃなくて?」


「左様で御座る。我らは毒を扱いまする。雇い主によっては、殺す以外の要望も御座いますから、我らは明や南蛮からもあらゆる毒草を買いつけ育てておりまする。だが、毒の研究には、解毒薬や普通の薬の知識や精製も必要になり申す。よって、屋敷の外には薬草園も作られておるので御座る」


「へえ~。それは量産すれば、薬で儲けられそう!」


「我らは、薬売りに扮して、各地に情報を集めに赴いておるのです。諜報もお手のもので御座る」




小三郎の売り込みに、希美は是非とも多羅尾を配下に加えたくなった。


(薬用石鹸、薬用化粧品を研究させよう。毒の研究もいけるなら、麻からモルヒネとか、チョウセンアサガオから麻酔薬とか出来そうな気がするなあ)


「ねえ、殿っ。お願い!」


「ううむ……。また、柴田に妙な武将が増えるのか……」




煮え切らない信長に、四郎右衛門は言った。


「無事柴田家への仕官が叶いましたなら、織田の為に硝石を作りましょう!」


「まことか!?」


信長が思わず腰を浮かせた。


その信長にすすっと近付いた四郎右衛門は、信長に囁いた。




「先ほど柴田様のマーラを目当てに風呂を覗きました折に気付いたのですが、片方の乳首が伸びておる様子。某が『チクビチヂメール軟膏』を調合致しましょうぞ?」




「権六、多羅尾一族をその方の配下に申し付ける!」




とても、いい笑顔だ。


信長は、『チクビチヂメール軟膏』に屈したようだ。










その日は多羅尾の屋敷に泊まった希美達は、翌朝出立する事にした。


二日後には、南蛮人向けの『自重しん祭さい!』が開催されるのだ。


せめて、二日後の朝には堺に着きたい。




四郎右衛門にそれを告げると、


「ならば、伊賀越えしましょうか!」


と、軽く提案され、希美は戸惑った。




『伊賀越え』といえば、神君徳川家康公が命からがら逃避行した、あの『伊賀越え』である。


「大丈夫なの?伊賀忍者とか、敵じゃないの?」


心配する希美に、四郎右衛門は胸を張って言った。




「問題ありませぬ!伊賀と甲賀は隣人で御座る。日頃より友好関係を築いておるので御座るぞ」


「へえー」








ガサササササッ、ガサササササササササッ!




「おのれえええ!四郎右衛門っ!自慢げな文を送りつけたばかりか、えろ神様を連れて態々伊賀を通るなど、わしに見せつけておるつもりかああ!!!」


「バアーカッ、バアアーーーカッ!!先日の碁では遅れをとったが、柴田様への仕官は、わしが先んじたわっ!羨ましかろうがあっ」




希美と信長は、何故か伊賀の山中を、伊賀忍者達に追われていた。


「お前らっ!結局仲悪いんじゃねえかっ!」


「悪くは御座らん。あやつは藤林長門守と申しまして、碁仲間に御座る。それにわしと同じく、殿を崇めるえろ教徒仲間に御座る」


「じゃあ、なんで藤林さんはあんなにエキサイトしてんだ?」


「ハッハッハッ、わしが勝ち組だから、あやつが負け組だからに御座るよっ。のう、伊賀の?」




煽られた藤林長門守は激昂している。


しかし藤林長門守は、流石に伊賀の忍びだ。


希美達から離れず、山中を駆けながら、息もほとんど切らさずに四郎右衛門と口喧嘩をしている。


長門守が声を荒げた。




「おのれ、甲賀の衆道集団めっ!男ばかりで女人を入れぬわ、男の体ばかりを有り難がって、えろが偏っておるくせに!」




とんでもない疑惑が持ち上がった。


疑惑の四郎右衛門は反論する。




「はあっ?!伊賀者なぞ、神聖な仕事で女間者とチャラチャラしおって!殿のまわりは女人禁制じゃ!男だけの甲賀者こそ、殿にお仕えするのにふさわしい!」




長門守は希美に矛先を向けた。




「そんな事ありませんよねーー、柴田様?!女間者とて、柴田様のお役に立ちますよねーー!伊賀者は、男も女も、柴田様の役に立ちますぞっ!お側に仕えるなら、是非とも伊賀者をっ」


「てんめえーー!わしの目の前で、殿に取り入ろうとは!」


「甲賀ばかり、ずるいんじゃあ!!」






伊賀と甲賀の争いは続いている。


希美は背中におぶっている信長に話しかけた。




「殿、なんか怖い情報が聞こえたんだけど……」


「その方が望んだ家臣じゃ。わしは知らん」


「そんな……。ねえ殿、彦右衛門(滝川一益)と多羅尾四郎右衛門を交換しません?」


「却下じゃ」




そりゃ、そうである。


だが、希美には別のアイデアがあった。




「決めたっ!多羅尾四郎右衛門と藤林長門守をチェンジで!伊賀者を雇おう!」


「殿お!?」


「よっしゃああ!!甲賀、ざまああああ!!!」


伊賀の山中に、甲賀者の悲痛な叫びと伊賀者の歓喜の叫びがこだました。




結局、伊賀を抜ける頃には、希美は甲賀と伊賀、両方と雇用契約を結ぶ事となった。


希美は、そのまま堺に向けてひた走り、途中の村で一晩を過ごした。そして次の日の昼過ぎに、ようやく堺の町に入ったのである。






「某の胸へおかえりなさい。可愛い可愛い××××殿おおお」




河村久五郎に会いに行った睡蓮屋で、両手を広げて満面の笑みを浮かべる丹羽長秀の姿が目に入った瞬間。




希美は、一瞬で腰が砕けてへたり込んだ。

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