第159話 後藤賢豊さんが暗すぎて……夏

後藤賢豊は絶望していた。


己れの目論見が悉く外れ、気付いた時には、全てがこの絶望に向かって動いていたのだ、と思い知らされた。




後藤賢豊は忠臣である。


そう、自分で自負していた。




賢豊の父は六角定頼に仕えていた。


六角定頼。傑物であった。


北近江の浅井家を従属させるなど武功も挙げ、楽市楽座や城割など革新的な施策を打ち出し成功させるなど、内政にも優れていた。


足利将軍家の後ろ楯となり、中央の政治にも影響を与えるほどの力を持ち、まさにこの当主の代が六角家の全盛期だった。




賢豊の父は六角家に仕えている事を大いに誇りに思っていた。


自然、賢豊も、六角家に仕える事を誇りに思うようになった。


主君の『賢』の字を受けて『賢豊』と名乗るようになった時から、この身は六角家のために捧げると心に決めた。


そうして賢豊は、六角家に忠義を尽くす。元々優秀だった事もあり、定頼の子で跡を継いだ義賢から絶大な信頼を寄せられ、いつしか筆頭宿老として六角家を支えるまでになっていた。




しかし六角家は、定頼が亡くなり完全に義賢の代になってから、少しずつその繁栄に陰りを見せていく事となる。




三好氏との戦は、これまであれほど優勢だった六角が敗戦を続けた。


浅井氏もことあるごとに反抗を開始。


義賢は別段暗愚というわけではない。当主として家臣団をまとめ、なんとか凌いでいた。




だが、義賢が嫡男義治に家督を譲り、剃髪して承禎と名乗り始めてから、凋落が進み始めた。


浅井氏に野良田で大敗したのだ。


若い当主だ。どうしても先代や先々代と比べて落胆する事もある。


家臣の心は離れ始めたため、賢豊は六角家のために家臣団をまとめ、若当主を叱咤した。


そのうち、承禎と義治が政治的な方向性の違いからギクシャクし始める。若当主の義治は、精神的に荒れていた。




そんな時である。


三好義興との戦で上洛し、京から三好軍を追い出す事に成功した後、三好家家老の松永久秀から書状が来たのは。


このまま三好と六角が争い続けても、益は無い。なんとか互いを滅ぼす事のないよう協力し、主家を支えようという事だった。


賢豊は現当主が率いる六角の未来を憂いていた。


尾張の織田が台頭してきている。


強き六角を守るためなら、と賢豊は三好と密かに繋がる事にした。




賢豊は、六角家のために水面下で動き始めた。


その頃、義治だけでなく、承禎までががえろ教に傾倒し始めた。


織田は、破竹の勢いで周辺国を呑み込んでいる。その先鋒を務めるのが柴田権六勝家。えろ教の神である。


このままでは六角家が織田に呑み込まれる。


そんな危惧を覚えた時だ。三好義興から対織田のための策を提案されたのは。




親織田の当主を追い出し、反織田の弟義定を当主に据え、三好との協調で織田を京に入れぬようにする。


賢豊は、早速家臣等を親三好にするべく、工作を始めた。




正直、義定が承禎を殺してしまうなど思いもしなかった。


三好との協調を断られたら、追い出すだけでよかったのだ。


新たな六角が軌道に乗れば、また近江に迎えればよい、と。


そう思っていた。


賢豊にとって、このクーデターは真の忠臣として六角家を守るための孤独な戦いだ。


そうやって自分の為した事が、あれほど尽くした承禎を失う事になるとは。


だがいくら後悔しようと、賢豊はもう戻れぬ所まで来ていた。




後は、もう狂いっぱなしだ。


義治は織田に恭順し、織田と柴田、そして承禎の蒔いたえろの芽が、賢豊の六角家を食らい尽くす。




旗印の六角家当主は織田に奪われた。


それでも、観音寺城を開場しなかったのは、最早賢豊の守ろうとした六角家を滅茶苦茶にした織田と柴田への意地であった。


しかし、三好が負けて去った上、えろ教の神柴田勝家の預言が成就し始めたと聞いて、観音寺城で籠城を続けていた者達は皆、心が折れてしまった。




神に逆らった結果が、これだ、と。








ああ。


織田と柴田が六角を滅茶苦茶にした。


そう思っていたんじゃ。




大殿は、六角家が生き残る事が一番大事じゃと言われておった。


わしとて、六角家を生かしたかった。


しかし観音寺城から主が消え、主を失うたわしだけがこの広間に座っておる。


なんと空しい……。




今になってわかった気がする。


わしじゃ。


わしの頑なな心が、今の事態を招いた。




大殿を、わしが殺してしもうたのじゃな。




大殿、今より謝りに参りまする。


せめて、四郎様と次郎様よ。どうか、六角の血を後世に……。








「ノー・モア・切腹ーー!!」


ガツッ!




賢豊の手から脇差しが飛んだ。


「ぐわあーっ!手がっ!手があっ!!」


賢豊が座ったまま前のめりに悶絶している。




手首を骨折したようだ。




「あ、ごめん……でも、これで切腹はできんな!結果オーライ!」


希美は、ナイスな笑顔でサムズアップした。








【前半が暗すぎて耐えられなくなったので、ここからは希美の実況でお送りします】




さて、三好義興さんが病に倒れて戦どころじゃなくなり、近江の戦はほぼ終結しようとしていた。(キリッ)


一向門徒from大坂も、義興さんの病がショックだったようで、モチベーションだだ下がりで、三好さんと帰っていったわけで。




だけど、観音寺城の後藤賢豊さんがまだ残ってる。


義治君や義定君から聞いた話だと、お家大事のめちゃマジメ君なんだそう。


思い詰めて暴走しちゃった感じ?


んで、意地になって観音寺城にひきこもってる、と。




外からお友達の進藤賢盛さんが、お部屋のドア(観音寺城の門)をドンドンして「出てこいよー!」とやっても、主君だった義治君や義定君が「教室(織田本陣)に入らなくてもいいから保健室(観音寺城)の中でお話しよう?」と優しく声をかけても、超無視。


ご家族(むすこ)の壱岐守(いきのかみ)君は、もう投降してるんだけど。




(ははーん、これは、恥ずかしくて今さら出てこれないってやつじゃね?)




ピンときた私は、とにかくドア(門)をぶち破って、顔を見てお話ししてみる事にしたの。


で、火薬をね、樽に詰めてね、……後はわかるな?




観音寺城の本丸には、もう人っこ一人いなくて、ちゃんとご飯食べてんのか心配になっちゃったよ。


もしかしたら、お腹空きすぎて動けないんじゃね?と思った私。


慌てて賢豊さんを探して城内爆走。


で、広間らしき所に入ったら、いたんだよ。




まさに、切腹ジャストナウな賢豊さん。




「ノー・モア・切腹ーー!!」




わけわかんない事を叫びながら、柴勝おじさんのロングレッグで脇差しをシュート!!


脇差しは、広間の上座に設置されてた承禎さんの鎧にナイスヒット!!


ガラガラガシャーーンッ!


……ごめん。




「ぐわあーっ!手がっ!手があっ!!」


ついでに、賢豊さんの手首も破壊。


……本当に、ごめんなさい。




でも、切腹阻止したし、手が使えなければもう切腹できないよね?ねっ?








私、殺させないよ。




今回の騒動で承禎さんも死んだし、賢豊さんが戦を起こしたせいで、敵味方たくさんの人が死んだのよ。


それなのに、さくっと死ぬとか、自己満足でしかねえっつーの。




だからさ、寿命いっぱい、身を粉にして働いて、働いて、働いて、世の中に貢献でもしてさ、そんでその後で……、




思う存分、死ね!!

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