第156話 兄弟の形
織田軍の本陣で、六角弟と繋がったままキャッキャウフフと水浴びをした希美は、その後久五郎を探し回り、やっとみつけて鎖と危ない兜から解放された。
希美は、何やらプルプルと震えて立てない六角義定を輝虎に託すと、おもむろに今しがた外した鎖と兜を拾った。
右手に鎖を、左手に兜を装備する。
そうして、久五郎に微笑みかけた。
「ネヴュラ○ェーーン!!」
「行け、亀ッ○ス!ミサイル頭突きだ!!」
「ネヴュラ○ェーーン!!」
「デンジャーテポ○ン頭突きーー!!」
とんでもない目に遭わされた恨みを込めて、久五郎を散々にしばきたおす。
多少は鬱憤を晴らした希美は、何故か満足げに肩で息をする久五郎をその場に残し、六角義定の元へ向かう事にした。
しかし、探してもみつからぬ。
(あれー?どこ行った?)
そこへ、裾から鎖をちょい見せしているオシャレ鎖愛尊武将が通りがかった。
聞くと、六角義定は濡れた鎧と濡れた衣服を着替え、信長の元へ行ったと言う。
(やっべー!六角さんをほったらかしてた事、殿になんか言われそう!)
というわけで、慌てて希美も、信長の所に走ったのだった。。
「遅いぞ!!何をしておった!」
ズーサーさんがイラ怒(おこ)である。
陣幕の中は、人払いをしているのか、そんなに人はいない。
信長と希美の他には、六角義定と義定を連れてきた上杉輝虎、そして信長の傍に池田恒興と蒲生定秀が控えている。
おや?池田恒興の首に、鎖が巻かれ、長く伸びたその鎖が信長の床几(いす)にくくりつけられている。
一体彼に何が起こったというのか。
だが皆、その事には一切触れず一様に押し黙り、ピリピリとした雰囲気が漂っている。
(は、入り辛えーー!)
内心ドキドキしながら、希美は信長に答えた。
「申し訳御座らぬ。ちょっと久五郎めに『かわいがり』を……」
信長は、困惑顔で希美を見た。
「アレを可愛がるのか……。まあよい。そろそろ、こやつの兄も戻ってくるだろう」
信長の視線が義定に注がれる。
兄の義治の名を出されて、義定は膝の上で握る拳を固く握り締めた。
希美はそんな義定の様子を見守りながら、信長の近くに設置された『えろ』の文字入り床几(いす)に座った。
普通名前を入れるにしても、『柴田』だろう。
最早、イジメの域だ。
こんな嫌がらせ、河村久五郎の仕業に違いない。
着座した時、信長の舌打ちが聴こえた。
「ちっ、なんでこんな時に、馬鹿丸出しのふんどし一丁なんじゃ!」
(あんたが、命じたんでしょーが!!)
希美はジト目で信長に尋ねた。
「で、殿はどう仕置きを為されるおつもりで?」
信長は、くく……と嗤い、髭の無い顎を撫でた。
「それよ。今、観音寺城の支城に、近江の鎖愛尊共を使いにやっておる。そこの『自称当主の捕縛』と『承禎の死の真相』を手土産にな。その上で、わしからの要求は『悩み続けよ』じゃ」
「『悩み続けよ』?それは、どういう……」
「別に味方せよとは言わぬ。日和見(ひよりみ)して腹の座らぬ寝返り者など、我が陣におった所で邪魔になるだけじゃ。ならば、この決着が着くまで城に籠ってひたすら『悩んでもらう』だけでよい」
「なるほど、『わしの邪魔すんなよ』って事ですな。邪魔さえせねば、本領安堵で御座るか?」
信長はニヤニヤと義定を眺めながら、希美の問いに答えた。
「そういう事じゃ。今の所、皆、大いに『悩んで』おるぞ?ある者は、『騙された』だの『先代の仇』だのと、そこの自称当主を討とうと気炎を上げる者までおったそうな」
「なんじゃとっ……!」
義定が顔を歪めて腰を浮かした。
が、輝虎にすかさず肩を押さえられ、やむ無く腰を下ろす。
しかし、その拳はプルプルと震えている。
信長は面白そうにその様子を眺めながら、希美に言った。
「まあ、こやつを討たせてやって、その首を観音寺城の後藤の元に放り込んでやってもよいがの、やはり処断は身内に委ねるべきであろう?なんせ、弟とはいえ、父親の仇じゃからのう」
希美は渋面で信長を睨んだ。
「兄の義治に弟を討ち取らせようと?」
「不服か?権六」
信長は希美を見据えた。
「昔を思い出す、か?」
希美の中の、柴田勝家の記憶がフラッシュバックする。
兄である信長の見舞いに行くと言って、清洲城に向かった信行(元あるじ)。
北櫓天主の次の間で、斬り殺された。
信行の再謀反を信長に密告したのは、勝家(じぶん)だ。
信行が信長に殺されると知っていて、見送った。
苦い、苦い勝家の記憶。
希美は『柴田勝家』として、信長に言った。
「殿とて同じで御座ろう」
信長と勝家のぞみの視線が交錯した。
その時である。
「六角四郎に御座る。お呼びと聞き、まかり越しまして御座りまする」
六角義治の声だ。
「許す。入れ」との信長の言葉で中に入った義治は、すぐに信長の正面に座る若武者に気付いた。
そしてその武者が誰かという事に気付くや、飛びかかった。
義定の頬を、義治が渾身の力で殴りつける。
義定が何かを言う前に、また殴る。
義定の口から血泡が飛ぶ。
その後も、義治はほとんど一方的に義定を殴り、蹴りつけた。
その兄弟喧嘩を止める者はいない。
希美達が見守る中、「ガツッ、ガツッ」という打撃音が辺りに響く。
ひとしきり義定を殴った義治は、息も絶え絶えといった義定を背にし、信長に平身低頭した。
「殿、お願いがあり申す!」
「申せ」
信長が短く許諾する。
義治は頭を垂れたまま懇願した。
「何卒、次郎の、弟の命を助けていただきとう御座る!!」
信長の眼の光が鋭くなった。
義定も、ボロボロになりながら、声を絞り出した。
「……はっ、わしに、憐れみをかけたか、兄上……」
義治は逆に問うた。
「お主、何故父を殺した」
義定が答えた。
「くく……父上は何もわかっておらぬ。六角は権威じゃ。強者であらねばならぬ、だが織田はいつかわし等を脅かす。わしは、六角家のためにその脅威を排除しようと働いてきた。お前達が『えろ』なんぞに取り込まれ、安穏と過ごしている間、本当に六角の事を思うておったのは、このわしじゃ!」
激昂した義定は、ふとその時の事を思い出したのだろう。
ぽつりと語り始めた。
「あの時、三好と手を組み織田を挟撃しようと父上に提案した時、父上はわしを『愚か者』と罵った。……愚か?愚かなのは誰じゃ?今の侮られる六角を作った父上は?本当に六角を思い働いてきたわしを顧みず、無能な兄上ばかりを守る父上は?六角に不要なのは、わしか?父上か?」
「それ故、父上を殺したというのか?」
蒼白な顔の義治に義定は冷たい視線を向けた。
「いつも守られ、大事にされてきた嫡男様にはわかるまい。家臣は皆、わしの方が当主にふさわしいと望んでおった。だが、父はわしを認めぬ。いいように使うだけの捨て駒よ。守るのは、嫡男の兄上だけ……」
ドガッ!
義定の体が軽く吹っ飛んだ。
殴られたのだ。
犯人は、希美であった。
「ゴメン、ケンさん。久五郎に六角承禎の書簡を預けてるんだ。持ってきてもらえる?」
そう輝虎に頼んだ希美は、仰向けに転がったまま呻く義定の頭の辺りに立ち、見下ろした。
「私が最後に承禎さんに会った時、『心残り』の話をしたんだ」
義定は、寝転がったまま、希美を見上げた。
こんもりとしたふんどしの向こうに希美の顔が霞んで見える。
ふんどしは語った。
「承禎さんの『心残り』は息子だって言ってた」
義定は自嘲した。
「なるほど、兄上が心残りかよ……」
ふんどしは、ふるりと震えて言った。
「承禎さんは、その時私に頭を下げたんだ。『もし、わしに何かあれば、息子達をよろしくお願い致す』。一言一句違わぬ。承禎さんは、『息子達』と言ったんだよ」
「そんな……嘘だ……」
「河村久五郎を連れてきたぞ」
輝虎が久五郎を連れて戻ってきた。
「お師匠様、六角承禎殿からの書簡が御入り用とか。こちらを」
久五郎は『危ない兜』を差し出した。
希美は戦慄した。
「おい、久五郎、ここはかなりシリアスな場面だぞ。とんでもないモノを持ち込みやがったな……?」
「はっはっはっ、お師匠様!実はこの兜にはちょっとした物入れがついておるので御座る。ほれ、この太くて長い立派な前立てをこのように回して外すと……この通り!なんと、中に便利な物入れ機能が!こうやって、大事な書簡も持ち歩けます!中は、意外にたくさん入りますぞお?」
「ええー!!凄く便利ー!こういう機能、前から欲しかったんですよお。これで全裸になっても、兜一つで貴重品を持ち歩けーーー……何を言わせんだ、この阿呆!!つーか、大事な書簡をそんな所に入れてんじゃねえ!!」
「大事な物だからこそ、大事なモノの中に入れるべきかと」
久五郎はモノの中からコンパクトに丸めた書簡を引っ張り出し、希美に渡した。
希美は書状を受け取ると、中を改めた。
そして河村久五郎の記憶をデリートし、気持ちを仕切り直すと、義定に説明した。
「これはな、承禎さんが私に託した書簡だよ。最後の一文にこう書かれている」
「『近江に次郎義定を残しおり候。お頼み申す』」
義定は、目を見開いた。
目の前に、ふんどしが迫る。
希美はしゃがんで、義定に書簡の最後の一文を見せた。
「な。承禎さんは、ちゃんとあなたを愛していたよ」
「確かに……、父上の字じゃ……。わしの、名が……、父上の手で……父上っ!!」
義定は哭(な)いた。
寝転がったまま、天に向かって声を張り上げた。
だが、もうどうしようもない。
父は答えない。
取り返しのつかぬ事を、してしまったのだ。
義定の声が枯れ果てた頃、義治が弟に語りかけた。
「わしは、お前のしでかした事を一生許すつもりは無い。お前の独り善がりで父上は死んだ。憎くてたまらぬよ……」
「あに……うぇ……」
「だがな、お前は償わねばならぬ。父上を殺した事、父上の守ってきた近江を割った事。わしは六角家の当主であるし、お前の兄じゃから、これから弟のお前の後始末をつける」
義定は、赤く腫れた瞼まぶたの隙間から、真摯に己れと向き合う兄の姿を見ている。
その兄は義定に告げた。
「お前は、償いとしてわしの傍らでその後始末を手伝え。お前の罪は一生消える事は無いが、その罪から逃げるのをわしは許さぬ。だから、次郎、弟よ。わしが兄としてお前を支えるから、お前は一生涯をわしと共に近江の安寧のために働け!お前は、もう一度、わしの弟として生きよ!」
重い瞼に覆われた義定の瞳から、新しい涙がこぼれ落ちた。
信長は、六角兄弟の一連のやり取りを眺め、ふん、と鼻を鳴らした。
「六角四郎よ。それが、お主の望みか」
「は」と頷く義治に、信長は言った。
「また裏切られるやもしれぬぞ?」
義治は、ちらと義定を見て、真っ直ぐな眼差しを信長に向けた。
「その時は、またボコボコにぶん殴りまする!」
信長は瞠目し、ふっと笑った。
「勝手にせい。なに、近江と引き換えじゃ。その男の命はお主にやろう。せいぜい裏切られぬように、手綱をしっかり握っておくのだな」
「ははっ」
信長は蒲生定秀に目配せをする。
定秀は、六角兄弟を連れて陣幕から出ていった。
信長は座ったまま足を組み、何やら沈思している。
六角兄弟を見て、恐らく自分と同じ事を連想したのだろう、と希美は考えた。
希美は信長に話しかけた。
「後悔、しておいでか?勘十郎(信行)様の事……」
信長は断じた。
「……しておらぬ。あれとわしは、破綻しておった。あれが生きておれば、わしの方が死んでいたであろう。わし等兄弟は、そういう形だった。似ておるように見えて、六角とは違う」
「そうかも、しれませぬな」
晩年の信行は、謀反三昧の毎日だった。
だからこそ、勝家は信長に密告したのだ。
だが、あの日。
信長が清洲で倒れたと聞いて、見舞いに向かう事を決めた信行の心情はどのようなものだったのか。
今となっては、考えても仕方のない事だ。
覆水は盆に返らないのだ。
信長とて、それはわかっているに違いないが。
信長は、沈思している。
希美は『えろ床几(いす)』を信長の方に寄せて座った。
そしてそのまま、寄り添うようにただ座っていた。
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