第134話 信長、呪われた地への入城
「あれえ?おかしいなあ……」
「どうされました?えろ大明神様」
成願寺城。
希美達がこの城にやって来てから、五日が過ぎている。
城の洗濯場に寄って自室に戻ろうとする希美の一人言を、たまたま通りがかった堀江景忠が聞きつけたのだ。
希美は首をひねりながら、景忠に言った。
「最近、私のふんどしが少なくなってる気がするんだ……。なかなか洗濯できないだろうから、せめてふんどしだけでも、と多めに持って来たんだが」
景忠は「ああ、それなら」と希美に告げた。
「昨日、筆頭使徒殿が、新しきふんどしを何枚か頼照殿に渡すのを見ました。その時、『お師匠様の新しきふんどしだ』というような事を言っておりましたよ」
景忠の言葉から推察できたと思うが、この旅の中で、彼はすっかり『えろ』に仕上がっていた。
景忠だけではない。他の寝返り隊のメンバーも、同じような状況である。
これは、例のごとく河村久五郎の仕業であった。
その久五郎が希美の新品ふんどしを用意したという。
「あやつ、何を下着ドロなんてしてやがんだ……」
希美は眉間を揉んだ。
そこへ、下間頼照がやって来た。
「あ、殿。探しましたぞ。新しきふんどしと、お忘れの刀をお持ち致しまあ!!」
頼照は躓いた。その瞬間刀の鞘が外れた。
そうしてふんどしの下で刃を前方に向けたまま、希美に突進し……。
ガキンッ
希美にぶち当たった刃が折れた。
「……(ちっ)」
「ああ!頼照、またか!!お前、このパターンで何本武器を折るんだよ……ドジっ子属性強すぎるわ!」
そう希美に叱られて頼照は、
「申し訳御座らぬ」
と謝りながら、内心己れの心も折れそうになっていた。
(武器も毒も試したが効かぬ……。寝ている時に濡れ手拭いを顔に被せても、平気な顔で寝ておった。何なんだ、こいつは……)
頼照は、これまでも何度か偶然を装って、暗殺を実行しようとしていた。
だが、どれもうまくいかぬ。
おかげで頼照は、はたから見ると完全にドジっ子と化していた。
((こいつ、どうしたらいいんだ……))
頼照と希美がそれぞれため息を吐き、景忠は「えろ大明神様以外なら死んでましたなあ」と鋭い事を呟いた。
その時だった。
にわかに城内が騒がしくなった。
希美が、向こうで慌ただしく立ち働いている女中を捕まえ、話を聞く。
「先触れで御座います!織田上総介様の御軍勢が参られまする!」
「え!マジで!?じゅ、準備しないと!」
希美があたふたしていると、奥の廊下から河村久五郎が小走りでやって来た。
「あ、お師匠様、こんな所に!あまりよその城をうろうろしないで下され!いよいよ織田の殿が参られますぞ!」
「いや、だって、ふんどし……」
「下の波着寺にも連絡を入れておりまする。ここは大軍勢を入れるには少し手狭故、波着寺にも兵を入れなければなりませぬからな。準備は前波殿と某がします故、お師匠様はまず、我らが呼ぶまで部屋でじっとしていて下され!」
「は、はい!それはそうと久五郎、私のふんどし……」
「ああ、忙しい、忙しい!!」
久五郎は行ってしまった。
希美はなんとなく肩を落とし、頼照を連れて部屋に戻った。
女中は仕事に戻り、堀江景忠は領地から兵共を呼び寄せるため、伝令を借りに前波景当の元に向かう事にし、歩き出す。
いよいよ、越前攻めが現実味を帯びてきていた。
その日の申字(さるじ)を過ぎた頃、とうとう織田軍が成願寺城に入った。
希美を筆頭に、河村久五郎や会露田利家などの織田の将、前波景当を筆頭とした越前寝返り隊、成願寺城の兵共に、波着寺の住僧達が揃って、信長と彼の軍勢を出迎えた。
織田軍は、多くが朝倉兵の装備を身に付けている。
以前加賀に攻め入った朝倉軍の装備を拝借したものだ。
織田軍は、朝倉軍に偽装して越前に入る事で、越前国内を怪しまれずに通行し、織田による越前攻めの情報を秘匿していたのである。
その織田軍の中から、朝倉義景の具足を身に纏った若い男が、堂々とした足取りで進み出た。
「ようやったの、権六ぅ!見事、越前の武将共を味方につけおった!」
「殿……、ありがたき幸せ!!」
珍しく信長が希美を褒めた。
希美は、思いもよらぬ上司の肯定的評価に、にこにこと満面の笑顔だ。
「あ、でも某だけの功績では御座らんので御座りんす!」
ただ、あまりにも珍し過ぎて、動揺が妙な武士語を生み出している。
信長は微妙な顔で、希美を見た。
そしてその目線をスライドさせ、利家に向けた。
「犬ぅ、お前も伝達、先触れの役目、よう働いた。連日織田軍と権六の元を行ったり来たりであったのう」
利家は、天を仰いでため息を吐いた。
「殿お……柴田殿の人使いが鬼で御座る。鬼柴田は健在で御座ったー!」
希美は利家に拳骨を落とした。
「うるさいわ!お主が調略を面倒臭がって、『武士の本懐は馬で暴れ回る事に有り!キリッ』などとほざくから、越前中を馬で走り回る役目を与えてやったのよ!少しはありがたがれ、阿呆!」
「あざーっす」
「気持ち込めんかい!!」
「お前達いい加減にせんかあああ!!殿の御前であるぞ!」
「「うぃっす!さーせんでしたあ!!」」
秀貞の一喝で希美と利家の気持ちは一つになった。
信長は呆れ顔で希美達を見やり、寝返り隊にも声をかけた。
「お主達も、ようやってくれた。おかげで行軍が順調であったわ」
「なに、某等も加賀攻めの折は、柴田殿にずいぶんもてなしていただき申した」
そう言って真柄直隆が笑った。寝返り隊はその時の事を思い出したのか、皆笑った。
「あれは、あり得ぬほど順調な行軍であった」
「つまりこれは、お返し、というわけだの」
越前の武将達はひとしきり笑い、その後複雑な表情を浮かべた。
加賀攻めの悲惨な結末を思い出したのだろう。
信長もそれに思い至り、複雑な顔をして、前波景当に話しかけた。
「この城は、お主の弟御の居城であったとか。世話になる」
「は。おい、これへ」
景当は軽く頭を下げると傍に立たせていた少年を呼んだ。
「弟の嫡男、新七郎に御座る。成願寺城はこの者が継ぎまするが、まだ元服前故、某が後見として面倒を見る所存」
「前波新七郎に御座る。以後よろしくお引き立て下さりませ」
新七郎は、緊張を孕んだ神妙な顔で挨拶をした。
信長は新七郎を観察し、ニヤリと笑った。
「おい、わしが恐ろしいかよ?」
「お、恐ろしくは御座らぬっ!無礼で御座る!!」
新七郎は、震える声で甲高く叫んだ。
気が強い性質らしい。
信長は、ふん、と鼻を鳴らすと新七郎少年の頭に拳骨を落とした。
「無礼はお前じゃ!わしはお前の主ぞ?そんな口をきく家臣がどこにおるか!」
織田勢が全員、希美を見た。
信長も、思わず希美を見、希美も信長も気まずげに目を逸らした。
信長は、そっぽを向いたまま言った。
「ま、まあ、何にせよ、お前の度胸だけは気に入った」
新七郎は、口を結び目に涙を溜めていたが、その顔をぽかんとさせて信長に向けた。
「わしの『長』の字を一字やろう。元服して、『長俊』とでも名乗るがよい!」
新七郎の顔がぱあっと明るくなった。
「あ、ありがたく拝領致しまする!」
「お主、賢くなさそうだからの!賢くなるように『俊』の字を入れたのじゃ!」
信長は軽く憎まれ口を叩いた。
安定のツンデレである。
希美は、生暖かい目で見守っている。
ビシビシビシイッ!
希美専用のバラ鞭は、今日も大活躍中だ。
希美と信長が落ち着いたのを見計らうように、波着寺の老僧、照任が進み出た。
「初めて御意を得まする。拙僧は波着寺の住僧、実泉坊照任と申しまする」
信長は軽く頭を下げた。
「織田上総介信長じゃ。しばらく兵が厄介になる」
照任は穏やかに話し始めた。
「織田様は、越前を手に入れようとなさっておられる。そうですな?」
「そうだの」
信長は、頷いた。
照任は言った。
「実は某、先日、天啓を得ましてな。相手の本質を見抜けまする。あなた様が越前を治めるに相応しいお方か、見極めてもよろしいか?」
信長は、鷹揚に頷いた。
「ふん、好きにせよ」
「不快な思いをするやもしれませんぞ」
念を押した照任に、信長は苛立たしげに答えた。
「構わんと言っておる!」
希美は慌てて引き止めた。
「あ、殿、待って……」
「なんじゃ?」
希美は知っていた。
あの護摩焚き以来、波着寺に『ペロペロ』ブームが来ているという事を。
特にあの儀式の最中に同じ部屋にいた者達は、何故か開眼ならぬ謎の開舌をしたようなのだ。
即ち、『ペロペロ』した相手の秘めたる本質を見抜くというものである。
見抜いた後、ニヤニヤハアハアしてしまうという副作用があるらしいが。
『照任は、信長をペロペロするに違いない!』
そう思った時に、『希美の善なる心』が希美に囁いた。
善い希美(信長は、絶対嫌がるわよ。下手したら怒って斬って捨てるかも。そうならないように、刀を奪ってから、羽交い締めにして、ペロペロを助けるのよ……)
『希美の悪の心』も囁いた。
悪い希美(老僧にペロペロされる織田信長。絶対面白いだろ!!)
希美は信長に言った。
「念のため、お刀、お預かりしておきますねー」
「え?」
希美はさっさと、信長の腰のものを取り、久五郎に投げ渡した。
久五郎は、刀を受け取るとペロリとやり、ニヤニヤハアハアした。
しかし、信長は気付かない。いや、それどころではない。
何故なら、希美がおもむろに信長を羽交い締めにしたからである。
「思う存分、おやりなさいな。照任殿」
「かたじけない。えろ大明神様……」
「え?おい!離せっ!何が始まるんだ!?」
舌なめずりする老僧が信長に迫る。
ペロペロペロペロペロペロ…………
「キャアアアアアアア…………」
信長の悲鳴が、辺りに響き渡った。
地獄絵図が終わり、ニヤニヤハアハアが止まらない照任は、体育座りして呆然とする信長に、締まりのない顔で告げた。
「まさに大器!越前をお任せするのに相応しい。……ただ、赤子に自分の雄乳を吸わせるのは、どうかと思いますぞい!」
希美は戦国史上最も面白い名場面の一つを心ゆくまで堪能し、何気に軍勢の中にいた滝川一益は、抱腹絶倒の末、召されかけたという。
※あと書き
史実では、新七郎の父親が、信長から『長』をもらって『長俊』に改名します。
前波吉継➡桂田長俊
このお父さん、朝倉を一番乗りで織田に寝返って、越前の守護代に任命されるんですが、僅差で寝返りが遅かった他の越前武将に妬まれて、一族みんな攻め殺されます。
この時、新七郎君も殺されます。
ただ、新七郎君のお父さん、めちゃ偉そうで性格悪かったみたいで、『そんなだから、殺されたんだよー』みたいな事が『信長公記』に書かれています
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