第135話 そして『おっさんずトラップ』へ
織田軍が成願寺城に到着した翌日、信長は兵達に一日、休息を取らせた。
希美は、その一日を成願寺城の石牢で過ごした。
そして三月七日早朝、朝倉軍に扮した織田軍は、寝返り隊が領地から呼び寄せた兵達を従え、成願寺城を出立した。
その後足羽川を越えてさらに南下し、昼前には一乗谷城下町に到達。
軍勢は、朝倉重臣の武家屋敷の間を悠々と進み、あっけなく朝倉館に入ったのである。
「どういう事じゃ、前波!魚住!!」
朝倉館主殿の広間には、朝倉寝返り隊の面々が能面のような顔で座しており、留守居役として館に詰めていた敦賀郡司、朝倉景紀あさくらかげとしは怒号を発していた。
「ですから、朝倉の殿は一向門徒共に殺され申したので御座る」
魚住景固が低い声で、告げた。
朝倉義景の母である高徳院の手から力が抜け、抱いていた孫の阿君丸くまぎみまるを取り落とした。
「うあああああん!!」
転げた阿君丸が泣き出し、乳母が慌てて抱き上げあやし始めた。
「ば、馬鹿な……。そんな報告はなかったぞ!」
景紀と同じく一門衆として館に詰めていた鳥羽城主、朝倉景富(あさくらかげとみ)が目を剥いて怒鳴った。
その怒声に、数え三歳の阿君丸は益々泣き声を上げた。
「うるさいぞ!黙らせろ!」
景紀が苛立って乳母に命じた。
乳母が阿君丸を連れて、奥の間に消えていく。
「あああぁん……ああぁぁん…………」
幼子の泣き声も遠ざかった。
前波景当が苦言を呈した。
「無礼で御座ろう、敦賀殿(景紀)。朝倉の殿が亡くなられた今、嫡男の阿君丸様が御当主ですぞ」
「……ううっ、殿の御遺体はどうした!」
「わしが態々ここまで運んできてやったぞ」
景紀と景富は声の主を探し、景当等の後ろに座している男を睨んだ。
「誰じゃ、お主は」
男は立ち上がった。
前波等寝返り隊は、座したまま少し動いて道を開け、その男の通り道を作った。
男は、もう一人の大きな男を引っ張り立たせると、その大男を連れて当然のように通り道を使い、前波等の前に出て座った。
「織田上総介信長じゃ」
「……初めまして。柴田権六勝家で御座る」
しばし、時が止まった。
景紀も景富も、高徳院でさえ固まっている。
そして、時は動き出した。
「なんで、敵の首魁がこんな所におるんじゃあああ!!!」
叫んだ景紀に、信長が答えた。
「親切心じゃ」
「親切心じゃとお?!」
「そうよ。勝手に我が領に攻め入って、勝手に内輪揉めで殺し合い自滅した敵の亡骸を、態々送り届けてやったのじゃ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いではないわ」
信長がしゃあしゃあと言い放った。
「そ、それはかたじけない……」
景富がわりと素直に礼を言う。景紀は横で不貞腐れている。
信長はさらに続けた。
「ああ、それと他の将達の亡骸も合わせて運んでおる故、後で確認されよ」
「他の将……どれほど死んだのだ?」
「朝倉の屋台骨を揺るがすほどに」
信長の言葉を聞き、両朝倉の顔色が変わった。
景紀は震える声を抑えて尋ねた。
「おい、前波、わしの息子は?わしの息子はどこにおる!!」
「そうじゃ、与三(よぞう)の姿も見えぬ……」
景富も不安そうな声を出す。
前波景当は、目を伏せながら告げた。
「朝倉孫九郎様、朝倉与三様、お二方とも討死なされました」
景紀と景富がへたり込んだ。
信長が希美に命じる。
「おい、討死した朝倉の将の名を読み上げてやれ」
「このタイミングであんた……鬼ですか?」
希美は信長に非難の目を向けたが、信長は失礼な口をきいた希美に一発鞭を入れてから呆れ声で言った。
「今言わんでいつ言うのじゃ!こやつらは朝倉の一門衆。今己れの家中がどんな状態にあるのか、早急に知らねばならぬ」
(加賀で朝倉当主から一門衆からみんな討死したのを、越前に伝わらぬように散々情報統制しておいて、おま言うー!)
希美はジト目を禁じえなかったが、これも一つの戦である。
反論はせずに、玄任から渡された討死名簿を読み上げた。
「ええー、まずは、御当主の朝倉左衛門督義景さん、一門衆、朝倉右兵衛尉景隆さん、朝倉式部大輔景鏡さん、朝倉孫九郎景みつさん、朝倉与三景忠さん……」
希美がつらつらと読み上げる。
一門衆は、『景』縛りがあるようだ。つい目が滑ってしまう。
希美は間違えないように頑張って一門衆を読み終え、越前家臣衆に移った。
山崎長門守吉家さんを始め、こちらも多くの武将が名を連ねている。
ようやく全ての名を読み終わり、希美は顔を上げた。
景紀と景富の顔が真っ青だ。
「わかるな?朝倉が、今、どのような状況なのか」
信長が二人に声をかけた。
「早晩、朝倉は周辺国に食い散らかされよう。そこで、もう一つ、親切心じゃ」
景紀と景富が胡乱な目を信長に向けた。
信長はその目を真っ直ぐ見返して言った。
「織田の下につけ。さすれば、織田が朝倉と越前を守ろう」
景紀等はぽかんとした後、目を見開き、血潮が沸騰したかのような真っ赤な顔で怒鳴った。
「ふざけるな!!」
「成り上がりの織田風情が、わきまえよ!」
希美はハラハラして両者を交互に見ている。
信長は相手を怒らせた事などたいして気にした様子もなく、話を続けた。
「ふざけてなどおらぬ。お主等の選べる道は二つしかない。織田に降るか、ここで一族郎党滅するか、二つに一つ」
「殿!約束が違い申す!」
前波景当が焦って口を挟んだ。しかし、その言葉は景富には聞き捨てならなかった。
「前波、お主、この男を『殿』と呼んだか……?」
景当は背に冷や汗が流れるのを感じた。
だが、遅かれ早かれわかる事である。
苦し気な表情で、「呼び申した」と返答した。
景当の手は膝の上で固く握られ、震えている。
今度は信長が口を挟んだ。
「はっ、前波だけではないぞ。国人共は常に時勢を読んで判断する。当主だけでなく、一門衆を始めとした重臣共が死に、跡継ぎは幼子。この事が世に知られれば、すぐに四方から狙われよう。そんな中で朝倉を頼れるか?頼れまい。だから、わしを頼った。まあ……」
信長は前波を見た。
「こやつらは、朝倉ごと越前を守りたいようだがな。わしは、朝倉が臣従するなら、朝倉を滅ぼす気はない。この地に入る織田の者と共に、これまで通り朝倉が治めればよい。織田の臣としてな」
「敦賀殿、鳥羽殿!お頼み申す!」
「織田は本領安堵を約束して下さる!越後の上杉とて、変わらず越後を治めておる!」
「織田に降って下され!」
寝返り隊が口々に説得する。
だが、景紀は恐ろしいほどに冷たい眼で、元朝倉勢を睨んだ。
「裏切り者め!恥を知れい!!」
景富も声を荒げた。
「朝倉は名門ぞ!!織田の下になぞ、つくわけには……」
「黙りゃ!二人とも!!」
これまで黙っていた高徳院が叫んだ。
景紀も景富もハッとして、上座の高徳院に振り向いた。
高徳院は景紀等に厳しい目を向けている。
「主らは出迎えの時の軍勢を見なかったのかえ?一万の軍勢じゃ。それがこの朝倉館を囲んでおる。この上総介殿は、いつでも我らを滅する事ができるのじゃぞ!」
「そ、それは……」
「名門朝倉の誇りと共に滅する。我らのような老い先短い者はそれでよい。じゃが、三つの阿君丸まで道連れにはさせとうない。息子を亡くし、さらに孫まで死なせるわけにはいかぬ!」
「ですが高徳院様、阿君丸様は三つといえども武家の男子。朝倉の宗家に御座る」
「朝倉の宗家なればこそ、その血を絶やしてはならぬ!」
議論はヒートアップしているようだ。
信長は朝倉一門に告げた。
「返事は明日の午字まで待つ。それまでに、一門でよく話し合われよ。……ああ、憤りや鬱憤を晴らすのに最適の者を置いていく故、いくらでも殴るなり蹴るなり致せ。何をやっても死なぬからの」
希美は、バッと信長に向いた。
「ちょっと待って、殿。誰を置いていくって?」
「その方じゃ、権六。励めよ!」
「サンドバッグ役を?おい、こら、殿よ。いくらなんでも、酷くない?『ペロペロ』の仕返し?ねえ、仕返しでしょ」
希美と信長が揉めていると、景紀がやおら立ち上がった。
「鬱憤を晴らす役のう……ならば、今鬱憤を晴らしてやろう。お前を殺してなあ!!」
言うや、抜刀し信長めがけて振り下ろした。
希美は反射的に信長の前に出て、その石頭で刃を受け止めた。
ガキィン……
折れた刃がくるくると回りながら、床に突き立った。
「な?死なぬであろ?ただ、気をつけねば、今のように武器が壊れるぞ」
信長は事も無げに言うと、立ち上がり部屋を出ていく。
「あ、ちょっと待ってよっ!まだ話は終わってないて御座る!」
希美は信長の後を追いかけて廊下に出た。
「織田上総介。なんと、豪胆な男か……あれが神を従える男……」
希美の背中は、景富の呟きを拾っていた。
廊下に出た希美は、少し行った所で自分を待つ信長に気付き、意外に思った。
いつもの信長なら、希美なぞ待たずに、先々行ってしまっているからだ。
希美は信長に小走りで駆け寄った。
「殿、某を置いていくというのは……」
「権六、お主、うまい事一門衆を言いくるめて、味方につけよ」
信長の言に希美は驚き尋ねた。
「朝倉を滅ぼさなくてもいいので?」
信長は渋面で希美を睨んだ。
「別にそうなればそうするが、朝倉を滅したとなると国人共の中に離反する者が出るやもしれぬ。それらといちいち戦をするのは、面倒だし金もかかる。今うちは、出費が嵩んでおるからな!」
「へえー、殿、何か無駄遣いしたんですか?」
信長は怒声を上げた。
「この大うつけがっ!!お前が去年からやれ大坂だ、やれ加賀だとえろ門徒の救済に走り、わしに兵糧を出させたばかりか、羅城門を壊した挙げ句わしにその費用を出すよう仕向けたせいじゃあ!!」
「申し訳ありませんっしたあ!!!」
希美は流れるように土下座した。
信長は希美の頭を踏んづけてぐりぐりしながら、嫌みを放つ。
「織田家が破産したら、その方のせいじゃからな!!」
「え?織田家、破産?マジで?そんな歴史改変、有りなの?」
「まだ破産などせんわ!!織田は裕福な方じゃ、うつけめ!じゃが、羅城門は痛い……。あの佐度守が、震えておったぞ!」
「おうふ、林パイセンはwestのカナ……」
希美は何かほざいた。
「まあ、その方の働きで領地が増え、織田の収入は増えておる故、そうそう破産はせぬわ。……朝倉に話を戻すが、朝倉義景は公方様の覚えもめでたかった。朝倉を滅ぼすと、公方様が面倒かもしれぬ」
「ほえー」
信長は間抜けな声で相づちを打つ希美を再度踏んづけた。
「じゃから、その方はどんな手を使ってもよいから、できるだけ朝倉を取り込め!特にあの敦賀と呼ばれておった、わしを斬ろうとした男。あれは一門衆の中でもかなり力のある重臣じゃ。あれの気持ちを変えよ!」
希美は頭に信長のあしを乗せたまま、ぐぐっと上を向いて信長を見上げた。
「ええ!?あのおじさん、めちゃ怒おこだったじゃないですか!」
「こういう時こそ、お得意の『えろ』の力でも使って、その気にさせよ!」
希美は、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「そ、某に、ハニートラップを仕掛けよ、と!?」
「ああ、その、『はにい』でも何でも仕掛けて、あの男を落とせ!」
「おい、マジか……」
(おじさんがおじさんにハニートラップ……。つまり、『おっさんずトラップ』!!)
希美は、信長を見た。
信長は希美をやる気にさせる呪文を唱えた。
「羅城門……」
「喜んでやらせていただきます!」
事態は思わぬ方向に転がろうとしている。
はたして希美は、無事、ハニートラップを成功させる事ができるのか。
続くっ!
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