第109話 尼(化け物)達の会合

その頃、堺にある居酒屋チェーン店『喜んで』では、えろ教坊主同盟、通称『墨染め会』のメンバー達が、定例会を始めようとしていた。


定例会は、いつも二階を貸し切って行われる。


しかし、墨染め会メンバーが続々と二階に上がって行くのを見た一階の客達は、一様に顔をひきつらせ、目を逸らした。


それは、何故か。




彼らはそれぞれの宗派において、それなりの地位にある者が多い。彼らがえろ教徒である事は、彼らの庇護する隠れえろ信者はともかく、他の原理主義者達に知られぬようにせねばならぬ。


そこで彼らが集まる時は、必ず自分と知られぬように変装するようになった。




その変装とは、即ち『尼』であった。






「いやあ、相変わらず、日豪と隋風は美しき尼姿よのう。それに引き換え、覚禅坊ときたら……」


墨染めの衣の上からでもわかるほど筋骨隆々たる青髭の尼がいきり立った。


「おだまりっ!お主とて、ごつい婆尼ではないか、快川!」


「ほっほっ、わしは先ほど道で何処かの爺に声をかけられたぞ?」


「か、快川殿に?!」


「沢彦殿、真で!?」


「おう、向こうは爺二人組で、わしも誘われた。『経をあげに家に来て下され』とな」


「わしらの様な旨そうに熟れた尼を家に誘うなど、下心があるに違いないのう、沢彦!」


「左様よの、快川!」


「「「「それは、経を頼まれただけじゃ!!」」」」




こやつら、完全に『尼』を楽しんでいる。


その証拠に、隋風は何やら懐から取り出して、皆に見せるように机にコトリと置いた。。


「なあ、皆の衆……。私達はそろそろ、さらに高みを目指すべきではないか……?」


「そ、それは……」


沢彦が息を呑んだ。


覚禅坊は思わず声を上げた。


「紅ではないか!」


「しかし、尼が化粧など戒律に違反するのではないか?」


日豪が心配そうに隋風を見た。


しかし、隋風は皆を見回すと言った。


「確かに尼に化粧は必要ない。しかし、うっすら紅をひいている尼が多いのも事実だ。お主達も想像した事はあるはずだ!紅をひいた自らの尼姿を!」


全員、食い入るように猪口紅を見ている。


どうも、皆想像した事があるらしい。ヤバイ。


日豪が呟いた。


「外でなく、ここだけなら……」


隋風が日豪の手をとった。


「お主なら、そう言うてくれると信じておったぞ」


「なに、我等は二人羽織した仲ではないか」


「おお、懐かしいな。あの時はお主の酒が目に沁みた……。ほんと、めちゃくちゃ痛かった……よし、今度は私が二人羽織でお主に紅をつけてやる!」


「え?」




かくして、阿鼻叫喚の二人羽織大会が始まった。そして気がつけば、化け物が量産されていたのである。






そんな中に飛び込んで来たのは、浄土真宗本願寺派、つまり一向宗に属する証意(尼)と下間頼宗(尼)であった。




「す、すまぬ、監視の目が厳しく、遅くなってしもう……うわああああ!!!」


「どうした、証意……ぬわああっ!!」






頼宗が気を利かせて人数分のおしぼりをもらい、なんとか顔中の紅を拭き取った坊主達は、頼宗に説教を食らっていた。


「お主等、何を考えておるんじゃ!年かさの快川や沢彦までいっしょになって……情けない!」


「「す、すまぬ……」」


快川と沢彦は肩を縮めた。


頼宗は、ふうーっと深く息を吐くと、鋭い眼で坊主達を見回した。


「お主等はまだまだ、『尼』としては修行不足のようじゃ。このわしが、『清らと煩悩の狭間に揺れる尼の美』について、教授致そう……!」




コトリ……


机の上に、頼宗の懐から取り出された紅が置かれた。








「こ、これが、わし……?!」


頼宗から借り受けた南蛮の手鏡を覗き込んだ覚禅坊が、紅をひいた自分の姿にうっとりと見入りながら呟いた。


「何故、その姿にうっとり出来るのじゃ……」


快川が呆れて覚禅坊を見やった。


だがその唇にも、薄く紅が咲いている。


「良いではないか、日豪!」


「お主こそ、隋風!」


「いや、尼姿をするようになってから、尼への見方が変わったわ。男に嫌らしい眼で見られたり、貶められたり、尼とは難儀であるのう。わしもどこか尼を女と侮っていたかもしれぬ。考えさせられるわ」


「わしもじゃ。尼とて我らと同じ御仏に仕える者。いわば同志じゃ。臨済宗の中でも尼に対する蔑視の意識を変えていくべきかもしれんのう」


互いの紅姿を讃え合う者有り、尼の境遇について語らう者有り、和気藹々としている。




そんな中、証意が思い出したかのように声を上げた。


「いや、紅なんぞはどうでもよい!実はお主等に相談があるのだ……」


「そうだったわ。わしとした事が、つい我を忘れてしもうた」


頼宗が頭を掻いた。


「一体、どうしたというのじゃ?」


皆が証意と頼宗を囲む。


頼宗は厳しい表情で腕を組み、証意が苦々しげに口を開いた。




「顕如様が、えろ大明神様を『第六天魔王』とし、えろ教を邪教認定された」




「「「「「な、なんじゃとお!!?」」」」」




「第六天魔王……。他化自在天か。人の欲や快楽を叶える神。欲をもって仏の道を妨げる神、か」


沢彦がポツリと口にした。


「「「「「ああー……確かに!」」」」」


(似てる似てる!)と皆が思わず納得してしまったが、隋風は首を傾げた。


「だが、仏の道を妨げているか?あの方は、確かに人の欲を否定しないが、私はそれで仏道を妨げられてはおるとは思わぬ」


「うむ。着衣人形による修行は、むしろ我等の欲を昇華し、深き精神世界へと誘う瞑想じゃ。その心は、臨済宗における『禅』であるの」


快川が同調する。


本来、女の裸を想像するゲスな修行であったはずが、えらく高尚なものに……


これが、河村久五郎と高僧快川の違いだ。


その高僧は、現在女装して口紅をつけているが、高僧は高僧なのだ!






頼宗が墨染め会のメンバーを一人一人見た。


「もしやすると、他の宗派でもえろ大明神様を『第六天魔王』としてえろ教徒の弾圧が始まるかもしれぬ。お主達、えろの信仰に変わりはないか?」


皆、力のこもった眼で頼宗を見た。


誰の心も揺らいでいない。


頼宗は頼もしげに頷いた。


隋風は、眉根を寄せて頼宗に聞いた。


「しかし、弾圧とは穏やかではありませんな。まさか、一向宗内で、すでにえろ教徒の弾圧が?」


それを聞くや、証意は机に拳を叩きつけた。


椀や湯呑みがガチャンと揺れた。


頼宗が証意の肩を宥めるように軽く叩き、日豪に向いた。


「二人、えろ教徒を隠しておらなんだ門徒が、えろの棄教を拒み、刑死した。本山では、『踏み人形』を計画しておる」


「踏み人形?」


「ああ、門徒に着衣人形を踏ませる。踏むのを拒めば、えろ教徒として棄教を迫る。それも拒めば、邪教の徒として……」


「なるほど。弾圧の始まり、一向宗はえろ教と敵対、か」


沢彦が細い目をさらに細めて、宙を睨んだ。


「だが、着衣人形は、所詮修行のための道具。踏むように、隠れえろに通達しておけば……」


日豪の提案に、証意が首を振った。


「確かに着衣人形は道具じゃ。ただ、その道具に皆、愛着する者を重ね、人形がその者に見えるように想像を鍛える。もし、その愛着する者を踏めと言われたら、どうじゃ?……わしは親鸞上人は、決して踏めん!お主とて、日蓮上人を踏めはしないだろう?」


「おい、お主……まさか、着衣人形で親鸞上人を……?」


「やめろよ!これから着衣人形を見る度に、日蓮様を見てしまうだろ!!」


一向宗僧侶の親鸞上人愛のガチっぷりに、頼宗以外の坊主達は戦慄の眼で証意を見、日豪は一瞬で刷り込まれたイメージを消そうと頭をかきむしりながら、証意に抗議した。






そんな状況の中、頼宗は冷静に話を戻した。


「ともかく、わしは隠れえろ等になんとか人形を踏むように説得してみる。無理な者は逃がさねばならぬ。隠れえろの数は多い。頭の痛い事よ……」


「ならば、私は日蓮宗の隠れえろに、一向宗の隠れえろ脱出を協力させましょう」


日豪が言った。


覚禅坊も同調した。


「わしも、槍の弟子の中におるえろ教徒に協力を頼もう」


「私は天台宗の貴族出身の方に、それとなくこの『えろ教法難』について、話をしておきましょう。うまくいけば、上から圧力をかけられるかもしれませぬ」


隋風も協力を申し出た。


快川が言った。


「なら、わし等は臨済宗の隠れえろや、えろ教徒に好意的な武家に協力を求めるかの、沢彦よ」


「ふむ、それと、越後のえろ大明神様の元に赴き、今回の顛末を報告せねばの。顕如が何か仕掛けてくるかもしれぬ」


沢彦の言葉に、覚禅坊と快川が越後への同行を志願した。








そして、本格的に冬将軍が襲来する前に、尼の格好をした三匹の化け物が、越後の春日山城に襲い掛かったのだった。

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