第91話 お砂糖をください

「そこで眠っておる『越後の龍』を、今すぐ殺せ」






信長の無慈悲な言葉に蒼白になった希美は、輝虎を庇うように褥の前で手を広げた。


「い、嫌どす!上杉さんは私の所で引き取りまする!」


信長は、はっと馬鹿にしたように笑った。


「引き取ってどうする?そやつは厄介者よ。正義面した奴は性根が悪い。視野が狭い故な。今殺さねば、そやつは必ずその方に仇を為すぞ」


希美は頭を振った。


「殺しませぬ」


「その龍を殺せ」


「この龍はうちで」


「武将だろ!殺してらっしゃい!」


「嫌だい!この龍はうちで飼うんだい!ちゃんと自分で調教するから!お願い!!」


「どうせお前の事だから、調教も家臣に丸投げするんだろうが!わしは調教せぬからな!」


「自分でできるもん!」






「おい……なんだか、上杉が可哀想になってきたぞ」


「いっそ死んだ方がマシなのではないか?」


信玄と氏康が、こそこそと話している。


右手左手戦争で反目し合ったのが、嘘のようだ。








希美は必死だった。


この時代に転生してから、それなりに合戦経験を積んできた。


戦いの中で人を殺すのも、なんとか折り合いをつけられるようになってきたのだ。


今さら、「人殺しはできません」などと言うつもりはない。


なのに何故、輝虎を殺すのを頑なに拒むのか。




「何故じゃ」


信長が問う。




「上杉さんを殺せば、今落ち着いている上杉方の者共が反発するは必定!孫子も、『敵を損なう事なく勝利せよ』と言うておられる!」




「ふん、元主を失うて逆らう上杉方を根切りにすれば、後々逆らう可能性の芽を摘む事ができよう。甘さを見せれば、つけあがらせるぞ」


信長が戦国武将として、真っ当な考えを述べる。




「逆らう可能性なら、殺した方が上がりまする!『死ねば英雄』で御座る。死した上杉は、遺臣や民に過去の栄光をより強く思わせ、必ず反乱を生み出しましょう!」






「わしもそこの龍を殺すべきだと思う」


信長の声ではない。


希美は、声の方向に顔を向けた。




信玄だった。


「お主、前から甘い甘いと思うておったが、度が過ぎる。まるで乱世ではない、違う世界の考え方じゃ」




希美は、どきりとした。


まさか、中の人が違うと怪しまれているのか。


背中を冷や汗が伝う。


信玄は鋭い眼で、見透かすように希美を見た。




「お主、仏の世界で何を見た」








(……仏設定が効いてたーーー!!)




希美はリアルにカクッとなった。


(あっぶ!あっぶねえ!完全に転生告白の流れかと思ったわ。よっしゃ、よっしゃ!まだ慌てる時間じゃねえ!仏設定利用すれば、現代の事をちょこっとポロリしてもいけんじゃん?)




こうして希美は、現代日本についてポロリし始めたのである。






「合戦の無い世界で御座った」




「合戦の無い世界か……夢のような世界よの」


氏康が呟いた。


希美は皆に問いかけた。


「合戦が無い事が、人に何をもたらすかおわかりか?」


「ふうむ、人が増えるの。誰も邪魔せぬから、国力も上がろう」


氏康が答えた。


信玄は眉根を寄せた。


「人が増えれば貧しい土地では食糧が賄えぬ。ならば、人は豊かな土地へと流れような」


信長は目を閉じて想像しているようだ。


「合戦無しで国を大きくするには、やはり外交か。うまく他国の物の流れと金を支配し、属国にすれば……」


経済的支配を狙ってるんですね。流石、魔王様です。






希美は自分なりの見解を伝えた。


「豊かにもなりますがね、命の価値が高まるので御座るよ。あちらで最大の悪は、『人を殺す』事。どんな理由であろうと、例え相手に非があっても、人を傷つける事は悪とみなされる」


信玄が呆れた声を出した。


「はあ?わしら武士は生きていけぬではないか」


(いねーよ、武士なんて)


「武士(警察や自衛隊)は守るために鍛える事はあれど、それを人に行使すれば民から非難を浴びる。それほど、人を傷つける事が許されぬ世界。『人を傷つける事は許されぬ』。そんな考えが許される世界で御座る」


なんせ、身を守るために発砲すれば、始末書を書かされるのだ。現代にいた頃は狂っていると思ったが、平和だからこそである。






希美は言った。


「私とて、武将。必要ならば命奪う事をためらわん。だが生かせるならば、極力生かしたいので御座る」


「じゃがここは乱世ぞ。仏の世界とは違う。そのような甘い考えは通用せぬ」


氏康が希美を見る。乱世の現実を散々見てきた厳しい眼差しだ。


希美は、その眼差しに諦めを感じた。




と同時に、怒りがこみ上げた。


「命を大事にするのが甘い?甘くて何が悪いんだ」


「権六っ」


「殿は黙ってて!」


嗜めようとする信長に、希美は怒鳴った。


「家族や仲間を疑い、命の危険を常に感じなきゃならん。そんな甘さの許されない世界、私は当たり前とは思いたくない!」


信玄は諭すように言った。


「だが、現実に許されぬのだ、のぞみ。殺らねば殺られる。誰もがその現実の中で生きておる」




「じゃあ、何故皆、えろ教にこぞって入るんだ!なんでお前等は、そんな羨ましそうな苦しそうな顔で私を見るんだよ!!」






信玄達は、ハッとした顔をした。


希美は続けた。


「えろ教の信徒等の生き方は、私が持ち込んだ仏の世界の考え方を基にしておる。それすなわち、共存共栄だ。違う者同士がお互いを尊重し合い、助け合って生きる。だから、宗教も国も性別も越えてまとまっているんだ」


希美は、使徒の格好を思った。


「私はな、しつこい勧誘は大嫌いだ。だから信徒等にはえろ教の紹介はしても無理に勧誘するなと言ってある。しかもあんな変な格好で、人形相手に裸を想像するような怪しい宗教団体だぞ」


信玄以外の二人が思い出したのか、げんなりした顔をした。


まともな感覚を持っているようだ。


えろ教蔓延で、少数派となりつつあるのが残念だ。


絶滅危惧種だ。大事にしたい。






「それなのに、気がつけば各地でえろ教徒が増えておる」


考察する氏康に、希美は頷いた。


「そうだ。男も女も、老いも若きも、身分に関係なく、だ。なあ、そいつらが皆、裸を見たがっていると思うか?」


「いや。望むは、えろ教の生き方、か」


信長が言った。




希美は苛立ちをぶつけるように声を出した。


「そういう事だろ。あんた達は私を甘いと責めるが、本当は皆、現状にうんざりなんだよ。砂糖が手に入らないからって、甘さを否定してるだけだ。あんた達だって、本当は劇甘党の癖に、珈琲はブラック以外認めない(キリッ)とか、いきってんじゃねえ!」




多分、BL本の中だけじゃない。リアル『越後の謙信』だって、絶対激甘党の筈だ。


戦国大名達の瞳が揺れている。










「お主は、この世に仏の世界を作る気なのか?」






突如、背後から声がした。


希美は反射的に振り返った。




「上杉……」


「上杉弾正……」


「ちっ、目を覚ましおったかよ、上杉ぃ」




「上杉さん!」




越後の龍が褥の上に座し、こちらを見ていたのである。






「上杉さん、体の具合はどうだ?」


「いらん世話だ。それより、お主が柴田だな。仏の世界を見た男よ、この世に浄土を作るのか?」


希美の心配を切り捨て、輝虎は希美に問うた。


希美は答えた。


「浄土じゃないし、すぐに何もかもを変えられるわけじゃないけど、……甘さが許される世の中に変えていきたいとは思ってる」




「それなら、お主は天下を狙わねばの。となると、主が邪魔ぞ?どうするのだ。下克上か?」


思ってもみない事を言われ、希美は驚いた。


「はあ?!そんな事するわけ」


だが、信長は目を細めて希美を見た。


「成る程、わしは邪魔よのう。わしの首を狙うか、権六ぅ?必要ならば、殺す事をためらわぬのであろう?」


(な、なんだ、こいつ。毎回毎回、人を疑って!私、前に体はってあんたを助けたのに!)




希美は悔しかった。


裏切りが当たり前の乱世だという事はわかっている。だから、信長が疑り深いのも理解している。


だが、希美なりに信長と信頼関係を築いてきたのだ。


それなのに、まだ疑うか。




「なんだ、のぞみ。下克上なら、手を貸すぞ」


「ふん、生き残った方が天下を目指す権利を得る。織田殿がちと不利じゃの」




(どいつもこいつも、好き勝手言いやがって!)


「もういい!私はあんた等を信じて、いっしょに世界を変えていける仲間になれると思ってたけど、そんなに裏切りが好きならもう知らん!!」


希美は、キレた。




「出奔してやるぅ!!」






「「「え?」」」




「行くぞ!上杉さんっ」


「……は?お、おい!離せ!!」


希美は輝虎をひょいと抱えると、荒々しく足音を立てながら、茫然とする信長等を尻目に入り口の戸をカラリと開けた。


そして振り返ると、捨て台詞を投げつけた。




「殿の、大うつけのドS野郎!子どもに父の乳を吸わせるド変態!」


「な、なんじゃとお!?」


「「おい、乳を……?」」


信長は、二人の大名仲間から無事変態認定を受けた。




「信玄は、ハーレムド変態坊主!露出狂!稚子好きの犯罪者!」


「ふん、だからなんだというんだ」


信玄は筋の通った変態だ。恥とも思ってないようだ。




「あと、北条殿は……あ、浅井下野守と『右手が側室』仲間!!下野守と同類だ!」


「ぐはあっ!あんな奴と同類!」


「気を確かに!右軍派は、皆下野守と同類ですぞ!お一人に非ず!!」


「のぞみ、なんて酷い事を!」


意外に一番ダメージが大きいようだ。浅井久政。恐ろしい男である。






そうして、希美は輝虎を拉致したまま、姿を眩ませたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る