第78話 尻から出た協定
お食事中の方は、お気をつけ下され……
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チュンチュン……チュン……
「いやあ、良い天気だ!」
真っ青な空に、ほんの少しだけ薄く白い雲がかかっている。
朝食を終えて厠に行こうとした希美は、そちらの方向で何やら不穏な声を聞いた。
ドンドンドンッ
「おのれえ!信玄坊主め!!早く!早く出ろお!」
「嫌だの。わしは毎朝、厠にて兵法書を読むのが日課なのじゃ。そもそもわしの方が先に入っておったのだ。お主は、向こうの厠に行くか、樋箱おまるを使えば良いではないか」
「嫌じゃ!わしは厠派なのじゃ!だいいち、急を要する!向こうの厠なぞ、間に合わん!は、はよう……!」
「あいつら、朝から何やっってんだ……」
武田信玄と徳川家康が合戦中である。
家康は、随分追い込まれているようだ。
(おい、森部で合戦すんなよ……)
呆れて様子を見ていた希美だが、ある変化に気づいた。
おや?家康のようすが……!
「あああっ!もうダメじゃ!わしは、わしはぁっ!!」
ぷぴ
(自主規制)
「うわああっ!三方原!!」
希美よ、ここは森部だ。
「うっ、ぐすっ、も、申し訳ありませぬ、えろ母様……」
えぐえぐと泣く家康を見て、希美は深いため息を吐いた。
「泣くな、会露太郎。出てしもうたものは、仕方ない。そこで厠に籠っている糞坊主にも責はあるしな」
信玄が厠から声を出す。
「のぞみも、共に籠ろうぞ」
「一人で籠ってろ!そんで謎の声に何色の紙がいいか聞かれて、『黄色』って答えた挙げ句、狂気の国に連れてかれちまえ!(諸説有り)」
「よくわからぬが、その狂気の国とやらを蹂躙して甲斐の領土にすればよいのじゃな?」
「やだ、この戦国武将脳……」
「殿様、お待たせしました。これでよろしいですかの?」
そこへ草履取りの茂吉が、先程頼んだ、水の入った桶と空桶、大量の古手拭いを持って現れた。
「ああ、すまぬな。湯殿の準備は?」
「今、湯を沸かしておりますぜ」
「うむ、助かった。ありがとう」
「お安い御用でさ」
希美は空桶と水の入った桶を置くと、手拭いを水の中に投入し、絞った。
「おい、会露太郎。脱げ。汚れた着物類は、空桶に入れるんだ」
家康が脱いでいる間に、希美は汚れた床を拭き取り、これでもかとこすってきれいにした。
(うう……我が子ならともかくさあ……)
家康の小姓も、主の汚れた下半身を濡れ手拭いで拭き取り、きれいにしていく。
「つ、冷たいのう」
弱音を吐く家康に、希美はぴしゃりと叱った。
「我慢する!男の子でしょ!」
家康は、ニヤニヤした。
(なんで、嬉しそうなんだよ……)
そうこうしている内に湯殿の準備が出来たようだ。
「風邪を引くから、さっさと湯に浸かるぞ」
希美は汚れ物の始末を茂吉等に任せ、家康を湯殿へと連れて行った。
カコン
湯桶と浴槽のぶつかる音がする。
希美は湯に浸かっていた。
目の前には、家康(全裸)が湯桶を使い、体に湯をかけている。
(いや、男だから。私、男だから、別におかしくは無いんだけどさ)
家康を湯殿まで連れてきた所、『汚物処理をした希美もいっしょに入るべき』と家康に諭されたのだが、やはり違和感は拭えない。
(まあ四十も過ぎて、男の裸なんぞそれなりに見てきたから、今さら「キャー」も糞も無いんだが)
ささっと体を流して湯に入って来ようとする家康に、希美は声をかけた。
「おい、石鹸で丁寧に尻を洗ってから、こっちに来いよ」
「は、はい……!」
(ああっ!声かけが意味深に!!武士に男色が蔓延してるもんだから、男風呂さえ混浴気分!)
希美は、天を仰いだ。
尻を洗い終えた家康がいそいそと湯船に入って来る。
家康は肩まで浸かり、深く息を吐くと言った。
「某、幼き頃は母と風呂に入るのが夢でした」
希美は相づちをついた。
「そうか……だが私は、母ではないし、女ですらないんだがな」
「いつもの風呂も良いですが、母と入る湯とはかくも幸せなものであるとは……」
「ねえ、聞いて。私は、男だぞ?本物のお母さん引き取って、いっしょに入りなよ」
マザコンを拗らせ過ぎた家康と不毛な会話をしていると、湯殿の入り口がガタリと開いた。
誰か、と希美と家康が身構える。
湯気の向こうには、武田信玄(全裸)が立っていた。
(そういえば、『風呂場にいる男の裸の、湯気で隠れた部分を、ゲーム機に息を吹きかけて消す』という謎のゲームを昔やったな……)
希美のどうでもよい記憶が甦った。
あの時は、如何に男に気付かれずこっそり吹き消すかに苦心したが、現実は裸の方から希美に近づいて来る。
希美は眉をしかめた。
「なんで、お前まで入るんだ」
「悋気よ。お主等が仲良い故、邪魔しに来た」
ニヤリと笑って信玄が答えた。
家康が吠えた。
「おのれ、武田め!わしはお主を絶対に、『義父』とは呼ばんぞ!」
(何言ってんだ、こいつ?)
信玄は豪快に笑った。
「わははは、お主の『えろ母』は、わしの妻よ!」
希美はその瞬間、全てを悟った。
「お、お前かあっ!皆に妙な噂を吹き込んでいる奴は!?」
信玄は、股間に天誅を食らって悶絶した。
「お主等、森部城は私の城ではないのだぞ!仲良くできぬなら、さっさと国に戻れ!」
希美の言葉に、全裸の戦国大名二人は渋々その場で協定を結んだ。
松武森部協定(通称『まつたけ協定』)である。
期間は二人が森部にいる間のみ。
お互い仲良くやれるように心掛ける。
その程度の協定だ。
しかし、共に城下町に出かける姿が見られるなど、意外に二人は仲良く過ごした。
その証拠に、森部城城主河村久五郎の経営する睡蓮屋の店内には、『睡蓮屋さん江』の文字と共に、家康、信玄、それぞれの花押が書かれた小さな掛け軸が、並んで飾ってある。
現代にて、二人の押しコースは、『目隠しコース』であったと伝わっているが、この『まつたけ協定』に関わる逸話は、ずっと信憑性が薄いとされてきた。
しかし、睡蓮屋に宛てた二人のミニ掛け軸がみつかった事から、『まつたけ協定』は本当にあったというのが定説となりつつあるようだ。
とはいえ、この協定が風呂場で結ばれた事、遡れば、家康の脱糞事件が元になっている事を知る者は、現代では誰もいない。
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