第75話 家康、不満を漏らす
汚物を汚物で消毒しようとヒャッハーする長秀から、光の速さで逃れた日より、二週間が過ぎた。
心配していた使徒達の安否はよくわからないが、何の知らせも無いあたり、今の所問題は起こっていないと信じるしかない。
新年の挨拶で、次兵衛に信玄との仲を涙ながらに問い詰められた以外、希美は至って穏やかな日々を過ごしていた。
最低限の仕事をこなし、後は部下に丸投げし、えろ教女子部のための試作品を作る。そんな毎日である。
そして迎えた一月十五日。
清洲同盟ならぬ、岐阜同盟が締結される日だ。
そう。あの、徳川家康が美濃にインするのだ。
希美は、家康のたっての希望で、同盟締結の宴席に臨む事となっていた。
それでまた、えっちらおっちら金華山を登り、岐阜城にやって来たのである。
(やっべー!徳川家康!私の初恋の人、暴れん坊ジェネラルのご先祖様!狸親父なイメージしかないけど、まだ二十歳なんだよねえ。大学生くらいかあ。いいなあ、若いって。楽しかったなあ)
希美は、二十歳の頃の自分を思い出した。
飲み会、合コン、ナンパ、朝まで踊ったクラブ。遊んだ記憶ばかりである。
絶対、徳川家康には無い日々だ。
むしろ、家康は常に生き残るために命懸けのストレスフルな毎日を送っている。
「二十歳ですか、毎日楽しいでしょう」なんて言ったら、張り倒されるだろう。
無事同盟が成り、城の一室に張られた宴の席に、信長と家康が座った。
「「「「「おめでとう御座る!!」」」」」
織田、松平(徳川)の両家臣達が下座で平伏し、祝いを述べる中、希美は平伏したまま冷や汗をかいていた。
(なんで?なんで?私、上座にいるの?なんで、家康君の隣が私の席なの?!)
希美は、完全に大それていた。
遠くで、膳がカタカタ細かく揺れている音がする。
(お前だろ、滝川一益!笑いをこらえられんなら、せめて膳から離れろ!)
大当たりだった。
そこからは予想通りの流れである。
「面を上げよ」からの「俺たちの同盟はこれからだ!」を経由して、「あら松平君達、うちでご飯食べてって!こんなものしかないけど」ときて、「「「「「いっただっきまーす!!」」」」」だ。
織田では、希美の居酒屋『喜んで』を通じた啓蒙活動のおかげで、ある程度現代に近い洗練された料理が並ぶようになっている。
松平組は、目を白黒させながら、今まで経験した事の無い味わいに舌鼓を打っていた。
中でも家康はというと、一々料理に感激したり、希美を見てはニヤニヤしたりと忙しい。
(家康君、なんだろう。眼力が凄いイケメン?この頃はまだシュッとした体型で、目鼻立ちがはっきりしてるのに、眼力と武将髭が邪魔をして、非常に惜しいイケメンだわ)
その上、どこか挙動不審な動きが気になる。
そんな家康に向かって、信長が盃を差し出した。
家康はガタガタと銚子を取り、盃に酒を注ぐ。
慌てて注いだせいか、少し酒がこぼれ、信長の袖にかかった。
「うわっ、吉兄、ももも申し訳御座らぬ!」
アワアワする家康を見て、信長は呆れたように言った。
「お主、昔と変わらぬのう」
「ご、御免なさ……」
「別段、怒っておらぬわ。ところで、お主がどうしてもと申すから、権六の膳をお主の隣にしたのに、全く話しかけぬではないか!見ていてイライラするわ!」
(やっぱこの大それた席の配置、お前か!信長め!)
心中で非難する希美の隣で、家康はもじもじして言った。
「だって、神様に話しかけるなんて、恐れ多い……」
希美と信長は、信じられないものを見るように家康を見た。
「こやつは、権六じゃぞ?神以前に、どうしようもないうつけじゃぞ?」
「うつけは殿もでしょ!徳川殿?某、神は神でも、会いに行ける神ですから。恐くないですよー」
(むしろ、こっちの方が恐れ多いわ。あんた、東照大権現として、めっちゃ祀られてますよ!)
家康は、目をギョロギョロさせながら、信長と希美を見ている。
(これ、多分キョロキョロしてるんだよね?眼力ありすぎて強キャラにしか見えないが、話すとめっちゃ陰キャっぽいな)
ちらと松平家臣団を見ると、(殿、ガンバ!)みたいな目で、固唾を飲んで見守っている。
どうやら、主従の仲は良いらしい。
このまま黙っていても埒が明かぬ。
希美はこちらから話しかける事にした。
「松平様、お初にお目にかかりまする。柴田権六勝家で御座る。この度は、松平様と語らえるとまこと楽しみにしており申した」
はっはっは、と笑って見せる。
ちょっと馴れ馴れしいが、引っ込み思案な男子には軽く強気で行ってみると、案外スムーズに話が進むものだ。
はたして、家康もつられて話し始めた。
「あ、あの、某は、松平蔵人左元康と申しまする。ごご御尊顔を拝し、き恐悦至極に存じ奉りまする!」
(なんで、あんたの方がガッチガチの敬語なんだよ……)
「も、もう!松平様ったら、かたーい!筋肉ほぐそっか?肩揉んであげよう!」
もみもみ……
「あ、あふう……」
「お主等、何なんじゃ……」
呆気にとられた信長の言葉に、希美はハッと我に返った。
(危ねえ……いつの間にか、合コンモードに!)
だが、家康は嬉しそうだ。
「えろ大明神様に肩を揉んでもらってしまった!……もう二度と洗わない」
いや、洗え。
希美は気を取り直して、家康に話しかけた。
「ところで、某に会いたいとの事。何か話したい事でも御座りましょうや?」
家康は少し躊躇って、その強すぎる眼光を希美に向けた。
「実は、えろ大明神様に折り入ってお願いしたい事が……」
(何だろう、前にも似たような事を言われたような……嫌な予感がするな)
「某、この同盟で、今川と手を切る事となるのですが、これを期に元康の『元』を今川に返そうと思うのです」
(そういえば、ここで家康を名乗り始めるんだったっけ?)
「織田では、昨今、『会露』への改名が流行っておるとか。某もあやかり、『会露康』に……」
「NOOOOOOおぉ!!!」
希美は思わず立ち上がった。
それもそうだろう。
『徳川会露康とくがわえろやす』は、いけない。
そう、天下人に『会露えろ康』は、まずい。
『会露柴えろしば秀吉』なら、後に豊臣秀吉に修正されるからまだ良い。
ただし、『豊会露とよえろ秀吉』にするなどと言い出したら、絶対に止めるべきだろうが。
(そういえば、鐘に『国家安康』と彫った豊臣に、徳川家康が「『家康』が『安』の字を挟むから割れてんじゃん!」といちゃもんつけて戦争起こした事件あったな。もし『会露康』になったら、『国会露こくえろ安康』か?)
「えろで国を康んじるとか、豊臣は、何考えてんだ?!」
「と、とよとみ??」
思考が逸れて、思わず希美はいらぬ事を口走ったようだ。
家康が何か思い付いた。
「豊富……豊臣……、徳川蔵人左豊臣。それも良いな」
「それは、絶対に止めよう!!」
もう、関ヶ原の戦いとか、わけわからなくなるだろう。
「では、某はどうすれば?!どうか、某にも『会露』の名を下さいませ!」
必死にすがる家康に、希美は困り果てた。
(これ以上、教科書を混乱させられない。安土桃山の有名人が会露ばかりだと、生徒も混乱するだろ。……ならばやはり、御仏にすがるしかあるまい!)
「松平様、御仏の託宣で御座る。『家康』にせよ、と」
「御仏?!ははあーー!!」
「『家康』にすれば、御家は十五代先まで繁栄が約束される、との事で御座る」
(十五代目で、権力なくなるけどな)
「『家康』に致しまする!」
(よっしゃあ!『会露康』は回避できたぞお!!)
信長が胡散臭そうに見ている。
しかし、家康は諦めなかった。
「ならばせめて、某の次郎三郎の名を会露に!」
松平の家臣団が一斉に酒を吹き出した。
家臣の一人が慌てて言上する。
「殿!?『次郎三郎』は代々松平の当主が名乗る由緒正しき名に御座いまするぞ!」
しかし家康は反論した。
「だから何だ!わしは既に当主ではないか!今さら名を変えた所で問題ないであろ?」
「それはそうで御座いまするが……」
「わしは、ずっと思っておったのじゃ。わしは、次郎なのか?それとも三郎なのか?とな!何なんじゃ、何故次郎と三郎を合体させたのじゃ?!」
(((((それは、確かに……)))))
「わしの代より、当主が名を変える!神からいただく名じゃ、文句はあるまい!」
松平家臣団は、何も言えない様子だ。
「えろ大明神様!お願い申し上げる!!」
家康の眼力に、希美は思わず「はい!喜んで!」と頷いてしまった。
(にしても、『会露次郎三郎』は長すぎるしな。こいつ、長男だろ?太郎でよくね?)
「じゃ、じゃあ『会露太郎』で……」
「『会露太郎』?!」
家康がずいっと顔を近づけた。
「ひえっ!お気に召しませんで??」
「善き名に御座る!流石はえろ大明神様じゃあ!」
「ソレハヨカッタデスネー」
家康の当初の陰キャっぷりはどこへ行ったのか。
希美が信長を見ると、信長は希美を見て首を振った。
「こやつ、興奮すると三河武士になるのよ」
「三河武士?」
希美は聞いた。
「とにかく、暑苦しくて絶対に退かぬ」
「つまり……」
「名に会露をつけると決めた時から、こやつは絶対に退く気がない。しかもしつこい。何年かかっても、必ず思い通りにしたであろうの」
「め、面倒くせえー!!」
とうとう家康まで『えろ』に毒されてしまった。
使徒も各地に散った。
『えろ』の感染は、拡大中である。
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