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蘭晶が窓に凭れて外を眺めている。あの時からまだ彼が戻った様子はなかった。

「ねぇもし、あたしが自分のことを僕って呼んだらどうする?」

その声は初めに戻ったみたいだった。からかっているのかと思ったが、表情は暗かった。瞬きもせずに外を見ている。

「……少し驚くかもしれないが、蘭晶自身は変わらないだろう。どちらでも一緒だ」

「そうね、そう……変わらないのよ。今あたしが僕とか俺って言ったって、ここで死んだって世界は何も変わらない」

「蘭晶……?」

どこか焦っているように、まくし立てた。

「僕のままでも良かった。あたしはなんでも良かったのに……でも彼女はそうじゃなかった」

自嘲するような笑みでこちらに振り向く。怒っているのか、泣いているのか、笑っているのか分からない。

「僕をあたしにしたのはママよ。ミュージカルやお洒落や化粧が好きなのはママなの。僕は……ママが、喜ぶと安心した。……女の子だったらまだマシだったのに、男の子なんていらない。こんなことになるなら結婚なんてしなきゃよかった」

実際に言われた言葉なのだろう。目を背けて、ガラスに触れた。

「……ママは僕が興味を示すと、初めは可笑しいと言っていたけど、段々優しくするようになってくれた。僕は必死だった。彼女に好かれなくちゃ生きていけない。別にあたしは……綺麗じゃなくて良かった。キラキラのドレスもくるくるの髪も、褒める側で良かったんだ。でも可愛くない服は捨てられちゃってて。勉強やスポーツよりもお花や刺繍、お菓子作り、そんな毎日に変わっていった。先生……あたし、偽れるの。染められるの、理想に。ねぇ貴方の……理想はどんな人?」

気づいていないのか、次々に涙が溢れている。崩れるように地面に倒れた体を起こして、抱きかかえる。次の瞬間、私の腕に彼の指が食い込んだ。歯を食いしばって、そのまま舌を噛み切ってしまってもおかしくない形相だ。

「お願い……っ教えて、絶対貴方の理想になるから! どんなことでも頑張れる。だから……捨てないで。あたしを見ていて! 離さないで……誰にも渡したくないっ」

「蘭晶……落ち着いて」

「愛せないなら、死ぬから言って。こんな苦しみを持ったまま生きるよりマシだわ!」

何度も呼びかけている中で、コツリと足音が混ざった。振り返ると、いつのまにか紅玉が立っている。

「みっともないよ。そんな風に縋るの」

蘭晶の目は虚ろだったが、急に鋭くなった。彼を睨みながら、私の首に腕を巻きつける。

「あーあ、全く……僕たちの趣味はよく似てるんだから」

壁に寄りかかったまま、こんなことあったの覚えてる? と優雅に微笑んだ。

「図書室の彼は、純粋な子だったね」

その言葉に蘭晶の腕の力が弱まった。この話は私も蘭晶から聞いた事がある。

「そして可愛い子だった。真面目で気は弱かったけど、良い子だ。君は隠していたつもりかもしれないけど、彼のことだけじゃなく、学校で何か起これば教えてくれる生徒が沢山いたんだ。僕が教えてなんて言わなくても勝手に、ね。あの子は君と友達になりたがっていた。君が彼に抱いていた感情なんて、彼の概念になかったんだよ。それなのに君が嘘をついてまで彼の隣にいたから……あの子はショックを受けてしまった。友達なら本当の自分を偽ったりしないだろうって。僕は彼を慰めた、それから可愛がった。君の本当を教えてあげた。蘭晶は君を友達としてなんて見ていないって。まぁどちらにしろ彼が僕達といることなんてできないんだから、とっとと終わってくれて良かったよ。それでもあの子はきっと、どこかで信じていたよ君の事を。あの時追いかけるべきだったんだ。僕に縋り付いて自分が可哀想だと泣くのを選んだ君が、被害者みたいな顔しないでほしいな」

薄らと笑ってから、こっちに近づいた。私の指を掴んで、そこに唇で触れる。蘭晶は私から離れて、紅玉に掴みかかった。

「どういう……こと! 全部知ってて……紅玉が! お前が……っ」

「ちょっと引っ張らないで。もう終わったことなんだよ。そんな昔のことでいちいち腹を立てないで。僕はこれからのことを」

「うるさい! 黙れっ……全部、全部手に入れてるのに……何が不満なんだよ! 今まで人のこと散々下に見てきて……気づかないとでも思ってたのか? そんな訳無いだろ……いつだって怖かった。紅玉と柘榴が現れるのが……だから、お願い……先生は! この人は僕がっ」

私に抱きつこうとした蘭晶の体が、床に倒れた。

「だから泣き止めって言ってんだよ。それ以上不細工にするな、見てられない」

「柘榴……」

これが蘭晶しか知らなかった柘榴の姿なのだろう。蘭晶の背中を踏んでいる柘榴の声はいつもより低い。蘭晶はそれでも私の方を向き、柘榴の足に手を伸ばした。柘榴はそのまま蘭晶の腕を掴み上げる。無理な姿勢になってるせいか、蘭晶の悲鳴が響いた。しかし原因はそれだけではなく、腕から流れ始めた血だ。柘榴と目が合う。その手にはナイフを握っていた。私が近づこうとすると、刃先がこちらに向く。

「ダメだよ、先生」

「痛い……痛い、助けて……っ」

柘榴が足元を睨むと、蘭晶は自分の頭を抱えて顔を隠した。明らかに怯えている。

「柘榴……」

「紅玉も、離れて」

両手を上げて、壁際まで後ずさった。それを見届けてから、こちらを向く。その顔はいつもの柘榴で、私は益々分からなくなった。ただ、今の彼をあまり刺激しない方がいいだろう。

「前から聞きたかったんだけど……君は本当に躊躇いがないよね。もしかして玻璃達も君が、関係してる?」

ふふふと柘榴から笑いが零れる。今更だねと紅玉を見る瞳は、どこか蔑んでいた。

「んーと、どこから話そうかな。玻璃達のことだけでいい? 私だって殺そうなんて思ってなかったよ。楽にしてあげたかったの。最初の子はね、一人でクラスに馴染めないって悩んでた。その子は、自分が全て悪いって言っていた。他の子は凄い子だから、自分が何もできないのが悪い、だから仕方ない。自分がいなかったら完璧になるから、早くそうしてあげたい。私が消えたいのかって確認したら、嬉しそうに笑った。あの子は最後、笑って薬を飲んだ」

上手く言葉を理解できない。それでも、無理矢理でも聞かなくてはいけないと、体を奮い立たせる。

「次の子は世界を恨んでいた。自分が上手くできないのは環境のせい、自分は悪くない。そもそも生まれてきたくなんてなかった。勝手に産み落とされて、頑張って生きろなんて冗談じゃない。死んだら楽になるんだろう。彼も最後は笑っていた。こんな世界を捨てられて幸せだって。……玻璃はね、ずっと瑠璃の存在がコンプレックスだった。瑠璃がいなかったら僕が皆の輪の中にいたのか。でも瑠璃がいなくなったところで、僕が瑠璃のようになれる訳じゃない。どうすれば皆と上手く話せるのか、どうしたら愛されるのか。誰かの一番になりたかった。僕が何をしても、許して見捨てないでくれる人が欲しかった。それを黒曜に望んだけど、二人は上手くいかなかった。生きている意味はあるのか聞いたら、玻璃はないと答えた。黒曜にあんなことをして今までワガママに生きてきた自分は、もう何をする価値もないと。自分は変えられない。最低で最悪なまま。そんな自分を愛してくれる人を、見つからないのにただ待って苦しむよりは、もう終わりにしてしまいたい。玻璃は最後に、ありがとうと言った」

数秒音が止まっていた。それぞれに噛み締めていたのだろう。どう処理していいのか分からない大きな問題を。

「私のこと、許せないでしょ。皆を殺したの。三人以外もね。先生が私のことを嫌ってくれるなら良かったんだけど……貴方はほら、考えてしまう。どうにか理解したことにして、また私に救いを与えようとしている。だから過去は言いたくなかった。だってそんなの……」

何かを言おうとして、口を噤んだ。ナイフを持っていない方の手で、私の頭をそっと撫でる。

「少しだけ待っててあげる。私の部屋に来て」

柘榴が部屋を出て緊張が緩んだのか、膝の力が抜けた。床に手をつき、蘭晶の方を確認する。

「僕も少し時間が欲しい」

紅玉も去ってしまった。私は慌てて包帯を持ってくる。傷を見るとそこまで深くはなさそうだが、血はまだ止まっていなかった。止血をし、包帯を巻きつける。作業の途中で呼ばれたので彼の方を見ると、痛いはずなのにそれを我慢して笑っていた。

「蘭晶……」

「ふふ……ごめんね。でも嬉しいんだ先生がこんなに、こっちを見てくれて。あれ、なんか自分で喋っててしっくりこないなぁ。いつの間にか好きになってたのかなぁ……あの自分を。はは、もうちょっと待って。自分が楽なのを、探すから」

髪に触れると、気持ち良さそうに目を閉じた。ベッドへ運んで手を握る。もう片方の腕が伸びてきて、目の下に触れた。零れた涙を拭う。

「先生……今、自分の中で色々ぐるぐる回ってるの。どの感情にしたらいいのか、よく分からない。でも一つだけ、ちゃんと信じられるものがある。初めて会った時から、感じてた。この人のこと好きだなあって。見た目だけじゃないよ……先生が話してくれる前からなんとなく思ってた。この人は辛い思いをしてきたけど、そのお陰で人に優しくできるんだって。先生のことが好きだよ。私だけを選んでとか、そんなことはもう言わない。一緒に居られればそれでいい。沢山望みすぎちゃったね」

前髪を上げて、額に唇で触れた。そっと離すと、安心したように目を閉じる。また溢れそうになる涙を拭って、立ち上がった。少し震えていたけど、歩けないほどではない。足を叩いて、前へ進んだ。

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