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仕方なく向かった先で、裏門は簡単に開いた。そのまま教室へと向かう。暗くなった校内は不気味で、今日は月が赤色に近かった。
横の春昭はまだ何も言わない。階段を上がると小さく音がした。やはり自分のクラスに雪乃ちゃんはいるようだ。近づいていくと、ぴちゃぴちゃと何かを舐めるような音が鳴っている。なんだろうと思いながら進んでいくと、ドクドクと心臓が早くなっていった。なんだかとても嫌な予感がする。
半開きになった扉を開くと、目に飛び込んできたのは乱れている二人だった。
机の上でワイシャツを半分脱ぎ、スカートも捲れているのに、それを気にしないでお互いに触れている。首筋を舐める呼吸音と、熱くなっている温度がこっちまで伝わってきた。
目に入る状況が頭で理解できない。何がどうなっているのか、これが本当にあの彼女なのか。
こちらを振り返った顔はニッコリと口角を上げながらも、憎悪が隠しきれないといった笑みだった。
「っはぁ……あははっ、碧兄びっくりしてる? ははっ……凄いアホみたいな顔してる。なんていうんだっけ、鳩が豆鉄砲みたいな? ふふっ……あー待って祥子」
「なに……してるの」
「何って見て分からない? ああ、そっかー碧兄は経験ないんだもんねー。でもそんな性格じゃ一生無理。あのね、わざわざここに呼んだのはぁ、祥子のこと諦めてもらおーって思って。ほらぁーちゃんと見て?」
見せつけるように口元を塞ぐと、苦しそうな声を上げた。二人は下着もほとんど見えている状態だ。
「はっ……可愛い……あたしの祥子。ね? 最初から無理だったの。だって祥子と付き合ってるのはあたしだもん。あんたなんかに入る隙はないし、触らせたくもない! ねぇ……汚いとでも思ってる? 女の子はお人形でもお姫様でもないんだよ! あんたがお花畑してる間、祥子は苦しんでたし無理もしてた。そんなこと全然っ分かってなかったんでしょ? あんたなんか頭が軽い女と勝手に付き合ってればいい! なんの努力もしないで、ただしたいだけなんてほんっと……本当に呆れる……そう言う奴大っ嫌い……っ」
「ゆき……の……」
「んっごめ……触れられなくて寂しかった? ふふっ……待ってて」
わざわざ僕の席の上で行われているのが理解できない。世界から音がだんだんと消えていく中で、春昭が自分を呼ぶ声が聞こえた。
いつの間にか腕を引っ張られていて、気がつくとプールサイドに座っていた。ゆらゆらと流れる水に月が反射している。それらが全て下手な絵のようで、現実味がない。
「……春昭は……知ってたの」
「……うん」
そうか、だからさっきから調子が悪そうだったのか。
「なんで……」
黙っていたのと聞こうとしたけど、二人がそういう関係なら……ああ、そうか初めから全て嘘だったんだ。
「碧、ごめん」
「えっ……」
自分の顔は春昭の胸元についていた。背中に腕が回っている。
「でも少し安心したんじゃない?」
急に明るくなった声色で何を言いだすんだと顔を上げると、先ほどの雪乃と同じ顔で笑った。
「あははっ! だって……これで二股せずに哀からの告白を受けられるもんね」
「……は?」
「ひどいなぁ……あんだけアピールしても誘ってくれないなんて」
「……どういうこと」
「ねぇ、碧。シロクマの赤ちゃんは動物園にもいるけど、やっぱり水族館の方が多いみたい。それならペンギンも見られるし……あーでもうさぎとかはいないね。あ! だったら今度カフェに行こうか。うさぎカフェもあるんだよ。その方がきっとゆっくり見られるよ」
「……なんで、知って……」
普段のやりとりを見ていたとしても、このメッセージは個別に送られたものだから、春昭が知っているはずがない。
「もしかして哀さんとも知り合い……」
「半分正解、かな。で、どうなの碧。哀のことは好きなの?」
「そんなの今……」
「今だからこそ分かるでしょ。ねぇ哀に慰めてもらいたいよね? 癒してもらいたいよねぇ? 好きなんだろ! 違うの?」
「……っ」
「答えてよ、碧。ねぇ、話も合うし気も合うんだよね。それって付き合うには一番だと思うけど。高良祥子はもう誰も手が出せないぐらい壊れてる。ついでに雪乃も……あいつ男嫌いでね。ああ、この場合復讐したいって感じで嫌いなんだけど。そんな調子でみんなが敵に見えるんだよ。碧にもきっぱり諦めてもらう為にこれを企画したんだ。碧は良い子だから幸せになってもらいたいんだよ。あんな奴のことなんか忘れてさ」
耳元で囁かれた言葉に鳥肌が立った。
「ほら、告白の返事書いてあげなよ」
震える手で文字を打つと、春昭のポケットから音が鳴った。
「あ、連絡きたー」
まさかと思い、そうでないことを祈ったけど、春昭はばっちり画面を見せてきた。
「ね? 俺と話してて楽しかったんだよね? 好かれて嬉しかったよね? 想像ぐらいはしたでしょ? 哀はどんな子なんだって。付き合ってみたらどうなるかって。ねぇ碧? 性格が良かったら性別なんて関係ないよねぇ……だって俺たちこんなに合ってるんだよ? 趣味なんかより波長が合う方が貴重だ。だから碧……俺と付き合おうよ。碧のこと大事にしてあげる。幸せにしてあげるよ」
「離し……て」
床に頭を押し付け、上に跨るように乗られている。動けずに、涙目で春昭を見つめた。
「早く、ちゃんと答えて。哀からの告白受けてあげてよ。確かに碧に話しかけてからはあいつを意識したこともあったけど、哀は前からやってる俺の裏アカウント。昔の呟きだって遡って見たりしたんじゃない? moonなんて奴に先に話しかけられてた時は驚いたけどさ、アレのお陰で碧は怪しまなかったみたいだし、まぁ許してやるかな。ふふっ……碧やっとお前に――いやお前の上に立っているんだな俺は」
「どういうこと……」
笑っていた顔を少し怒りに変えた。
「覚えてないかなぁ。覚えてないよなぁ……碧は一回も俺たちと話してくれなかったもんね。中学はクラスが遠かったから仕方ないけど、小学生の頃はずっと同じクラスだったのに……。ははは……本当は俺、碧と友達になりたかったんだよ。でもね、できなかった。いたでしょ? あの子と近づかないでって言われる子供。いっつも端の方で身を寄せ合って、ちっちゃくなってどこの輪にも入れなくて。いなかったことにされては、たまに的にされるんだよ。いっつも同じ服で……先生にも迷惑だって顔されて。そんな中で碧は違うって思ってたのになぁ。ただ面倒だっただけでしょ? 碧はあいつらの中で一人だけ……助けてはくれなかったけど、俺たちには何もしなかった。ただ少し悲しそうな顔でこっちを見てたんだよ。もしかしたら碧とだったら……って、でもそのまま小学校は終わっちゃった」
そうか。なんで春昭の記憶が無いんだと思ったら、今とは似ても似つかないからだ。
こっちを見つめていた兄弟については、なんとなく思い出した。母親に聞いたら、親がどうしようもない人なんだって言ってて。皆も親にそう言われたからか、皆は春昭達を嫌った。僕はそんな様子を端からずっと見ていた気がする。
「中学に上がって俺たちは少し賢くなった。綺麗になれないなら、汚くなれば良かったんだ。そう言う奴はいっぱいいたからね……でもその時にはすでにあいつらに復讐したいって思ってたから、完全に落ちることはしなかったんだ。それだと意味ないし、そんなゴミ達は興味ないし。でもそのうちあいつらには興味なくなっちゃった。だから暇つぶしに碧を追っかけて、この学校に来た。碧の中で、俺の小学校のイメージは消え去っていたんだろうね。中学では俺の話題も多かったし。だから……声をかけてきたとき驚いた。昔の想いは消えてなかったんだね。ちょっと嬉しくなっちゃった。だから俺は碧に復讐することはやめたし、普通に仲良くなりたいと思った。……でも碧は高良祥子なんて好きになっちゃった。ねぇ、これ俺なりの愛なんだよ。高良は本当に狂った奴だから碧とは合わない。これよりも酷い思いをすることになってた。だからこれで良かったんだよ」
「春昭……」
なんて言っていいのか分からない。頭はとっくに思考を止めていたけど、そこから出たのは謝罪だった。
「ごめんなんて言うくらいなら、俺のこと好きだって言ってよ。そっちの方が嬉しい」
「僕は……君たちとはもう付き合えないよ」
「……碧」
「昔のことは確かに悪かったし。今からでも謝りたい。でも……こんな春昭とはもう……仲良くできないよ」
「……っ」
動きを止めた春昭の体からすり抜けて、振り返らずにドアを開く。何か聞こえた気がしたけど、聞こえないふりをして一気に校舎の前まで走った。
はぁはぁと荒げた息を整える。それよりも恐怖なのかショックなのか分からない感情で、体が震えている。
「あっ……ああ……」
口が上手く閉まらなくて、勝手に涙が出てくる。どうしてどうして……どうしてこんなことになった。いつからだ……いつから僕は間違えていた? そもそも僕はこの期間、何をしていた? この夏は楽しかった。初めてすることも沢山あった。だけどそれは全て嘘で……最初から僕は嫌われて恨まれていたなんて、一体何を見てたんだ?
僕一人だけ何も知らなかった。雪乃ちゃんが思っていたことも何一つ知らずに……。春昭が哀さんだったなんて……そんなの、どうして。
いつの間にか体は家に辿り着いていた。力が抜け、床に膝をつく。
眠れないけれど何もしたくなくて、横になったままうつ伏せていた。これまでのことが頭の中で再生される。悔しいのか何なのか分からない。何度か泣いて目を拭う。そんなことを繰り返している間に、意識は沈んでいた。
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