5
《うさぎの眼帯》
私は彼にどうしてと訪ねた。
すると彼は、その質問の意味が分からないと言った。
しばらく私が、少なくともこの年に近づくまでは聞いていたと思う。でもそのたびにお前は何も気に病むことはない、ただそのまま……それでいてくれたらいいんだと彼は嬉しそうに、時折泣きそうに答える。
私は根本的に、彼とは造り方が違うんだなと思った。
そう考えると楽で、私はどんどんと空っぽになっていった。
彼のことで埋まっていた心が流れていく。
そうしたら空っぽになってしまった。
一時は必要だから入れてみる。でもそれは心に入る前に跳ね返されてしまう。
柔らかいクラゲのような心なのに、その中には誰も何も入れないし、近寄ってきても、ぐにゃりと形を変えてしまう。
その奥の方で小さく小さく残っている僅かな感情は、この暗い部屋いる自分と同じような気がした。
涙は出ないけど目が赤くなるから、もう見なくていいように塞がれる。
《煉獄喫茶 わら人形》
偶然にも話したいと思っていた彼がすでに来ていて、あちらもあっと小声で気づいてから、軽く会釈を交わした。
「こ、こんにちは」
「どうも」
隣に座ると、早速というように彼は聞いてきた。
「こないだあそこに入ったんですよね! うわーいいなぁ……で、どうでしたか?」
「うん。良かったよ。紅ちゃんは相変わらずだったけどね」
「はは……それで、何したんですか?」
「それは
えぇーとあからさまに残念そうな顔をするので、笑ってしまった。
「まぁ、みきちゃんとはすることも違うと思うけどね。紅ちゃんとはテレビゲームをやったよ」
「ゲームですかー。楽しそうですね」
「私は下手くそだからねぇ……学くんはゲームとかやるの?」
「あー、自分は割とやる方ですかねー。上手さは分かりませんけど」
「そういえば学くんはどのくらい貯まったの?」
そう聞くと、取り出したカードは八枚になっていた。
「もうこんなに増えたの? ちょっと詰めすぎじゃない?」
「はは……まーちょいキツいですけど、他の物を削ればなんとか」
「……あまり無理はよくないよ。良かったら今日は一緒に食べてくれない? 最近あまり重い物は食べられなくてね……年のせいかな。食べてくれると嬉しいんだけど」
「ええっ! いや申し訳ないですよ」
「いいよ、遠慮しないで。ポイントは君の方につけてもらうから。あ、みきちゃんこれ頼むね」
「えーほんまにー? 分かった! 気合い入れて作りんだよーっ」
「ふふ、よろしくね」
「ありがとうございます…… すみません」
「いいんだよ。私もこうして話せる人ができて楽しいから」
「本当に
手に持った携帯の画面には黒っぽい背景の上に、ここの店の名前が書かれていた。
「やっとサイトを作ったらしいんですけどね。まずここに登録しないと見られないんですよ。ほら、まだ少ないですけどブログ……えっと、日記みたいなのとか」
それは初めて見るページだった。みきちゃんがお決まりの格好に、ダブルピースしたポーズで写真を載せている。『今日も一日がんばるにゃ(`ω´)!』というコメントもついていた。
「へぇ……色んな人と交流ができるって奴かな」
類似のものは聞いたことがあるが、そういうものはさっぱりだ。
「良かったら登録しませんか? あ、俺で良かったらネット上でも会話とかできますし」
「……うん、教えてもらおうかな。でも私にもできるかなぁ」
「覚えちゃえば簡単ですよ。俺から招待ページを送りますね……」
若い人に囲まれていると、気分まで若返っていくようだ。もちろんそれは錯覚に過ぎないのだけれど、自分から少し息苦しい、中毒性のある昂りが溢れてくるのを抑えられなかった。
4
春昭の家の近くだというコンビニで待ち合わせをする。何か飲み物でも買って行った方がいいかと、棚を凝視していた。
「うーん……」
ペットボトルだと大きいかな? 三人分だし……。春昭も妹さんもオシャレだから、紅茶のほうがいいかな。無難に紙パックの……。
「ひゃわぁっ」
ぴたっと頬につけられた冷たい感触で、飛び上がるように驚いてしまった。睨むように振り返ると、案の定ニヤニヤ笑った春昭が立っている。手には今持っていたペットボトルが握られていた。
「お待たせー碧」
「もう普通に来てってば……あ、これ買っていった方がいい?」
「ん? だから碧はそんな気を使わないでいいって。飲みたいならいいけど、お茶ぐらいなら家にあるしね」
「だったらお菓子は?」
「もー俺がちゃんと準備しといたから大丈夫。店には悪いけど、行こっか」
「う、うん」
鼻歌混じりに腕を引っ張られた。最近の春昭はなんかずっとご機嫌な気がする。
辺り一体は同じ時期に作られたのか、外見が似ていた。綺麗な住宅街だ。春昭の家もその内の一つにある。
「はい碧、入って入ってー」
「うん。お邪魔します」
入った瞬間に甘い匂いが漂った。なんだろう玄関に置いてある消臭剤かな?
「わぁ……綺麗だね」
やっぱり新しい建物なのか、隅々までぴかぴかだ。
「よく見ると傷とか付いてるかもしれないし、あんまりじろじろ見ないで。なんか恥ずい」
「はははっ……あれ?」
玄関から真っ先に目に入る扉を開けると、リビングになっていて、そこの奥はキッチンになっていた。そこに誰か立っている。
「雪乃。碧来たぞー」
「はいはーい。いらっしゃいましーぃ!」
ふんわりとした手触りの良さそうなパーカーと、ショートパンツは部屋着だろうか。家にいる格好としてはかなりオシャレだ。それに二つ結びをしているのに、大人っぽく見えるのは……。
「きゃあ! ちっちゃい! 可愛いぃー! お兄ちゃんには、ほんまもったいないないなー」
「えっ……あ、初めまして……」
……僕より背が高いからだろうか。ぶんぶんと握手された手が痛い。
「こらっ離れろバカ。お前が握ってたら碧が潰れるだろ」
「何それ失礼なんですけどぉー」
兄弟ってこんなものなんだなと圧倒される。
「ごめん碧。あー、とりあえず俺の部屋行くか」
「お兄ちゃんの部屋汚いから、反対に一票であります!」
「碧、こっち」
「あ……」
「ちょっと碧たん待ってって! もーバカ兄貴、これでいいのー?」
「そこにまとめて置いてあるだろ。それ持ってこい」
つんと言い放つと部屋を出た。
「は、春昭……任せちゃっていいの?」
「いいんだよ。それより……」
くるりと振り返って、じっと僕の顔を見つめた。
「なに?」
「いや……碧がいるの、変な感じだなーって」
それだけ言うと、また鼻歌を鳴らしながら階段を上がった。気分が悪いわけじゃなさそうだから、さっきのは日常茶飯事なんだと思うと、少しおかしかった。
春昭の部屋は僕の部屋に比べて広かった。思ってたよりお金持ちだったんだなぁ……。
「ほらー開けろーバカ兄」
扉の向こうから声がかかった。トントンと叩く音は多分足で蹴っている。
春昭が慣れた様子で開けてから何か呟き、そのまま出て行った。トイレにでも行くことを伝えたのだろうか。
「これ、どーぞー」
「あっ、ありがとう……」
女の子に慣れていないとはいえ、目線すら合わせられないのが情けない。しかも二人きりなんて随分久々だ。ふと視線を感じて顔を上げると、先ほどの春昭と同じようにこちらを見ていた。
こうして見ると二人は結構似ている。年が近いからかな。
「お兄ちゃんと同い年なら、やっぱタメはアレですよねぇー。あっ! 碧兄とか呼んでもいいですかー?」
にっこりとクッキーを勧めながら笑った。
「うん……何でも大丈夫だよ。えっと、雪乃ちゃんだよね?」
「はい。雪乃のこともお好きにどーぞ。あっ、それ今焼きあがったばっかだから熱いかも。ふふー、でも自信作ですよ」
「わざわざ作ってくれたの? ……じゃあいただきます」
「ふふふ、どうですかー」
「うん、美味しいよ。お店のみたい」
「きゃー碧兄優しいー。えへへっ……あっ! そうだ。いきなりなんですけどぉ、私とお兄ちゃんって似てますー?」
「ん? そうだね……顔は似てるけど、その格好じゃ初対面では兄弟って気づかないかも」
「ほほーなるほどー。あ、お兄お帰りー」
「何、話してたんだ?」
「内緒〜」
こてんと首を傾げてから、小さくウィンクをする。細かい仕草一つにもこだわりがあるみたいで、実際会うと写真以上にアイドルのような女の子だ。
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