3
放課後、再び鳴った携帯は春昭からだった。
『今日どっか行かない?』
短いメールばかりだけど、どうでもいいことをわざわざ追加しなきゃダメかな? と長々悩んでしまう僕よりかは印象が良いんだろう。
それよりも、こんな風に遊びに行くのは久しぶりだ。春昭と僕は趣味が合っているとかそういう関係ではないので、何かを目的にどこか行ったり、語ることも特に無かった。それに春昭側は友達が沢山いるみたいだし。
いいよ、と返事するとすぐに返ってきた。
『碧の方はもう終わった? こっちももうすぐ終わるから、教室の前で待ってて』
メールを眺めて少し高揚した気分で窓を見る。穏やかな天気の中で、風が静かに葉を揺らしていた。でも外に出れば暑いに違いない。もうすぐ夏になる。
そういえばこのクラスではあまり人と話していないな……そう分かると、自分が寂しく感じていたことに気づいた。こっちの問題は春昭に相談してみてもいいかも。
二つ隣の教室は、廊下を曲がったところにある。わざわざこっちまで歩かないといけないので、あまり行かない道だ。
もっと待つかと思ったけど意外と早く出てきた。何人かに挨拶を返した春昭が近づく。
「ごめん、待たせちゃって。今日に限ってアイツ遅いんだもんなぁ……」
担任をチラリと一睨みしてから、おどけたように笑った。
「そんなに待ってないよ」
「そうか? んーじゃあ……行こっか」
どこに行くのかは知らないけど、機嫌の良さそうな後ろ姿についていった。
駅前の方まで来ると、ファミレスでいい? と振り返った。なんとなくゲーセンじゃないかと思ってたけど、どこでも構わない。
近くの店に入り、二階に上がった。窓側なので外の景色を見下ろせる。同じ制服を着た学生とスーツの人がほとんどだ。
微妙な時間だから、あまりお腹が空いていない。軽くつまめるものを頼んで、ドリンクバーから飲み物を持ってきた春昭が口を開いた。
「碧にちょっと聞きたいことがあって」
なんだろうと首を傾げると、一口アイスティーを飲んでから、にやりと口角を上げた。
「碧、好きな奴いるだろ」
「……なっ!」
あまりに唐突だったので、こぼしそうになってしまった。いきなり何を言い出すんだ!
「ははは、ごめんごめん。これおしぼりね」
とりあえず受け取って、コップの近くに置いておいた。
「まぁ相談してくれないのも寂しいけどさー、それは碧の自由だし? 好きなようにすればいいんだけどさ……ちょーっと気になることがあって」
「……何?」
「お前の好きな奴が、同じ学校で同じクラスで……」
そこまで言って止まり、たっぷり間を空けてから口を開いた。
「……
スプーンでこっちを指差して、得意げに笑った。
「……っ」
一瞬辺りが無音に包まれてから、またうるさくなった。それに続いて僕の心臓がバクバクと鳴り始める。
高良祥子……頭の中でしか言えなかった名前が目の前から告げられて、更に意味の分からないことを言われている。
「なっ……なんでた、高良さんだと……そうなるの」
名前を初めて声に出して言っただけで、緊張と嬉しさなのか恥ずかしさなのか、分からない感情が体の中を上がっていく。思考回路はショート寸前にぼーっとして……月に代わってお仕置きしそうな少女が頭を浸食する前に、春昭の含み笑いでいっぱいになった。
「純情だなぁ……碧は。あんなに熱した瞳で見つめてて、気づかないわけないだろ」
「そんなことしてな……っていうか! じ、じゃあそれ高良さんも?」
「落ち着けって。あっちは多分気づいてないよ。それよりさっきの話、どういうことか気になる?」
ついうんうんと前のめりに聞くと、また笑われた。
「あーあ……本当にアイツなのか。まぁ見た目は悪くないかな。あの眼鏡外せばもう少しマシになるのに。でもよく見ると学年でも結構上位……」
「い、いいから……教えてよ」
他の男にもそんな風に見られているかと思うと、なんだかもやもやする。
「俺はあくまで客観的に評価しているだけだ。そっか、碧がなぁ……。で、碧は俺に妹がいるの覚えてる?」
「前に聞いたような……ないような」
「俺と一つ違いなんだけど、アイツ高良祥子と仲が良いらしいぞ」
ようやく春昭がこんなに得意げな顔をしている理由が分かった。そこから関係を持たせてくれようとしているんだろう。
「そうなんだ」
「俺も学校の近所に住んでるし、妹と仲良いってことは多分アイツも……高良もこの辺に住んでると思うんだよね。あんまり詳しいことは知らないけど、碧が聞きたいって言うなら色々聞いてくるよ」
「……っ、うん。春昭は妹と仲良いの?」
「まぁー普通かな。悪くはないよ」
「そっか……」
「碧は一人っ子だもんな」
「うん、そうだよ。妹なんて全然想像つかないなぁ」
「ただワガママなだけだよ。最近なんてめかしこんじゃってさー、わけわかんねー服ばっか大量に買ってくんの」
腕を組み不満をつらつら述べながらも、春昭はどこか楽しそうだ。僕はそれに耳を傾けながらも、高良さんのことがもっと知れるかもしれないという期待で、頭がいっぱいになっていた。
《煉獄喫茶 わら人形》
私はいつもより緊張した面持ちでホームを出た。
紅ちゃんはああ言ってたけど、いつもの空間と違う。お店とはいえ、二人きりで過ごせるのだ。
何度もあの空間に行くことを思い描き、その想像中でも上手く話せなかったりして……昨日も眠りが浅くなってしまった。
なんとなく素直に足が向かず、コンビニを経由する。ただの冷やかしや暇潰しで入る者の気持ちが分からなかったが、今入ってみると、少しホッとしてしまった。
客は立ち読みしている若者が一人で、レジは空いている。
口が渇いているので飲み物は何か摂りたいが、どうせ向こうで注文するので勿体無い。金銭面の問題ではなく、どうせならお店の儲けになった方が良いに決まってる。
「……おっ」
奥の方へ進むと、なかなかレベルの高そうなケーキが並んでいた。彼女達に買っていったらどうかとも思ったが、いくらクオリティが上がっているとはいえ、コンビニのものではダメだろう。
スタッフ間の差し入れなら問題ないだろうが、私は客だ。どうせならもっと評価の高い、良い物を食べさせてあげたい。
今度話題のものでも調べておこうと決めてそこを通り過ぎ、タブレット菓子を一つ手に取りレジに置いた。
何度か建物の前をうろついてから、意を決して階段を上がった。そこで携帯を確認する。何も通知はない。電源を切って扉を開く。
一昨日も来たのに少しだけ違って見える光景は「こいつのせいか……」私の心境ではなく、どうやらレジの横にクマのぬいぐるみを新たに置いたらしい。よだれかけに毎度の如く血糊を塗り、ハート型の眼帯をつけられている。
「お帰りなさいですぅ」
「RUIちゃん久しぶりだね」
「あ、どうもぉ」
数ヶ月前に入ってきた彼女は、他の子より年齢が高く見えるが、童顔と天然の雰囲気のおかげで全く浮いていない。
「……紅ちゃんいる?」
少し声を潜めると、ニコニコしながら同じように声を潜めた。
「あっちの部屋にいますよぉ」
「えっ?」
どうやらすでに、あの部屋の中にいるみたいだ。せっかくここまで通ったのに、優しくないなぁと笑ってしまう。
「分かった。ありがとう」
「いえいえーごゆっくりぃ」
ソファー席の横にあるカーテンを開いた先に、部屋があるはずだ。扉がしまっている所はおそらく調理場や更衣室、彼女達の休憩所だろう。その隣に、四畳もなさそうな部屋があった。
うっすらと障子越しにシルエットが映っている。襖を開ける前に一息ついてから、声をかけた。
「紅ちゃん、入っても良い?」
「……」
返事がないので少しだけ開く。そこにはゲームのコントローラーを持ったまま、お菓子を口に咥えた彼女がいた。こちらを少し振り返ると、ふんふんと頷く。入ってこいと合図しているようだ。
「じゃあ……入るよ」
少し隙間を開けて正座する。中は棚がいくつか置いてあって、漫画の棚からお菓子の棚……ぬいぐるみもまだまだあるらしい。意外にもちゃぶ台などコンセプトに合っている小物があり、驚いてしまった。良かった……ただの荷物部屋じゃなくて。変なところで安堵していると、彼女の体が動いた。
彼女の瞳には横スクロールアクションのゲーム画面が映っている。どうやらキャラクターが難しい位置にいるらしい。仕掛けがぐるぐると動いていて、それのタイミングを合わせるように頭が動いている。
「あっ……」
思わず声が出てしまった。軽快な音を鳴らして、髭の生えたキャラクターは落ちていってしまう。
「……あー」
「惜しかったね」
「んー……」
口に入れていたお菓子を飲み込むと、立ち上がって棚の中から何かを取り出した。結構大きなボトルだ。中には駄菓子がたくさん詰められている。
「ここはお菓子食べてゲームするだけだから」
ゲームの画面を見つめながら言う。だらしなく足を組んでいるが、リラックスしてくれているのかなと思うことにした。
「懐かしい駄菓子がいっぱいだね。今でも売ってるんだ」
「うーん……」
ゴソゴソと手を突っ込み、中をかき混ぜている。お目当ての物が見つからなかったのか、箱ごと大きく振り出した。
いつもに増して、彼女の素が見えるようだ。まるで家で……娘と一緒に住んでいるみたいな。
普通なら接客も何もかも破綻したかのようなこの態度に、怒りを覚えたりするのだろうか。しかし私は今まで感じたことのない不思議な感覚……まるで初めて本物の彼女に会った気がして、その姿を見つめていた。
「……やる?」
いつの間にか二つコントローラーを繋げていたらしい。口にはもごもごと、きなこ棒が咥えられている。
「やってみようかな。上手くないと思うけど」
「このボタンとこれで大体へーき」
いつになく近い距離で、夢を見ているような時間が流れている。その中で少しゲーム画面から視線を外し、横に向けた。黒髪を結んだ先にある赤の襟、白い首とのコントラストが気怠げな表情と相まって、お人形さんのようだ。
「ふんっ!」
今度はスルメを食べた彼女が合図する。画面を覗くと、二人で仕掛けを動かさなければ進めないところだった。集中できていなかったことを軽く謝り、私の体には少々難しい挑戦が続いた。
いつの間にか結構時間が経っていたようで、ゲームに疲れた頃、こちらを呼び戻す声が聞こえた。
「紅姉、そろそろこっち出てよ〜」
「あー……うん」
あれ、そういえばこの部屋っていくらだっけ? ゲームってオプション? お菓子は……今日はいくら持ってきていたかと急に心配になり財布を取り出すと、一枚紙が飛び出した。
「……あぁ懐かしいな。ここを始めた頃に作ってたやつだね」
「うわー……字汚いし、恥ずかしい……」
紫色の画用紙を切って、手書きで作成したであろうスタンプカード。
「今はパソコンでデザインを作って、コピーできるようになったから成長したよね」
「……まぁ。やってるのはオーナーだけどね」
少し照れたように頬をかいた。
「じゃあそろそろ……」
「そうだね。……今日は楽しかったよ。ありがとう」
「……うん」
名残惜しいが、彼女と一緒に部屋を出た。因みに別料金は特に無く、会計はいつも以上に安かった。新たなカードを受け取り、店を後にする。
「……ふふ」
帰り道はずっとふわふわしていて、よくこんな状態で間違えずに歩いていられるなぁと、他人事のように思う。
浮かれているのには違いないが、何かが引っかかっていた。自分はまだ年相応のものを持ってはいなかったのかもしれない。或いは持ってきてしまったのか。
初めて抱いたこの何かに気がつけないまま、帰路を歩いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます