Ain Soph Aur ― アイン・ソフ・オウル ― 【プロット】

昭丸

前奏

Prelude

 アルテシア王国の王都ミストルティン。

 自然と融和した瑞々しい白亜の町並みの中央には、樹高千七百メートルという、支天樹の中でも規格外の大きさを誇るエルドの樹が雄々しく屹立している。

 今、その巨木に寄り添うように建てられた王城のテラスにおいて、月に一度の聖歌の奉納が厳かに執り行われていた。

 王族と大臣たちが列席する中、歌療士ノルンと呼ばれる麗しい三人の乙女が、清廉な声音で大気に歌を編み上げる。

 そよぐ風のように。

 暖かな日差しのように。

 歌声は全ての生命を優しく癒やしていく。

 歌が佳境に入ると、エルドの樹が淡い光を放った。神々しい光景を目にして、列席者たちは感嘆の吐息を漏らした。


          ◆


 聖歌の奉納が終わり、歌療士ノルンと列席者たちは、ほっと緊張を解いた。

「科学の時代と言われて久しいが……この光景は、世界のことわりが未だはるかな高みにあることを教えてくれる……」

 凜然とした長身の女性――シタン・エルド・アルテシアは、エルドの樹を見上げながら独白した。

「理解できること、理解できないこと、どちらも共にあれば良い……ただ、あまたのことわりが交わる世界にあって、美しいものを美しいと素直に言葉にできる。そういった心を持ち続けることこそが大切なのだ……私は、そう思うよ」

 実兄であり、アルテシアの現国王でもあるカムラ・エルド・アルテシアが、車椅子のハンドリムを回しながらシタンの言葉に応えた。

「兄上」

 シタンはカムラの背後に回り、車椅子のハンドルを持った。

「すまないね」

 カムラの謝辞に、シタンは微かに表情を曇らせた。

「カムラ様! シタン様!」

 歌療士ノルンたちが舞台から飛び降り、こちらへと勢い良く駆けて来た。聖歌を奉納していた際の大人びた雰囲気とは打って変わり、十三の年齢に相応しい軽やかさを纏っている。

「どうでした? ララたち、ちゃんと歌えていました?」

 歌療士ノルンの二人が左右からシタンに抱きつき、残りの一人が腰を折ってカムラに問いかけた。

「ああ、素敵だったよ」

 答えながら、カムラが眼前に突き出された愛らしい頭を撫でた。

「あ! ララだけズルい!」

「シタン様! あたしたちも!」

 その催促に仕方ないなと嘆息し、シタンは両脇から見上げてくる歌療士ノルンたちの頭を撫でてやった。三人の乙女たちは「えへへ……」と、満足そうに微笑む。

「こら! 王族の方々に対して失礼だろう!」

 外務大臣を務めている初老の男――ワイザム・チャイムが、眉間に皺を寄せて歩み寄って来た。

「カムラ様とシタン様も甘やかさないでいただきたい。そろそろ礼儀を身に付けなければならない年頃です」

「そう目くじらを立てる必要もないだろう。今は落ち着いてしまったシタンも、昔はこちらが冷や冷やするほどのお転婆だったのだから」

 カムラの同意を求める視線にたじろぎ、シタンは一つ咳をする。

「まあ、お転婆だったことは否定しませんが……」

「お祖父様は細かいコトを気にし過ぎ。お母様が言ってたよ。お祖父様はいつも怒っているからハゲたんだって」

 カムラとシタンの態度に勢いを得た歌療士ノルンの一人が、口を尖らせながら言葉を挿んだ。

「なっ!? ハゲは家系だ!」

 ワイザムが表情を沸騰させた。その激しい怒声から逃れるように、歌療士ノルンたちは王城の屋内に向かって一目散に駆け出した。しかし十分に距離を取ってから振り返ると、こちらへと声を張り上げる。

「お祖父様! 今日は、お母様がアップルパイを焼いてくれるって! 前に食べたいって言ってたでしょう!」

「そうだよ! だから早く帰って来ないと、またお母様に小言を言われるよ!」

「うるさい! 早く行きなさい! 午後からは学校だろう!」

 ひとしきり怒鳴ったワイザムが、深く溜め息をつく。

「はあ……あれで諸外国にも名の知れる歌い手だというのだから……」

「本当に、良い歌療士ノルンになったね」

「恐縮です。不肖の娘に授かった三つ子が、そろって歌療士ノルンに選ばれたと聞いた時は、まさか務まるはずもないと思っていたのですが……子供の成長というのは、いやはや驚くばかりです」

 愛おしいものを見つめるかのように、ワイザムが目を細めた。

 その時、光の球が空中を漂ってきた。球の中には小人のような姿が垣間見える。

「ほう、コロッポですな」

「歌につられて出てきたようだね」

 カムラとワイザムが会話を交わす中、樹木の精霊とも伝えられるその小人は、シタンの方へとゆっくりと流れて来る。

 シタンは何気なく掌を広げた。するとコロッポが、その掌の上にチョンと停まる。

 刹那、シタンの視界が一変した。


 大規模な破壊が通り過ぎ、建物の瓦礫が無残に散乱する乾燥した市街地。そこに天幕が張られ、白衣を羽織った人々がせわしなく動き回っている。

 ふと、白衣の集団に近づく一人の幼い少女が目に入った。その少女は、何かの気配に気付いたかのように立ち止まると、こちらを振り返る。

 怯えと諦めが入り交じった仄暗い瞳。

 どうしようもなく絶望的な色彩に、シタンは息を詰まらせた。

 次の瞬間、少女の中心から光が弾けた。

 とっさに腕を交差させ、シタンは閃光から顔を庇った。その最中、誰かがすれ違う気配がした。併せて「よろしくね」と、慈愛に満ちた、しかし微かな寂しさを感じさせる女性の声が耳元に届く。

 シタンは声の方へと視線を走らせるが、白い闇の他には何も見えない。


「シタン?」

 カムラの声が響いた。同時に光の奔流は消え失せ、シタンの視界は王城のテラスへと引き戻された。

「どうかしたのかい?」

「あ、いえ……」

 シタンが混乱した意識を整理できずにいると、突如として一人の兵士がテラスに駆け込んできた。

「至急伝!」

 カムラたちから少し離れた場所で立ち止まると、兵士は鋭い声を放った。

「許す」

 カムラが言うと、兵士は近寄り、片膝を着く。

「王都西方、ヨダ川下流のウルスランが、何者かの襲撃を受けたとの報告がありました」

「襲撃だと!? 他に情報は?」

 眉根を寄せ、シタンは兵士に問いかけた。

「実物を確認できていないため推測となりますが……生き残っていた住民の証言から、おそらく鋼殻竜パンツァーの成体によるものかと」

鋼殻竜パンツァー……」

「これで七件目か……」

 カムラとワイザムが険しい表情で呟いた。

「ともかく、住民の保護が最優先だ。ウルスランであれば、こちらから出向いた方が早いだろう――兄上」

 シタンは、兵士からカムラへと視線を移した。

「頼む」

 シタンの意を察したカムラが頷いた。それを確認したシタンは、再び兵士に向き直る。

「樹士たちに伝えろ。樹械兵ドライアード三個小隊にて、ウルスランの周囲を威力偵察。私も出る」

「無理はしないでくれよ」

 カムラの言葉に敬礼で返すと、シタンは先行する兵士を追った。


          ◆


 樹械兵ドライアードの格納庫に向かう道すがら、シタンの眼前に荷台を牽引した蒸気トレーラーが停車した。

「シタン様! 御乗樹です! 格納庫から引っ張って来ました!」

 トレーラーの運転席から身を乗り出し、兵士が叫んだ。

「助かる!」

「このまま現地まで運びますか?」

「道中で戦闘になるかもしれない! 歩かせる!」

 シタンは告げ、荷台の上で仰向けに寝そべる樹械兵ドライアード――サージェントプラナスへと走り寄った。胸部の操縦席に手慣れた所作で潜り込み、起動準備を進める。

『立つぞ! 周りの者は下がれ!』

 シタンの声が拡声器を通して周囲に響く。次いで、サージェントプラナスがもぞりと動いた。ゆっくりと上半身を起こし、荷台から地面へと足を下ろす。

 人の形を模した巨大な兵器が、大地の上で直立した。

『セルグとマイナ、両二名! 続きます!』

 声と共に、二樹の樹械兵ドライアード――ゼルコバが近づいて来た。その後方に、さらに六樹のゼルコバが歩いて来る様子が確認できる。

 シタンはサージェントプラナスを操作し、蒸気トレーラーの荷台に積載されていた銃剣を掴む。

『相手は硬い! 気を抜くな!』

 シタンの檄を合図に、計九樹の樹械兵ドライアードは王城の正門へと向かった。

 操縦席に跨がるシタンの脳裏を、ふと、先刻の「よろしくね」という女性の言葉が過ぎる。

「優しい声だったな……」

 シタンは独白した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る