六文銭の十本刀/4

 情報収集をし続ける根津と由利だったが、めぼしい情報にはありつけなかった。浪人の姿も一時期と比べ、見ることが少なくなった。浪人殺しが起きたせいで雇うのをやめたのか。それとも恐れを抱いた浪人たちが去ったのか。それと同時に、旧臣楼に現れた殺人者も姿を現さなくなってしまった。才蔵のほうも、佐助に目を光らせているが、特に変わった様子はない。――無情にも時だけが過ぎる。


 このまま、すべてが忘れ去られるであろうと思い始めたある日のこと。


(……もう日暮れか)

 白頭巾を被った由利が空を見上げる。空は橙と薄暗い色が交じり合っていた。

 引き上げるかと思い立った、その時だ。


「おーい、ゆん」


 根津が声をかけてきた。由利はその顔を見るなり、あからさまに嫌そうな表情を浮かべる。対し、不思議そうな顔をする根津。

「……なんだよ」

「お前がよけいなことを言わないか心配なだけだ」

 にんまりと笑う根津。この笑顔は怪しい。由利と同じ色の隻眼が悪戯めいた光を輝かせている。相棒は悪巧みを企む時、決まってこういう顔をする。

「そう言われると、是が非でも嫌がらせをしたくなるのが人情だ」

「そんな人情、いらん」

「そう言うなって。――なぁ、旧臣楼にちょいと散歩しに行かないか?」

 予感的中。由利はため息をついた。

「いいだろ?」

 再び、ため息をつく。由利に拒否権はない。

「よし、行こうぜ」

 ため息を『肯定』どころか『賛成』と受け取り、歩き始める根津。由利も彼に続く。

 二人が旧臣楼に着いた頃には、もう辺りは真っ暗だった。

 門前には、二人一組の見張りが昼夜交代で立っている。彼らも旧臣楼に住まう者たちだ。


「来たのはいいが、どうやって入るんだ?」


 素朴な疑問だった。

 ――自分たちの住まう場所において、口出しは一切ご無用。

 それを条件に島田は旧臣楼に入った、と海野から教えてもらった。それに、上田城で見かけた島田と日根野の態度もある。はたして通してくれるかどうか……微妙なはずだが。

 根津は後頭部で両手を組み「んー、そうだなぁ」と考え込んだ後、由利に言った。

「……見張りのやつらをゆんのお色気で落として入る、ってのはどうだ?」

「なんだ! その適当さは!」

 由利の怒鳴り声に「しーっ!」と根津は人差し指を口元に当てた。

「声、でけえって!」

「誰のせいだ! 誰の!」

 由利は呆れた。こんなことだろうと思っていた。昔よりは思慮深くなったかと思いきや、まったく進歩していない。


「おい、きさまら!」


 門前に立つ見張りが声をかけてきた。

「あーあ、見つかった」

 根津は肩をすくめる。あんなに大声を出せば、いやでも気づくに決まっている。由利はとした。同じく見張りも「怪しいやつめ」と言わんばかりにしている。

「あー。散歩をしていたんですが……道に迷ってしまって」

 いけしゃあしゃあと根津。だが、見張りは彼の腰にある得物えものを見逃さなかった。

「腰に刀を差してか?」

「いやぁ、あはは」

 根津は笑ってごまかそうとする。もう一人の見張りは由利を見つめている。由利はほんのすこしだけ、視線を逸らした。それが癪に障ったのか、根津に絡んでいた見張りの矛先が由利に向く。

「おい! なんだその態度は!」

「まあまあ。こいつ、あんまり外に出ないから恥ずかしいんだよ」

 やんわりと見張りをなだめながら思った。――今日は出直したほうがよさそうだ。

「そんな目で見つめないで。帰りますから! ね?」

 根津が由利ごと背中を向け、そそくさと退散しようとしたその時だ。

 ひゅっ、と風を切る音がした。続いて、どさっとなにかが倒れる音。

 根津と由利は思わず振り返る。


「……さっきまで立ってたよな?」

「……ああ」


 二人の見張りは、悲鳴を上げる暇すらなかったらしい。

 門に立てかけられている松明たいまつの火が消え、辺りが漆黒の闇に包まれた。


 ひゅっ、と再び風が鳴る。


 とっさに二人とも避けたが、由利の白頭巾がぴっと裂けた。由利の髪が金の糸のように広がり、背を流れた。

「無事か!?」

「自分の心配をしろ!」

 黒い風は根津に襲いかかってきた。根津は避ける。由利が腰にある鎖鎌くさりがま(鎌部分には布が巻かれている)に手をかけ、鎖だけを放り投げた。風がそれを払う。舌打ちする由利。そんな彼にかまわず、風は根津に攻撃をしかける。

 素早い攻撃が繰り出されるものの、根津はそれをかわし続けていた。しかしやがて、限界がやってくる。そして、キィンと凄まじい金属音が鳴り響いた。根津が脇差を抜き、風の攻撃を間一髪止めたのだ。


「――っ! こういう時、嫌われる目の持ち主であったことを感謝するね」


 根津と由利の瞳は〝鬼眼おにめ〟と呼ばれ、四神島では忌み嫌われているものだが、夜目よめが利く。そのおかげで、根津は風の攻撃と姿を捉えているのだ。黒頭巾と黒い忍装束に身を包み、その手には小脇差こわきざし(約三十~四十センチ)ほどの大苦無が握られている。

 ふと、相手の目とかち合った。

 その瞬間、根津の隻眼が大きく見開かれる。

 その隙に相手が離れた。

 由利がすかさず、鎖鎌の鎖を構える。

「くらえ!」

「やめろ! ゆん!」

 制止する間もなく、鎖鎌の鎖が放たれる。だが相手はそれをかわした。


「逃がすか!」


 由利は再び構えたが、即座に煙玉が放たれる。

 咳き込む根津と由利。

 煙が晴れる頃には、相手の姿は跡形もなく消え去っていた。

 由利は舌打ちする。仕留めそこなった。苛立ちはそれだけではない。

「どういうつもりだ!」

 脇差を収める相棒に近づき、由利は声を荒げた。

 返事はない。

「ジン!」

 胸倉を乱暴に掴み、詰め寄る由利。

「……目を見たか?」

「それがどうした! よくも……!」


「橙色だった」


 由利は目を見開いた。それがなにを意味するのか瞬時に理解した彼は、胸倉から手を離す。

「……それは、たしかか?」

「ああ」

 信じられない。いや、信じたくはなかった。だが、こういう時の相棒は嘘をつかないことを由利は知っている。


「――帰るぞ、ゆん」


 そうするしかなかった。


◆◇◆◇   ◆◇◆◇   ◆◇◆◇   


 本丸に戻った根津と由利は、その足で幸村に報告しに行った。

 謁見の間には才蔵と海野もおり、事情を知った海野は顔を真っ赤にした。


「ばっ――!」


 根津がすかさず制す。

「じじい! 怒鳴りたい気持ちはわかるけど、夜遅いんだからやめろよ」

 千代と伊三が起きちまうよ!

 海野はぐっと言葉を呑み込んだが、その表情は厳しいままだ。

 幸村は頬杖をついたまま、深いため息をつく。

「起こってしまったものはしかたない」

「……すみません」

 こればかりは言い訳のしようがない。

「それで収穫は?」

「それが……なにも」

 海野の怒りが再びこみ上げる。

「騒ぎを起こすだけ起こして、情報はなにも掴めなかったと!?」

「……面目めんぼくねえ」


「かぁぁっ! きさまら!」


「やめろ、海じい」

 見兼ねた幸村が海野を制止した。

 根津と由利に尋ねる。

「犯人は見なかったんだな」

「……はい」

 うなずく二人。幸村は肩をすくめた。

「根津、由利。お前たちを情報収集の任から外す」

 根津と由利はなにも答えなかった。海野が「当然じゃ」と呟く。

「以後の情報収集は望月に任せる」

 幸村の決定が下ると、沈黙していた才蔵の口が開く。


「幸村さま。私も情報収集に加わってもよろしいでしょうか?」


「才蔵。お前には、やるべきことが――」

「それは私の式神たちにさせます」

 才蔵は忍であるのと同時に『神の眷属けんぞく』と呼ばれる式神たちを使役する式神使いなのだ。


刺青いれずみおに根津ねづ鎖鎌くさりがまおに由利ゆりでも逃してしまった相手です。興味があります」


 根津と由利は目を見張った。――この副頭領も、単なる興味本位で動くこともあるんだな。

 一方の幸村は、複雑極まりない表情を浮かべている。そもそも、こういうことは副頭領の仕事ではない。だが、今の才蔵になにを言ったところで無駄だろう。もはや、こう言うしかない。

「好きにしろ」

「ありがとうございます」

 才蔵は頭を下げた。海野が尋ねる。

「旧臣楼のことはどうなさいますか?」

「亡くなった者には申し訳ないが、島田どの――旧臣楼関係者が来ない限り、俺は動かん」

「御意に」

 主君の決定に、みな異論はなかった。

「ご苦労だったな、みんな。下がっていいぞ」

 一同は幸村にそれぞれ挨拶をし、謁見の間から出て行く。

 根津と由利が自室に戻ろうと足を向けた時、


「待ちなさい」


 才蔵に呼び止められた。

 ぎくりとする二人。振り返る。

「私の部屋に来なさい。話があります」


◆◇◆◇   ◆◇◆◇   ◆◇◆◇


「入りなさい」


 才蔵が自室の障子を開ける。

「はい。失礼しま……す!」

 根津は眼前の光景に絶句した。

 目の前には書物の山、山、山。棚から書物と巻物がなだれており、散乱している。物書き机の上はまあ小綺麗ながらも、その両脇には書物と巻物が乱雑に置かれていた。


(俺もたいがい散らかすけど……)

(……これは異常だ)


 ただ茫然とするしかない根津と由利。

「ああ、失礼。――ちょっと待ってくださいね」

 才蔵は部屋の中に入り、根津と由利の座る場所の分だけ散らかっている書物を持ち、積み重なった別の山に置いた。はたして、これを『片づけた』とするか疑問ではあるが……いつも理路整然としている副頭領の意外すぎる一面を見た瞬間であった。


「さあ、どうぞ」


 なんとか座れる場所を確保した才蔵は二人に座るよう促す。

 根津と由利は呆気にとられながらも、空いた空間に腰を下ろした。

「根津」

「は、はい!」

 声がひっくり返った。

「お土産、とってもおいしかったですよ」

 頭が真っ白になる。ややあって、数日前に持ち帰った菜饅頭のことだと思い出す。

「そ、そうですか」

 とりあえず相槌を打つ。

 才蔵は微笑を浮かべているが、その笑顔にはかなりの重圧があった。

 こういう時の副頭領が油断ならないことを根津は知っている。


(に、逃げたい……)


 体は正直だ。そわそわして落ち着かない。

「根津」

 才蔵の目が鋭く光った。

「は、はい」

「ずいぶん、落ち着かないんですね?」

「え、あ、いや。夜も遅いし、はやく休みたいな……って」

「情報収集も楽ではありませんしね」

「そうなんですよ。なにせ、

 言ってしまってから、手で口を塞いだ。

 才蔵が口の端を歪ませる。由利は視線で「ばか!」と罵った。


?」


「え、あ、そのう……」

 発言することをやめ、黙った。だが、才蔵の紫電の瞳が鋭く光る。反射的に体が強ばった。なんとかこの状況を打破しようと頭を働かせるが、なにも浮かばない。

「犯人を見たんですか?」

「いいえ! 見てませんよ!」

 否定が裏目に出た。才蔵の目がさらに鋭くなり、根津はますます追い詰められていく。


「根津」


 優しいのか、恐ろしいのかわからない才蔵の声色に心が折れそうになる根津だったが、必死の抵抗を試みる。しかし、才蔵の笑っていない目を前にすべては無駄な抵抗に終わった。

 ――そして、

(もうだめだ……!)

 根津は降参のため息をついて、言い放つ。


「――橙色の瞳を持つ忍」


 ほんの一瞬だけ才蔵は目を見張ったが、すぐに平静を取り戻した。

 橙の瞳は四神島全土を見回しても、東方四神国〝朱雀〟信濃領を治める真田一族だけに見られる特徴である。が、もうひとつ可能性がある。それは〝特殊眼とくしゅがん〟と呼ばれる特殊能力を宿した目を持つ者たち。身近な人物で考えられるのは――佐助だ。楓と小六も橙色の瞳と勘違いされるが、あの姉弟の場合は黄色みがかった赤。すなわち朱色である。

「でも、わからないんですよ」

「なにがです?」


「どうして、俺たちまで襲ったのか……」


 根津の言葉に由利もうなずく。それは才蔵も同感であった。

「たしかに。もし彼だとしたら、らしからぬ行動ですね」

 その時、才蔵の中でなにかが閃めいたようだ。小声で「いや、まさか」とぶつぶつ独り言を呟き始める。

「副頭領?」

「いえ。こちらのことです。――すみません」

 才蔵は気を取り直し、あらためて二人に言う。

「根津、由利。あとのことは私にまかせなさい」

「それはもちろんですが……」

 根津は不安げな表情を浮かべ、相棒を一瞥した。由利は目で「オレに振るな」と相棒を制す。二人とも、どうしていいのかわからないのだ。


「心配しなくても、幸村さまには黙っていますよ。――余計な混乱を招くだけですから」


 それを聞き、胸をなで下ろす根津と由利。

「二人ともありがとうございます。もう休んでいいですよ」

「あ、はい……」

 根津が返事をする。二人は立ち上がり、

「おやすみなさい」

 挨拶を交わして部屋から出て行った。

 二人を見送った後、才蔵はひと息つく。


(……まったく、あのは!)


 心の中で毒づく。だが、毒づいたところで事態が好転するわけではない。

 一冊の書物に目をやった。それを手に取り、ぱらぱらとページをめくる。すると、ある項目が目に入った。才蔵はその項目をしばらく読み進めた後、書物を閉じ、すぐそばにある書物の山へと積んだ。

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