六文銭の十本刀/5

 次の夜。


 才蔵は旧臣楼周辺へとやってきた。

 気配を殺し、様子をうかがう。

 固く閉ざされた門の前には、見張りが二人立っていた。彼らの顔は恐怖を浮かべている。


(……ご苦労なことですね)


 才蔵は彼らを哀れに思った。

 昨夜、あんなことがあったばかりだ。今日は我が身、と思っても不思議ではない。

 ふと、才蔵の脳裏に根津の言葉がよぎる。


 ――橙色の瞳を持つ忍。


 信じられなかった。主君の命に従い、目を光らせていたが、佐助はいつもと変わらない様子だった。旧臣楼のことも、佐助のことも、このままなにもなかったことになればいい。そう思っていた矢先の昨夜である。だからこそ、この目で見極めなければならない。たとえ、それがあってほしくないことであっても……。


 風が吹き、木々がざわめく。


 怯えている二人は、持っている背丈よりも長い木の棒を構えた。ど、ど、どっと鼓動が早鐘を打っているのを感じる。それをあおるようにと茂みがざわめく。彼らは体を強張らせた。


「お、おい。ちょっと見てこい」

「い、いやだよ! お前が見てこいよ!」


 押し問答をしている間に、茂みががさがさと激しく動き、その音に二人は固まった。

 茂みに視線を向ける。

 鬼が出るか蛇が出るかと思ったその時、茂みからなにかが飛び出した。

「うわああっ!」

 彼らは驚き、悲鳴を上げるが、


 ふあぁぁご。


 現れたのは黒猫。それは可愛らしく鳴き、ぺろぺろと前足を舐めている。

「な、なんだ。猫か……」

「驚かすなよな!」

 見張り二人は拍子抜けするのと同時に、胸をなで下ろす。

 才蔵も力が抜けるようなため息をもらした。

 黒猫は飽きてしまったのか、見張り二人の前から姿を消した。

「気をつけてなー」

 見張りの一人が去る黒猫に向かって叫んだ、その時だった。


 ひゅっ!


 明らかに自然に吹く風とは違う音。その後、どさりと倒れる音が。

「お、おいっ!」

 残された見張りは倒れた仲間に近づき、体を仰向けにする。彼は凍りついた。さっきまで生きていたのに。白目を向き、顔は青白くなったは人ではなくただの肉の塊になっていた。


「ひゃああああっ!」


 奇声に近い悲鳴を上げた見張りは腰を抜かし、後ずさる。

(まずい!)

 狩衣かりぎぬの袖から大苦無だいくないを取り出した才蔵は、瞬時に彼の元へと移動した。

 ひゅっ、と再び音が鳴るのと同時に刃が大きくぶつかり合う音が響いた。

「あ、あ、あ……!」

 見張りは、突然現れた才蔵と刃を受け止められている忍に驚く。

「――中へ入りなさい」

「へ……?」


「はやく! 殺されたいのか!」


 声を荒げた才蔵の気迫にされた見張りは体を震わせた。

 四つん這いながらも、門のそばにある小さな扉を開け、中に入った。

 受け止めた四寸(約十二センチ)の小苦無しょうくないを払い、才蔵は旧臣楼から離れるように移動し始める。忍も追ってきた。なるべく、人がいない場所へ誘導しなければ……!


(でも、どこへ?)


 この上田城は昌幸が築城した平城ひらじろで、これまでに培われた智略のすいが込められている。城下町も含め、ここは難攻不落の砦であり、そこかしこに真田が守るべき領民たちが住んでいるのだ。

 才蔵は必死に考える。領民に被害を出さず、的確に相手の情報だけを持ち帰る方法を。……そう考えている間に、忍が三寸(約九センチ)の飛苦無とびくない(飛び道具用に軽量化された苦無)を打ってきた。才蔵は避け、同じく飛苦無を打つ。忍は避け、飛苦無、さらには手裏剣を打ってきた。才蔵は避けるが、その間に距離を詰められる。


(まずい……!)


 間合いをとろうと、つい手を出してしまった。ほぼ反射的なものだ。相手もやり返しては、それを防ぐ。組み合いとなった。手が出れば手、足が出れば足。力は拮抗しており、互いに攻めあぐねていたが、軍配は才蔵に上がった。どうにか切り抜けた才蔵は地面に着地する。忍もそれに続いた。二人の間には距離があった。組み合っている内に幸い、城内の中でも開けた場所に出ることができた。

 二人の息遣いだけが、互いの耳に届く。

「なぜ、こんなことを?」

 その問いかけに返答はない。

「答えなさい!」

 忍に飛苦無を打つ。それが黒頭巾を掠めた。裂け目から、するりと外れていく。

 闇夜に明るく、長い髪が舞い上がった。


「あ~あ、ばれちゃった」


 佐助だ。破けた黒頭巾を放り投げ、悪びれた様子もなく笑いかけてくる。

 才蔵の背中がうすら寒くなった。身構える。それは友の皮を被った得体が知れないものに対する警戒心の表れだった。

「……ずいぶん、佐助の真似がお上手なんですね」

「おっかしいな~。なんでそんなこと言うの~?」

「私の知る佐助は、幸村さまをなによりも優先します」

「うんうん」

「次に、仕事はまったくしません。私がいくら言ってもね」

「うん」

「不必要な殺人、仲間を襲ったりもしません」

 佐助の口の端が歪んだ。

「……そんな凶悪そうな笑みも浮かべません」

 佐助は肩を震わせ、声を上げて笑った。

「あ~あ、厄介なやつに見つかったもんだ」

 佐助の口調が変わった。才蔵は大苦無を構える。

「これ以上、その体で好き勝手するのはやめなさい」

「それはできない相談……だよ!」

 佐助が向かってくる。

 大苦無で彼の攻撃を受け止めるたびに、才蔵は眉をしかめた。


(なんて力だ。手がしびれる)


 攻撃を受け止めるたび、才蔵の手をなにかが駆け巡る。刃がぶつかり合うたびに火花がぜ、金属音が鳴り響く。攻防はしばらく続き、大苦無を左手に持ち替えては、右手に持ち替えるを繰り返す。佐助は楽しそうな笑みを浮かべている。強い獲物が不利になっていく過程に興奮しているのだろう。瞳を爛々らんらんとさせた佐助を見ながら、ふと才蔵の脳裏に『さいちゃん』と屈託のない声が響いた。思わず口元が緩んだ。


「余裕だね!」


 佐助でありながら調子の違う声に、才蔵は現実へと引き戻される。凄まじい金属音とともに、こすれ合い、火花を散らせる小苦無を受け止めていた。それを払い、後ろへと飛び退く。

 今度は才蔵が先手を打ち、攻撃を仕掛けた。ほんの一瞬だけ、反応に遅れたものの、彼は攻撃をかわす。守りから攻めに転じ始めた才蔵に驚き、動揺する。


 目が合った。


 才蔵の紫電の瞳が黄金に変わり、殺意が伝わってくる。それを目にした彼は命の危機を悟り、大きく才蔵の大苦無を払い、煙玉を放った。

 煙玉のせいで、視界不良となる才蔵。だが、彼は前進するのをやめなかった。真一文字に大苦無で煙を斬る。視界が開けたが、すでに佐助の姿はない。


 これ以上の追跡は不可能であった。



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