幻想戦国譚 六文銭の十本刀

緋崎水那

六文銭の十本刀

六文銭の十本刀/序

 四神島しじんじま――東方四神国とうほうしじんこく朱雀すざく信濃領しなのりょう上田城うえだじょう――旧臣楼きゅうしんろう周辺。


 季節は秋。時刻は草木も眠る丑三つ刻。

 木の上から塀に囲まれた武家屋敷をながめる影がひとつ。


(……どうしよう)


 影は迷っていた。自分の行動が身勝手なものだと自覚しているからだ。ふと敬愛する主君の姿が頭をよぎる。影は彼のためにいた。だが、主君の顔を思い浮かべるたび、決心が鈍る。――若さまは喜ぶだろうか? いいや、喜ぶどころか怒るかもしれない。しかし、その思いを振り切るかのように、勢いよく頭を振る。


(なにを臆するんだ。猿飛佐助幸吉さるとびさすけゆきよし! すべては若さまのため! 若さまに仇なす者は、たとえ昌幸まさゆきさまの家臣であった者でも許さない! そうだよ。お前は正しいことをしようとしているんじゃないか)


 そう自分に言い聞かせる。

(それに、おれは名ばかりの頭領。頭領なら、おれよりふさわしい人がいるんだから!)

 長い黒髪とみやびな風貌を持つ友人を思い浮かべた後、再び旧臣楼のほうへと目をやった。

 門の前には見張りが二人。

(まずは、あいつらをなんとかしないと)

 そう思っていた矢先、佐助の鼻を一瞬、死臭がくすぐった。

(なんだろ?)

 死臭の元を探ろうと目をやる。そこで気づいた。視線の先でなにかが動いている。それが門の方へと向かう。


(アヤカシ……なわけないか。モノノケかなぁ)


 四神島に巣くう怪物を連想したその時、見張り二人が身構える間もなく短い悲鳴を上げ、倒れる。――一瞬の出来事だった。


(な、なに!?)


 なにが起きたのか、理解できなかった。

 さらに、目を疑うことが起きた。目の前からそれが消えてしまったのである。

 消えてしまったそれを捜す間もなく、佐助の背中に戦慄が走った。背後から感じる禍々しい気配。振り返り、それを見た。さらに驚いた。それは紛れもなく人間の男だったが、その目は白目を剥き、その肌の色は生気に満ちた色ではなく青白い。男は奇声を発し、襲いかかってきた。

 佐助はとっさに一尺二寸(約三十六センチ)の大苦無だいくないを取り出し、払い、攻撃を避けた。木から落ちたものの、小柄な体は軽やかに回転し、体勢を崩すことなく地面に着地する。木の上の男が人とも思えぬ声で呻いている。


(そういえば、さいちゃんが言ってたっけな。西には、死体にアヤカシをとり憑かせる術式があるって)


 なるほど。さっきの死臭の元はこれに間違いない。しかし、それがなぜ、この上田城に現れるのか。


(やっぱり、旧臣楼のじいさまたち、なんか企んでるね)


 勝手はしたが、これは好機なのかもしれないと思った。

 男が「ぐがぉぉっ!」と奇声を発し、佐助めがけて襲いかかる。佐助が一歩、後ろへと飛び退く。その時だった。男の体がぼろぼろと崩れていったのである。それは砂のように流され、跡形もなく消えてしまった。残ったのは、彼が着ていた服だけだった。

 唖然とする佐助。どうやら、術式は未完成だったようだ。

 ともあれ、やはり自分の思ったとおりだ、とこの時ばかりはいたく感心した。自分を褒めてやりたい。このまま旧臣楼に忍び込みたいところだが――。

(――帰ろう)

 勝手な行動をしているという自覚はある。これ以上の深追いは危険だ。今なら、なにもなかったことにできる。

 佐助はそのまま主君と友、仲間の勇士たちがいる本丸へと戻った。



 ――それから数日後。


 旧臣楼周辺。数日前と同時刻。

 粗野な着こなしに帯刀した男が数人。提灯を持っている男を先頭に、旧臣楼から出てくる。彼らはなにも語らず、ただ同じ方向へ歩いていた。

 ふと、不自然な一陣の風が。木々の葉がざわめく。

 嫌な風だ、と誰もが思った時だった。

「ぎゃあ!」

 悲鳴とともに彼らを導く灯火ともしびが消えた。辺りは真っ暗でなにも見えない。風が止んだ途端、短い悲鳴があちこちで聞こえ、どさどさとなにかが倒れる音が響く。


 ――動けば、やられる。


 残された男は思った。警戒し、構える。だが、共にいた仲間の命を奪っていった風は、無慈悲にも男の命を奪い去る。あっけない最後であった。

 雲に隠されていた月が顔を出す。

 月の光に照らされ、ただ立つそれは黒い忍装束を身にまとい、黒頭巾で顔を隠していたが、瞳だけは隠していなかった。いや、隠せないといったほうが正しいだろう。


 空に浮かぶ月に対し、その瞳は朝焼けの太陽であった。


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