4. 薔薇の庭園にて

「わ、すごい」


 庭園に咲き誇る鮮やかな赤色に、ラルフは瞳を輝かせた。


「薔薇って育てるの大変らしいぜ。たぶんいいお抱え庭師がいるんだろうよ」


 オスカーと名乗った盗賊の少年は、またしても平然と隣に立っている。それでも一部の修道士が来るとササッと身を隠すところを見ると、滞在を完全に許されている訳ではないらしい。


「……あ、これも、咲かせられるかな」


 ラルフが取り出したのは、自分を救った「薔薇」が落としていたローズヒップ。隣で、怪訝そうな声がする。


『そのようなもの、この麗しい庭園に混ぜ込んでどうするのですか』

「……たぶん、負けないくらい綺麗に咲くと思うんだ」


 その言葉は、確信にも近かった。


「ふーん……ま、俺も頼んでみるだけなら手伝ってやるぜ?」


 兄貴風を吹かすような提案にも、少しの共感が滲んでいた。


「……と、ルインに餌やらねぇとだった」

「ルイン?」

「見てろよ」


 伸び放題の赤毛を風に揺らめかせながら、彼はヒュウッと口笛を吹いた。澄んだ音色が響き、庭の隅からぴょんぴょんと小さな影が現れる。


「そら、食えよ」


 くすねてきたパンくずをまだ飛べないツバメに与えながら、少年は優しげに微笑む。その様子を懐かしむような視線は、ラルフのものではなかった。

 ふと、彼の脳裏に閃いたのは、「名前」。


「……ルディ!」

「あ?」

「あっ」


 唐突なラルフの叫びに、金色の瞳が怪訝そうにそちらを向く。


「お、俺のあだ名……。ラルフって、なんか、響き固くないかなって……ルディも、ほら……似た感じの意味だし……」

「あー、確かに親しみやすいわな。ルディ。……いいんじゃねぇの? あ、音の感じとか真似たろ?」

「……バレた?」


 苦しい言い訳かとも思ったが、なんとか誤魔化せたらしい。

 ほっと息をつくラルフの耳に、今度は別の訝しげな声が届く。


『まさか、私の名ですか?』

「……嫌?」


 ツバメと戯れているオスカー(仮)に聞こえないよう、小声で問いかける。


『ああ……いえ。嫌というわけではありません』


 明らかに困惑した声に、彼は思わず吹き出してしまった。


「そっか。じゃあ……改めてよろしく、ルディ」

『……はい。ラルフ様』


 ラルフは何の変哲もない山村の出身ではあるが、父親は、本来ならばそんなところで木こりなどしていない。


「……本当は嫌いなんだけどね。教会とか」

『お父上は、よく聖書の一節を語っていましたが』

「そりゃあ父さんはね……。……元々は、そういう仕事してたらしいし」

『……そうでしたか』


 ふわりと、風が薔薇の匂いを運んでくる。

 だが、庭園の華やかな風景に心を奪われるには、足りないものがあった。


「それでよ! そん時にティグの野郎がさ」

「……よく喋るよね」

「ルインが楽しそうにするからな。お前も聞くか?」

「うーん。……今度聞く」


 足りなかったというよりは、多すぎたという方が正しい。

 風にライ麦の匂いが混ざる。ルインともう一人の朝食の香りだ。


「君、名前は?」


 その言葉があまりにさりげなかったからか、


「ミゲル」


 ミゲルも、普段なら告げるはずのない名前を告げてしまった。


「やっぱ今のなし!!」

「ふーん。ミゲルって言うんだ。じゃあ西の方から来たのか」

「おま、それ普通の田舎モンは知らねぇぞ!?」

「これでも父さんはミュンヘン……ケルンだったっかな……まあ、名のある街にいたらしくて」

「忘れてやんなよ……」

「……ど、どうでもよかったんだよ、その時は!」


 ルディから『ケルンです』という指摘が入ったが、下手に反応するわけにもいかない。

 掃除の時間を示す鐘がなり、ラルフは失敗を誤魔化すように持ち場へと向かった。



 数年後、とある英雄の甥が一揆を起こし、変革の渦は更に激しさを増していく。

 それ自体は多くの人が多かれ少なかれ予測していたことだとして……その結末は、まだ誰も知らない。

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