初陣③

「急げよ新人ジュニア共。戦場は待ってはくれないぞ」

「だったら、貴方達も、手伝ったらどうかしら⁉」

 物資を乗せた荷台を引きながら、アイカは隣を悠々とした足取りで歩く部隊長に言い放つ。

 補給拠点の隊長で、先ほどブリーフィングを執り行っていた男だ。周囲の隊員からはトバックと呼ばれている。

 人数の都合上、ハヤト達の第十分隊だけが四人編成となった。扱いの厄介な者の集まりとして認定された第十分隊は、後方支援の中でもとりわけ不人気な、物資運搬係を任された。

 ハヤト達が担当する物資は大量の水と食料を積んだ荷台だ。

 周囲の兵士達が持つ医療品や小道具に比べると、その差は一目で分かる。

「特別扱いは嫌なんだろ? だったら姫様でも新兵らしく貧乏くじ引かないとな」

「それともいっそ荷台に腰を下ろしたらどうだ? お姫様を乗せた素敵な馬車の完成ってな!」

 ギャハハハ、と兵士たちが声を上げて笑う。

「そんな事する訳ないでしょう! 何笑ってるのよ敵が近くにいたらバレバレじゃない! 移動中は静かにしないとダメでしょう!」

「オー怖い。そりゃ大変だ」

「皆お口にチャックしないとな!」

「大変ですトバック隊長! 息が出来ません!」

「「「「ギャハハハハハ!」」」」

「な、何が面白いのよ! 黙りなさい!」

 四方八方から上がる笑い声に、アイカは右へ左へ忙しなく身体を振って叱咤しった叱責しっせきする。

「まるで遠足だぜ」

 正面で荷台を引くアイカの後方、背後から荷台を押しながらレインが言う。

「これが遠足か。思ったより大変なんだな」

「ワシの時代にゃ遠足なんぞなかったが、最近の子供はこんな過酷な事を行楽にしているのか」

 同じ様に荷台を押すハヤトとクラウスを見ながら、レインはため息をつく。

「あのなぁ、爺さんはともかく何でハヤトはそんな間抜けな言葉が出てくるんだよ」

「間抜け? なにか変な事を言ったか?」

「……もういいや。それより、いいのかよハヤト。姫様が兵士共のおもちゃにされてるぞ。あいつ等、アイカちゃんの覚悟につけこんで好き勝手遊んでやがる」

 荷台を押しながらレインが言う。クラウスも気になるのか、視線はハヤトに向けられている。

「俺達が心配する様なことは何もないよ」

 しかし、ハヤトは言葉通り何も心配した様子もなく、普段通りの口調で言う。

 レインは再度前を歩くアイカを見る。荷台の操作を一手に引き受けながら、口々に放たれる冷やかしの声に次々と応戦している。その勢いは最早、自分で言っていた『移動中は静かに』を完全に忘れている。

「そうは見えないけどな」

「いいから任務に集中しろ。さっきからサボってるの分かってるんだからな」

「はぁ、全く何で俺がこんな雑用しなきゃいけねぇんだか」

「俺やアイカを差し置き、お前がそれを言うか」

 アイカを弄ぶ兵士達と、それを叱るアイカの声を道中の御供にしながら、ハヤト達は長い林道を進んでいく。

 やがて前方に森の出口が見え、その先にこの辺り一帯の戦場『クアッド平野戦線』の本拠地が見え始める。その頃には、先ほどまで高笑いしていた兵士たちも口を噤み始めた。

「覚悟しろよ姫様。ここから先は歴戦の兵士でも一瞬で命を落とす戦場だ。息を殺して付いて来い」

 トバックが真剣な面持ちで言う。その表情は先ほどまでと打って変わってとても険しい。

 運搬係であるハヤト達と数名の兵士を除き、全員が武器を構える。周囲の空気が固く張り詰める。

「……ねぇ、ハヤト」

 空気が変わった事を感じ取ったのか、アイカが緊張した面持ちでハヤトに振り返る。

「どうした?」

「えっと……」

 どこか言い辛そうに視線を泳がせるアイカ。

 直感的に、ハヤトは行動に移る。

「大丈夫だ」

 アイカの隣に立ち、ハヤトはそう言った。

「……うん」

 たったそれだけで、アイカの表情から不安が消える。安心した様な、どことなく誇らし気な微笑みを浮かべる。

「こっちは全然大丈夫じゃないんだがー。ヤロウと爺さんだけじゃキツいぜ」

「前から引っ張ってやるから勘弁しろよ」

「ワシ等の事は気にせんでいい。姫様の護衛に付いてあげなさい」

「ありがとうございます、クラウスさん」

 ハヤト達補給部隊は本拠地の裏側から進入し、補給部隊長が見張りの兵士と見合う。

 互いに敬礼をして、短い会話を交わした後、ハヤト達は本拠地の中へと通された。

 本拠地はハヤト達のいる後方拠点よりも簡素な作りになっていた。拠点の広さも、テントの数も補給拠点に比べれば少ない。

 ただし、数が少ない分、一つ一つのテントは大きかった。

 この時間帯は戦場である内陸部へ出張っている為、兵士の姿はほとんど見られなかった。

 そこからはあっという間だった。

 案内されたテントの前で荷台を下ろし、ハヤト達補給部隊はてきぱきと物資を運び、空になった荷台を引いて本拠地を出る。

 行きに通った林道を抜け、ハヤト達は元の補給拠点へと帰還する。

「……終わったの?」

「あぁ、終わったな」

 呆然とするアイカに、ハヤトは労いの気持ちを込めて言う。

「……え、本当に?」

「任務、完了だ」

「……………………えぇ」

 こうして、アイカの初めての任務は無事に、何事もなく、流れる様に初日を終えた。


          §       §       §


「バッカみたい!」

 グラスいっぱいに入った果実水を勢いよく飲み干した後に、アイカはそう叫んだ。

「私がどれだけの決意と覚悟を持ってこの実習に備えていたか解る⁉」

「まぁまぁ」

 普段より少し気性が荒くなっているアイカを宥めながら、ハヤトは空になったアイカのグラスに赤紫色の果実水を少量だけ注ぐ。

「それなのに軍の人達ったらね、ここの戦場は泣く子も黙る戦場だとか、人を食う邪悪な魔獣がうようよいるとか言ってたのね。だからいつでも、何があっても対応出来る様に神経をとがらせていたっていうのに、何にもないの!」

「まぁまぁ」

「それは私だって何か危険な事が起こってほしかった訳じゃないわ。安全である事に越したことはないの。でも、私が怒ってるのはそこじゃないの! 軍の人達、ホントは何にも起こらない事を知ってて私にあんなおどかす様な言い方をしたの!」

「まぁまぁ」

「私を、ふぃりあきょうわこくの王女であるこの私を騙して皆で笑ってたの!」

「まぁまぁ」

「まぁまぁしか言わないの嫌!」

「どぅどぅ」

 ぎゃあぎゃあと喚くアイカを慣れた様子で宥めるハヤト。

 そんな二人のやり取りを見ながら、向かいに腰掛けるレインとクラウスは呆然と目の前で繰り広げられるやり取りを眺めている。

「……どう思うよ? この漫才」

「貫録と安定感を感じるのぉ」

 レインとクラウスは同時に手に持ったグラスを煽る。

 夕刻を過ぎ、辺りはすっかり暗くなっていた。

 ハヤト達は補給拠点の入り口、前線に向かう際に通った森が一望できる場所で焚火を囲んでいた。辺りにはハヤト達第十分隊以外、人の姿は見られない。

 補給拠点の中央付近からは華やかな音楽と楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 アイカがここまで荒れている理由は、そこにあった。

「おかしいわ。私達だけに見張りをやらせて、自分達だけ好き勝手するなんて」

「仕方ねぇじゃん隊長の命令なんだから」

 レインの声に、アイカはぶんぶんと首を横に振る。

「いいえダメよ。人の上に立つ者がそんな事では。人を率いる者こそ、誰よりも真剣に、正しく在らなければダメなの。じゃないと組織の骨組みが無くなって立ち行かなくなるわ」

「お堅いな」

「柔軟ではダメなの。指針の無い、自信も無い者に人を率いる事は出来ないわ。待っているのは無秩序と乱雑な枠組みだけ。だからこそ上に立つべき人は誰よりも凛々しく、正しくなければならないのよ」

 そう言ってアイカは胸を張る。自分の言葉に誇りを感じている、そんな風に満足気だ。

「正しく在る、ねぇ……俺には何だか息苦しく思えてならねぇけどな」

「考え方は人それぞれ。無理に考えを変えることはないじゃろう。そう思える時があれば、また考えてみると良い」

 クラウスはハヤト達とは違う、辛味の強い果実水をグラスに注ぎながら言った。

 せめてもの恩情なのか、トバックから渡された食料と果実水で、アイカ達は細やかな親睦会を楽しんでいた。

 見張りは交代制で、今はハヤトが皆に背を向け、見張りを行っている。

「それにしても立派な姫様じゃな、アイカ姫は。王族としての責任をしっかりと考えておるのが伝わって来る。フィリア共和国は安泰じゃな」

「私なんてまだまだです。お父様やお母様から教えられてばかりで、自分ではまだ何も出来はしません」

「そんな事はねぇだろ? アイカちゃんは世界でも有数の幻獣種使いの霊獣士。『ビースト・リンク』だってアイカちゃんが生み出したんだろ」

「先ほど言っていた術式か。一から術式を作り出すなど、ワシ等では出来ない偉業じゃて。一体どうすればその若さで術式を編み出せるんじゃ? 良ければ聞かせてくれんか」

 それはハヤトも気になっていた。術式とは過去の霊獣士達が人生を費やして研究し、追究し、ようやく今の形に築き上げた、謂わば歴史である。

 いくら基盤があるとはいえ、アイカの若さで術式を作り上げるなんて事は奇跡に近い。

「私は本当に恵まれていただけなの。私だって『ビースト・リンク』以外に術式を作る事なんて出来ないわ。色んな事が上手く咬み合ってくれただけ。私はただの見習い霊獣士で、研究者じゃないわ。中々信じてもらえないんだけども」

「謎が多いからのぉ。その『ビースト・リンク』とやらも秘匿しておるのだろう?」

「秘匿、というよりも説明できないという方が正しいですわ。私はこの術式を『神速詠唱』と掛け合わせて独自の組み立てで術式を発動していますから、通常の術式組み立てでは成立しない部分がまだ多くて」

「それは、つまりどういうことだ?」

 訳が分からないという風に、レインが首を捻る。

 うーん、とどう説明すべきか悩むアイカの代わりに、口を開いたのはハヤトだった。

「積み木ってあるだろ。一つの物を作るのに幾つかのパーツを組み合わせて作る玩具。術式は正にそれなんだよ。『獣弾』を作る為に『積み木術式』を無数に組み合わせて『形作る展開する』。この一定の手順を踏んで術式は発動しているんだが、アイカの場合、この手順が我流なんだ。積み木で例えればいきなり『獣弾』を『形作れる展開できる』訳だ」

「なんと! アイカ姫の中では最初から『獣弾』の形をした『積み木術式』があるというのか」

 身を乗り出して驚くクラウスに、ハヤトは肩越しに振り返って頷く。

「正しくは即座に作れるという方が正しいのかもしれない、と俺は意地悪な霊獣士から聞きました。アイカの我獣特性は未だ謎が多いので断定は出来ないそうです」

「なるほどのぅ、独自の型があるのか。ならば説明しても理解出来ん訳じゃ」

「アイカは昔から人に説明するのが苦手な天才肌ですから。幼い頃なんて特に酷くて、そのほとんどが身体言語ボディランゲージで──」

「わ、私の事はもういいでしょ! それよりクラウスさんの事が聞きたいわ」

 場の空気を掻き回す様に両手を振り回し、アイカはクラウスの傍にあるボトルを持ち上げる。

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