初陣

「ハヤト! 見えてきたわよ!」

 アイカは照り付ける日差しを右手の掌で遮りながら、遠くに見えた町並みを眺める。

 ハヤトも屋内から出て船のデッキにいるアイカの隣に並び立つ。

 途端に注がれる日差しと潮風の心地良い爽快感を胸いっぱいに感じながら、階下に広がる一面の青さに少しだけ圧された気持ちになる。

「身を乗り出し過ぎて突然の海水浴ってのは無しだぞ」

「わ、分かってるわよ。でも、それもいいかもしれないわね」

 アイカは気持ちよさそうに目を細め、爽やかな潮風を堪能している。

 ハヤト達は今、フィリア共和国から出る定期船に乗って西の大陸、シルフィード大陸へと渡っていた。

「あれが西の大陸、シルフィード大陸なのね」

 アイカが感慨深そうに、ジッと水平線に見え始めた大陸を見つめる。

「そういえばアイカが島の外に出るのってこれが初めてじゃないか?」

 ハヤトの言葉に、アイカはこくりと頷く。

「えぇ。島の外に出るのはこれが初めてよ。島を出ますってお父様とお母様に『波音はおんせき』で伝えたんだけど、凄く心配されたわ。二人とも『今から家に帰るから話し合おう』なんていうのよ。まるで一人で外にも出られない子みたい」

 少し頬を膨らませてアイカは言う。

「それだけ大事に想われてるんだよ」

「でもハヤトが一緒だって言ったら安心して送り出してくれたわ。『今度時間が取れたら顔を見たい』ですって。大事にされてるのは貴方も同じよ、ハヤト」

 潮風に靡く金糸の髪をそっと掻き上げながら、アイカは微笑んだ。

「俺も会いたいよ」

「きっと会食だけじゃ済まないわよ。何せ三年分なんだから」

「立食パーティーじゃない事だけを祈るよ。だがそれも無事に帰ってこその話だ、アイカ。これから向かう場所はリゾート地なんかじゃ決してない。天国とは真逆に位置する地獄の様な戦場だ。緩んだ気持ちで向かえる場所じゃない」

「えぇ、分かっているわ。自分が今どこに向かっているのかは、ちゃんと分かってる」

 アイカも表情を引き締める。遊びでない事はアイカも重々承知している。

「そろそろ港に降りる準備をしないとね。私は部屋で荷物を纏めてくるわ。レインにも言っておいてくれる?」

「あぁ、分かった」

 お願いね、と言い残し、アイカは船内へと続く扉を潜っていく。

「そういえば『映像石』って持ってきてたかしら。他の国の町並みも撮っておきたいわね……」

「……」

 去り際に聞こえた独り言にはあえて触れずに、ハヤトは先ほどから姿を見せないレインを探す為に辺りを見回す。

 開けた甲板には荷物運びや貨物のチェックをしている船員の他にセカンドニールの生徒の姿も見える。その一つ上の階には付き添いで乗員しているルドルフ学園長とセカンドニールの学園長がいる。仕事の話をしているのか、シャンパンを片手に船旅を満喫しているのかは、残念ながらハヤトの所からは見えない。

 定期船は一般的な帆を張るタイプの船ではなく、船底にあるスクリューを獣電石によって回転させている。製造費は凄まじいが気候に影響されず安定した速度を保てるのが魅力だ。

 故に上部甲板は開けており、比較的人は見つけ易くなっているはずなのだが、レインの姿は見当たらなかった。

 部屋で休んでいるのかと思い、ハヤトも船内に入ろうとした時、階下に見知った金髪頭を捉えた。

 そこはハヤトの居るフロアから二層下、一般の利用客ならあまり使うことの無い貨物庫のフロアだ。

「……」

 レインは辺りを見回した後、手に持っていた『波音石』に獣力を注ぎ、中指で弾く様に小突いた。

 どうやら誰かと連絡を取っている様だ。

 ハヤトは大胆にもデッキの手すりから身を乗り出し、音を立てない様に一つ下の階へと滑り込む。そのまま手すりを背にしてレインの通話に耳を傾ける。

 無粋なのは百も承知だった。戦場へ向かう前に家族や恋人など、親しい者に連絡をする事は何もおかしい事はない。寧ろ自然な行動といえる。

 しかし、この時ハヤトは胸に引っかかる何かを感じていた。

 ただの知人への連絡なら後で飯でも奢って謝ろう、と。罪悪感と使命感が混濁する中、ハヤトは階下の声に耳を傾ける。

「──はい。分かっています……俺に抜かりはありません……えぇ、親父とは違いますから」

 波の音で相手の声までははっきりと聴き取れないが、レインは確かにそう言った。

(親父……?)

 以前、ベルニカがレインに言っていた事を思い出す。

『君もそれなりに事情を抱えている様だね。ヴァーミリオン家といえば凡そ察しが付く』

 初めてレネゲイドを退けた時、ベルニカはそう言っていた。

(ベルニカは何か知っている風だったが……)

 しかし、これは個人の事情。ハヤトが盗み聞きして良い通話ではない。

 悪い事をした、と思いながらハヤトが立ち去ろうとした、

 その時。


「任務は必ず遂行してみせます」


 通話の最後に聞こえてきたのは、そんな言葉だった。

「……」

 通話が終わったのを確認して、ハヤトは手すりに手を掛ける。そのまま階下に飛び込もうと手すりを握る手に力を込めた、その時。

「くそっ……!」

 階下から、苛立った声がして、ハヤトは立ち止まる。

「どうしろってんだよ……」

 弱弱しい声で、レインは誰に言うでもなく呟いた。

 やがて、レインは静かにその場を去った。

 ハヤトは手すりを握ったまま動かなかった。

 波を斬る様に進む船に揺られながら、ハヤトはただ、波の荒れる音を聞き続けた。


          §       §       §


「付き添いはここまでだが、皆忘れ物はないかね」

 船着き場に降りようとするハヤト達に、ルドルフは最後の確認を取る。

「大丈夫ですわ。ありがとうございます、ルドルフ学園長」

「迎えの時は是非アイカちゃんと同じランクの部屋を予約してほしいぜ。船底のベッドじゃ戦場帰りの疲れが取れそうにねぇ」

 いつもの調子でレインが言う。四人一部屋の物置みたいな寝室だったハヤト達と違い、アイカは王族用の特室を用意されていた。最初は特別扱いは必要ないというアイカだったが、ハヤト達の部屋を見るなり、粛々と特室へ引き返していった。

「流石に同じ部屋とはいかないが、客室用の部屋の手配は善処しよう」

「よかったわね、レイン」

 嬉しそうに拳を握るレインに、アイカは微笑む。

「それではまた三日後に」

「うむ、無事に帰ってきてくれる事を祈っているよ」

 船から手を振るルドルフと別れ、ハヤトとレインは荷物片手に、アイカは両手一杯の荷物を持って港に降り立つ。

「アイカちゃんよぉ、そんな大荷物どうしようってんだよ。バカンスに来た訳じゃないぜ?」

「分かってるわよ。必要最低限の荷物しか持ってきちゃダメなんでしょ」

 これでも厳選したのだと言わんばかりに不満そうな顔でアイカは言う。レインは黙ってハヤトの方を見る。

「姫様は何かと物入りらしい」

「おいおい甘過ぎるんじゃねぇか隊長さーん」

「つべこべ言わずに行くわよ二人共。ハヤトはこれお願いね」

 大荷物の片方を当然の様にハヤトに差し出し、アイカは意気揚々と歩き出す。

 港を抜けたハヤト達を出迎えたのは、以外にも活気盛んな露店ひしめく町並みだった。

 海岸都市『クアッドビーチ』。

 シルフィード大陸の南東に位置するこの都市は海上貿易が盛んで、港は常に船が止まり、忙しなく荷物を運ぶ船乗り達で賑わいを見せている。

 賑やかなのは港だけではない。船乗りたちが休憩をとる街中も必然、楽し気な喧騒で溢れかえっている。

「今朝上げたばかりの新鮮な魚だよ! 澄んだ魚の眼を見てっておくれよ!」「捻じれ海藻を粉末にした特製調味料だ! 一掬い入れるだけでうるさい旦那もイチコロさね!」「船乗りの強い味方! 朝昼晩何時でも空いてる酒場『のみたい』はここだよ! さぁ入った入った!」

「凄い賑わいね」

 アイカは活気に溢れた辺りを見回しながら言う。

「本当にここは戦争区域なのかしら」

「確かにここはまだ他に比べて安全な街だ。でも、それは表向きだけだ」

 ハヤトの視線が露店から外れる。ハヤトの視線を追う様にアイカは賑わう露店の裏、日の当たらない建物の隙間に目を凝らす。

 そこには、ボロボロの薄着で佇む人達の姿があった。一人や二人ではない。路地が変わる毎に数人、怨めしそうに表の喧騒を睨んでいる。

 路地裏から注がれる異様な視線を、表を行き交う人は気にも留めない。まるで何もいないかの様に、存在を確認していないかのように自然な笑顔を浮かべている。

「これがこの町の『普通』なんだ」

「……こ、こんなのダメだわ。この町の市長にいって対策を取らせないと」

「無駄だぜ」

 はっきりとレインが言う。

「この街にいったい何人の貧民がいると思う? 一朝一夕で何とかなる問題なら戦争なんて起きちゃいない」

「でも……」

「この街だけの問題じゃねぇ。他の街にぁここの何十倍も貧民がいるんだぜ。仮にここの連中を何とかできたとしてもそいつ等はどうする? 王族の権力で移民でもするか?」

「……それは」

「言葉が過ぎるぞ、レイン」

 ハヤトはレインを咎める。

「アイカは今日が初めての戦場だ。最初から全て見えている訳じゃない」

「……へいへい、悪かったよ。俺はただ自分勝手な考えで動けば迷惑をかけるって事を言いたかっただけだ。自分にも、周りにもな」

 レインはどこか斜に構えた態度で謝った。いつもの気楽で朗らかな彼らしくない。

「新入り《アイカ》に優しく出来ないのなら、お前は三流モヤシだ」

「モヤシって言うな!」

「威勢はあるな。その調子で頼むぞ」

 賑やかな町並みを抜け、指定された待機場所である街の広場に来たハヤト達は、既に待機していた軍服の男性の元へ向かう。

「フィリアリア学生部隊、到着しました」

 ハヤト達は背筋を伸ばし、右手の甲を見せる様に掲げる。胸の前で掲げた拳を見せるその行為は霊獣連合で採用されている挨拶だ。『力を示す拳』と『信念を示す心』を同じ高さにする事で『力に溺れず、志を忘れず、どちらも欠けてはならない均衡である』事を体現する為に作られた作法だ。

 ハヤト達の『敬礼』に対して、軍服の男性も同じ様に右手を掲げて返礼する。

「お前達が最後のお子様部隊だな。一国の姫様を連れてくるなんて、正気かフィリアの島国は」

「私だって霊獣士を志す者の一人ですわ。隣国観光ならもう少し素敵な場所を選びます」

「ほぅ、中々口の回る姫様だ。結構、ならば一人の同志として歓迎しよう。ようこそあいしかないくそったれの戦場へ。直ぐに拠点に移動するぞ。獣車に乗り込め」

 街の出口に用意されていた獣自動車にハヤト達はすばやく乗り込む。軍服の男性の操縦で獣自動車が軽快な動作で動き出す。

 運転席には軍服の男性。その隣にハヤト、後ろにアイカとレインが座っている。

「獣車を手配してくれているなんて、少し特別扱いが過ぎるんじゃなくて?」

 アイカの疑問に、ハヤトは前を見ながら言う。

「そうでもないさ。軍じゃ獣車は一般兵でも運用する。広域を移動する時なんて何十台も並んで走ったりするぞ」

「それは、凄いわね」

「必要となれば金を惜しまないのが軍って所だからな。獣自動車に限らず、様々な最新獣機が軍では開発、運用されている。『獣骸武器レムナント』も発祥はランドスタン帝国だが、今ではその技術を応用したガルブ大陸産の『獣機器クオンタム』として世界に普及しているくらいだしな」

『獣結晶を用いて兵器を運用する獣骸武器』は危険だが、同時に凄まじく洗練された運用方法である事も確かだった。

 戦後、そこに目を付けた東のガルブ大陸の商人が何とか安全に、かつ無害に使用できないものかと霊獣士に協力を仰ぎ、完成したのが全世界に普及している『獣機器』の始まりだ。

 獣力を蓄えた獣石を浪費して機器を動かすこの『獣機器』は瞬く間に日々の生活を豊かなものへと変貌させた。ハヤトが見た『映像石』や『獣自動車ホース・ギア』などもその一つだ。

「『獣機器』を生み出したガルブ大陸の首都には、雲に届くほどの長い鉄の建物が何本も生えてるっていうじゃねぇか。一度でいいから見てみたいもんだ」

 軍服の男性はそう言ってハンドルに獣力を注ぎ込み、速度を上げた。

 街の外周門を抜け、広大な草原地帯を獣自動車が軽快に超えていく。

「紹介が遅れたな! 俺の名はガイド! お前達はこれが初陣か!」

 風を切って走る為、自然と声は張り上がる。

「俺とレインは何度か暴れてます! アイカはこれが初めてです!」

「やっぱりな。道理で物怖じしてない訳だ。何でさっきの甘ちゃん共が前線で、お前達が後方支援なんだかなー」

「ガイドさんは前線組なんですか!」

「バリバリの最前線だ! 先日まで負傷で後方治療を受けていたが、今日からまた鉄砲玉に逆戻りって訳だ。ついでにこんなお使いまで頼まれる始末だ。人使いが荒いなんてレベルじゃねぇよな全く!」

「戦線が出来たのはいつ頃から?」

「一月ほど前だ! 最初は血気盛んで手を焼かされたが、その後は特に意味もなく小突いて来やがる。攻めてきたかと思いきや直ぐに逃げ帰る。最近はそればかりらしい」

「連戦で参ってるんだろ、きっと。さっさと攻め倒しちまえばいいのに」

 両手を頭の後ろに回し、レインは簡単そうに言う。

「そんな単純じゃないんだよ戦場ってのは。だが、いい加減こっち側も付き合いきれないと判断したみたいだ。詳しくは拠点隊長から聞かされるだろうよ。ほら、あそこだ」

 ガイドが指差した先に、無数のテントが張られた丘が見える。テントの奥、少し開けた平野に軍の兵士達が集まっている。人数は凡そ、三百人。

「どうやら全体ブリーフィングが始まるみたいだ。荷物を下ろしたら直ぐに行った方がいいぞ」

「ガイドさんは一緒じゃないの?」

 アイカの問いかけに、ガイドは首を横に振る。

「言ったろ。俺は前線組だ。お前等を下ろしたらそのまま前線に向かう。いいか、後方支援だからって呑気に構えてんじゃないぞ。後方支援がなけりゃ前線なんてあっという間に瓦解するんだからな!」

「後方はお任せ下さいな。精一杯頑張りますわ!」

「頼りにしてるぜ!」

 アイカの力強い返事に、ガイドは大口を開けて笑った。

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