嵐の編入式

 翌日。

 ハヤトは自室でベルニカから渡されたフィリアリア聖徴兵学園の制服に袖を通していた。

「これがフィリアリアの制服か……」

姿見に映る自分の姿を眺めながら、ハヤトは一人呟く。

 青い線をあしらった白いブレザーに、黒いズボン。こちらもブレザーと同様に青い線が入っている。昨日アイカが来ていた女子用制服と似た作りだが、胸元のリボンは男子用だと赤いネクタイに変わっていた。

「なんか想像してたよりずっと動きやすい制服だな」

「それはそうだよ。いくら平和ボケしているとはいえ、一応は霊獣士育成学校なんだ。実習訓練でも動きやすい作りになっているんだ」

 ハヤトが体を振り動かしていると、部屋の入り口からそんな言葉が返ってきた。振り向くと、そこにはいつも通りの漆黒のスーツに身を包んだベルニカが立っていた。

「おはよう、ハヤト。よく眠れたかい?」

「おはよう、まぁいつも通りに」

 朝の挨拶を交わしながらハヤトが制服を着終えると、ベルニカはハヤトの前に立ち、制服の採寸を確認する。

「うむ、サイズもピッタリだな。何処か不具合はないかい?」

「だ、大丈夫だよ。気にかけすぎだって」

「まぁそう言わずに私の気が済むまで付き合ってくれ」

 仕方なくハヤトはベルニカの採寸が終わるまでじっと耐える。謎の気恥ずかしさに耐える事数分。ようやく満足したのか、ベルニカはハヤトの両肩に手を置いて一度大きく頷いた。

「うむ、実に似合っているよ。やはりキミもまだまだ年相応な体験をしなければならんね」

「あんな修行させてたアンタにだけはいわれたくないよ」

 ジトリとした視線でハヤトが睨み付けるも、ベルニカはいつもの笑みを浮かべるだけであまり効果は期待できそうになかった。

「あぁ、そうだ。一つ言っておかなければならないことがあった」

 諦めて身支度を進めるハヤトの背を眺めながら、ベルニカがふと思い出した様に言う。

「学校に着いたらまずは学園長室に行ってくれ。学園長のルドルフには話を通してあるから」

「あぁ、急な編入だもんな。色々聞いておかないといけないこともあるだろうし」

「うむ……本当にいろいろと、な」

 どこかいつもとは違う雰囲気のベルニカに、ハヤトが首を傾げていると、

 チリンチリーン。

 家の呼び鈴が鳴り、ベルニカが窓から外を覗き見る。

「おっと、どうやらお迎えが来たようだよ?」

 ベルニカがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて言ったので、相手が誰なのかすぐに分かった。

 ハヤトも窓から外を見ると、玄関先に佇むアイカの姿が見えた。玄関前に立つアイカは何処か落ち着きがなく、緊張した面持ちをしている様に見える。

「一人でくるのは危険なんじゃないか?」

「ふむ……今までは王都からそのまま学校に向かっていたから、下町に来ることはなかったんだがね」

 王族であるアイカの家は当然、王都にある。つまり、アイカは自宅がある王都から町の中腹にある学校を通り過ぎ、わざわざ下町にあるベルニカの家まで来ているのだ。

「人眼の多い場で襲って来ないとは思うが、危険を減らす為にもこれからはキミがアイカ君を迎えに行く方がいいだろう。頼りになる王子様が学校へエスコートしてくれるというわけだ」

「誰が王子様だ。護衛だ、護衛。それにしてもまた面倒なことするなぁ」

 しきりに前髪を整えているアイカの姿を見ながら、ハヤトは呆れた声を上げる。

「どう考えても面倒だろ……」

「──と、言ってる割には嬉しそうな顔をしているじゃないか、ハヤト?」

「なっ⁉」

 ハヤトは慌てて自分の顔を触って確認する。

「ふふっ、冗談だ」

「……ぐ」

 ハヤトは悔しそうに歯噛みする。

 顔を触った時点でハヤトの敗北は決定的なものになっていた。

「弄るのはこれくらいにして玄関に行こうか。アイカ君が待ちくたびれてしまう」

「面と向かって弄るとか言わないでくれる? 悲しいから」

「善処するよ」

「確約はしてくれないんだな……」

 ハヤトはがっくりと肩を落とし、机に置いた鞄を持って玄関へ向かう。

 ハヤトが玄関を開けると、今まさにもう一度ベルを鳴らそうとしていたアイカが驚いた様に目を見張る。改めてフィリアリアの制服に身を包んだアイカの姿に、ハヤトは息を呑む。

 白と黒のコントラストが特徴の制服に、頭の後ろに二つ結った金糸の髪が良く映える。その姿はとても可憐で、且つ美しかった。

 アイカも同じ様にハヤトの姿を見たまま硬直していた。互いに硬直したまま、挨拶と言う第一声のタイミングを逃してしまう。

 そして、会話というのは面倒な事に第一声を外してしまったらギクシャクしてしまいがちだ。

 しかも、それがお互いとなれば尚更。

 呼び鈴を押そうと身を乗り出した状態のまま固まっているアイカと、玄関を開けたまま立っているハヤト。

 五秒くらいしただろうか、ハヤトがハッと我に返って挨拶を交わす。

「お、おはよう……」

 それを聞いたアイカもようやく我に返り、慌てて呼び鈴から離れ、ピシッと背筋を伸ばし、

「お、おはにょう!」

 と、上ずった声で返事した。

「…………」

「…………」

 小鳥のさえずりだけが聞こえる家先で、

「うん、今日も良い一日になりそうだね」

 ベルニカの呑気な声が、晴天の空に消えていった。


           §      §      §


「うぅ、大失態だわ……」

「まぁ……なんだ。元気出せよ」

 隣で項垂れるアイカに、ハヤトは励ましの言葉を贈る。

二人はようやくフィリアリア聖徴兵学園に向かって歩き出していた。こうも気まずい朝は無いと思えるほど奇妙な出発となってしまったが、今は何とか落ち着きを取り戻せた所だ。

「そういえば、俺は周りになんて説明したらいいんだ?」

 ようやく背筋を伸ばして歩き始めたアイカに、ハヤトは尋ねる。アイカを護衛するには、なるべくアイカの近くにいなければならない。しかし、アイカの近くにいたら、また王子様騒動が起きてしまう。ましてや、話題のご本人となれば、尚更だ。

「それに関してはすでに対策を考えてるわ」

「へぇ、その対策ってのは?」

「ふふん、それは学校に着いてのお楽しみよ」

「もったいぶるなよ……」

 どこか蠱惑こわくてきに微笑むアイカに、ハヤトはげんなりする。妙な所がベルニカに似てきている様な気がするのは、きっとハヤトの気のせいではないだろう。

 そんなハヤトの反応にとても楽しそうに笑うアイカ。たったそれだけで、ハヤトも嬉しくなってしまう。

 こんなに穏やかな時間はいつ以来だろう、とハヤトはふと思った。

 今まではひたすら修行に明け暮れ、こんなに穏やかな気持ちを感じる暇なんてなかった。

 休暇だってベルニカはしっかり与えてくれていた。だが、そんな時でもハヤトは気を緩める事を良しとしなかった。気を抜いてしまえば、また獣力が暴走するんじゃないかと怯え、常に気を張って毎日を過ごしていた。

(今でこそ獣力を制御できているが、いまだ欠点も抱え込んでいる……)

 つまり、まだ完璧じゃない。

 それがハヤトを不安にさせ、気を緩めるのを許さなかった。

 だが、アイカはそんなハヤトの心を自然に和らげてくれる。それはもう、一種の術式なんじゃないかと思えるくらいに。

「あ、見えてきたわよ」

 アイカがハヤトの袖を引っ張り、前方を指差す。

 内側に潜り込んでいた思慮しりょを中断し、ハヤトが前を見ると、等間隔で並んだ街灯の先に大仰な赤茶色の門が見えてきた。

「ここがフィリアリア聖徴兵学園か……」

 レンガ造りの門を潜り、ハヤト達は樹木に挟まれた坂道を上る。自然の柱が並ぶ緩やかな坂を上りきると、ハヤト達の前方に校門と同じ色合いの校舎が見えた。頑丈そうな外見だが、見る者に穏やかなイメージを持たせる、不思議な雰囲気をした校舎だ。

 その校舎の前、ハヤト達から向かって右側には目の前の校舎が優に三つは入りそうな程広大なグランドが広がっている。

「このグラウンドで毎年行われる『大練武祭だいれんぶさい』はフィリアリア全土から人が集まるほど大きなイベントなのよ」

「そんなに盛り上がるイベントなのか? 言い換えれば体育祭だろ?」

「もちろん、それだけ盛り上がる理由の一つは、他の学校との合同イベントだからよ」

「へぇ、ほかの学校と一緒にやるのか」

「えぇ。他校から選抜された霊獣士候補生と競い合ったりもするから、『大練武祭』はとても大きな催しとして有名なはずなんだけど……おかしいわね、いくら修行に出ていたからって、こんな大きなイベントを知らないなんて……ハヤト、貴方一体今までどこにいたのよ?」

 不審がるアイカの視線から逃れる様に、ハヤトは顔を逸らす。

「少なくとも、そういったイベントとはまったく無縁の所だよ」

「ふぅん……まぁいいわ、早く学園長室にいきましょう」

 あっさりと引いてくれたアイカに内心安堵しつつ、ハヤトは学園長室へと案内してくれる彼女に続いて歩く。

 コン、コン。

 学園長室と書かれたプレートが付いた部屋の前でアイカがノックすると、中からどうぞ、と言う声が聞こえたので、アイカはドアを開ける。

「一年A組、アイカ・レイス・セインファルトです。ごきげんよう、学園長」

 片足を引き、優雅に膝を追って挨拶をするアイカは既にお姫様モードに切り替わっていた。

「おぉ、これはこれはアイカ嬢ではありませんか。どうかお顔をお上げください」

 そういって慌てて席から立ち上がったのは、彫りの深い顔立ちの男だった。

「ハヤト、こちらがこの学校の学園長のルドルフ・ジンネマン学園長よ」

 アイカの紹介を受け、ハヤトはピシッと姿勢を伸ばし、機械的な動作で頭を下げる。

「初めまして、シノハラ・ハヤトです。急な編入の承諾、本当にありがとうございます」

「君がシノハラ・ハヤト君だね。ベルニカさんから話は聞いてるよ。そう堅くならんでくれ、君も今日から我が校の生徒なんだから」

 そう言ってルドルフは朗らかに笑った。

「ベルニカさんが言うには中々腕が立つようじゃないか。ぜひここでその実力を研磨していってくれたらと思う。まぁ……君には少し退屈過ぎるかもしれんがね」

「……」

 何処か含みのある物言いのルドルフに、ハヤトは何も言わず黙礼した。どうやらベルニカからある程度事情は聞いている様だった。

「今日ここに来てもらったのは挨拶もそうだが、今日の打ち合わせも兼ねているんだ。シノハラ君にはこの後に行う全校集会の場で皆に挨拶してもらいたい」

「学園長の真似をすればいいんですね」

「ハハハ、そうだ。君の紹介は私の挨拶の時にしようと思う。まず初めに――」

 行事の流れを聞きながら、ハヤトは隣に立つアイカの様子を窺う。

 アイカは両手を仰々しく重ねて悠然と立っている。その姿はまさにお姫様の様な気品と優雅さを感じさせた。

 お姫様モードとは貴族や年上の者、王族関係において円滑に立ち回る為の自分、という人格を纏うアイカの事をハヤトが勝手に名付けたものだ。

 このようにアイカは何パターンかの自分を器用に使い分けている様だ。実際、その効果は絶大で、アイカの評判は王族内でも上々だ。

(ずる賢いと思ったのは胸の内だけに留めておこう……言えば何をされるか分からないからな)

 そんな事を思いながら、ハヤトが一通り説明を聞き終えた頃には、集会まであと少しという時間になっていた。 

「――と、言う訳だから、急ですまないが頼めるかね?」

「はい。これくらいなら問題ありません」

「そうか。ではすまないがよろしく頼むよ。集会が終わったらまた来てくれ、必要な物を用意しておく」

「はい。それでは失礼します」

 扉の前で一礼し、ハヤト達は学園長室から出て、体育館へと向かった。

「緊張、する?」

 体育館へ向かう途中、隣を歩くアイカが気遣わしげにハヤトを見上げる。

「人前での自己紹介なんて、この修行中いやという程してきたからな。それに今回はほとんど突っ立ってるだけで紹介は学園長がしてくれるんだろ? 楽で助かるよ」

「そっか……そうよね。ハヤトは今まで色んな所に行ってたから、挨拶なんて慣れっこよね」

「心配しすぎだって」

 安堵した様な、しかしどこか寂しそうな表情を浮かべるアイカに、ハヤトは苦笑する。

 体育館は校舎の奥、正門から最も遠い場所にある。隣接する校舎から体育館に渡ったハヤトとアイカは、ここで二手に別れる。

「それじゃ、また後でな」

「ぁ……」

 ハヤトは生徒達が向かう入り口ではなく、舞台裏に続く別の入り口へと向かう。

「お、終わったらまたここに集合だからね!」

「りょ~か~い」

背中でアイカの声を受けながら、ハヤトは軽く手を振って舞台裏に続く通路に入った。

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