あの空に一番近い森のカルラ

ぷぷ。

第1話 空が近い。

 ――空気が震える。

 嵐の中を飛ぶ大型の貨物機は入念に武装しているというのに、雲の中から這い出て甲板を剥がして侵入してきた【軟体の黒い影】たちによって空中で炎を上げた。

 凄まじい爆発音は澄み切った上空を周囲数キロまで響かせる。


「もうダメだ! 沈むぞこの船は!!」


 冷や汗を拭いながら炎の出処を鎮めようとする工員の怒号に、船の持ち主である地方の富豪は卒倒しそうなほど顔を青ざめた。


「なんとかしろよぉ! 沈むってなんだよぉ!!」


「沈むものは沈むんだ! あんたら道楽と違って死ぬ気で来てんだよこっちはさ!」


「っ……!!」


 つい先刻まで従者の如くこき使っていた下っ端の工員に怒鳴られて、富豪は思わず口を噤む。

 誰の目から見ても、墜落は必至だった。


「い、いやだいやだっ! 初めて乗った飛行機で死にたくなんか――!!」


 ◇


 閃光――。


「また、人が死んだ……!」


 不思議と茂った頂上付近から、少女は傷だらけの飛行機を双眼鏡で見つめた。

 爆音は遠く小さい。けれど、その足でこちらに来てもおかしくないくらいには近い。空気の震えが、生暖かい風が、そう教えてくれる。

 墜落の方向は? 飛行機の大きさは? 中に入り込んだのは……!?


「大樹の1つに落ちた! この距離、生きていたら助けに行けるのに……私には……」


「よいしょ……考えるだけ徒労になりますぞ、嬢様」


「じいや、来ていたのか」


 草木の中に隠された扉を開けて、老人が重たい身体を引きずるように這い出てきた。

 眉も髭も伸び放題で覆われているが、一箇所左目を引き裂くような大きな傷を湛えている。


「あそこに人がいるのだ。身軽な私なら、朽ちかけた“ツムギ”も飛び越えられる。助けに迎えるかもしれない」


「ふぉ。ふぉ。ふぉ。嬢様は相変わらず優しいお人じゃな」


「じゃが、行ってはなりませぬ。これは掟ですゆえ」


 爺の朗らかな笑みは好々爺の雰囲気こそ醸し出しているものの、傷跡で分かれた眉の下に煌めく眼光は鋭い。


「……分かっているわ。私たちはこの樹を離れてはいけない。そう定められているから」


「それは良いご判断ですなぁ。ふぉ。ふぉ。ふぉ」


 再び朗らかな笑い声を浮かべる

 じいやは意地悪だ。少女は独りごちる。


「ところでこの目付役じいや、目が衰えてきましての」


「え?」


「はて、わしが説いているのは嬢様か、はたまた別人か。よう見えませんのじゃ」


「! ありがとう!」


 じいやの言動の意図するところが分かって、少女は立ち上がった。そしてそのまま端へ駆けていく。


「嬢様。気をつけてなぁ」


「うん! 行ってきます!」


 先程までの硬い表情を払拭して愛らしく笑い、少女は飛び出した。下に広がる雲の間へと、真っ逆さまに落ちていく。

 心配になったじいやが覗くと、木々の幹に向かって射出された鋼鉄糸ワイヤーが数本伸び、少女の背中からガラス細工のような羽が広がっているところだった。太陽光に照らされて、全てが美しく煌めく。


「相変わらず豪快な飛行じゃなぁ、嬢様は。しかし、お美しい姿じゃ」


 この大樹に住まうケアリト族の皇女ひめみこらしい毅然とした立ち振舞いと、年相応の少女らしさを兼ね備えた、実に魅力的な女性へと育った。

 感慨に耽りながら、じいやは身体が冷えるまでその姿を見送った。

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あの空に一番近い森のカルラ ぷぷ。 @punimaru1114

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