三つ目 ぼくのむすめ(いもうと)

 後半戦と言っても、それは発表時期の問題だったと言う理由で時間上の前後関係が出来ているだけであって、台本騒動、『妹』の殺害、会の妨害の三つの出来事は全て並行している。それが約一年続いた。老害という者は、残りの少ない人生を自分の心地よいものにするためには、逆に労力を使ってもいいと考えるらしい。或いは、嫉妬が天秤を狂わせていたのかもしれない。

 とにかく、台本騒動の後半戦に行こう。

 先程、ぼくは台本を作る時、音声サンプルを持って行ったと言う事を話したと思う。その音声サンプルは、あの録音機を使っていた。マイケルが寄贈したものである。録音機がアンソニーの一台では、音楽や朗読と言った膨大なデータが間に合わなかったからだ。ぼくはその時点で、人差し指の会の製作総指揮で、代表だ。だから、当たり前のようにそれを持って行った。替え歌を歌えるのは、その替え歌を作ったぼくだけだ。何という羞恥プレイだと思いながらも、これも会の為、カルトに苦しめられる人々を救うためと、カラオケに行って様々な録音方法を試した。デッキでどのような再生のされ方をするのか確認する為に、貴重なデッキも持って行った。それを、アンソニーたちは認めていた。

 その後、台本として生まれた二人の娘は殺された。

 ぼくはドクターストップを聞き入れて教会に行かなくなり、クリスマスに発表されるはずの三女に望みを託すだけになった。


 さて、申し訳ないがここで、またまた時間を巻き戻すことになる事を許してほしい。ぼくもこれら三つの事件を分かりやすく説明する為に、模索しているのだ。

 時間は会が発足して、二回目の信徒総会が行われて数か月後、つまり春にまで遡る。大震災の後だった。

 ある時、アンソニーが老害からご意見を貰ったと言った。


「『人を指す』という意味の人差し指の会というのは、怖いので改名した方がいい」。


 はいそこ、理解できなくて結構。ぼくもこの理論は未だに、いちゃもんの難癖のお頭の弱い言いがかりにしか思えていない。


 字にすると分かるが、『人を指す』のと『人差し指』は、全く比較にならないものだ。もしこのエッセイが英訳されたなら、誤訳かそうでないか、議論しなければならないだろう。それくらい唐突で意味不明な要求だった。実際その時のぼくには、何を言われているのか分からなかった。だからそんな大きな問題になるとは思っておらず、「人を指す仕草じゃない、デッキを押す仕草だ」と一蹴し、会の活動を推し進めた。そんな下らない話に付き合っている時間など無い。フランキーは重い統合失調の為、仕事をしていなかったので、何時まででも付き合えるが、他はそうじゃない。テレジアは家庭のことがあり三十分しかいられない貴重な歌い手だったし、アンソニーも病院があったので一時間しかいられない。気紛れに手伝ってくれる教会関係者も、毎回見つかる訳ではないのだ。

 けれど「会の名前を変えろ」という要求は日に日に強くなり、五分で一蹴出来たのが、十分になり、二十分になり、三十分になり…ついには一時間、その話だけで使わなければならなくなった。それが毎週ある。当然テレジアの歌は録音できないし、フランキーの甲高い弾語りしか録音できなくなり、事務連絡すらろくに出来なくなった。ぼくは何度も何度も同じ説明を繰り返したが、アンソニーもまた、何度も何度も壊れたカセットのように同じ訴えをした。

 ぼくはそのような分からず屋に直接説明すると何度も言ったが、アンソニーは「プライバシーがあるから」と言って決して教えなかった。それどころか、この時朗読者として協力してくれていた信者でない老婆までが敵に回った。


 そして、代わりに『この指とまれ』という会に名前を変えろと、具体的な要求が出た。この名前についてぼくは、強く反発した。


 ぼくにとって、『この指とーまれ』という掛け声は、『仲間外れ』の言葉だ。幼稚園の時から、鈍重で人の気持ちに鈍感であり敏感でもあったぼくは、少なくともこの幼児の掛け声が使われている間、「いーれーて」と言って、「いーいーよ」と言われた記憶はあまりない。それ故にぼくはそのころから頭の中に『ともだち』が居たのだ。そしてその『ともだち』は、年を重ねるにつれ、『こども』になった。だからこの言葉は、ぼくの疎外感を強く思い起こさせるもので、決して容認できない、と言った。


 ところが、ここで到底容認できない暴言を吐いた女がいた。奴は元美術教師だった。

 ぼくが「この指とーまれ♪」は容認できない、それはいじめを思い出させる、と泣きながら説明していた時だった。あの女は言った。さもその意見が、幼子を導くとでも言いたげに。


「今大人になって」

「貴方に原因があるとは思わないの?」


 貴方に原因があるとは思わないの?


 あなたにげんいんがあるとはおもわないの?


 あなた に げんいん が ある とは おもわない の?


 あ あ あ

 ああああああああああ

 しね!!! しね!!! ころしてやる!! ころしてやる!!!!! ころせころせころせころせ!!! 呪い殺せ!!!

 蘇れ、蘇れリョウ! イエス・キリストの御名によって命じる、今この時だけ蘇れ!! 今この時だけ、お前を殺した世界を呪うために、お前を見殺しにした価値観を否定するために、お前を苦しめた教育界を断罪するために蘇れ!!!!

 ころせ!!! ころせ!!!! 一人残らずこの考えをする教師の脳髄をひねり潰せ!!!

 原因? 原因だって!? ふざけるな、ふざけるなふざけるな、そんなものがあるものか、そんなことを自殺した人間に言えるのか、お前の目の前に居る人間が、大人になっても涙ながらに話す理由を、教師と名乗った事のある貴様が、教師のOBになるまで勤め上げた貴様が!!! 言うのか、原因はお前にあると!!! 死を選んだぼくの親友に、死に選ばれなかった過去のぼくにいうのか!!! そんな奴がこの国の教育者だって? こんな奴と同じ考え方をする人間にしか、不登校児のボランティアをさせないって!? ふざけるな!!!!

 親友? 親友だって? ぼくは何を馬鹿なことを言っているんだ。ぼくはリョウを見捨てたじゃないか。その後同じ病に倒れたぼくが見捨てたじゃないか。同じ病気になる要素をぼくは持っていたのに。ぼくが一番に理解しなくちゃいけなかったのに。ぼくはリョウを死なせたじゃないか。アドレスを切ったじゃないか。ユウキのことさえ見放したぼくが、今更そんなこと言える立場なのか。

 いいや、ぼくは怒り狂うべきだ。そんなことは棚に上げて良い、今だけは。この鵺のような女にもの申さなければ、その高慢痴気な唇の皮を剥いで、謝らせなければ撤回させなければ殺しても殺し足りない!


 ぼくはその時初めて、「怒りで頭が真っ白になる」という経験をした。この売女の持つ教師としての倫理観は、ぼくが適応指導教室のスタッフになるための動機を肯定した。でもどこかで、いじめを虐めと捉えて、尽力するだけの良心はあるがカリキュラムや業務の都合上、ぼくの家の都合や心情を解さない下種な行いしか出来ないのだと信じたかった。だってトワイライトの恩師がそうだったから。ぼくの将来を縛る呪いは、この時強まり、そしてこのやり場の無い認可されない義憤は、尾を引いて、意外なところで牙を剥くようになる。


 何だかさっきから、ドラマチックに「後々に」という言葉を多用している気がするが、仕方ない。少なくともこのエッセイを書いている時、ほぼ全てのぼくの動因は、ぼくが認識しているからだ。まあ、事実は小説より奇なりだと思って、或いは読者諸君には都合の悪いところはぼくがでっち上げていると考えて、ぼくの周囲の醜穢な出来事を俯瞰してくれたまえ。

 さて、話を戻そう。


この女のことがあってうちひしがれても、連中には関係ない。会の老人たちでさえ、その言葉が如何に魅力的で可愛らしいか、『人差し指の会』という名前が如何に不適切か、毎週一時間、好き放題言った挙句、仕事をする時間が無くなったと言って帰って行った。そして、一年前は皆に「可愛い」と言われ、ボランティアの対象者からも評判だったぼくのマスコットキャラクターは「幼稚」と言われたが、代替案は出されなかった。

統合失調症が悪い訳ではないが、フランキーは要領があまり良くなかった。二人きりで流れない流れ作業をして、それが毎週続いた。いつも十三時には帰れていたのに、十三時まで会の名前について激論を交わすから、十四時になっても終わらなくなった。素材不足で、二人だけで素材を作らなくてはならないから、十五時になっても終わらなくなった。ぼくは教会で全ての作業を終わらせられるように、ノートパソコンを持って行き、音質をきちんと聞くためにイヤホンも持って行った。だがそれでも、作業効率は上がらない。

 父も母も、そんなにしつこいのなら変えてしまえ、と言った。だがぼくはどうしても嫌だった。何故教会に来てまで、幼少の砌の孤独感を毎度毎度思い出さなくてはならないのだ。大体、信徒総会では問題はなかったじゃないか。

 ぼくは教会委員長に助けを求めた。『人差し指の会』が、教会の公認の団体であることを言ってほしいと言ったのだ。だが教会委員長は、それに関わる事を拒否した。「個人の問題」だと言うのだ。

 成程、今にして思えば大いに大いに、保身のために最善な方法だ。他の団体であれば、それで良かったかもしれない。

 だがここはいやしくも神の家、宗教法人カトリックの集まりなのだ。目の前で泣きながら、嫌がらせがある、活動に支障があると訴えても、教会委員長は眉一つ動かさず、「個人の問題」と言って、時には笑って取り合わなかった。

その人間性は、ぼくはいずれ神の御前に行く時に、奴らに対する愛の無さを大いに主に訴えて呪いたいし、この先短い生の中で何か健康に不具合があれば、それは全部ぼくの呪いだと言って、ざまあみろとそれこそ『指を差して』笑ってやりたい位だ。くそったれのへちゃむくれめ。しねばいいのに。ていうかとっととしね。


 話が逸れた。淡々と、ぼくの三人の娘達が墓場すら持たせてもらえなかった過程を描かねばならないのに。


 とにかくぼくは、備品を持ったまま、教会に戻らなくなった。すると、教会からおかしな電話が来た。

 器具を返せというのだ。


 ………???


 ぼくは「人差し指の会」という名前を、会の説明文に「この指とーまれ♪」と入れることまで妥協し、維持していた。そしてぼくはそこの制作総指揮だ。だから、会のものは平等に、ぼくにも持っている権利がある。だから正確には「持ってきて」である。だが教会の連中は、何度も「返せ」と言った。

 それは、エンドロールで『制作総指揮 菊華紫苑』という言葉を抜くように言われてから、半年も経たなかったと思う。あの時は、「ドラマの始まりにスタッフロールを入れる朝ドラは、エンディングでスタッフロールを流さない」などという頓珍漢な例えに納得してしまったが、つまり「会の中心にいるのはアンソニー」と名実ともに意識を塗り替えてしまう為だったのだ。

 尚悪いことに、様子を見に行ったその日、ぼくが「人差し指の会」として造ったポスターは「一ヶ月経ったから外した」という名目で剥がされていた。これが嘘である事は明白だ。だってぼくたちは、一年、会の活動を手伝ってくれる人員を求め続けたのだから。そして教会の活動一覧にも、「この指止まれ ~声の教会報~」となっていた。ぼくは怒鳴り込んだが、やはり、目線も合わせずカセットを返せとしか言われず、取り合ってくれなかった。そして、代表もいつの間にかアンソニーだけになっていた。ぼくは追い出されていた。だがそんなことは、ぼくは聞いていないし承諾した覚えも無い。従ってぼくの理論では、ぼくが「人差し指の会」の代表であり、器具は「人差し指の会」のもの。

 連中の言葉を使うなら、「この指止まれ」なんていう幼稚で稚拙な幼稚園児の掛声を使った会のものではない。そんな所に引き継いだ覚えは微塵もないし、引き継いでくれと言われた事も無い。

 それゆえ、はいどうぞと『持っていく』程ぼくは愚かではなかった。返せ返せとオウムのように繰り返す奴らに辟易し、両親は関わりたくないと言って返してしまえと言ったが、是が非でも譲らなかった。そこまで言うなら、ぼくが『献品』したあのボロパソコンを返せ、と言うと、『そんなものは知らない。とにかく返してほしい』と来た。


 知らないって、そりゃないだろう。


 お前達がぎゃあぎゃあと会の名前でサボっている間、再生リストを組んでいたあのシルバーの機械のことだぞ? 会に当てられた収納スペースに剥き出しで入っているあのシルバーの四角い物体のことだぞ? 少し調べれば分かるだろう。だってアンソニーは教会の近くに住んでいるし、ミーシャは事務員として毎週決まった曜日に来ているのだから。

 このパソコンと機械の応酬は、結構続いた。漸く向こうがパソコンを見つけたが、その時は『個人情報があるからすぐに送り返せない。だから先に機材を返してほしい』と言われた。

 個人情報? 何を馬鹿なことを言っているんだ? 全てUSBに入れているところを見ているじゃないか? それ以前に、あのパソコンにはぼくが置き手紙を残しておいた。あれを読んでいないのか?

 案の定読んでいなかった。返ってきたパソコンからは、本体に入れていたデータも(無論USBにバックアップはとっている)置き手紙も削除されていた。これで人質は返ってきたから返さなければ―――とは、問屋が卸さない。神は見捨ててはいなかった。

 パソコンと一緒に持ってっていた、イヤホンが戻ってきていなかったのだ。

 アレは、その当時大ヒットを飛ばしていたアーティスト「きゃりーぱみゅぱみゅ」が、デザインしたというイヤホンで、わかりやすく言えば限定品だった。ぼくも気に入っていたので直ちに抗議したが、やはり知らぬ存ぜぬだった。

 これは全くの邪推だが、恐らく誰かが盗んだのだろう。パソコンにイヤホンがついているのを知っているのは、人差し指の会の関係者に限られる。その内、イヤホンを使用できる、或いは使用する必要がある人は、更に限られている。まあ、今此処でその犯人捜しをしても、ぼくは当然この会については何も酌量する予定も必要性もないので、ここから先は読者の皆様の正義感によって思う存分推理してもらいたい。

 とにかく「イヤホン返せ」「知らない、器具を返せ」の応酬は、その後ずるずるとクリスマスまで続いた。

 クリスマス、こんなにも嫌な出来事があったのに行った理由は、ただ一つ。末娘の晴れ舞台を見るためだ。


 申し訳ない、また話は一年前に遡る。

 一年前のクリスマス、ぼくはアンソニーを経由して、ポール神父から依頼された。曰く、『来年のクリスマス号を描いてほしい』とのことだった。ちまちまちまちま、チラシに登場していたオリジナルキャラクターが、ポール神父の目に止まったのだ。喜び勇んでポール神父に確認に行くと、頑張ってね、とだけ言われた。それから一年の間、やれピクセルが足りない、やれ色が見えないと、当時まだ確執の無かったミーシャ、そして元美術教師のあの女と一緒に、やんややんやと手直しをしたものだった。その後、前述の台本騒動の前半が起こり、同時に会の名前事件も起こる。

 例え教会の中でいざこざがあったとしても、三女だけは大丈夫だと信じていた。なんと言ったって、神父からの依頼なのだ。一年前から、事務と話し合って育てた子だ。神父の命令は、教会においてはほぼ絶対だ。主任司祭(この場合ポール神父)の権限は大きいのだ。ぼくは期待して行った。一縷の望みをかけて行った。


 娘は、いなかった。


 その代わり、二ヶ月程前に教会にやってきて、人差し指の会の関係者にもなった、プロの元画家のイラストが載せられていた。ぼくは何が起こったのかと、ミーシャとポール神父を問い詰めたが、「広報の人の事だから分からない」と言われ、教会委員長は相変わらず我関せずで、プロの画家に至っては、ぼくが依頼されていたこと、つまりぼくの三女が既に生まれていたことすら知らなかった。人差し指の会の差し金かと、ぼくはアンソニーも問い詰めたが、アンソニーは壊れたカセットデッキのように、「器具を返せ」としか言わなかった。

 広報の人間を問い詰めようとしたが、クリスマスミサに出なかったらしく(居たとしても連中のことだから庇っただろう)、年を跨いで広報に電話をかけたが、「去年のことなので担当者が違う」と言われた。

 元画家曰く、あのイラストは、やはり人差し指の会の広報の一環として造ったものらしい。それを、クリスマスの二週間前になり、広報を名乗る老人が(こいつが男か女かすら、ぼくは分からないのだ)「慌てた様子で」使用許可を求めてきた。元画家はぼくの娘のことを知らなかったので、了承したという。元画家は会のトラブルが酷くなってから来ていたので、それまでの経緯は殆ど知らない。彼には本当に、何の罪も無いのだ。罪があるのは、ぼくの娘をひねり潰した広報とそれを止めなかったミーシャだ。ポール神父もそれを見過ごしぼくの救援要請を反故にしていたが、心臓を患い復帰したばかりであることや、この教会は長年の信者、所謂二世三世と呼ばれる筋金入りの箱入りカトリック信者が強い発言力と行動力を持っているので、ぼくの個人的な恩情により恩赦すべきであるとぼくは考えている。


 ともあれ、怒り狂ったぼくは、ブログに残しておいた(今もそのブログのデータを掘り起こしながら書いているが)データを元に、論理的に八枚のワードに起こして、教会の各関係者に送った。ポール神父には、別添えで二枚、理不尽なことがあって、教会に行けないように迫害されている、助けてほしいとも訴えた。


 手紙は、「受け取り拒否!!」と朱書きされ(なんとビックリマークが二つも書いてあった。しかもそれなりに可愛いビックリマークだ)、ご丁寧に印鑑まで推されて返ってきた。ぼくはそれを、神父に転送し、こんな極悪非道があるかと訴えたが、やはり動いてはくれなかった。

 唯一、手紙を見てくれたのは、元画家だけだった。と言っても、彼にどうこうできるわけがない。彼が来た十月には、ぼくは意見を何か言えば「独裁者」だの「お前の会じゃない」だの「嫌なら出て行け」だの、ぼくの献身も労力も、「出産」すらも認められていなかった。恐らく活動の艱難辛苦はぼくとアンソニーが乗り越えたものではなく、アンソニーが孤軍奮闘したことに成って居たのだろう。そして今、三女もまた、くびり殺されていた。確かに生まれて、こうしたら見栄え良くなると何度もミーシャと作業した時間を、ミーシャは放棄し、ぼくの娘を見事三人、殺して見せた。

 ぼくは娘を殺されたと何度も訴えたが、誰一人ぼくの『娘』を娘として認めてくれるものはいなかった。だって彼らは、子宮に宿っていない。

受精卵になるための精子も卵子もない。産まれるために男女がセックスすることすらない。心臓が無い。脳髄もない。骨も無い。血液も無い。そんな存在は、『産』まれない。

ぼくの周りには、流産した人も多かったが、彼女らは『私は本当に流産した。流産だの子供を殺されただの言うな』と言って、ぼくの娘が死なせられたことを理解してくれなかった。

 皮肉なことに、ぼくの「うみのくるしみ」を理解してくれたのは、何も生産せず、祈りだけに生活を捧げる修道院の神父だった。彼だけは、ぼくが確かに苦労して娘を孕み、育て、産み、そうして殺された無念を理解してくれた。だが、彼はカトリックの神父だが、教会の神父達とは組織が異なるので、働きかけることは出来なかった。修道院と教会は、カトリックという大会社の系列会社で、それぞれ独立した子会社だと思ってくれればわかりやすかろうか。

 だがそれは、この一連の騒ぎから更に半年経った、夏の頃まで待たねばならない。


 それから、なんと一年が過ぎた。

 一年後、ぼくは『クリスマスくらい行きたい』と両親を説得して、教会に行った。ぼくの抗議が効いたのか、「この指止まれ」は削除され、「声のカトリック教会報」になっていた。

 ミサが終わり、信徒ホールでご馳走にありついていると、マイケルが来ていた。マイケルは目が見えないこと以外にもいろいろな事情があって、中々教会には来られない。事実、マイケルは一度だけ、居ても居なくてもいいような仕事をしただけで、スタッフロールにのっていたような奴だった。

 久しぶり、元気? と、効くと、マイケルはぶすっとして答えた。


「元気じゃない」「そう、お大事にね」「あのさあ、調子悪い所悪いんだけど、あのレコーダー返してくんない? 俺のなんだけど」「あれは会のものだから、会長として、会を通して返すよ」「とにかく返してくれないと、出るとこでるからね」。


 なんと吃驚、献品したものを、弱った人間が持っていると高を括ったのだろう、奴は脅迫に出た。ぼくはその場では努めて冷静に話し、早速父に報告した。

 余談だが、ぼくの可愛くない趣味の一つに「法解釈」がある。法律の勉強の方法の一つで、法文ではなく、事件を調べて、どの文脈と解釈で、どの法律を適応するか、という、本来なら司法試験を受験する学生の勉強法だ。ぼくは父が司法をかじっていた関係で、この手の話が好きで、ニュースで司法批判が出たり、国家権力の腐敗を報じたりするニュースがあると、はてさてこの不正は法律によって裁けるのか、どのように裁くか、という、実に一般人のぼくには無味乾燥きわまりない話が、我が菊華家家長と長子の酒のつまみだったのである。

 何が言いたいかというと、ぼくはマイケルが「出るとこ出る」というので、「じゃあぼくも」と応戦したのである。

 いくら父が教会嫌いでも、自分の子が民事に巻き込まれるとあっては黙っていない。弁護士こそ立てなかったが、「それは脅迫だ」「それは詐欺だ」「それは…」という言葉はぼくの後押しになった。

 マイケルは時々電話をかけてくることもあった。いつも母が対応していたが、母もこの問題はほとほと困っていて、新しい同程度のものを買うとまで言った…ことはない。マイケルはそのようにぼくに虚偽の申告をし、「だから返せ」と迫った。残念ながら偽証罪にはならないが、大いに奴がぼくを侮っていたのは理解できる。


 他にもマイケルは、「レコーダーを返してくれ。あれは七万円相当のものだけど、五万で良い」と言ってきたこともあった。


 はい、多くの読者が忘れていると思うので、『二つ目 ぼくのむすめ(あねふたり)』を少し見てもらいたい。そこにはこのレコーダーが『役所からの支給品』『三万円ほど』ということを先に書いたはずだ。つまり、マイケルは障害によって福祉サービスを受けたから、視覚障害の無いぼくたちは役場と同じものを用意出来ない。それだけならぼくが意地汚く見えるだろうか?

 だが後半を注目してほしい。この器具は役場に母が直接問い合わせたところ、『三万円相当』ということが分かっている。にもかかわらず、マイケルは『七万を五万にまける』と言っている。つまりまけた筈なのに、取り分が多い。

 こうなるとどうなるかというと、まあ、はっきり言うとマイケルは『詐欺罪』が該当する。相手が犯罪をし、尚も脅迫行為を続けているということで、遂にぼくの父が動いた。信者でない父、寧ろキヨ子の関係でキリスト教を憎らしく思っていた父に、弁解をさせるほどの慈悲はない。「それでも信者か」と言われ、ミーシャは何も言えなくなったという。

ざまあみろ。だがこれで償えると思うなよ。


 レコーダーを人質にとって二年が経った。返せ返せとせっつくことは無くなったが、両親はこの呪いのアイテムを返そうよ、というと、ぼくが弾かれたように「両方茹でて煮て焼いて壊してからなら送りつけてやる」と叫ぶので、外の信者に愚痴を言うことが多くなった。だが、ぼくの信仰上の母も、母の旧知の信者も、『ボランティアの事は分からないからお祈りしている』の一点張りで、誰も助けてはくれなかったし、怒りを共有することもなかった。

 その内に、アンソニーが倒れただとか、ポール神父の具合が悪くなったという話が流れてくるようになった。ぼくは父の呪いだと思ったが、ここで「お前は呪われたから具合が悪いんだ、ざまあみろ」というと立派な脅迫罪になるので、黙っていた。ん? この場で言ってしまったら同じか? まあいいや。何れにしろ、彼等は皆無事だったのだし。

 会は、一連の騒動の影響があったのか無かったのか、元画家や朗読者と言った有力な人手が無くなり、アンソニーとフランキーだけでなんとか回している、ということも流れてきた。だがぼくは既に「いらない」身であるので、放っておいた。その問題児達をとりまとめていたぼくの苦労を、連中は漸く体験したのだ。ざまあみろ。

 アンソニーのレコーダーが壊れたので、レコーディングが出来ないから返してほしい、という要請が来た。ぼくは信用しなかったので、蹴った。

 その後も何度か、本当にアンソニーのレコーダーが壊れていること、マイケルは教会に来ていないこと等を伝え聞いたが、全て無視した。何せ、アンソニーは、「プライバシーがあるから文句を言っている人の事は教えない」と突っぱね、ぼくをパニックで救急車送りにしておきながら、自分の妻には「具合が悪くなるからもう電話しないでくれ」と伝えて話し合いを拒否したのだ。まあ、母が「紫苑は救急車を呼ぶ羽目になった」と言ったら、黙って電話を切ったらしいが。ハン、何を今更、どの面さげてぼくに電話をかけるというのだ。

 ある日、ぼくの携帯電話に、知らない番号から電話が来た。アンソニーだった。アンソニーは努めて明るく、レコーダーが壊れたことを話していた。ぼくは何度も、マイケルにだけは絶対に渡すなと念を押して、着払いで送った。

 三年半が経過していた。


 それから更に三年して、ぼくは教会のバザーに出店したいと言った。あの時殺された三女をポストカードにしたので、その他のイラストと一緒に六百円で売りたい、と言ったのだ。本来であればタダであったものに、付加価値をつけて、連中から「賠償金」として、娘の供養に充てようと思ったのだ。ミーシャはまだ事務員をやっていた。だからだろうか、バザーの前日まで、バザーの実行委員はぼくの存在を知らなかった。急ごしらえで造ったぼくの売り場は、皆が背を向けて通る動線上にあり、ぼくの事を全く仲間と認識していない事が、ナメクジの跡のように滲み出ていた。一枚五十円と換算し、十二枚セットで六百円で売っていたが、アンソニー、フランキーを始め、客は皆五百円にまけろと値切ってきた。奴らは変わっちゃいなかった。人の創作物を値切ることがどれだけ無礼で恥知らずか、自作する苦労も、うみのくるしみも知らない、貪り食うだけの獣には理解できなかったのだ。

 今でも、ぼくの娘はポストカードになって、買ってもらえるのを待っている。

 自分が、確かに必要とされて産まれたと言うことを思い出すために。


 ああ、でも、この話には、このエッセイを書いている内に実はオチが着いたのだ。

 二年の月日を経て、アンソニーが仲介者ではなく、中立の立場として、ぼくと老害諸氏の間に板挟みになっていたことを知った。

 信頼とは時に、金や理屈を超える。ぼくはアンソニーが例え全てが全て、嘘を吐いたとしても、ぼくはこの嘘を真実にすると決めたのだ。それだけの信頼を元から持っていたのだ、アンソニーという人は。

 そのアンソニー経由で、ぼくの娘達を玩んだ連中が悉く失脚したり、孤立したり、疎まれた集団から抜けられていない事を知った。教会に来なくなったものもいた。

 神は曲線で最短距離を描くと言う。

ざまあみろ、創造の苦しみを知らない創造神を信仰した、貴様らの負けだ。


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