起 ちんこおばけ

 ぼくが思うに、人がラノベを嗜むのは、偏にそれが、疑似体験だからにすぎない。その疑似体験は肯定的であらねばならない。然るに、昨今ムーヴの異世界チートものが逸るのは当然の理である。

 同じくぼくが思うに、人がエッセイを含む文学を嗜むのは、偏にそれが、追体験だからに過ぎない。誰か、どこかにいる自分によく似た人が、凡そ自分では絶えられないような試練に遭ったり、或いは有り得ないような幸福などに恵まれても、決してその主人公に嫉妬したりはしないだろう。気に入らないことと嫉妬は違う。それらは全て、フムフムと話を聞いているのに似ている。

 で、あるならば、SEXPOSUREは何であるか。これはエッセイの体を取った、ラノベであろうか? 売れない作家が苦肉の策で打ち出した、黒歴史の暴露? それとも精神疾患に関する文学であろうか。

 「本当ならば…」という、信じられない諸氏には、ぼくはこういう他が無い。「ぼくにとっては本当だ」ということだ。

 さて、本題に入ろう。ああ、厭だ厭だ。何が哀しくて、結婚もしていない貞淑なるぼくが、ちんこの話などせねばならんのだ。だが仕方が無い、事実起きて仕舞ったのだからね。


 始まりは、恐らく気付いていなかった。

 中学二年の頃、年で言うところの十四歳。ぼくは入浴が困難になっていた。

 というのは、服が脱げないのだ。身体が動かない。腕が動かない。脱衣所に入るのが辛い。今にして思うとそれは、うつ症状の典型的な発露であるが、そもそも「子供は精神病にならない」教の狂信者が二人もいる菊華家において、そんな発想は微塵も無かった。

 ただ、理由を問われて言えば、ぼくはこう答えるだろう。「不快だったから」。

 入浴しない事による身体の気持ち悪さや、頭のかゆさではない。ぼくは脱衣所に入ると、蛇の抜け殻が身体にまとわりつくような、そんな不快感を覚えていた。ただ、それが何かは分からず、ぼくは言いようが無い不安や恐怖に怯えることしか出来なかった。

 「それ」は、ぼくの記憶の中では最も古い記憶だが、果たして「それ」が初めてだったのか、具体的には思い出せない・

 入浴を済ませたぼくは、身体を拭いていた。その時、ぼくは言いようのない感触に襲われた。「それ」は、きちんと閉じたはずの脱衣所の扉の、一番下の縦の部分から滑り込んで、ぼくの足首や脹脛、膝を、気持ち触れるか触れないかくらいの感覚でするりと抜けると、ぼくの太股にその長い「腕」を這わせ、ぼくの股間の淵の淵までせめぎ上がってきた。突然現れた謎の痴漢から、バスタオルで自分を覆い隠すことすら出来なかった十四歳のぼくを、『ぼく』は見上げているのだ。何を言っているのか分からない純情無垢なる諸君、その嫌悪感には従いたまえ。ぼくのような被害者が出ることは望んでいない。これはSEXPOSURE、性の暴露だ。赤ん坊が光り輝いて見えるピンクのお花が大好きな人々をぼくは否定したりしないから。…まあ、嫌いではあるし軽蔑はするけど、それは特殊な場合なので今は後回しにしよう。

 その後のことは、本当に断片的でしか覚えていない。

 端的に言うと、ぼくは色情魔に取り憑かれたのだ。幸いにもトイレでは遭遇しなかったので、排泄には困らなかった。だが入浴はとても困難だった。ぼくの眼は確かに、現実しか写し取っていないのに、ぼくには「視」えている。透明な腕、やたらと肌に引っかかる指先、だがその指先は五本の指ではなく、蛇の舌というが二股ではなく、どちらかというと、蛇そのもののような感じもした。奴はぼくが排泄以外の行動をしているとき、主に股に這い寄った。

ぼくには存在しない筈の生殖器が犯される感触にも悩まされた。十二歳で本来「えっちなもの」に対する知識が無いはずのぼくが、何故「性器を触られる感覚」があるのか、説明がつかない。ぼくは、知らないはずのものを知っている。否やその時には、そもそも「そこ」が、本当に存在するのかしないのか、確かめる術は無かった。だってぼくは、その時第二次性徴こそ迎えていたが、性の知識は全くなかった。初潮、精通、月経、夢精は知っていた。そしてぼくは、「じゅせいらん」について、幼稚園の時、母に教わっていたので、「XとYがくっつくとおとこのこ、XとXがくっつくとおんなのこ」という知識はあった。排卵、射精のことも知っていた。はいそこ、幼児虐待とか言わないでくれ給え。母は「あかちゃんはどこからくるの?」という子供らしい問いに、大真面目に答えただけなのだ。

だが、女の身体と男の身体、別々の身体で作られたそれらが、なぜ「受精」に至るのか、ぼくは知らなかった。当たり前だ、セックスを知らないのだから。

ぼくにとってセックスは、男同士でやるものだった。何故って、それはリョウがそういう作品を好んでいて、ぼくに布教、じゃなかった、腐教したからである。そしてぼくは、この頃から陰鬱な展開が好きだった。否、この体験があったから、陰鬱なものしか「受け付けなかった」のか、どっちが先だったのだろう。ただ、こんな可愛い体験は、すぐに終わる。そこから先は、エロゲもびっくりの「ちんこ漬け」の生活だった。

寝ても覚めても、ちんこがぼくの掌の中や、尻や何かよく分からない穴(そのような穴は現実には存在していない)、そんなもので埋まる。わかりやすく言うと、レイプ三昧である。困ったことに、このちんこおばけ、文字通り、ちんこおばけなのだ。具体的にいうと、ちんこがついている筈の股間が存在しない。陰毛も存在しない。睾丸も存在しない。つまり、ちんこが宙ぶらりんになっている状態だ。いや、勃起してるから、宙ぶらりんというよりも、ぼくに向かってその『磯臭いもの』を向けているのだが。

これは憶測なのだが、恐らくぼくは、「勃起したちんこ」というものを、やおいファンタジーの小説でしか見たことが無かった。時々漫画やイラストに迷い込んでしまっても、陰毛や睾丸は描かれていなかった。つまり、ビジュアルにおいて、ぼくの中でちんことは、「竿」だけだったのだ。これは不幸中の幸いとしか言いようが無い。

そんな憶測も今だから多少冷静になって憶測が出来るのであって、当時は「竿」こそちんこであり男性器であり、しかもそのちんこおばけは、竿単体というフットワークの軽さでもって、ぼくに纏わり付いた。

しかし、「本体」があるちんこおばけもいた。それは実在した人物で、ぼくに後に酷い罵声を投げてぼくの元から逃げ出すのだが、ここではとりあえず、マチとツチと名付けておこう。ちなみに、マチとツチの力関係はマチの方が上で、もっぱらぼくの身体にちんこを突き刺していたのは、マチと、マチに命じられて参加していたツチである。

夜、眠るとぼくは、マチに襲われる。ツチにも襲われる。でも現実世界では、彼等は同じダンスサークルの仲間なのだ。まして彼等に恋愛感情などなかった。最初は確かにそうだったはずだった。ぼくはこれは病気であって、マチやツチの生き霊ではないことが分かっていたので、家にある「家庭の医学」という本のチャートを使って、自分の病名を探し当てた。

結果、「精神分裂病(破瓜型)」の可能性が高かった。ぼくはその時既に、両親と会話が無くなっていたので、自分の症状の描かれたところにマーカーを引き、居間においておいた。無論、母は「アンタは精神分裂病の破瓜型なんかじゃない、本当に病気な子はもっと大変」みたいなことを言っていた。実際、ぼくは子供の頃(居間にして思うと、十四歳も子供だ)病気がちだったので母は肉体的欠陥による病気には敏感だった。東洋医学の医者に、「この子は内臓は強い」と言われたというのも、影響していただろう。

しかし、その本の中にも、ちんこおばけが襲いかかってきたり、昼間会話をしていても、耳の穴や口の中に、ぶっとくて磯臭いものが突っ込まれている感覚がすることや、臍からずろずろと腸を引き摺り出されている感覚がすることは、描いていなかった。

その時になって、ぼくは漸く、十三歳のあの日々に、十八禁のページを読んでいたことを後悔した。訳も分からず、十八歳という年齢の壁を重要視していなかった。ぼくは十歳からの不登校の影響からか、「疑問は徹底して潰す」という姿勢を持っていた。だから、答えられない疑問というのは、疑問ではなかった。単なる理不尽だと思っていたのである。ぼくが冒頭で、「十八歳未満はおすすめしない」と言ったのは、こういうわけだったのだ。高潔で文化的なる我が国では、十八歳未満の「子供」は、性の知識が無いように、あっても最低限の生物学的話に留めるように、そして十八歳以上になった「アダルト」は、セックスマナーやセックスリテラシー、避妊の知識に熟達していなければならない。そしてぼくのエッセイは、そのどちらの理想も侵害する。

だってこの妄想で苦しんでいるのは「アダルトコンテンツを知らないはずの」「十四歳の青少年」なのだ。もっと言うのなら、ぼくが感じている感覚は、やおいファンタジーに基づく知識だ。後々色々な体験を通して知ることになるのだが、ちんこはそんなに磯臭くないし、大きくないし、粘膜丸出しではない。どこまでいっても、ぼくを犯していたものは、幻想の産物、無知の極み。

だから、一般の性暴力の被害者には、ぼくの苦しみは受け入れられない。

 事実ぼくは、リョウが死んだとき、その後日談として、このレイプ妄想を書いたことがあった。その時、トワイライトの先生達は、ぼくがそのような幻に苦しんでいることに気づけず、「気持ち悪い」と評した。仕方が無い、あの先生は精神保健福祉士だった。医者でも教師でも心理の専門家でも無い。そんな人間でさえも抜擢されるほどに、当時の不登校問題は人手が足りなかったのだ。

 このちんこおばけは、モチーフになったマチとツチとの関係がなくなるまで続いた……らしい。

 実はぼくも、このちんこおばけがいついなくなったのか、覚えていないのだ。リストカットの回数が減った頃に、減ったのだと思っていたのだが――こいつはその後何年もして、再び牙を剥くのであるが、そこまで書くと、この十四歳のぼくがどんな目に遭っていたのかわからなくなってしまうので、一先ずここまでにしておこう。


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