始まりのミスター・ウィーク
ベルカ研究所という施設がマンハッタンにある。ヘルズキッチンの西側にある工業地帯、地下鉄の路線が窓から見える位置にその研究所があった。
ビジネスモデルやコンサルティングなどのサービス系、OSやハードウェアなどのシステム関連、民族学や化学に物理学などおおよそ研究できるものはなんでもやるといった気概で多岐に渡る。
ワイアットは学校が終わり次第、真っ直ぐこのベルカ研へとやってきた。文字通り真っ直ぐ、ミスター・ウィークになって。
誰にも見られないよう気をつけて変身して、中へ入る。ポケットからカードを取り出してドアロックを解除した、警備員に軽く挨拶してから我が物顔で研究所を歩き回り、エレベーター前で立ち止まった。
徐々に降りてくる番号をぼんやり見つめていると、隣に壮年の男性が並んだ。
「油の匂いがする」
「あぁドクターじゃないですか。フライドポテトですけど食べます?」
「結構だ、それよりまたウィークになったな。昼間は人目がつくから控えるようにしてくれ」
「バレないよう気をつけます」
エレベーターが到着して中へと入る。十階を押して扉を閉める。程なくして押しつぶされるような感覚を体に受けた。
同時に階層表示が徐々に上へと上がっていく。
「君のお姉さんにはバレてるようだが?」
「肉親は仕方ないですよ、ウィークになって街で活動始めてすぐにバレちゃったぐらいですから……なんでバレたんだろ」
「変身もとかずに行き付けの店でフライドポテトを食べてるところを見られたからじゃないかね?
まあそれはそれとして君のお姉さんとは一度じっくり話してみたいがね」
「姉さん、科学者を目指してるから意外にドクターと話が合うかも」
十階に着くと、ワイアットは開閉ボタンを押してドクターが先に出るのを促した。ドクターが出てワイアットも出る、背後で扉が閉まるのを感じながらワイアットはポケットからカードキーを取り出した。
間もなく辿り着いた研究室横の認証機にカードを通して、ドクターと一緒に中へと入った。
室内は寒いくらいに冷房が効いていた、計器類や作業中の研究者達にぶつからないようにしながら奥へと進む。
「随分慣れてきたな、君がウィークになって半年は経ったか」
「あぁ、もうそんなになるのか」
「早いものだ」
「ですね、あの時はまさかウィークになるなんて思いもしませんでした」
――――――――――――――――――――
半年前。
ワイアットの視界でスクールバスが小さくなっていく。例によって寝坊したがゆえに乗り損ねたのだ。
「最悪だ」
タクシーでも呼ぼうかと思ったが、生憎そこまでお金に余裕はない。フライドポテトを買うお金は常にキープしているが。
仕方なく走って学校まで行く。残念ながら学校に着く頃には既に講義が始まっており、入室する時に講師から怒られる事に。
「いいご身分ですねワイアット」
「あぁヨアンナ先生……実はその……まあ色々ありまして」
言い訳が思いつかない。
「そうですか、それは仕方ないですね……あなただけにレポートの課題を出しますので講義が終わったら私のところにくるように」
「……はい」
周囲からクスクスと嘲るような笑い声が聞こえてくる。羞恥に耐えながらワイアットは着席し、講義が終わってからヨアンナ講師の元へ訪ねた。
ヨアンナはワイアットを見るなり彼の手元にプリントを無理矢理掴ませる。
プリントにはアルバイト募集の文字があった。
「えっと、レポートの筈では?」
「えぇ、そうよ」
「アルバイトと書いてあるんですが」
「ヘルズキッチンにベルカ研究所という器用貧乏な研究施設があるのだけど」
「器用貧乏て」
ベルカ研究所の名前はワイアットも知っている。そこに所属する学士の論文を読む事も多いからだ。また数多の博士号取得者を排出した名門中の名門という事でも有名である。
しかし研究室が多いため器用貧乏と言われているのも事実だ。
「そこにいる私の恩師が人手を募集してて、あなた科学者志望よね?」
「それはリタの方です、僕はどっちかというと化学のほう」
「あら、まあいいわ。ベルカ研究所で働きながら、そこで行われている研究のレポートを提出しなさい。同時に私の名前を売り込むように」
「最後のが本命ですよね?」
「もちろん」
あまりにも当然みたいな顔をするものだから、ワイアットは二の句も告げること無くその場を後にした。
早速ベルカ研究所へと向かう事にする。地区が違ううえに、ベルカ研究所は駅から近いので必然的に移動手段が地下鉄となった。
駅から近いというのは少し違っている、駅からそのまま地下道が続いていてベルカ研に繋がっていたというのが正解だった。地下道を通って、エレベーターから一階へ登る。
受付でアルバイトに来たことを説明すると、受付嬢からゲスト用の名札とバイト先の研究室のパンフレットを渡された。
それによると十階にあるらしい。
「バイトって何するんだろう?」
全く予想がつかない。
そんなこんなで研究室に辿り着けば、ワイアットはインターホンを押して中の作業員に案内してもらいながら軽く研究内容を教えて貰っていた。
曰く「生活補助機械」らしい。主に義手や義足を開発し、介護や生活に便利な器具を作っているのだそうな。現在はコストダウン&性能向上を測って一般の人が手に取りやすい超高性能な義手義足を作っているとのこと。目標は一つ千ドル以下らしい。
「さ、着いたよ。博士! アルバイトのワイアット・ミラー君を連れてきました」
ネームプレートがないため判断がつかないが、いかにも責任者の部屋といった然の佇まいを見せる扉である。自動扉を叩くと、程なく中から「入ってくれ」と返ってきた。ロックが外れる音を確認した作業員が自動扉を開ける。
「それじゃ私はこれで失礼します」
「ありがとうございました」
作業員と別れ、ワイアットは一人で中に入る。
部屋は至って普通の応接室であった。シリンダーがたくさん並んだ研究室を想像していたワイアットは少し拍子抜けしたぐらいだ。
部屋の奥にあるデスクに壮年の男性が座っていた。おそらく彼がここの責任者であり、ヨアンナの恩師なのだろう。少しヨレヨレの白衣を着ており、胸にはヒトデのブローチを着けていた
「えっと、ヨアンナ先生の紹介できました。アルバイトのワイアット・ミラーです……よろしくお願いします」
「うん、そこのソファにかけたまえ」
「はい」
勧め通りドアから一番近いソファに座った。緊張で手汗が滲んできた。
「私はこの研究室の責任者、サミュエルだ。周りからはドクターと呼ばれている。君もそう呼んでくれ」
「わかりましたドクター」
「早速仕事の話をしようか……やってもらいたいのはテストプレイだ。ここで開発した道具を実際に使ってみてレポートを書いてほしい」
「あぁ、なるほど……でも僕見ての通り五体満足なんですけど、義手とかどうやって」
「大丈夫だ。君にやってもらいたいのはある特殊スーツだ」
「スーツ? もしかして軽い素材のジャケットとか通気性の高いスラックスとかですか?」
「それも研究中だが、そういうのとは違う。君はアイ○ンマンを知っているかね?」
「映画だけなら」
「バ○トマンは?」
「それは父が好きなのでコミックも映画も知ってます」
「つまり、我々は強化スーツを作ったわけだ」
「すみません、今の理屈と文脈の流れが全然わからなかったです」
「君にはそのスーツを着て実際に動いてもらいたい」
「……はい」
ワイアットの困惑には全く耳を貸さず、サミュエルは話を強引に推し進めていく。諦めたワイアットは項垂れながらこれ以上余計な事を考える事をやめ、とりあえず話を聞く事にした。
多分これを逃したらヨアンナ先生に成績を下げられる。それは絶対嫌だ、ヨアンナはやる時は徹底的にやる破天荒な教師だからだ。だからこのバイトはきちんとこなさなければならない。
一通り説明し終わったら、今度はそのスーツの場所まで案内される。場所は応接室の隣の部屋……にある本棚の裏から入れる通路を通った先の部屋だった。
ほぼ隠し部屋だ。
「スーツはあのトランクにある」
サミュエルが指指した場所は、部屋の中央にある円形の台座だった。アメコミ映画とかでよくある薄暗い部屋の中で、スーツや武器のある場所だけライトアップされてるような感じ。
台座の上にトランクがある、ワイアットは近付いてロックを外して開けて見ると。
「仮面? ……と腕時計?」
手の平サイズの仮面と腕時計が一枚だけ入ってるのみだった。
サミュエルを見る、彼は笑顔で頷いた。とりあえず着けてみろという事か。
仮面を顔に当ててみる。その時ワイアットは仮面に紐等の固定具が無いことに気が付いた。
「この仮面ってどうやって着けうわあああ」
突然仮面の端が伸びてあっという間にワイアットの頭を包んでしまったのだ。
「え? なにこれなにこれ!?」
触ってみるとヘルメットぽいが、あまりにも突然だったので狼狽えるしかなかった。
前が見えるのが唯一の救いか。見えなかったら完全にパニックになってた。
「外れろと言いながら横を叩けば外れる。次は腕時計を嵌めてみてくれ」
とりあえず先に「じゃあ外れて」と言いながら叩いてみた。するとサミュエルの言う通り頭を覆っていたヘルメットは仮面に戻っていったのだ。仮面をトランクに戻して今度は腕時計を嵌めてみた。
見た目はどこにでもあるデジタル時計だ。
「真ん中のネジを押し込んで、ウィークウェアと言ってごらん」
「こうかな……ウィークウェア」
おそるおそる言われた通りに操作して、言われた通りの言葉を発する。音声認識というやつだろうか、腕時計は一瞬光った後ベルト部分から布のようなものが広がり始めて腕を覆い始めたのだ。
「う、うわあわあ何これ気持ち悪い!」
「落ち着いて、害はないから」
「でも」
害は無いと言われても気持ち悪いものは気持ち悪い。布は瞬く間に首から下全てを覆い尽くしてコスチュームとなった。
紫や黒を基調とした地味めな配色で、かとおもえば灰色の胸甲に赤いマフラーが目立つ。派手な忍者といった印象だ。
「これが強化スーツ? 確かになんか身体が軽くなったような気がする」
「じゃあ早速運動場で機能テストやってみようか、エルマー君はいるか?」
サミュエルが内線で誰かを呼ぶ、程なくして眼鏡をかけた細い研究員が入ってきた。彼がエルマー君だろう。
「じゃあエルマー君、ワイアット君を運動場まで案内してくれ。私は後で行く」
「かしこまりました。さ、こっちです」
「あっ、はい」
エルマーはトランクを持ってワイアットを先導して部屋を出て行く。
物事を咀嚼する時間も与えられぬまま、ワイアットはただ流されるまま従うしかない。彼が疑問を抱いて提示できるようになるまで、実に一晩かかった。
――――――――――――――――――――
サミュエルはエルマーに連れられて部屋を出て行くワイアットの背中を見つめながら、一抹の不安にかられていた。
その想いはポツリと誰もいない空間へ言葉として紡がれる。
「ほんとに彼が希望なんでしょうか?」
「うむ、朕の夢占いではあのワイアットという少年が人々の希望となる」
部屋にはサミュエルしかいない、しかしその返事は確かに部屋の中から返ってきたのだ。場所は近く、サミュエルの胸からだった。
より正確には胸に着けているヒトデのブローチからだ。
「いくらブエルの言葉でも、にわかには信じ難いですな……あんな子供が」
「彼だけではない、朕が見た夢占いでは彼を含む三人の戦士と一体の巨人がバアルに立ち向かっておった」
「バアルですか……ひとまず様子を見ましょう、別にブエルを信じていない、わけではありません。あなたの夢占いが外れた事はありませんから」
「うむ、プリティな朕は信用できるゆえな!」
ヒトデが喋っているのは中々プリティからかけ離れた気持ち悪さであるのだが。
一通り話終わったサミュエルは静かに部屋を出て行った。ウィークスーツの性能向上のためのデータ採集と、未だ不安の残るワイアットを知るために。
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