読み聞かせ童話「シュリハンドクと茗荷」

@SyakujiiOusin

第1話

   読み聞かせ童話「シュリハンドクと茗荷(みょうが)」


                               百神井応身


 子供の頃、育った実家の庭には幹が太いモミジの大木がありました。秋になると見事に紅葉し、やがてそれは地面に夥しい落ち葉として散り敷くので、それを掃き清めることがお手伝いでもありました。

 或る日お掃除を終えた後、母がポツリと禅問答のようなことを言ったことがありました。

「掃き清めることも大切だけれど、終わった後に幹を叩いて落ちてくる何枚かの落ち葉の美しさを愛でる風流というものを感じ取ることも大切なのです」

 誰かエライお師匠さんから教わったことの受け売りだったのかもしれませんが、妙に心に残っています。


「みょうが」という野菜があります。

 親ミョウガが春に芽を出したときの茎の白い部分をミョガタケと呼び、夏になって根元から出てくるピンク色のものを普通にミョウガと呼んで、2回食べられます。


 昔の人は、ミョウガを食べると物忘れするようになるから、子供には食べさせるなと言いました。

 ほんとうは、そんなことはありませんが、野菜の匂いが強いので、子供は苦手かもしれません。

 どうして、ミョウガを食べると物忘れするといわれたのでしょうか。


 ミョウガというのは、シュリハンドクというお坊さんのお墓から生えてきた植物だからだというのです。

 ミョウガというのを漢字で書くと、「茗荷」となります。

 字の通り、名前を荷う(になう)ということからだというのです。

 シュリハンドクは、自分の名前すら覚えられなくて、背中に名前を書いてもらっていたというくらい、物覚えが悪かったのです。


 シュリハンドクは、お釈迦さんの弟子でした。

 朝聞いたことを夕方には忘れているなんていう程度のもものではなくて、自分の名前まで忘れてしまうのでした。

 皆から馬鹿にされるし、自分が情けなくて、お釈迦様に相談しました。

 お釈迦様は、「大丈夫じゃ」と言って1本の箒を渡され「これでまわりを綺麗にしなさい」と教えたのだといいます。

 シュリハンドクは、来る日もくる日も、それを何十年もの間、ただひたすらお掃除することだけ励みました。


 ある日お釈迦様が、シュリハンドクの傍らを通ったとき「随分綺麗になったね。だけどまだ1箇所綺麗ではないところがあるよ」とおっしゃったのだそうです。

 それがどこなのかわからないまま、さらに数年掃除を続けていたあるとき、はたと気がつきました。「汚れていたのは自分の心だった」と。悟りです。

 お掃除を長くしただけで、むずかしいといわれる悟りを開いたのです。

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