都会少年と神様少女

文月 郁

都会少年と神様少女

 サイレンかと思うほどうるさいセミの声で目が覚めた。枕もとの目覚まし時計を見ると、六時。家ではこんな時間に起きたことがない。

 セミの声のせいで二度寝できそうもないので、僕は寝ぼけ眼をこすりながら起き出した。

「おはよう、弘人。早いねえ。ご飯できてるよ」

「綾お姉ちゃん、セミ、うるさすぎるよ。こんなとこで寝れないよ」

「文句はセミに言っておいで」

「セミの言葉なんて分かるわけないじゃんか」

 ふくれっ面で椅子に座る。目の前にはご飯、卵、味噌汁、そして焼き鮭と麦茶。家ではでないメニューだ。

「僕、パンが食べたいよ」

「なら、後でお店屋さんに行って買っといで。お金はあげるから」

 綾お姉ちゃんは卵を割ってご飯にかけ、食べ始めた。僕も渋々ご飯を食べ始める。


 僕の住む町から地下鉄で三十分。更に電車で二時間半かけて、そこからバスで十分くらいかけて、やっと来られるいとこの綾お姉ちゃんの家。お母さんが入院して、お父さんがついて行ったから、僕は一週間の予定で泊まりに来ている。今日は三日目だ。

 もともと僕は別のおばさんの家に行くはずだったんだけど、「オトナの事情」でいとこの家に泊まることになった。

 「お祭り」につられて来たけれど……来た瞬間に後悔した。

 とにかく、田舎。電車は一時間に二本か、多くても三本だし、バスなんか一時間に一本あるかないか。

 ゲーセンもないし、コンビニもない。あるのは小さい公園と、小さい神社。

 あんまり田舎だから、ケータイが使えないんじゃないかと思った。まあ、なんとか使えてるけど。

 でも毎日暑いし、セミはうるさいし。あーあ、早く帰りたい。お母さん、早く退院しないかな。


「綾お姉ちゃーん、ヒマだよ」

 食器を洗っている綾お姉ちゃんに声をかける。

「えー? ラジオ体操にでも行っといで。すぐそこの公民館でやってるから」

「それしかないの? もう飽きたよ」

 綾お姉ちゃんは背を向けたままでため息をついた。

「やーれやれ。弘人は飽きっぽいねえ。だったら夜まで我慢しな。お祭り今日だからさ」

 ふてくされつつ部屋に戻る。大学生の綾お姉ちゃんが住んでいるこの家は、もともと綾お姉ちゃんのおばあちゃんのものだったらしい。詳しいことは分からないけど、一人暮らしをすることになった綾お姉ちゃんが、老人ホームに入ったおばあちゃんの代わりに住むことになったらしい。

 だから僕一人止まっても平気なのだけど。僕が家の中で過ごすのは朝と夕方だけだ。昼は「掃除をするから遊んで来ーい!」と、追い出される。

 仕方なく僕は、公園やら神社やらにいってしばらく時間をつぶし、おやつの時間に戻ってくる。

 おやつを食べたら、綾お姉ちゃんとお店屋さん――本当に小さい店だ――に行って買い物をする。それから夜ご飯ができるまで部屋でぼーっとして、夜ご飯ができたら食べる。

 それからお風呂に入って、セミの声と蒸し暑さと戦いつつ、寝る。

 この三日間、その繰り返しだ。


 外をぶらついて戻ると、綾お姉ちゃんは着物姿になっていた。

「綾お姉ちゃん、なんで着物着てるの?」

「え? ああ。これは浴衣。弘人も早くこれ、着な」

 差し出されたのは、紺色の着物。

「何、これ」

「甚平。おばさんから預かってた」

 甚平に袖を通して、鏡を見ると、おばあちゃんがいつも見ている時代劇に出てきそうな子供が映っていた。

 草履をはいて、神社まで二人で歩く。道には主にアニメキャラが描かれた灯篭が立ててある。子ども会で毎年絵を描くのだと、綾お姉ちゃんは教えてくれた。


 神社は人でいっぱいだった。こんな田舎に、よくこんなに人がいたものだと思う。

 金魚すくい、綿あめ、ヨーヨー釣り、射的……。屋台もたくさんある。

 気がついたときには、僕は綾お姉ちゃんとはぐれていた。

(あれ……?)

 きょろきょろと辺りを見回しても、朝顔の浴衣を着た綾お姉ちゃんは見つからない。

「どーしたん?」

 可愛い声に振り返ると、赤い着物の女の子が立っていた。僕? と自分を指すと、女の子はコクコクうなずいた。

「何してんの?」

「何って、祭りに来たんだけど」

「ウチも来てるんよ。一緒に行こ」

 手を取られて引っぱられる。女の子と手をつないで回るなんて、恥ずかしい。でも何となく手を離せずに、一緒に屋台を見て回った。

 金魚をすくって、綿あめを買って、射的をして。

 だいたい見て回ったあと、僕らは神社の裏手の、人気のない場所で座り込んでしゃべっていた。

「ウチ、あき、いうの」

「僕は弘人」

「弘人は、どっから来たん?」

「京都だよ」

 あきの目がきらりと光った。

「うわあ……遠かったやろ?」

「すっごく遠いよ。それに、せっかくいとこの家に遊びに来たのに、ここ、何にもなくってつまんない」

 あきはぷうっと頬をふくらませた。

「何にもないこと、ないよ。ここだって楽しいんやから」

 あきの言葉を遮るように、ポン、ポン、と花火があがり始めた。あ、とあきが声を上げる。

「大変、御神楽始まる。早よ、見に行かんと」

 そこで僕を見て、あきはいたずらっぽい笑顔を浮かべた。

「誰にも見つからん、特等席教えたげる。弘人、一緒に行こ」

 あきに手を引っ張られて連れて来られたのは、本殿だった。

「ここには入れないよ」

「入れるよ、ほら」

 あきが体をかがめたところには、確かに隙間ができている。僕も恐る恐る後に続いた。

 あきの言った通り、そこからは神楽がよく見えた。僕らには背を向けていたけれど。

 僕の手を握っているあきの手は、とても温かくなっていた。


 神楽が終わると、人はだんだん減っていった。綾お姉ちゃん、もう帰ったのかな。

「あ、こんなとこにいた。全く心配かけて……。ほら二人とも、早く出といで。誰かに見つかると、叱られるよ」

 綾お姉ちゃんの言葉に、慌てて外に出る。

「さて――」

 ゴン、と頭に衝撃。思わず頭を押さえてうずくまった。

「痛った!」

「痛い!」

「当たり前。勝手にいなくなって心配かけてからに、全く。それに、あなたも、です。こんなところでこそこそ見るような真似をしない。あなたのために踊ったのだから」

「ごめんなさい」

 僕とあきの声が重なった。

「分かればよし。ほら、帰るよ、弘人」

 三人で鳥居まで来る。

「さよなら、弘人」

「え? 一緒に帰らないの?」

「うん。ウチはもうちょっと、ここにおるから」

 少しうつむいてそう言うあきの頭に、綾お姉ちゃんが手を置いた。そのまま優しくなでる。

「またね――あき」

 笑って手を振るあきに見送られ、僕は綾お姉ちゃんと家に帰った。


「綾お姉ちゃん、あの子のこと、知ってたの?」

「うん。ちょうど、うちが弘人くらいのころに、あの子に会ったんだよ。お祭りの夜に、ね」

「それ、おかしいよ。だってあの子、僕と同じくらいだったじゃないか。綾お姉ちゃんが小さいときに出会ってたんなら、もっと大きいはずだよ」

 綾お姉ちゃんはにっこりと笑った。

「そうだね。でもこんな話もあるんだよ。ねえ、弘人。弘人は神様を信じてる?」

 そう言って綾お姉ちゃんは、こんな話をしてくれた。


 昔、ここがまだ小さな村だったころ、ここには――今もあるけど――池があった。その池には竜神が住んでいると言われていた。

 あるとき、村に立て続けに不幸が起こった。村人たちは寄り集まって話し合い、竜神様が怒っているのではないかという結論を出した。

 神様が怒っているなら、当然鎮めなくてはならない。村人たちは再び話し合い、村の女子の一人を竜神様に差し出すことを決めた。

 そして選ばれたのが、嘉助かすけという百姓の娘、あきだった。

 数日後、きれいに化粧をして晴着をきたあきは、竜神様の元へと送られた。

 村人たちはそれから池のそばに神社を建てて、竜神様とあきを祀るようになったのだという。

 そして年に一度の祭りの日は、赤い振袖の少女が、村の子どもに混じって遊んでいるのが見られるという。


 話を聞き終えて、僕は綾お姉ちゃんを見た。

「これ、ほんとの話なの?」

「さあね。だけど、竜神様とあきがあの神社に祀られてるのは、本当。弘人も会ったやろ?」

 言われて思い浮かんだのは、赤い振袖の女の子。

「ねえ、綾お姉ちゃん。来年も泊まりに来ていいかな?」

 綾お姉ちゃんは、僕の考えを読んだみたいににっこりと笑った。

「もちろん。来年も遊びにおいで」

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都会少年と神様少女 文月 郁 @Iku_Humi

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