chapter.2 目覚め
イザ・エヒトの一日は一杯のオレンジジュースから始まる。
地球産の百パーセント果汁、ペットボトル一本で五百円。
日本の道端にある自販機で買えば百六十円だが、月の売店では五百円。
輸送代で倍以上に金額が跳ね上がるため、宇宙に住む人々にとっては高級品だ。
イザの自室の冷蔵庫にはそれが常に十本以上、常備してあり一度も切らしたことはない。
「うーん、この安っぽさがたまらない!」
キンキンに冷えたジュースを高級そうなグラスに注ぎ、ソファに座ってリモコンでテレビの電源をつける。
適当にザッピングをしながら気になるチャンネルを探すが今の時間、同じような内容のニュース番組しかやっていない。
連日報道しているのは謎のSVが軍事施設に現れて襲撃を繰り返している。
地球統合連合軍が躍起なって調査、捜索中とのこと。
「お取り寄せのフルーツ缶、明日までに届くだろうか」
いつの間にかテレビよりもカタログから注文した荷物の心配をするイザ。
PCで到着時間を調べると、速達便にも関わらず諸々の事情で一週間以上もかかるとメールが届いている。
「他に……また勧誘の奴ですか。アイドルには興味ないというのに」
メールの内容は最近人気を博している宇宙アイドルのファンクラブ会員募集の広告である。
ざっくりとチェックするが直ぐに削除した。
「こっちは、差出人不明か……」
三通目のアドレスはタイトルも無い謎のメールだ。
こう言うとき、いつもならイザは好奇心で開いてみてウイルスの類いが出てきたのなら差出人を是が非でも探しだし報復を与えるのが趣味なのだが、フルーツの缶詰が届かないことにテンションが下がって気持ちは湧いてこなかった。
「名も名乗らんヤツのモノなど読むに値しない。ゴミ箱行きだ」
まだ覚醒していない頭をジュースを飲み干しスッキリさせ、イザは時計の時刻が気になって確認をする。
【2100年6月19日 AM9時14分】
パイロットであるイザの仕事、月周辺の定期巡回の時間が近付いている。
しかし、急ぐ素振りなど微塵も見せず、ゆったりと寝間着をベッドに脱ぎ捨て、制服とお気に入りのマフラーを身に纏うと二重、三重に荷物と部屋のチェックをしてから自室を後にする。
「イザ・エヒト!」
ドアを開けるなり目の前に眼鏡をかけた女性が現れ、大声でイザの名を呼ぶ。
「これはこれはアンヌ・O・ヴァールハイト副社長、おはようございます」
丁寧に挨拶をするイザ。しかし視線の先には誰もいなかった。
気のせいか、と首を傾げるイザは前に進もうとすると何かに阻まれて先に進めなかった。マフラー越しの胸に何か固い物が当たる違和感を感じる。
「……何かしら、これは?」
「あらあらこれはこれは、すいませんでした。副社長の背がとても小さすぎたもので……申し訳ありません」
身長185センチのイザは一歩、後退して謝罪の言葉を述べる。とても丁寧な所作だが、何処かバカにしたようなニュアンスで全く心が込もっていなかった。
「謝罪の体勢じゃないわ。謝るなら額を地面に着けなさい」
公表身長165センチ、栗毛色の髪、ブランド物の赤い眼鏡に赤いスーツに身を包む女。アンヌ・O・ヴァールハイトは冷静な口調で言い放つ。
「わざわざ月から御足労かけて悪いのですが、これから見回り当番なんですよ。僕が居なかったら誰が宇宙の平和を守るっていうんですか?」
「貴方に守られるほど月の力は弱くないわ。TTインダストリアルを舐めないでちょうだい」
ふざけた物言いのイザの口をアンヌの手がわし掴む。
彼女は19歳にして半世紀以上続くSVの開発、製造会社である月の大企業TTインダストリアルの若き副社長だ。
「えぇ?! では非番で良いのですね? これから映画でも観に行きませんか?」
「そんな事をしてる暇は私にはありません」
「僕に会いに来る時間はあるのに?」
「はぁ……ウザ、きも」
ギリギリ、と掴んだ手に力が入りイザの顔を歪ませる。
副社長と言ってもまだ十代の生意気な小娘なのだな、とイザは本人の前で口が裂けても言えなかった。
言えば余計に面倒なことになるし、副社長の権限を使って自身の順風満帆な生活に支障が出る恐れがあるからである。
「今回は私も同行します。貴方たち特別試験運用隊の仕事を査定させていただきますからね」
「そうですか……あと、ウザいは良いですけど気持ち悪くはないですよ? 神様から貰った自慢の顔です」
「口を慎みなさい。誰のお陰で貴方のような一般兵風情が上位クラスの待遇でいられると思っているの?」
アンヌは傷の無い新品同様のドア枠をヒールの靴で二回も蹴る。今イザが居る部屋は佐官階級以上の軍人しか入居することが出来ない特別個室だ。高級ホテル並みの様々なサービスが受けられる月兵士の憧れだ。
ちなみにイザの階級は兵長である。
「もちろん、このイザ・エヒトが快適かつ健やかに生活できるのは社長のお陰でございますよ」
「貴方の言う社長は私じゃない、お婆様よ。“元”社長のね」
「僕にとっては忠誠を誓うに値するお方はリュウカ・オダ様です……それではお先に失礼しますよ。時間に遅れると隊長がグズりますからね」
一礼するイザは軽い足取りで去っていった。
残されたアンヌはヒールの靴を脱ぎ、イザの後頭部を目掛けて思いきり投げ付けるも振り向き様にキャッチされてしまった。
「返せ!」
「なら何故、投げるのです?」
◇◆◇◆◇
ルーチンワークはイザが一番嫌いなことだった。
輸送艦から出撃し、灰色のデコボコで所々が機械化した月の表面と、宇宙に浮かんでいる全長約20キロに及ぶ駒の形をした宇宙コロニー“ジャイロ・スフィア”の両方を上下に眺めながらSV五機、男だらけの小隊でグルグルと巡回しているだけ。
実につまらない、と本音を口には出さないがイザは心の中で思っている。
一言文句でも垂れようとすれば、先頭を航行している隊長のダミ声を一時間は聞かされることになるだろう。
『近頃は“ヤツ”の目撃が相次いでいる、警戒を怠るんじゃないぞ!』
噂をすれば不快なダミ声が耳元のスピーカーから流れ出てきた。イザは即座に通信の音声ボリュームを下げてやる。
隊長が言う“ヤツ”とは連日ニュースでもやっている謎のSVだ。
この一ヶ月、出撃頻度が多くなっているのは謎のSVが宇宙にも出現したと言う情報によるものだ。
統連軍の基地を襲うSVが宇宙で見掛けられた、と言うことは統連軍が宇宙に何か軍事施設を秘密裏に作っている、と言うことになるわけである。
「今日も地球は綺麗だ」
そんなことよりもイザの乗る《尾張Ⅹ式》は頭部バイザーのカメラで青く輝く美しいをレンズに捉える。
約七十年近く昔の旧式SVだが、現行機にはないクラシックなデザインがイザは気に入っている。
それに様々な装備を追加しカスタマイズされているので性能は最新鋭機に勝るとも劣らないが、イザは戦うことが嫌いなので改造の方向性としては偵察や電子戦に特化したサポート型の機体なのだ。
『隊長、この辺りなんすか? 出たのって』
『ジャイロスフィアの端でも噂流れてますよ。この分だと統連軍の耳にもはいってるんじゃあ……』
『馬鹿か、そうなる前にこっちで拿捕する』
『帰って三代目セイルちゃんのライブ映像見たいなぁ。自分ファンクラブ入ったんすよ』
『おいおい、副社長様も見ているんだぞ? 我らが部隊の力を見せるときだ!』
隊長らが乗るTTインダストリアルの新型機である《アユチ》は一斉に拳を掲げた。
全長10メートルの《尾張Ⅹ式》と比べて5メートルも大きいサイズだが機動力は抜群に良い。宇宙と月の表面に溶け込んだグレーとネイビー、二色のカラーリングで全機統一されている。
この特別試験運用隊はジャイロスフィアにあるTTインダストリアルの支部がSVのテストを行うために編成された部隊だ。
小規模だがTTインダストリアルの技術の粋が集まっていて月の本軍とも機体性能だけなら引けを取らない。
しかし、その実態は地球を追い出されたハグレ者の集まりでパイロットとしての腕は無く、メンバーの入れ替わりも激しい。
TTインダストリアル側も実験と称して無茶苦茶な改造を施したピーキー過ぎる機体ばかり寄越すので、耐えられなくなって止める人間が後を経たない。
残ったのは命知らずな者ばかりが集まり、今や愚連隊となっている。
そして今回の渡された《アユチ》というSVはこれまでと比べて、とてもまともな方である。
(つまり。戦いがあると予測されていた……まさにですね)
緊急事態を知らせるアラート音が部隊各機のコクピットにけたたましく鳴り響いた。
『正面から反応。高速で向かってくる物体あり、隊長?!』
『全機散開! 俺たちでヤツを…………高エネルギーが……もっと広がって、避けろッ!!』
彼方から飛来する高エネルギー粒子の奔流が《アユチ》の一体を瞬く間に飲み込んでしまった。
隊長機を含む残った三機の《アユチ》は左右に散り、各々武器を構える。
イザは《尾張Ⅹ式》を少し後ろへ高みの見物だ。
元より戦闘用の武装は積んでおらず、どうすることも出来ないので敵機の分析を開始する。
(違う。統連軍のex級量産SV……Dアルターか?)
それは地球統合連合軍が誇る特殊型汎用決戦機械。
地球の平和と秩序を守る、俗に言うスーパーロボットタイプのマシンだ。
『四番機が落ちたのか?!』
『死んだ奴のことは今は忘れろ! それよりも目の前の敵だ!』
突然の奇襲に戸惑う特別試験運用隊だが、同様を心の中に圧し殺して、臆することなく戦闘態勢を整える。
「……おや、本命が来たようですよ?」
接近するもう一つの大型の機影。位置から消えたり現れたりを繰り返すそれを《尾張Ⅹ式》の広域レーダーだけが唯一捉えている。
部隊の仲間がやられたと言うのに、イザの興味は謎の存在に心を奪われていた。
「あれが第三の……」
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