みらい区の人たち
羊毛文学
最初のトランスヒューマン
「最初は好きで人体改造し始めた訳じゃないですよ。私は。」
男は皮膚の下に埋め込まれたシリコンチップから遠隔で指令を送り、知らぬ間にIoTのコーヒーメーカーを動かしていた。部屋に挽きたての香りが漂う。
「ビッグデータが教えてくれた、あなたの好みの味に仕上がっています。」
得意げに差し出された無色透明のマグカップ。触れた瞬間、生体情報を読み取って私好みのえんじ色に染まっていった。
シリコンとウレタンベースの人工皮膚で覆われた彼の顔は、シミ一つない。
私に向けられた笑顔は、そのまま作品にしてしまえるくらい完璧なものだった。
先輩の言葉を思い出した。確かにずっと一緒にいたら、第三者の目を意識し始めたら、ナチュラルズの私たちは自分の醜さを恥じて外を歩けなくなるかもしれない。
カメラ機能を持った瞳をこちらに向け、調律済みの美しい声で男は身の上話をしてくれた。
「最初に機械に取り換えたのは、今あなたに向けられているこの眼です。昔……中学生の頃、『瞬きするタイミングがおかしい』ってしつこく指摘されて、だんだんいつ目を閉じていいのか分かんないからずっと目を開けてたらずっと充血してるみたいになってしまって、そのままじゃマズいからって親が医者に頼んでそこだけ機械に取り換えてもらったんです。“その方が不自然じゃない”って言うんで。」
男のマグカップはまだ透明だった。中の液体から発せられる熱でぼんやりと曇っていく様子が見える。
人間よりはるかに高性能な彼の目には、どう映っているのか少し気になる。
「次は大学生時代ですね。『話してるときの息継ぎのタイミングがおかしい』って……あと吸ったり吐いたりする音もなんか変だって言われて。いつ呼吸して良いか戸惑ってたら、すぐ過呼吸気味になってしまうようになりましてね……笑。
その頃はもう技術が進んでたから、肺から心臓からもう……全部機械に取り換えちゃった方が楽かなってなりました。」
ゆっくりと戸惑いがちに、男のマグカップに色彩が灯り始めた。
「そこまでくると、躊躇することがなくなってくるんで、“変だ”とか“変わってる”って言われたとこはなるべく良いように取り換え続けるようになりました。
この街の常識だと指摘されたとこは適合治療で機械化していくのは、もうほとんど優良区民の義務みたいなものですから。
挙動や思考回路もそうです。他の人と違っていたり、違和感のある部分があれば、電脳化してAIに補正してもらうようにしています。」
彼が入れてくれたコーヒーは、私にとって今まで飲んだ中で最高の味がした。
そうやって男は、私がどういう味を好む人間なのかという情報を得る。
「もう私自身、自分の生き方のどこまでがもともとの自分の意志によるもので、どこからが矯正治療で取り換えたパーツによるものなのか全然判断出来ません。今ここで、こういう感じで私はあなたと話しているわけですが、少なくとも今発した言葉。選択した語句の幾つかはAIによるものです。」
男のマグカップは紺色になっていった。
そうやって私は、彼がどういう色を好む人間なのか知ることが出来る。
「でも、話してて全く困らないでしょう?“発展途上”のあなた方の街では、未だに“コミュニケーションを取りづらい人”なんてのが野放しにされていると聴きます。そんなのが社会にいたら、仕事をしてると意味の取り違えとか、情報伝達の不備が色々起こって大変じゃないですか?」
後で色彩心理の記事を検索したら、「青は誠実さを感じさせる色なので、人とのコミュニケーション、特に1対1のコミュニケーションをスムーズにする効果がある」と書いてあった。
あの男が今“どいういう色を好むべきか”きっとAIが判断したに違いない。
そうやって彼は、自分が何を好む人間なのか見失っていくのだろう。
他人事じゃない。私たちの住んでいる街も、きっといずれそうなっていくのだから。
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