act.2 尊厳

 ターゲットとなる殺し屋の根城は、再開発新宿区シンシンのど真ん中にあった。

 新宿は先の世界大戦“The end of warsあらゆる戦争の終結”によって壊滅的な被害を受けた。大戦終結後には、街全体が砕けたコンクリートと死体の山と化していた。瓦礫が取り除かれて、住居や商業施設が再興した今も、高層ビルはほとんどない。

 そんな街の中央に唯一そびえる円筒形の巨大なビルの最上階が、奴の住むフロアだ。


「なかなか良い所に住んでやがるな」

 サトルはビルを見上げてつぶやく。


 ターゲットはクラスBの殺し屋だそうだが、このレベルの住居に住めるということは、その階級にしては、かなり稼いでいる部類に入るだろう。


 ビルのエントランスには、手のひらサイズのモニターがあった。セキュリティーシステムの入力機械だ。その横に、管理用の接続ソケットがある。

 サトルは赤い機械端末とソケットを、導線で繋いだ。

 端末を操作して、全セキュリティーを一時間ほど解除する。


 入り口の透過性可変ミラージュガラスが、黒から透明に変化した。セキュリティー解除は成功だ。


 サトルは赤い端末を回収し、自動ドアを手でこじ開け、ビルに入った。

 十五階までは階段を駆け上がる。


 踊り場で呼吸を整えてから、ターゲットの部屋に向かった。

 銃を握り、セーフティーを解除する。

 音をさせないように、ゆっくりとドアを押し開く。

 ウォン、ウォン、ウォン、ウォン。けたたましいサイレンが鳴った。

「ちっ!」

 サトルは舌打ちをした。

 ドアの端にマグネット式のセンサーが貼り付けてあった。

 高度なセキュリティーシステムではない。ドアが開かれれば無条件に音が鳴る。古典的で単純な仕掛けだ。それだけに、かえって外部から取り除けなかった。


 物陰に身を隠して、室内の気配をうかがう。


 どうする? 撤退か?

 だが、途中でビルのセキュリティを復旧されてしまったらアウトだ。このまま逃げるよりも、ターゲットを殺してから逃げるほうがいくらか安全かもしれない。

 銃を構えながら、部屋に入る。

 そこは、バスケットボールでもできそうな広い部屋だった。周囲はぐるりと窓に囲われていて、再開発新宿区シンシンの景色が一望できる。数本の太い柱があり、ソファーだの、書棚だの、ワインセラーだのが部屋のあちこちに置かれている。


 計算された配置だな。物陰に隠れているに違いない。


 サトルは周囲の気配に神経を張り詰めつつ、一番怪しいソファーに近づいた。

 そのとき、正面の窓に黒いものが映った。拳銃だ!

 サトルのすぐ後ろの空中に銃が浮かんでいる!

 光学迷彩服カメレオンまで持ってやがるのか!

 サトルは身を屈めて銃の射線を避け、

「そこか!」

 サトルは透明人間に飛びかかり、力いっぱい押し倒した。

 一瞬だけ、手元の光景が歪む。衝撃で光学迷彩がエラーを起こしたのだろう。

 銃を持っている透明人間の腕を踏みつけながら、顔のありそうな位置を引っかく。

 光学迷彩服カメレオンが破れた。

 中から出てきたのは、人の形をしたクッションだった。

 やられたっ!

 光学迷彩をおとりに使うなんて!

 とっさに後ろを振り向こうとしたが、手遅れだった。

 シュン。風を切る音がした。

「うぐっ」

 体をかばった右手を鋭い痛みが貫いた。

 手から銃が零れ落ちる。

 手元を見ると、手首にナイフが突き刺さっていた。

「くそっ」

 腰のホルスターに左手を回し、予備の銃を取ろうとする。

 シュン。風を切る音。

 あわてて体を屈め、銃を引っ張る。

 しかし、銃が抜けない。

 不思議に思って、背中を見る。

 左の手首がなかった。ナイフに切り取られ、地面に転がっている。

「うがぁぁ」

 耐え難い痛みが、左腕から駆け上がってきた。


 地面に尻餅をつき、後ずさる。

 ワインセラーの影から、十代前半ぐらいの子どもが顔を出した。

 ターゲットの殺し屋だ。


 子どもはサトルにナイフを突きつけながら、

「お前は? どこの差し金だ?」

「プロの殺し屋が、依頼人をゲロすると思うのか?」

「するさ。恐怖には誰も勝てない」

「ふっ、たいした自信だが、油断大敵って言葉を知ってるか?」

 どうにか動く右手で、ポケットから白い端末を出した。電子毒薬エレクトポイズンの入っていた端末だ。

 サトルが端末のボタンを押そうとしたとき、子どもがサトルの腕に刺さったナイフを蹴り上げた。

 腕がちぎれて、端末とともに飛んでいく。

「ふんっ、俺が最初からその端末を使う気だったなら、お前の負けだったんだぜ」

 サトルは負け惜しみのように言う。


「依頼人を突き止める手はいくらでもある。だが、金をかけたくない。言って楽になるほうがお互いのためだ」

「ガキの脅しなんて怖くねーよ」

「いつまでその減らず口を……」

 子どもはナイフをかまえて、両腕のないサトルに迫ってくる。

「そう苛立つなよ。全部話してやってもいい。だから、一つだけ条件がある」

「命乞いか?」

「まさか。殺し屋がこんな体になっちまったら、もう死んだのと同じだよ」

 サトルは手首から先のない両手を上げ、投げやりに笑って見せる。笑うたびに振動が腕に響き、激痛が走ったが、表情に出さないように力を入れた。


非管理区域アンダータウンにある俺のねぐらに、イブキって女がいる。仕事先で拾った哀れな女だ」

「そいつをかくまえと言うのならお断りだ。そいつだって、恋人を殺した奴の世話になんてなりたがらないさ」

「ただの同居人だ。前にいた場所で酷い目に遭ったらしくてな、あいつは極度の男性恐怖症なんだよ」

「どうでもいい。俺に優しさを求めるな」

「お前さんは殺し屋だろ?」

「ああ、そうだ。だから、俺はなんだよ。人助けなんて……」

「それでいい、あいつを殺してくれ。俺がいなくなれば、すぐに前までの生活に逆戻りだ。あいつをそんな目に遭わせたくない」

 子どもは困ったように眉を曲げつつ、鼻先で笑った。

「それは、独り善がりなんじゃないか?」

「その白い端末に、俺からのメッセージが入っている。公園にでも呼び出して、それを聞かせつつ殺してやってくれ。ただし、恐怖も苦痛も与えずに、一瞬で殺すんだぞ」

「メッセージ?」

「それを聞けば、あいつは大喜びするはずだ。幸せの絶頂にいるうちに、死なせてやって欲しい」


 子どもは白い端末を見下ろした。

「俺はてっきり、電子パルス系の武器だと思ったが?」

「もともとはそうだったよ。だが、そんな卑怯な物を使うのは俺の流儀に反するからな。来る前にデータを入れ替えた」

「馬鹿な男だ」

 子どもは見た目にそぐわない落ち着きある笑みを浮かべ、

「分かった。頼みは聞いてやるから、安心して死ね」

 子どもがナイフを振り上げるので、サトルはあわてて、

「待てっ! 依頼元は聞かなくていいのか?」

「いいさ、自分で調べるよ。少し金はかかるだろうが、お前の誇りに比べれば安いもんだ」

「ずいぶん渋いガキだな、お前さんは」

 サトルはため息をつく。


「ガキじゃない。これでも十六だ」

 子どもはサトルの胸にナイフを突き立てた。

 激しい流血があったが、不思議と痛みはなかった。

「ふっ……十六って……、やっぱり……ガキじゃねぇかよ……」

 その一言が終わるのと同時に、サトルの目の前は真っ暗になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る