1-9
野良猫が横切る小路を覗く。
家の裏側、白い壁の家族の談笑が聞こえる。
レンガの街のありきたりな風景。
暫く堪能していれば長くはもたず飽きてしまいそう。やっぱり俺は芸術家には向いていなさそうだ。
だったら自分は何者だったのだろう。
それを思い出そうとすると激しい頭痛が襲ってくる。脳を内側から乱暴に掴まれて髄を引き剥がされるような激震。
内部がそうされている想像をする暇もなく、耳の穴に血が上って今にも噴き出しそうで、思考することも許されない。
眉間に刻んでいた皺を解すように額をこすり、思い出そうとするのは辞めた。
それよりも今は、俺のこの世界での唯一の頼みであり、マグの大切な教え子であるストランジェットとの約束を果たさなくては。
しかし、本当に果たすべきなのだろうか。
彼女を迎えに行くことは俺の義務ではないのではないか。
彼女を置いて来ざるをえなかったのは、俺ではなく俺の体の主が無一文だった責任で、俺自身には関係ないと割りきってしまえるのではないか。
このまま何も知らなかったふりをして彼女のことは忘れ、この世界に溶け込んで生きていく道もないわけではない。
邪な考えが痛みに耐えた脳を刺激したが、俺は手にした紙切れを握り直してぐっと堪えた。
やっぱり、スーを見捨てることは出来ない。
彼女を手離したまま自分だけどうにかだなんて考えが浮かんだ自分を恥じた。
俺がレストランのテラス席で意識を取り戻してからさっきまでずっと一緒にいてくれたスー。
俺には今、彼女以外のアテがない。
俺は何て馬鹿なことを考えてしまったのだろう。
別れ際の愛らしい彼女の顔を思い出して、話を振り始めに戻そう。
「うわっ?!」
「ま、待てって……このっ!」
そう思ったとき強い風が突如として吹き、何かが耳を掠めて通りすぎた。
それから続けて腕への軽い衝突。
俺は手に持っていたスーから貰った地図を取り落としてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
行き違いになった風の行方を追い掛けてこちらへ駆けてきた少年がぶつかったのだ。
必死に伸ばした手が俺に当たり急停止した少年が向き直って謝罪する。
「いや、大丈夫だよ」
俺がスーからのメモ紙を拾い顔を上げると、目の前の少年は顔を真っ青にして体を強張らせ、まるで俺のことを不気味な物でもみたかのような表情で見下ろしていた。
青い髪の間に見える気の強そうなつり目が、恐怖と困惑で震えている。
「……は? 嘘だろ……? は……?」
「平気だって。俺は何ともないから……」
怪我も何もしていないよ。と少年にぶつかった部位を見せながら言ったが、彼はそれに収まらず、
「お前! 誰だよ!! なんで先生と同じ顔してるんだ?!」
風を起こした小さな正体の白い光の玉が少年の手の中に戻ると、彼は背中に背負った大きな鉄剣の鞘に手をあてて驚きを声に出した。
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