#039 『 壁の中 』

 ミッドランド最大の小売都市であるシュルーズの居城にて、男は怒りに身を任せる様にあたり構わずに物を破壊する。


「くッ!! あの忌々しい小僧が!! あいつさえいなければ!! 俺は覇者になれたのに!! あのやろう!!! 少し下に見てやればこうもつけ上がりよって!!!」


 一人、謁見の間で暴れる男を横目に同じく謁見の間にいた女性は告げる。


「お兄様。もはや我々に勝機はございません。降伏してはどうでしょう? 命くらいであれば助かるかもしれませんよ。」


「うるさい、うるさい、うるさい!!!! お前のような女に何がわかる!!! お前は俺の言う通りに動けばいいんだ!!!」


 叫びながら男の妹らしき女性は静かに俯くと謁見の間を後にした。


 もはや誰もこの状況を止めることなどできない。

 つい先日、こちらがウェストリー王国を攻めたのにも関わらず、最終的には白紙講和まで持って行かされた。それは大国にとってあるまじき屈辱的な講和だったが受け入れざるを得なかった。

 それもこれも、目の前にすでにヨークシャー王国とアルビオン王国の二カ国が軍を率いて攻めてきていたからだった。

 無論、どちらも急な参戦による準備不足からか国境周辺の兵しか集めずに攻めてきたがそれでも数が揃えば対処は難しくなってくる。

 特に今回の場合は北方と南方に分かれていたことだった。

 故に、ヨークシャーとアルビオンの軍勢を追い出すのに国力を消費し過ぎてしまった。

 そして今回、いち早く先の戦いから抜けたウェストリーが不可侵条約を破り侵攻してきた。本来であれば即座に対応できたが兄がウェストリー王国の国王アルトスを舐めていたこともあり初動が遅れ、次々とウェストリーは占領地を拡大していった。

 国力も減った状態でもはやマーシアは万全な状態だとはいえない状況の中でアルトスは攻め入り、最大の利益を得ようとしていた。

 それなのに兄は迫り来るウェストリーの脅威よりもヨークシャーとアルビオンと大国の威信を競い合っていた。


 着実に力をつけ、反撃の一手を企てていたウェストリーよりも自身のプライドや尊厳を守らんがために国を疎かにする。

 確かに、時にはそういったことは必要かもしれない。

 しかし、それで足元が救われるようなことがあってはいけない。

 なのに、今回はそうなってしまった。


「はぁ〜」


 一人、ため息を発しながら廊下を突き進む女性に専属のメイドは訊ねる。


「どうなされたのですか? 姫。」


「いえ、なんでもないの。それよりも今日もわね。」


「ええ、もう三日目です。住民の多くはまだ大人しいですがそれがいつ爆発するのか、わからない状況です。」


「そう。なら早めにしないとね。」


「何をです? 姫。」


「何でもないわ。それよりも先に行って部屋を温めてくれるかしら。どうも少し、寒いみたいで。」


「畏まりました!」


 タッタッと走っていくメイドを見送りながら、女性は笑みを浮かべて廊下を進む。

 その様はまるで籠に入った美しい鳥ではなく、捕まえた宿主を猛毒で苦しめるような異様な雰囲気を纏っていた。


「ふふふ、楽しみですね。お兄様。」




 その後、部屋へと戻った女性にメイドは軽い食事とエールを持っていくと女性は優しい微笑みで感謝した。


「いつも、ありがとう。」


「いえいえ、私はこれくらいしかできないですから。」


 照れ臭そうに応えるメイドに、女性はふと思い出したかのようにメイドに訊ねる。


「そうです! アリシア、最後に休みをとったのはいつです?」


「えっ! そうですね。六日前ほどでしょうか。あの時は半日だけでしたが……。」


「それはいけないわ!! ごめんなさいね。私としたことが主人でありながら気づかずに。」


 そう言いながら女性はあたふたする様にメイドを見つめる。


「いえいえ、仕方ないですよ。状況が状況ですし。」


「いえ、そうもいきません。」


 ふんと鼻息を鳴らしながら告げる女性にメイドはなんて優しいお彼方のでしょうかと内心で思う。

 そこをつくように女性はなおも言葉を続ける。


「今からでも休んでもらいます!! だから今日はもういいわ。とは言っても街にはいけないかもだけどね。」


「はい! 姫のお気遣いに感謝します!!」


「ええ、いいのよ。あっ! それと休む前に一つだけ頼めるかしら。」


「はい! なんでしょうか。」


「近衛隊の隊長を呼んで欲しいのよ。ちょっと不安だからね。」


「わかりました! では、行ってきます!!」


 笑顔で走るメイドを見送りながら女性は笑みを浮かべ、メイドが用意したお菓子とエールを口にすると自分以外誰もいない部屋で呟く。


「これは美味しくないわ。」



◇・◇・◇


「では、陛下。軍議を始めさせていただきます!」


 そう告げながら甲冑を見にまとう五十代ばかりの男性は上座に座る二十代ばかりの男に遠慮する。

 その様子をイラつきながらも静かに聞く男に周囲の将軍たちは緊張する。

 いつ、どんな時に、男が叫ぶのかわからないまま、軍議を始める。


「まず、初めにですが、今現在の敵の配置をご覧ください。」


 告げる五十代の男性はテーブルに広げられた地図を指す様に他人の視線を誘導する。


「すでに、シュルーズは囲まれており、日夜例の岩が飛んできます。」


 岩が飛んでくる、という言葉にあたりの将軍たちは前線の記憶を呼び覚まし頭を抱える。


 今まで、籠城戦では岩が飛んでくることはなく、城壁は攻城兵器––––––––特に攻城塔––––––––に気をつけなければならない。

 何せ、城壁が破られれば残すは市街地だけとなるからであり、多くの犠牲が出ることが容易に想像できるからだった。

 また、家族が住まう市街地に敵を入れてしまえば、家族を救うことは難しくなってくる。そうとわかっているからそこ、兵たちは城壁を頼りその城壁を守るしかない。


 だが、今回は少しばかり違う。毎日朝から晩まで投げつけられてくる岩に城壁は崩れかけているばかりか、兵たちの中にはショックで精神をおかしくした者までいる。

 そうした中での籠城に兵たちや住民たちは疲弊し、反戦気分でいた。

 さっさと降伏して平和な日常に帰りたい。

 そう願う住民は少なくはないが、それを口に出そう者なら陛下の怒りを買ってしまい一族郎党死刑を言い渡されるに違いない。

 故に、誰もそのことを口にすることなく、ただひたすらに我慢していた。


「そこで例の岩を投げる木の建物を破壊すべく、三百人の騎兵隊を編成し、北、西、南と言う具合に攻める案があります。」


「破壊と簡単に言いますが、木の建物の周囲には敵兵がごまんといます。とても三百の騎兵だけでは破壊するのは厳しい。他に方法は……。」


 反論する三十代ばかりの将軍に上座に座った男が告げる。


「臆病者風情が、その口を閉ざせ!! 三百の騎兵でも十分にできる作戦だ。敵は所詮、烏合の集だ。正規兵などほとんどいない。なのに貴様は、まるで子供のように言い訳ばかり。栄光あるマーシアの将軍とは思えないほどの覇気だ。」


 男は詰め寄り三十代の将軍に冷酷に告げる。


「とはいえ、俺はそこまで悪人ではない。お前に今回の失態を覆い隠すほどの栄光を手にするチャンスを与えよう。この作戦、お前が行け。そして、例の木の建物を全て破壊しろ。わかったな?」


 苛立ちめいた表情で迫る男に将軍は力なく「はい」と応える。


 その結果、軍議もほとんどすることなく解散となり、三十代の将軍は肩を落とすように会議室を出た。


 その様子を近衛隊長は静かに見守った後、どこかへと消えていった。


◇・◇・◇


 その後、将軍は言われたように三百人の騎兵隊を組織するとそのまま北門から出撃し木の建物に向かって全力で攻勢をかけた。

 しかし、木の建物を防衛していた兵たちによって三百人の騎兵隊はことごとく撃退されてしまい、一時間後には北にあった木の建物すら破壊できずに撤退をした。


 だが、撤退は許されないとでも言わんばかりに残った騎兵隊めがけて矢の雨が城壁の方から降ってくる。


 その光景に将軍は静かに悟る。


 あの瞬間、マーシア王は自分を必要のない者だと判断し捨てたのだ。

 自分がいかに国に尽くしてきたのかを忘れ、マーシアの王は冷酷に成果だけを求めた。

 “臆病者めが”その言葉だけが、脳裏で繰り返される。

 決して臆病風に吹かれたわけではないにも関わらず、マーシア王は臆病風に吹かれたと考えた。


 とはいえ、反論などできようはずもない。

 以前、反論した将兵にマーシア王は剣を向けるとそのまま将兵に突き刺し皆の前で殺してみせた。

 その時からマーシアという国はおくかしくなっていった。

 マーシア王に求められる成果をいかなる手段をとっても応える。それこそが明日を生きることが許される条件になっていった。


 マーシア王はまだ若く血気が盛んではある。それは仕方がないことだと言える。だが、部下を使い潰す今の現状ではとてもアルビオンを統一できない。

 そう思うものが大勢いた。

 そしてそのことを口にするたびにその者は消えていった。

 あるものは戦死し、ある者は襲撃され、ある者は毒を盛られた。


 邪魔者は消すという極端な思考に将軍たちは頭を悩ませた。しかし、かわしいのは自分だけで他は気の毒に思うもののどうすることもできないでいた。

 今日も生き残れた。毎晩、ベットの上でそう思う。


 だからこそ、将軍は目の前の光景に違和感などは感じなかった。

 自分めがけて放たれた矢が静かにゆっくりと見える中、将軍は走馬灯のように家族の思い出がフラッシュバックする。

 楽しい思い出、悲しい思い出、苦しい思い出そんなさまざまな思い出を思い出した後、ふとどこからか愛する妻と幼い子供の声が聞こえてくる。


『あなた。』『父上!!』


 その言葉を聞いて、将軍は悲しげに告げる。


「すまない。」



 刹那、矢が将軍の左目に突き刺さり、無数の矢がそれを追うように次々と刺さる。

 太ももや胸、肩や兜、馬にまで突き刺さりバタバタと倒れる。


 そして誰一人として動かなくなったことを確認すると城壁にいた兵達は弓をしまう。

 今日、また自分たちの手で同胞を殺めてしまったという後悔の中、一時的に止まった北からの投石に兵達は命じられた職務を全うする。


 その異様な光景をひっそりと影から眺めていたフードの男は静かにその場を去り、路地裏に消えていった。


◇・◇・◇


「さぁ、始めましょう。今宵の宴を。」


 一人、シュルーズの居城にある自室で呟く女性に二人の兵は膝をつきながら応える。


「仰せのままに!!」

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