おやこ

 身体が思い。全身が痛む。すっかり拗らせてしまったようで、もうひと月は

経とうというのに未だに治るきざしがない。

 医者にかかったほうがいいのかもしれないが……病院は嫌いだ。幼い頃からまるで良い思い出がない。それに、このところ起き上がって歩くのにも息を切らしてしまって、とてもじゃないが外を出る気にはならなかった。

 炊きたての白米や、焼き上がった魚の香ばしい匂いが不思議なほど不愉快に感じられて、食欲もさっぱり失せてしまった。健康になるには食べなくてはと口に含んでみるが、胸に何か詰まっているようでなかなか飲み込むことができない。結局ほとんどを残してしまうので、食事は粥と汁物だけにしてもらうことにした。朝餉をちびちび時間をかけて喉に流し込んでいると、気づけば正午を通り越してしまっている。

 モモは来ない。いつの間にか、すっかり音沙汰がなくなってしまった。まるで彼女の存在自体幻だったかのようだ。机には書きかけで放り出されたノートが広げられたままだ。続きを書かなければ、と思うのだが、体力も、気力も、何よりも想像力も、何もかもがわたしの中から失われている。誰も読まない物語を作ってなんになるというのだろう。

 モモに会いたい。

 膳を下げに廊下をのっそり歩いていると、庭から楽しげな声がするのに気が付いた。窓から遠く、大人と子どもの影が見える、すらっと足の長い大人のほうは、多分、わたしの兄だ。

 子どものほうは……モモより一回りほど小さく見える。目を凝らすと、その子が日本人離れした特徴を持っていることがわかった。異国の血が混じっているのだろうか? そういえばモモは“弟”のことを変わった容姿をしていると言っていたか。

 ああ――じゃあ、あれは親子なのか。

 キャッチボールをしているようだった。父親のほうが子どもに向かってボールを投げているのだが、子どもは幼いせいか上手くキャッチできず取り落として転がしてしまう。落ち込んでいる子どもに対し、父親は「大丈夫だ、もう一回やってみろ」「その調子だ」なんて声をかけている。男の子は負けじとボールを拾い上げ、一生懸命にボールを投げる……。

「ああ、いいな」

 ふと、そんな言葉が唇から漏れ出た。いい? 何がだろう――まさかわたしは、羨ましがっているのか。あんなふうに遊んでもらえたことなんて、わたしにはほとんどなかったから。

 男の子が投げたボールが父親のグローブに収まった。男の子がぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。父親は男の子の頭をぐしゃぐしゃと撫でて褒めている。良い親子なのだろうと思う。あれが兄でなければ――子どもの出自を知らなければ、きっと心から祝福できた。そういえば、モモはどうしているのだろう? 母親の姿も見えない。

 モモは今、家庭内でどんな風に過ごしているのだろう。わたしはここでようやく、その考えに思い至った。

 突然何もかもが恐ろしくなった。わたしは呑気に何をやっていたのだ。こんな状況に置かれて、彼女が苦しんでいないはずがないのに。自己憐憫に夢中になるばかりで、彼女のことなんてまるで考えていなかった! ずっと姿を現していないのも、彼女の身に何か起こったからではないのか。だとしたら……彼女は今……

 思わず玄関に飛び出しかけて、はっと我に返る。そうだとして、わたしに何ができるというのだろう。彼女を連れだして、両親を無事説得して、この離れにずっとかくまうことができたとしても、それは彼女のためになるのか? 何もできない、何も持たない、ただ家族の情けによって生き延びているだけのわたしが、彼女をどう守っていけるというのか。どころか、わたし自身が彼女に害を及ぼしかねないというのに。

 玄関に膳を下げ置くと、わたしは部屋に戻って意味もなく机に向かった。わたしにできることなどない。できるとすれば、いつかまたわたしの部屋を訪れるかもしれないモモにお話を見せたり、大人ぶって慰めの言葉を口にすることだけだ。

 せめてわたしが、モモを救える大人であったらよかったのに。

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