旅立つならばこの地から

 ピクニックに行こう。子龍は鞄に荷物を詰め始める。良い天気なのだ。お茶も持ったし、おまんじゅうも積み重ねて包んでおく。竹さんも誘うんだ。

「行くのか?」

「そうだよ!」

 郊外に向かい八十竹と歩いていると、においをかぎつけたお隣さんもいつの間にか加わって賑わう道中。


 小高い丘の公園に向かうのか、外れの森に向かうのか、池のほとりか。そのいずれとも異なる道を選ぶ子龍に、大人二人が首を傾げながらついて行く。家と家の間を通り、川伝いの道を行き、木々のアーチをくぐり、しんとした一歩道に出る。広々とした道で、間隔を空けて横に三人並んでもなお余裕がある。メインストリートほどではないが、人が通らないのにこれほど広い道なのである。誰とぶつかるわけでもないが、三人は片端に寄って道端の草を撫でながら進む。喧騒や生活音も響かない。風がそよぐ音すら聞き逃してしまいそうだ。「空が広い」と八十竹が呟く。街の一角の、忘れ去られた野原に出る。たいていの街にこういった空き地があるのだが、なにしろみな忘れており、この場所は目に見えない。花が植えられることもなく、草も刈られず、空は密度の高い青。不自然なまでに深い空に息苦しさを覚え、八十竹はよっこらしょと草の中に体を休めた。

 ここは子龍の遊び場。青い青い空が霧のように降り注ぐ狭間の地。空は底が抜けた色をしている。昼間の空に星が散る。高高度の暗い空が染みて目をこする。なるほど、たまに夜になっても子龍が帰って来ない事があるが、この場所では昼も夜も分かるまい。箪笥に隠れて一日過ごすのと同じだ。

 目を閉じて地の呼吸に合わせる。天に心を持って行かれないように。草花が頬をくすぐる。小さな花が無数に散らばっている。おもちゃ箱をひっくり返したような色の散らかり具合だ。空から垂れた絵の具に染められたのだろう。小さく奇妙な形をした花々が、やはり天から降り注ぐ青色をかぶり霞んでいる。埃をかぶった家具もこんな気持ちで時を過ごしているのだろう。棚の中で時間に浸り眠りにつく。

「時間が止まっていたりしないだろうな」

 目を白黒させていた揺がやっと口を開いた。街の隙間をこじ開けながら歩く彼も知らない空間となれば、幻界に近い場所なのかもしれない。妖精や龍の住む場所ならば、世界の果てまでぼんやりしていたっていい。気付いたら世界は砂のように崩れているのだ。

「時間の流れは同じだよ。探しにくいだけの場所さ。私も見つけるまで色々と試したんだ」

 ぼんやり街を歩いたり、目を瞑ってみたり、壁に左手を添えてどこまでも歩いたり、四辻をまじないにより定められた方向に従って曲がってみたり、街の精霊に会いに行ったり、とにかく色々試したんだと子龍が言う。どれが効果を発揮して導かれたのだろう。揺は人の生活の隙間に入り込むことはあっても街の隙間には入らない。彼にとって必要が無い場所だからで、街の人々にとっても同様であり、だからいつまでもこの空き地は忘れられている。街の構造と繋がりが薄い子供だとかはたまにやって来る。よく遊んでいた空き地だというのに、道をどうしても思い出せない場所は無いだろうか。ここはそういった場所である。

 三人それぞれ腰を下ろして世界の隙間に僅かに吹く風のにおいを感じている。

「弁当食べるか」

 八十竹が包みを開くと懐かしい生活のかおりがした。子龍も揺も待っていましたと手を伸ばす。子龍が台所から持ち出した大量のおまんじゅうは、甘いものからしょっぱいものまで様々あった。作った八十竹は中身を覚えておらず、時々正体不明の具材が鳴き声を上げていたが、全て綺麗に平らげられた。

「外で食べるご飯が美味しい理由が分かったよ」

 食べ物の匂いが広がるだけで、忘れられた地も馴染みの街の一角だと認識出来るようになる。家々を縫って吹く風が膨れた腹を撫でて出て行く頃には、またしいんと静まって、流れる星も見える。宇宙の一角になる。

「流れる星は、高い空を行く鳥の羽根なんだ」

 流れ星が消えた点を指差して子龍は言った。「もちろん、龍の鱗も混ざっているよ」

 星の果てがあり、空の果てがある。みな果てを目指す。

「旅立つならばこの地から」

 子龍は龍の領域からやって来た。いつか帰るのか。カラスが鳴いたら帰るのか。帰る場所があるのに帰らないのは、子龍の一族がすっかり眠りについてしまったからだという。龍はいつから眠っているのだろう。再び目覚めることはないのだという。子龍が帰るならば、深く眠るときだ。

「行くのかい、子龍よ」

 いつか眠りに赴くために去る日を思う。龍であるならばそろそろ眠らなくてはならない。八十竹はそれを止めることは出来ない。龍だって、蛙だって、みんなみんないつかは眠るんだ。いつかの練習のために、別れをシミュレーションする。なるべく寂しくならないようにするのだ。夜は長いものだ。眠って過ごせばあっという間だろうけれど、夢を見たり、ふと目覚めたりするじゃないか。そのときに、別れの一つ一つを思い出したりするじゃないか。おやすみと言う声音で、行き先なんかは聞かないで。行くのかいと聞けば、ああ行くともと子龍は返すのだ。いつかはきっと。

「まだ行かないよ」

 それに行くときは八十竹も一緒だと子龍は決めている。子龍は眠るつもりなんかさらさらない。全ての生命は眠くなるけれど、子龍は星の果てまで起きていたいと願っている。星にお休みを言う旅に出るのだ、いつか二人で。


 揺の帽子が風で煽られたので、麦わら帽子の紐を締め、風の方を向く。どんなに風が強くても、揺が帽子を飛ばすことはない。どんなにのんびりしていても、急いでいても。見慣れた麦わら帽子だけではなく、種類と色の豊富な彼の選りすぐりのコレクションだって、揃って紳士的に頭の上に載っている。吹き飛ばないまじないがかかった、何か特別な品々なのだろうか。

「喋ったりはしないのだろうか」

 大人しく頭の上に乗っている帽子について、考えていたことがぽろりと口から溢れる。

「俺の帽子はどれも紳士だから、無駄なお喋りはしないんだ」

「帽子が喋るまでもなく、本体がなんでもかんでも喋ってしまう」

 真実のみを話す賢者の帽子が手に入ったら良い相棒になるのではないか。八十竹が入手経路を考え始める。旅物屋では旅のお供であるマントや靴、それから帽子を揃えている。

「旅に出るときに必要なもの、ベストスリーの発表は、揺さんから!」

 リウセイが揺を指名した。旅物屋に置いている数々の品はどれも役に立つものばかりだ。その中から何を持って旅に出よう。

「俺のおすすめは」

 旅慣れた揺が旅物屋に通い目星をつけている品を発表する。一つ、星辰の方位磁石。惑う星を導くという。次に帽子。日除けにもなるしどんな街を歩こうとすっかり馴染むことが出来る。あとは遺都から弾け飛んだ立方体の小箱。小箱が揃うとき、遺都が復活するという。

「え、俺、そんな危険な品物を置いた覚えがない」

 店主が弾けるように飛び上がる。遺都は星を作ろうとして滅んだ。星を作る機関が弾けて都はすっぽり消滅、部品が世界各地に散らばっているだとか、いつか読んだ雑誌に書いていたけれど、最近の世ではとんと聞かなくなった。物語として埋もれていたはずなのに、一体どうして俺の店にあると言うのだ。

「俺がこの前置いたんだ」

「置くな、持って帰って破棄しなさい」

「なにかの役に立つかもなあ」

「役立てないといけないような星の規模の事件を起こそうと思っているんじゃないよな」

 帰ってから店をチェックしなくてはならない。店の配置図を脳内で展開する店主も一つ、おすすめを発表する。

「旅の杖がいい。トンと地面を叩くと大地が呼応して進む道を教えてくれる」

「それ、この前試したんだ。そしたら大地の精霊が目を覚まして、夜更けまでお喋りをしてから道を教えてくれたんだ。一本先の道路を曲がるところまで。続きはまた今度って」

「呼応と言うにはスピード感の無い話な上に、次の一歩を踏み出すために翌日の晩までかかりそうだな。知らぬ街も洞窟も迷いの荒野すら自在に歩き回れるはずなのだが」

 取り扱いの品が思わぬ効果を発揮してしまっては検証せざるを得ない。八十竹の帰宅後の予定が増える。

「私は旅のマントがいい」

 リウセイが言うので、草の根で染めたマントは箪笥に入れることにする。ふわりと飛ぶことが出来るのだ。タンポポの綿毛のように。

「帰らないのかい、子龍よ。眠る親たちの元へ」

「彼らはもう起きないことだろう。夢の中で呼ばれたら手を振り返そう。星の果てまで眠っているだけでは、退屈だからね」

 今は竹さんの行く先が私の帰る場所さ。そう言って子龍は草に埋もれた。

「おやつを食べたい」

「弁当を食べたばかりだぞ」

「子龍、口を開けてみろ」

 揺が包みをカサカサいわせて、中身を子龍に放り投げる。何が飛んできたのか分からないが反射的に口で受け止めた。森の香りの飴玉である。店主もいるかと聞いて、答えが返って来る前にもう一つ放り投げる。放物線を描いた飴玉を八十竹は顔面で受け止める。

「遠い森の土産ものだ」

「次は森に出掛けるのもいいなあ」

 忘れられた街の隙間で時間を過ごす。自分が空っぽであることを思い出したら、旅に出よう。街へ、森へ、故郷へ、星の果てへ。

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