道三誕生

 四月某日。

 美濃の主だった国人(有力領主)たちは、守護代・斎藤さいとう利政としまさに呼び出され、稲葉山城の大広間に集まっていた。


 美濃の各地には、織田軍との激しい戦の傷跡がまだ残っている。領内の復興を急ぎ、民心を落ち着かせねばならず、地方領主たちは非常に忙しい。


 こんな時に我らを呼びつけるとは、いったい何事か。守護代殿が始めた戦でこんなことになったというのに――。

 そういう不満があったため、彼ら豪族はかなり苛立っている。広間には、険悪な空気が漂っていた。いまだ広間に姿を現さぬ利政に業を煮やし、さっきからしきりに舌打ちをしている者もいる。

 ただ黙って待っているのが苦痛な若い侍たちは、利政の悪口のついでに、周辺諸国の噂や情報を交換し合っていた。


「聞いたか。三河で戦があったそうじゃぞ」


「ああ、拙者も数日前に知った。今川軍が岡崎衆(松平家の武士たち)を従えて、織田方の安祥あんじょう城に攻め込んだらしい」


「松平広忠は信秀を裏切ったのか? たしか、嫡男の竹千代は織田の人質になっていたはずだが……」


「はっきりとしたことは分からぬが、広忠が急死したという風聞がある。仮にその噂がまことならば、今川義元が広忠の死に付け込んで松平家を降したのであろう」


「ううむ。さすがは東海の龍、うちのまむし殿に負けず劣らずしたたかだわい。しかし、そうなると、蝮殿が今日我らを呼び出したのは、尾張に攻め込むためであろうか」


「今川との戦で弱っている織田を討つ……。あの卑怯者ならば考えそうなことじゃ。だが、昨冬に大戦おおいくさがあったばかりなのに、また合戦か。傲岸不遜な蝮殿にあごで使われて命懸けの戦をするのはもう嫌じゃ……」


「国主様(美濃守護・土岐とき頼芸よりのり)がもっとしっかりしていてくださればのぉ……」


 そのような噂話をしていた二人の武士に、後ろにいた年配の武士が「しっ。守護代殿がお見えになったぞ」と小声で叱った。

 二人の武士は、慌てて口をつぐみ、前方に視線をやった。他の武士たちも、ようやく姿を現した利政に眼差しを向ける。


「あっ。守護代殿、その頭は――」


 誰かが、驚きの声を上げた。ざわざわと大広間にどよめきが広がり、「これはいったい何事じゃ……」と囁き合う声があちこちで起きた。


 皆が驚くのも無理はない。利政は頭を綺麗さっぱり丸め、坊主頭になっていたのである。なぜ唐突に剃髪したのか理解不能で、有力領主たちの顔には困惑の色が一様に浮かんでいた。


 入道となった利政は、上座に静かに座すると、さらに彼らを驚かせる行動に出た。深々とこうべを垂れ、居並ぶ国人衆に対して謝罪の言葉を口にしたのである。


「方々……。昨年は、わしの戦略の甘さが災いし、大柿おおがき城(大垣城)攻めで多大な犠牲を皆に強いてしまった。また、織田軍に領内を蹂躙じゅうりんされ、民百姓の大事な田畑までもが荒廃する始末……。全ては儂の不徳のせいじゃ、この通り謝罪いたす」


 まさかあの蝮が己の不手際を素直に認めて謝るとは……。予想外な展開に、美濃の豪族たちはどう反応してよいか分からない。未知の生物と遭遇したような表情で、利政の入道頭を凝視みつめ続けている。


 利政は顔をゆっくりと上げると、双眸そうぼうに涙を浮かべながらさらに殊勝なことを言い、剃髪の真意を明かした。


鷹司たかつかさ政光まさみつら勇士たちと多くの兵を失い、悲しみで我が胸は張り裂けんばかりだ。彼らの死に哀悼の意を示すため、儂は昨日出家した。号して道三どうさん――斎藤左近大夫さこんのたいふ道三じゃ」


「なんと……。そのような理由で……」


 蝮の空言そらごとに騙されるまいと警戒していた者たちも、「出家までするということは、この梟雄きょうゆうにも人の心があったのか」と、つい心打たれてホロリと落涙していた。


 演技なのではと怪しむ者も無論いたが、すすり泣く声がそこかしこから聞こえてくる雰囲気の中では「佞言ねいげんを申すな! この蝮め!」と噛みつくこともできない。


 利政――いや、斎藤道三は、豪族らの反応を用心深い眼光まなざしで眺め回した後、「我らは、死んでいった者たちのためにも、この美濃を強くせねばならぬ」と涙交じりの声で怒鳴った。


「国を強くするためには、まず領内を豊かにすることが肝要じゃ。身内で殺し合ったり、他国と争ったりしている場合ではない。それゆえ、三年は戦を停止し、内政に心血を注ぐこととする。橿森かしもり社を市神いちがみとする御薗みそのの市を拡大し、美濃国の商業発展の中心地とする」


 御薗の市とは、橿森神社(現在の岐阜県岐阜市若宮町)の門前にある市場のことである。

 今日こんにち、橿森神社の境内には摂社として岐阜信長神社がまつられており、「楽市楽座発祥の地」をうたのぼりが現地には立っている。

 楽市場の所在地には諸説あるものの、斎藤氏が楽市で発展させた城下町を信長が受け継ぎ、岐阜を天下一の町にした。


 ただし、ひとつ余談を言うと、


 ――道三が楽市を開いた。


 という記録は、実は存在しない。


 それどころか、道三がいかなる国政を行っていたのかすら、詳細がよく分からない。現存史料が極めて少ないのだ。現状、政治家道三の実像はほとんど霧の中と言っていい。美濃国における楽市の開設に関しては、息子の義龍よしたつや孫の龍興たつおきの代に実現し、道三が関与していなかった可能性すらある。


 だが――今この物語の中の斎藤道三は、「心を改めて国に善政を布く」と宣言している。

 それが嘘か真かは不明だが、美濃の国人衆の多くは、道三の言葉に歓呼の声を上げていた。これまでの蝮の不誠実さを忘れ、その言葉をうっかり信じてしまうほど、無益な戦には辟易へきえきとしていたのである。


 相次ぐ美濃国の内紛、敵国の侵攻……。

 不毛な戦いに勝利しても、新たな領地を恩賞として貰えるわけではない。ただただ疲れ、自領が貧しくなるだけだった。嘘でもいいから信じたい、というのが彼らの本音である。親や祖父の代から延々と戦乱が続く国に生まれた美濃武士たちの哀しさだった。


「戦を当分やめ、国政に力を入れる」というたった一言の口約束で、平和を渇望する地方領主たちの不信感を拭い去った道三は、希代の奸雄と呼ぶしかない。座にいた何人かは、


「守護代殿のお気持ちは分かりました。我らも微力を尽くし、守護代殿のまつりごとをお助けしましょう」


 と、早速協力を申し出ていた。


「されど……。一つだけ、懸念がありまする」


「うむ。その懸念とは何じゃ。何でも意見を申してくれ」


「尾張の織田信秀は非常に好戦的な男です。現在は今川との戦で疲弊して動けぬでしょうが、一年もすればまた息を吹き返し、この美濃に攻め込んで来るやも知れませぬ。我らがいくら内政に力を入れようとしても、敵国の襲来があれば戦わざるをえませんが……」


「その心配ならば、無用じゃ。すでに手は打ってある。尾張に使者を送った」


「使者……でござるか?」


「ああ。我が娘・帰蝶きちょうと信秀の嫡子・信長の縁談を申し込むための使者じゃ」


 道三は、ニヤリと笑いながらそう言った。



 蝮が道三を名乗ったちょうど同じ日、その運命の使者は尾張古渡城に到着していた。


 長年の宿敵から盟約の締結を持ちかけられた信秀は、もちろん戸惑ったが、使者との対面に立ち会った秀敏ひでとし(信秀の叔父)や信光のぶみつ(信秀の弟)、平手ひらて政秀まさひでらも複雑そうな表情を浮かべていた。


 彼らは、信長が生駒いこま家の姫と恋仲であるという噂話を知っていたからである。








<道三の出家の時期について>


「道三」という名の初見文書は、『斎藤氏四代』(著:木下聡 刊:ミネルヴァ書房)によると、天文十八年(一五四九)に出したと見られる五月十二日付の文書です。

前年の天文十七年(一五四八)八月付の文書ではまだ「左近大夫利政」を名乗っていたようなので、天文十七年八月~天文十八年五月の間に出家して「道三」と改めたと思われます。

また、横山住雄氏は著作の『中世武士選書29 斎藤道三と義龍・龍興』(戎光祥出版)において、「娘婿の土岐頼純を死に追いやったことを契機に出家し、道三と改名した。後に名を利政に戻し、天文十六年(一五四七)十二月か天文十七年一月頃に再び出家した」という旨の説を唱えています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る