主従の誓い(仮)
「殿! 滝川一益が清須城から戻りました!」
明け方近く。
寝所で仮眠をとっていた信長は、池田
「今すぐ、この部屋に通せ。奴がどんな情報を持ち帰ったか早く知りたい」
「は、はい。されど……」
「どうした。何をぐずぐずしておる」
信長がやや苛立った声で言っても、恒興は何やら躊躇している様子である。「早くしろ」と再度急かすと、一益本人がドタバタと大きな足音を響かせながら寝所に勝手に入って来た。
「信長様、おっはよぉ~す」
「あっ! こら! まだ入って来てよいとは言っておらぬぞ!」
恒興は慌てて一益を叱る。それもそのはずで、この天下一の横着者はまたもやふんどし一丁の姿になっていたのである。任務前に与えた忍び装束はどこにやったのか。
「……呆れた奴だ。お前はそのかっこうが好きなのか」
「いやぁ~。川に飛び込んだら服がびしょびしょに濡れちゃったもんで。ハッハッハッ」
へらへら笑いながら、一益はドスンと勢いよく座った。尻が
殿の御前で無礼だぞ、と恒興が語気荒く叱ると、一益はわりぃわりぃと謝りつつ居住まいを正す。
「あ~、こほん! ご命令通り、調べてきやがりましたでござる! 俺様の報告をお耳に入れやがってくだされたく
「とりあえず、無理に敬語を使おうとしなくてもいいから、普通に話せ。その
「へぇ~い」
一益は素直に返事をすると、いつも通りの粗野な言葉遣いで、
また、自分が清須城でいかに大活躍したかという自慢話もペラペラと喋った。物見櫓を爆破したことや、達勝の居館に「滝川一益参上」と落書きを残してきたことなど、聞かれもしない余計なことまで信長に語った。
「フヒヒ! どうです? どうです? 俺様、優秀っすよね? 家来として召し抱えたくなりやがりましたよね?」
清須城で見聞きしたことを全て語り終えた一益は、期待に胸を膨らませ、信長が褒めてくれるのを待った。
しかし、信長の顔を見ると、どういうわけか物凄く渋い表情をしている。眉間に皺が寄り、まるで妖しげな珍獣を見るような眼差しで一益を睨んでいた。
こんな完璧な仕事をしてきたのにどうしたのだろう……と一益は不審に思い、「信長様? お腹でも痛いんすっか?」とたずねた。
「一益。ちょっと頭をこっちに」
「……ふえ? こうすっか?」
一益が言われるがまま自分の頭を信長に差し出すと、ゴツン! と
「い……いきなり何するんだよ!」
「殴った理由は四つある。
まずは、城の火薬を盗んだこと。任務で必要な物は、使い道が誤ってさえいなければちゃんと渡してやる。主君の持ち物を無断で持ち出すのは言語道断、家来にあるまじき行いじゃ。
次は、物見櫓を爆破するなどという目立つ行動を取ったこと。忍びとしての任務を与えたのだから、忍べ。
第三の理由は、情報の手に入れ方が最悪だ。信友様は、守護代の達勝様がお倒れになった今、
最後は……これは俺から言わねば分からぬのか? どこの国に、忍び込んだ城に己の名を書き残していく隠密がおる。ちょっと調べれば、滝川一益という者が俺の乳母の縁者だということぐらい分かってしまうのだぞ」
「あっ……。そこまで考えてなかったっすわ……。ごめんなさい」
「ごめんなさい、じゃない。お前は考え無しの行動が多すぎて危険だ。忍びとしては役に立たぬ。かといって、武将に取り立ててもろくに兵の指揮も執れぬであろう。今のお前を我が家臣にすることはできぬな」
「え、ええーーーッ⁉ そんな殺生な~‼」
情けない声を上げ、一益は信長にすがりつく。「そこを何とか家来にしてください!」と懇願したが、信長は頭を振るばかりである。豪放磊落な性格のくせして打たれ弱いところがある一益は、とうとう子供みたいに泣きだした。
「うわぁぁぁん‼ 信長様の嘘つきぃぃぃ‼ 任務を達成したら家来にしてくれるって言ったじゃねぇかぁぁぁ‼」
「泣くな。鼻水をたらすな。息が臭いから離れろ」
信長がそう怒鳴ると、そばに控えていた恒興が、一益を無理やり信長から引き剥がした。
「最後まで話を聞かぬか、たわけ。俺は、今のお前を我が家臣にすることはできぬ、と申したのだ。
……滝川一益よ。お前は粗暴で浅慮甚だしい困った男だが、良いところもある。それは、聞かれもしない己の不手際をペラペラと正直に喋る裏表の無い性格じゃ。俺は正直者が好きゆえ、そこだけは気に入った。だから、三年の時間をやるから修行を積んで来い。お前が織田家の侍大将に
なだめるようにそう言いつつ、信長は懐紙を一益のほうへ放り投げる。
一益は遠慮なくそれを使い、チーンと鼻をかむ。そして、「ま……マジっすか?」と涙目で信長を見つめた。
「武士に二言はない。約束の証に、我が脇差をくれてやる。修行の間、これを大事に持っていろ。賭場などに出入りしてこの刀を失うようなことがあれば、許さぬぞ」
信長は、枕元に置いてあった脇差を手に取り、一益の胸に押しつけて渡した。
脇差の鞘には、織田家の家紋である五つ
「これ、売ったら高そう」
うっかり、本音を漏らしてしまった。
信長は威圧ぎみに「は?」と聞き返す。
「い……いえいえいえ! 売りません! ぜーったいに売りませんから! 俺様のお守りにします! 大事にします! はい!」
「別に俺に仕えたくないのなら、売ってもいいのだぞ。ただし、二度とその顔を見せるな」
「の、信長様ぁ~怒っちゃいやぁ~ん! 立派な侍大将になれるようにみっちりと修行してきますから信じてくださいよぉ~! ……あっ、でも、三年って長過ぎねぇっすか? 一年か一年半じゃダメ?」
「お前が一年や一年半でまともになるとは思えぬ。三年だ。真面目に三年修行してこい」
「へ、へぇ~い……」
横着者の一益にも、信長が激怒寸前なのが分かったのだろう。これ以上馬鹿なことを言ったら叩き斬られるかも……と思い、大人しく引き下がることにした。
かくして、後に織田家の宿老の一人となる滝川一益は、信長と三年後に主従になることを約束し、再び放浪の旅に出たのであった。ふんどし一丁で――ではなく、お徳に新しい衣服をもらってから旅立ったようである。
* * *
その後、信長は、一益が入手してきた情報を書状にしたため、二人目の使者を美濃にいる信秀の元へと遣わした。
しかし、数日経っても使者は帰って来ない。清須衆が挙兵した直後に第一報を託した一人目の使者の帰還もまだである。
(坂井大膳めが、忍びを使って尾張―美濃間の街道を封鎖しているのか)
きっと使者たちは殺されたのだろう。そう察した信長は、側近の中で最も武芸に秀でている
「教吉。おぬしなら、大膳が張り巡らした網を突破して美濃にたどり着けるだろう。危険な任務だが、我が
「ハハッ。我が父・教継は、信秀様にお取り立ていただき、鳴海の城主なれました。それがしも、こうして信長様の側近として厚遇していただいておりまする。これしきのことで親子二代にわたる御恩をお返しすることはできませぬが、死ぬ覚悟で美濃に行って参ります」
「死んではならぬ。無事にこの文を父上に手渡し、生きて帰って来い。よいな」
教吉は優秀な男だが、生真面目な信長ですら心配になるぐらいひたむきすぎるところがある。しょっちゅう「死んででもやり遂げる」と口にして、危険を顧みない。教吉には将来、家督を継いだ自分を支えて欲しいと思っているのに、そんな軽々しく死なれてもらったら困る。そう思い、信長はいちおう釘を刺したのであった。
「
「うむ、頼んだぞ。今川義元が大膳の誘いに乗って出兵してきたら、尾張国内の争乱は収拾がつかなくなる。大膳と今川が手を結んでしまう前に、父上にこの危機を報せるのじゃ」
「はい。では、早速出立いたしまする」
その日の内に、教吉は信長の書状を
そして、巧みに大膳の忍びの目を潜り抜け、美濃に入国。西美濃の奥深くまで攻め込んでいた信秀の陣に駆け込んだのである。
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