妖刀あざ丸

 一方、織田対斎藤の主戦場となると目されている西美濃では――。


 斎藤利政としまさ道三どうさん)の軍勢が、六角ろっかく勢とともに、大柿おおがき城(大垣城)に攻め寄せていた。信秀率いる尾張軍が駆けつける前に、大柿城を奪取する腹積もりである。


 謀略で織田と六角の盟約を断ち切れたと思い込んでいる利政は、


 ――戦上手の六角勢の援軍もあるのだ。大柿城ごとき、短時間で落とせる。


 と、いささか油断していた。


 だが、策略を巡らしているのは利政だけではない。戦のゆくえは、織田・斎藤・六角など様々な勢力の思惑が絡み合い、混迷を極めていくことになる。






「殿、ご注進申し上げまする。今朝方、近隣の村人や町人たちが織田方に味方し、大柿城近くの寺内じないちょう(一向宗の寺院を中心に作られた町)に立て籠もったようです」


 利政が諸将を集めて軍議を開いていると、物見に行かせていた武者が本陣に舞い戻ってそう報告した。


「西美濃の民衆が織田方に回ったじゃと? 寺内町に立て籠もったということは、そやつらは一向宗の門徒じゃな。チッ……愚かな民たちめ」


 予想外の敵方の増援に、利政は苛立って舌打ちした。


「ハッハッハッ!」と一人の若武者が大笑したのは、その直後のことである。


 利政を嘲笑ったのは、軍議の席に招かれていた六角義賢よしかただった。


 その横柄な態度にカチンときた利政は、六角家の御曹司おんぞうしを無言で睨んだ。しかし、義賢は、蝮の射るような眼差しを浴びても臆する素振りなど一切見せず、それどころか傲岸不遜にも利政に対してこう言い放った。


「いやはや、さすがは天下第一の嫌われ者のまむし殿じゃ。国内の豪族たちだけでなく、民衆にも嫌われているようですな。なるほど、聞きしに勝る悪名の高さじゃ」


「ぐ……ぐぬぬ……」


 悪意がたっぷり込められた義賢の発言に、利政は怒りのあまり頭の血管が切れそうになった。だが、口の端をぴくぴく動かして唸り声を上げるだけで、何も言い返さない。斬り殺してやりたい衝動をぐっとこらえていた。


 義賢は六角定頼さだよりの名代として六角軍を率いてきた大将である。この定頼の嫡男を怒らせてしまったら、陣を引き払って領国の近江に帰って行ってしまう恐れがある。ここで喧嘩をするわけにはいかないので、悪逆非道な利政もここでは忍耐に徹していたのだ。


「殿! 一向一揆など恐れるに足りませぬ! それがしにお任せくださったら、城攻めの前に一揆勢を皆殺しにしてみせまする!」


 主君を嘲笑う義賢に反感を抱き、勇ましくそう名乗り出たのは、陰山かげやま掃部助かもんのすけ一景かずかげという侍だった。


 陰山一景は、四年前の織田軍との合戦で活躍し、戦利品である「あざ丸」という名の脇差を利政から与えられていた。尾張の武闘派神職・千秋せんしゅう季忠すえただが取り戻すことを欲している父の形見の刀である。


 一景は、藤原ふじわらの景清かげきよ(平家に仕えた源平合戦期の武将)が所持していたと伝わるこの名刀をいたく気に入り、今回の戦でもあざ丸を帯刀していた。


「名刀あざ丸を賜った御恩に報いるべく、死力を尽くして戦います。どうかそれがしに出陣の許可を!」


 一景は、さらなる手柄を上げて新たな恩賞にあずからんと息巻き、出撃の許しを主君に求めた。

 美濃国人衆の多くから奸賊かんぞくだの蝮だのと罵られている利政だが、全ての人間に嫌われていたら一軍の将などつとまるはずがない。一景のように手厚い恩賞で釣って手懐けている武者もちゃんといたのである。


「うむ! その心意気や良し! 手勢を率い、みごと功名を成してみせよ!」


 利政も勇敢な一景のことを気に入っている。大きくうなずき、一景の勇気を褒めたたえた。


 だが、そんな主従のやり取りを、義賢が「ワハハハ! 笑止! 笑止!」とまたもや笑い飛ばしたのである。


 義賢の度重なる無礼な振る舞いに、今回は利政だけでなく、軍議の席にいた多くの美濃武士たちが、


(六角の御曹司は、今度はいったい何を言い出すつもりなのだ……)


 と困惑の色を顔に浮かべていた。再三再四の侮辱に我慢できなくなった利政が近江守護の嫡男を殺害してしまったら一大事だ、と冷や冷やしていたのである。


「……義賢殿。何がそんなに面白いのかな」


 利政は、こみ上げる殺意の衝動を何とかおさえながらも、怒気を隠しきれぬ震え声でそう問うた。


 義賢はフフンと鼻で笑うと、一景の佩刀はいとうであるあざ丸を指差し、自分がなぜ笑ったのかを手短に説明した。


「貴殿の家来が、その刀のことを『名刀』などと自慢していたから大笑いしたのですよ。それが名刀とは片腹痛い」


「な、何ですと⁉」


 一景は目を引ん剥き、大いに憤慨した。主君から賜った刀にケチをつけられたら、さすがに黙ってはいられない。


「あざ丸は源平合戦の時代より数々の戦場をくぐり抜けてきた由緒正しき刀でござる! それを名刀と呼んで何が悪いのです! この美しき刃を見ても、まだ鈍刀なまぐらがたなと申せますか⁉」


 頭に血が上った一景は、あざ丸に手を伸ばしかけた。それを左右の斎藤家の武将たちが「馬鹿、よせ!」と慌てて止める。利政も「一景、控えるのじゃ」と鋭く叱った。こんなつまらない口論で斎藤方の武将が刀を抜き、援軍の総大将と刃傷沙汰になったら世間の物笑いの種である。


 だが、義賢は斎藤方をよほど怒らせたくて仕方がないのか、嘲笑をやめようとはしない。


「ハハハハ。おぬしは耳が悪いのか? 俺は鈍刀などとは一言も言っておらぬぞ。俺が言いたいのは、そのあざ丸という刀から禍々まがまがしき妖気を感じるということじゃ」


「ま……禍々しき妖気ですと?」


「それは熱田神宮の大宮司・千秋季光すえみつが所持していた刀であろう。季光は先の戦で斎藤方の兵に討ち取られ、無念の死を遂げたと伝え聞いている。そして、愛刀のあざ丸も敵将であるおぬしに奪われた。その刀には、元の持ち主である季光の怨念が宿っておる。陰山なにがしよ、そんな妖刀を得意気に戦場で持ち歩いていたら不慮の死を迎えることになるぞ」


 義賢は、陣幕の外にいる兵たちにも聞こえるように声高にそう喋ると、意地悪そうにニヤリと口の端を吊り上げる。


 一景は「ば……馬鹿々々しい!」と怒鳴り、猛然と立ち上がった。


「敵将の祟りを恐れて戦などやっていられるか! 六角家の御曹司がこのような戯言たわごとを申される御仁だとは思わなんだわい! ……今から手柄を立てて、あざ丸が不吉な妖刀などではないことを証明してみせようぞ!」


 そう啖呵たんかを切ると、一景は肩を怒らせながら陣幕を後にし、出撃していった。


 一景がいなくなった後も、義賢はクックックッと笑い続けている。名門大名の嫡男とはいえ、なんとも横柄な若武者である。


(六角義賢め。執拗に我らを挑発してくるが……何か思惑でもあるのか?)


 六角家には、罠にはめるかたちで援軍を出させた。その意趣返しのつもりだろうか?


 利政は横目で義賢をめつけつつ、そんなふうに疑っていた。希代の陰謀家としての勘が働き、嫌な予感がしていたのだ。


 その利政の勘は、最悪なかたちで当たることになる。




            *   *   *




 陣を飛び出した陰山一景は、手勢を率い、寺内町に立て籠もっている一揆勢を攻撃した。


 しかし、一向宗(本願寺)の信者たちが集まっている寺内町は、ただの町ではない。周囲には堀や土塁がめぐらされており、強固な防御力を有している。義賢に愚弄されて逆上していた一景は力任せに攻めたが、一向宗の門徒たちに堀の内から矢を射かけられて大きな損害を出してしまった。


「御大将。一揆勢はやじり木鋒きほうを使っているようです。矢盾が射割られ、兵たちにも負傷者が多数出ています」


 家来の報告に、一景はチッと舌打ちをする。


 木鋒とは、棒状で長く先端が丸い鏃の一種で、盾や船板を破壊することができる飛び道具である。不用意に近づいてこの特殊な矢の猛攻にさらされると、自軍の防御力と士気が著しく下がってしまう危険性があった。門徒たちは防戦のためにかなりの数の木鋒を用意していたらしい。


 しかも、彼らの中に弓の使い手が多くいるようで、陰山隊の矢盾をほんの短時間でことごとく射割ってしまったという。これでは、兵士たちが矢の雨から身を守る術が無い。


「……やむを得ぬ。いったん兵を退くぞ。あと数刻もすれば夜だ。夜陰に紛れて急襲し、町を焼き討ちにいたす。町の中に引き籠って出て来ぬのなら、町ごと門徒どもを焼き殺してくれるわ!」


 一揆勢ごときにてこずってしまうとは何とも悔しい。俺にこんな屈辱を味わわせた者たちは絶対に皆殺しにしてやる……。一景はそう固く決意し、撤退命令を下した。


 だが、一景が斎藤軍の本陣に退却することはかなわなかった。一揆勢が放った矢が、一景が陣を置いている場所にまで飛んで来たのである。


「御大将! お気をつけください! おびただしい数の矢が――ごふっ!」


 一景のそばにいた家来が、木鋒の鏃をつけた矢を顔面に喰らい、血を吐きながら絶命した。


 その家来の死を皮切りに、陣中にいた将兵たちは、続々と飛来する矢の餌食となり、バタバタとたおれていった。全員、甲冑を身にまとっていない顔面に矢を受けている。これは、敵が狙って矢を撃っているとしか思えない。


「な、何だ⁉ どういうことだ⁉ 何故なにゆえ、こんな離れた場所から我らを的確に狙えるのじゃ! 奴らは遠く離れた堀の向こう側から撃ってきているはずだぞ!」


 床几しょうぎに腰かけている一景は驚愕きょうがくし、そう叫んだ。早く立ち上がって逃げるべきなのだが、驚きのあまり体が硬直してしまっている。思うように身動きが取れない。


 呆然と配下の兵たちの死を眺めているうちに、とうとう一景の顔面にも一本の矢が襲いかかった。


「あ……あがぁ……⁉」


 木鋒の鏃は、一景の左目を射潰した。


 一景は激痛で意識が吹っ飛びそうになったが、彼も斎藤利政に認められた猛将である。何とか堪え、獣のごとき咆哮ほうこうを上げながら矢を勢いよく抜き、地面に叩きつけた。そして、降り注いでくる矢の猛雨を刃で弾くべく、腰に差しているあざ丸に手を伸ばそうとしたが――。


 抜刀する直前、新たな矢が、吸い寄せられるように一景の右目に飛来した。矢は一景の右目をぐしゃりと潰し、彼は両眼が見えなくなってしまった。


「ああ……あああああぁぁぁぁ‼ め、目がぁぁぁ‼ そんなぁぁぁ‼ 俺の目がぁぁぁ‼」


 床几から転げ落ちた一景は、地べたをのたうち回りながら、あざ丸を抜く。怒声とも悲鳴ともつかぬ声を上げ、妖しく光る刀を滅茶苦茶に振り、「目が! 目が! 何も見えぬ! 誰か助けてくれぇ!」と発狂し続けた。




 史書には、両目の光を失った陰山一景がその後どうなったのか記していない。

 だが、その後、あざ丸は一景の手から離れ、めぐりめぐった末に織田家重臣・丹羽にわ長秀ながひでの手に渡ることになる。

 この刀は長秀にも祟り、彼は眼病でたびたび苦しんだ。「あざ丸を所有する者は必ず目を患う」という噂を耳にした長秀は、周囲の人々の勧めで、刀の元の持ち主である千秋家が大宮司をつとめている熱田神宮に奉納し、ようやく難を逃れたとのことである。








<陰山一景はどこから射た矢に当たったのか?>


 妖刀あざ丸に祟られた(?)陰山一景が大柿城攻めの際に矢に当たって両目を失明したというエピソードは、毎度お馴染の太田牛一『信長公記』に載っています。


 ここの描写をただいたいの現代訳本では、


「西美濃大垣の隣、牛屋山大日寺の寺内に陣を構え、床几に腰をかけていたところ、城内からはなはだ強い弓で矢尻の先を丸くした矢を空に向けて、寄せ手の方へ射かけてきた。その矢が、陰山一景の左の眼に当たった」

(新人物文庫刊 中川太古氏訳 『信長公記』より)


 といったように、矢は大柿城から飛んで来たような訳になっています。(そして陰山一景は寺内町の中心である大日寺に陣を構えていることになっている)



 ただ、『信長公記 天理本 首巻』(デイズ刊 かぎや散人氏訳)では、ちょっと違った描写になっていたので、この小説ではこの翻訳本の内容を採用しました。


 以下が、今小説で採用した『信長公記 天理本』の訳です。



「大柿城近傍にあった牛屋の大日寺を中心に堀と土塁で囲まれた寺内町に、織田勢に味方してたてこもっていた村々の一揆征伐のために出陣して、床机に腰かけていたところ、寺内から低い身分の一揆の弓手たちが、先の平な円筒形の矢じりを装着して盛んに射込んできており、それが陰山掃部助の左目にあたった」



 つまり、陰山一景は大柿城近くの寺内町を攻めていて、「寺内」から飛んできた矢に当たったという解釈です。


 この訳を採用した理由としては、


・織田と斎藤の戦いに、後に信長の天敵となる一向一揆が絡んでいて、しかも織田方だったら面白いなと思った。


・(次のエピソードで語られることだけれど)当時の本願寺教団の頭をおさえつけていた六角家が、この大柿城の一向一揆を後ろで操っていたのかも……? という妄想が働いた。


・あと、六角家が一向一揆の黒幕で、弓矢で敵将をやっつけたということは……。やっぱり六角義賢(←弓術無双)が何かやったんだよね! という妄想(というか願望)。


 ……といった感じです(*^^*)


 今小説の六角家は、「いったい何があって上洛戦で信長にあんなにもさくっと負けたんだ⁉」と思わせるほど強キャラ感をぷんぷん出していきたいと思います!ヾ(*´∀`*)ノ

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