家族になろうよ

 美濃国へと拉致された彦太郎家族は、数日後には美濃明智家の居城・土岐とき高山たかやま城(現在の岐阜県土岐市土岐津町)にいた。


 明智家の当主である頼明よりあき老人は、定明さだあきが兄の遺族を連れ帰ったと聞くと、最初は大喜びした。

 だが、大急ぎで会ってみたところ、子供たちが泣きべそをかいていたため、何やらおかしいぞと嫌な予感がした。


「この子たちが兄者の孫か……。定明よ、なぜこの兄妹は泣いておるのじゃ」


「生まれ育った村から離れたくなかったようですな」


「……ちゃんと事情を説明し、納得してもらったうえで連れて来たのであろう?」


「え? あ~……。何というか、その~……。俺はそういう細かな話は苦手なので、『詳しいことは、美濃に着いてから我が父が説明する』と言い、連れ去って来ちゃいました。てへへ」


「な、何じゃと⁉ つまり、有無も言わさず誘拐してきたということではないか! こ……この馬鹿息子がッ! 何が『連れ去って来ちゃいました。てへへ』じゃ!」


 驚いた頼明は、口から大量のつばを飛ばしながら大喝した。


 長男の定明が「口よりも先に手と足と頭突きが出る」と噂されるほど後先考えずに行動することは承知していたが、今回はさすがにひどすぎる。同席していた次男の定衝さだひらまでもが、


「兄上……。何の説明もせずに無理矢理連れて来たら、そりゃ泣きますよ」


 と、大いに呆れた様子でそう言った。


「だ……だってぇ~。もしも事情を説明して『美濃に行く気はありません』とか言われたら、どうやって説得すればいいのか分からなかったんだもん……」


「子供みたいな言い訳をするな! たわけ‼ ド阿呆‼ 髭もじゃ‼」


「い……いたたた⁉」


 癇癪かんしゃくを起した頼明は、定明の豊かな髭を力いっぱいに引っ張った。いくさ狂いの定明も父親には弱いらしく、涙目になりながら「も、申し訳ありませぬ、父上!」と謝っている。


「あ……あの……。何故なにゆえ、私たちは美濃に連れて来られたのでしょうか。亡き夫・光国みつくにから聞いた話では、夫の父である頼典よりのり様(光秀の祖父)は五十年ほど前に美濃を追放されたはずです。遠い昔に疎遠となった私たち家族を今さら連れ戻した理由を教えてくださいませ」


 頼明老人が定明を叱るのに夢中になっていて、なかなか説明を始めてくれないため、しびれを切らした小夜さよが恐るおそるそうたずねた。


 ハッと気がついた頼明老人は、「そ、そうじゃったな。すまぬ、ちゃんと説明しよう」と慌てて言い、ごほん、ごほんとせき払いをする。


「……遠い昔といっても、この年寄りには、昨日のことのように思い出される一族の悲劇なのじゃ。

 小夜殿の申す通り、明智家は大昔に主家である土岐家の内紛に巻き込まれ、一族は分断された。我が父・頼尚よりなおは、敵方の陣営についた頼典兄上を廃嫡し、美濃国から追放してしまった。

 兄の代わりに家督を継いだわしは……頼典兄上に対して後ろめたい気持ちを胸に抱えながらこの年になるまで生きてきた。まことならば兄の頼典が座るはずであった明智家当主の座に、不才の儂がついたのだからな。いつかは兄上の子か孫に償いをし、城の一つでも譲りたい……。ずっとそう考えていたのじゃ」


「それゆえ、私たちを連れて来たのですか。こちらの言い分も聞かずに、無理矢理」


 彦太郎が目に涙をいっぱいためながら、キッと睨んでそう言った。

 頼明側の事情はどうであれ、こちらの同意無しに強制的に連れて来られたのだから、嫌味の一つや二つは言いたくなるのは当然である。


「それは俺の落ち度だ。父上のせいではない。すまぬ、許してくれ」


 自分のせいで父が責められていると察した定明が、ゴツンと床にひたいを打ち付ける勢いで頭を下げ、彦太郎たちに謝罪した。


 彦太郎がプイッとそっぽを向いて無視すると、「すまぬ! すまぬ! すまぬぅ~!」とわめきながらゴツン、ゴツン、ゴツン、ゴツーン! と床に頭突きを繰り返す。


 まるで地震が起きたようだ。足元がぐらぐらと揺れている。定明は、三十人ほど乗った渡し舟を軽々と陸に引き上げてしまう怪力男である。そんな化け物が力いっぱい頭突きをしているのだから、床が激しく波打っても不思議ではない。彦太郎は「ひ……ひえっ⁉」と驚いてしまった。これ以上頭突きをされると、床が崩れ落ちそうである。


「わ……分かりました! 分かりましたから、やめてください! もう無視しません!」


「おお、そうか! よかった! じゃあ、この美濃で我らと共にすごしてくれるのだな⁉」


 定明はにぱぁ~っと笑いながら、頭を上げた。

 本当に驚くぐらい人の話を聞かない髭もじゃの熊である。彦太郎は「この地で暮らすことを了承した」などとは一言も言っていない。怒りを通り越して呆れ返ってしまい、彦太郎は反論する気力すら失せてしまった。


 彦太郎が頭痛を覚えて黙り込んでいると、小夜が「致し方ありますまい……」と伏し目がちにそう言った。


佐目さめ村を出る際、定明様が六角ろっかく家の忍びを惨殺してしまっています。今さら近江の明智屋敷に戻っても、六角様のご家来衆から『今までどこにいた。なぜ、そなたたちの屋敷に当家の忍びの死骸があるのだ』と追及されてしまいます。きっと、ただではすまないでしょう。……このまま我ら母子は美濃にとどまるより他に道はありませぬ」


「うむ……。そうじゃな。儂の馬鹿息子がとんだ迷惑をかけてしまった。まことに申し訳ない」


 頼明は、バツの悪そうな顔をしながら、小夜に頭を下げた。


 ただし、この老人も、人の話を聞かないことで定評のある定明の父親なので、内心は(しめた! 説得する前に向こうから納得してくれた!)と思っている。小夜の気が変わらないうちに色々と決めてしまおうと考え、定衝に目配せをした。


 定衝はコクリとうなずき、ふところから美濃国の地図を取り出して彦太郎たちの前に広げてみせる。そして、東濃地域にある明智家の主だった城を指し示し、テキパキと説明した。


「いま我らがいるのが、土岐郡の土岐高山城。かつて土岐源氏の館を守るために築城された要衝の地です。

 そして、我ら一族は、ここから西方の可児かに郡に明智の庄、東方の恵那えな郡に遠山の庄という領地を有し、それぞれに『アケチ』の名を冠する城があります」


 彦太郎が地図をのぞくと、なるほど、明智の庄には「明智城(別名は長山城)」、遠山の庄には「明知城(別名は白鷹城)」という城があるらしいことが分かった。ちょっとややこしい。


「彦太郎とかすみは、この頼明の猶子ゆうしとなってもらう。彦太郎が元服するまではこの土岐高山城で暮らし、元服後は明智の庄を譲ろう。明智城で家族三人穏やかにすごしてくれ。もちろん、霞が年頃の娘に成長したあかつきには、良き婿むこ殿を探してやるぞ」


「猶子……。ということは、私はこちらの熊……こほん、定明殿の義弟になるということでしょうか」


「ああ、そうじゃ」


 頼明がうなずくと、彦太郎はうげっ……と思いきり眉をしかめた。自分がなぜ嫌われているのか分からない定明は「え⁉ どうしてそんな顔をするの⁉」と驚いている。


「兄上が嫌われるのは当然です。当分の間は、彦太郎や霞の言うことは何でも聞いてあげないと、一生毛嫌いされますよ」


「解せぬ……」


 定明はしきりに首を傾げている。(こりゃ駄目だ)と思った定衝はため息をつくしかない。脳みそが筋肉な長兄のことは諦め、彦太郎と霞に顔を向けて自己紹介をした。


「私は、定明兄上の弟の新九郎しんくろう定衝だ。以後、よろしく頼む」


「は、はぁ……」


「私も、今日からはそなたたちの兄ということになる。定明兄上のような怪物じみた武力は持たぬが、学問はそこそこできるつもりじゃ。読みたい書物などがあったら貸してやるゆえ、遠慮せずに言ってくれ」


(あっ……。この人は会話がまともにできそうな、普通の人だ……)


 ボソボソと喋るその言葉はやや聞きづらく、どことなく陰のある人だが、定衝には彦太郎家族を気遣う細やかな思いやりがあるようである。


 彦太郎は、定衝に優しい言葉をかけてもらい、ほんの少しだが安堵することができた。彦太郎が見たところ、頼明老人といくさ狂いの定明は性格がかなりぶっ飛んでいる。一人ぐらい常識人がいてくれて、本当に助かった……。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします。定衝兄上」


 彦太郎が行儀よく頭を下げると、定明は「俺は⁉ 俺も兄上なんですけど⁉」と自分の顔を指差しながらわめく。本当にうるさい熊である。


(こんな美濃の端っこに移り住んでしまったら、京都で将軍様にお仕えするという我が夢から遠ざかってしまうが……。今はやむを得ぬ。私の手で明智家を大きくするのだ。そして、幕府復興の名目で上洛し、いずれは明智家の桔梗ききょう紋の旗を都に立ててみせるぞ)


 人生設計の大幅な変更を強いられた彦太郎は、自分にそう言い聞かせることにした。


 ただ一つ気になるのは、この美濃国を牛耳っている男の存在である。

 まむし斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)は、おのれの権勢を高めるために、美濃国主の土岐家を蹴落とそうとしていると噂で聞いたことがあるが……。土岐家の分家である明智一族もいつかは蝮の毒牙にかかるのではないだろうか? もしもそんな事態に陥れば、ここにいる頼明老人、定明、定衝……そして自分は美濃の蝮と戦わなければならない。


(恐ろしい化け物がいる国に来てしまったものだ。誰かが蝮を退治してくれないだろうか)


 彦太郎は、まだ見ぬ美濃の梟雄きょうゆうに思いをはせ、そう考えるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る