六角定頼との対話・後編

「……こほん。そ、そろそろ……美濃の件についてお話させて頂いてもよろしいでしょうか」


 話がれに逸れまくり、このままではらちが明かぬと思った平手ひらて政秀まさひでがわざとらしく咳払いしてそう言った。

 信秀の妻たちがなぜ逆さ立ちをするのか彼は理由を知っていたため、その話題から早く離れたいという気持ちもあったようである。


「そうであったな。すまない、俺が六角ろっかく様に余計なことを申し上げたせいだ。……堀場ほりば氏兼うじかね、父から預かった書状を六角様にお渡ししてくれ」


「ハハッ」


 さっきの逆立ち云々うんぬんが信秀の子作りの話であることを知らないのは、この場では信長と氏兼だけである。なので、室内に漂っている気まずい空気も二人は全く気づいていない。


 真面目腐った顔のまま信長がそう命じると、氏兼はふところから信秀の書状を取り出し、定頼さだよりうやうやしく捧げた。


「……我が夫・信秀は、美濃国をむしばむ奸賊・斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)を除き、天下の秩序を取り戻すことを望んでいます。何とぞ、六角様のお力添えを――」


 夫との房事ぼうじの秘密を息子の前で暴露され、羞恥心から春の方は長い間赤面して固まっていたが、ようやく復活できたようである。定頼が信秀の手紙を読み終えると、かしこまった口調でそう言った。


 ただし、話し方はいちおう丁寧だが、やはり根に持っているようだ。いつも温和な彼女にしては、ややドスの利いた声だった。


「ああ……うん。そうじゃな。ええとぉ~……」


 さすがに気まずいのか、定頼はしどろもどろで受け答えする。


 横目で義賢よしかたをチラリと見て助けを求めようとしたが、彼はプイッと顔を反らした。(は、薄情な息子め……)と思いながら、定頼は観念して春の方との対話を続ける。


「ああ~、ごほん、ごほん。……わしも斎藤利政の悪行三昧には、腹に据えかねているところであった。美濃国主の土岐とき頼芸よりのり殿は、ほとんどまむしめの傀儡と言ってよく、頼芸殿と深い繋がりがある儂としては許容しがたき事態じゃ。乱れた美濃国のありさまを耳にされた若き将軍様も、たいそうお嘆きであった」


「では、夫・信秀が美濃に出陣する際には、六角様も利政退治の陣に加わっていただけますか?」


「え? わ、儂か? う~む、それは……」


「え? 駄目なのですか?」


「い、いや、駄目というか何というか……」


「六角様も斎藤利政のことがお嫌いなのですよね? 何故なにゆえ躊躇ためらっていらっしゃるのです?」


「た、躊躇っているというか、何というか……。は、春殿。儂が悪かったから、そんな顔で睨まないでくれ。ちょっと恐い……」


 さっきまで飄々ひょうひょうとして余裕たっぷりな態度であった定頼が、ずいぶんと弱りきっている。


 外交交渉をする際には、伊賀・甲賀の忍びから得た情報を駆使して交渉相手を心理的にさんざん揺さぶり、こちら側に有利な条件で盟約を結ぶのが定頼の常套手段である。


 今回も六角家の諜報能力の凄まじさを見せつけ、織田との交渉で有利に立つつもりであった。盟約を結ぶかわりに人質などの見返りを要求し、いずれは尾張の織田を六角家の手駒の一つにすることすら密かに視野に入れてもいた。


 しかし、しょうもない猥談セクハラをうっかりしてしまったため、後ろめたさから春の方に対してあまり強く出られない。百戦錬磨の定頼も、女人にょにんと外交の駆け引きをするという経験はこれまでほとんど無かったので、つい油断して墓穴を掘ったようである。意図せぬところで、「春の方を使者にたてる」という織田秀敏ひでとし(信秀の叔父)の策が功を奏していた。


(ムムム! 私が怒った顔で睨んだせいか、定頼様が狼狽うろたえていますね。もうひと押ししたら、織田六角同盟を成立させられそうです。い、今こそ、私のとっておきの作戦『親戚づら・義妹の計』を発動させる千載一遇の好機です……!)


(母上、母上。落ち着いてください。その作戦は駄目だと父上に言われたではありませんか。やめてください)


 春の方のどやぁ~! と勝ち誇った笑みを見た信長は、彼女が何を考えているのか敏感に察し、小声で耳打ちして母親の暴走を止めた。定頼本人に「実は私、あなたの妹なのです! だから、うちの夫の信秀と仲良くしてください!」と言うのはさすがに無理がある。


 信長に制止されると、春の方は不満げに頬を膨らませながら黙り込んだ。信長は政秀に目配せして、


(どういうわけか知らんが、定頼殿が弱っている。交渉を続けよ)


 と、命じる。ここから先は織田家の優秀な外交官である政秀に任せたほうがいい、と考えたのだ。


 政秀はコクリとうなずき、膝を前に進めて弁舌さわやかに口を開いた。


「六角様が斎藤利政を憎みつつも自ら美濃に攻め込むことを躊躇ためらわれているおおよその事情は、こちらも承知しているつもりです。

 六角様のご正室の兄君にあたる美濃国主・土岐頼芸様は、利政めの手中にあります。もしも六角様の手勢が美濃の悪政を正すべく討ち入れば、あの卑怯な蝮のことですから、主君である頼芸様を人質にとって六角軍を退却させようとするでしょう。最悪の場合、追いつめられた利政が頼芸様を弑逆しいぎゃくする危険性もあります。奴は、娘婿の頼純よりずみ様(帰蝶きちょうの元夫)を謀殺するような悪逆非道の男。主殺しなど、簡単にやってのけるはず……。六角様は、そのことを心配なされているのでございましょう?」


「………」


 滔々とうとうと論ずる政秀に対し、定頼は静かに耳を傾けている。反論をする様子はない。間髪入れず、信長が政秀の加勢をした。


「六角様が動けぬ今、正義のために美濃の蝮を討たんと気勢を上げている群雄は、我が父・信秀のみです。すなわち、六角様の憂いを断つことができるのは、我が父ただ一人でござる。我らは六角様の心強きお味方です。……六角様もそうは思われませぬか?」


「ふむぅ~……」


 定頼は、否定も肯定もせず、口元を覆うように髭を撫でた。表情を読み取られまいとする時のこの男の癖である。


 政秀の言う通り、土岐頼芸は定頼の義兄である。また、娘を彼に嫁がせてもいるので、義理の息子でもある。定頼とは二重三重にえにし深き仲だった。六角軍が美濃を攻めた場合、卑劣な斎藤利政が頼芸の「命」を取引材料に使う恐れが大いにある。だから、下手に動いて、彼の命を縮めるような真似はできないのである。


 とはいえ、このまま美濃国を放置していても、いずれは利政の下剋上で頼芸は没落するしかないだろう……。


 そんな悩みがあったからこそ、定頼は自ら利政討伐に立ち上がることができず、正義感の強い織田信秀が美濃に攻め入ってくれることを密かに期待していたのである。


 政秀と信長は、そんな定頼の思惑を見抜き、「我らが美濃攻めをしなければ、六角様はお困りになるのではありませぬか?」と暗に指摘したのだった。


(さすがは織田信秀が懐刀ふところがたなとして頼みにする男、平手政秀じゃ。なかなかの観察眼よ。……それに、まだ若いというのに信長もなかなかやる。よく天下の情勢を見極めておる)


 心中、定頼は信長と政秀を称賛していた。ただし、おのれの考えを見抜かれた動揺は一切表情には出していない。


 政秀は、感情が読み取りづらい定頼の浅黒い顔を凝視する。こちらの揺さぶりに対して手ごたえがあったか否か分からず、いささか不安である。


「いける」と天性の直感力で判断して勝負に出たのは、信長だった。


「美濃攻めに兵を出して欲しい、とまでは言いませぬ。我らが斎藤利政と干戈かんかを交えている最中に、駿河の今川義元が織田の背後を襲うようなことがあれば、六角様に助けていただきたいのです」


「……つまり、儂に今川との講和を仲介せよということじゃな?」


「いかにも」


「なるほどのぉ……。されど、領地が遠く離れた義元の野望を止めることがこの儂にできるであろうか? 老いぼれた儂の話に若い義元が耳を傾けてくれるか不安じゃなぁ……」


 織田方の要求内容をおおかた推測していた定頼は、わざとすっとぼけたことを言い、首を傾げる。

 この老英雄は、相手がどれぐらい真剣に六角家との友好を望んでいるか試すために、こういう意地悪を言って苛立たせることがたまにあるのである。


 政秀は、(またまたとぼけたことを。どこまでも食えぬ御仁じゃ……)と内心舌打ちしながら、六角様にしかできぬことです、とやや強めの語調で言った。


「六角様は、将軍父子の信任厚き天下の執権しっけん。幕府が大名同士の争いを仲裁する際には、六角様のご意向が大きく反映されていることぐらいは田舎者のそれがしでも存じておりまする。六角様が将軍様に働きかけてくだされば、今川との講和など容易たやすきことではありませぬか。どうか何とぞ、我ら織田家と手を結んでくださいませ」


 政秀の熱誠なる訴えに定頼も満足したのか、「ふむ……。そこまで申すのならば、その願い聞き入れよう」とようやく口にした。


「信秀殿が窮地に陥った際には、儂が幕府を動かして織田家を助けてみせる。……ただし、一つだけ条件をつけさせてくれ」


 定頼がそう言うと、春の方が「条件、ですか?」と聞き返しながらギロリと目を光らせた。


 うげっ、まだ怒っているのか……と定頼は眉をへの字にする。


 当然である。温厚な性格の彼女でも、息子の面前で猥談セクハラをされたら許せないに決まっている。思いきり怨念を込めて定頼を睨み続けた。


「は……春殿。お、落ち着くのじゃ。織田家に対して無理難題を言うつもりはない。儂が掲げる六角織田の盟約の条件は、わたくしの儀にあらず。天下国家を救うための密約じゃ」


「……まことでございまするか」


「まこともまこと、儂を信じろ」


 定頼は大真面目な顔で頷いたが、さっきから悪ふざけが多いこの男に「儂を信じろ」などと言われても、あまり説得力が無い。


 しかし、相手の言葉を聞かぬ内に耳を閉ざすのは礼儀に反することだ、と思った春の方は、


「分かりました。その条件の内容をうかがいましょう」


 と、凛とした態度で言った。


 定頼は、ホッとため息をつく。「春殿は良き女子おなごじゃな。儂があと十年若かければ、信秀殿から寝盗りたいぐらいじゃ」などとまた一言余計なことを呟いた後、その盟約の「条件」を明かした。


「儂は、将軍様を補佐し、室町幕府の復興に心血を注ぐ日々を送っている。天下を背負う者としての重責は重く、幕府の意向に従わずに勝手に争いを起こす諸大名どもが多いことが我が頭痛の種じゃ。

 天下のため、将軍様のため、そして幕府の秩序を回復するため……共に戦ってくれる同志が儂には必要なのだ。一人でも多く、な。

 信秀殿は皇室を敬い、幕府に対する忠誠心も篤い清廉潔白な人物と聞きおよんでいる。天下に大争乱が起きて将軍様の身に危機が及んだ際には、我ら六角軍と共に幕府を守るため立ち上がってもらいたいのじゃ。このことを約束してくれれば、儂は将軍義藤よしふじ(後の足利義輝よしてる)様に『尾張の信秀は、事あらば将軍様の元に必ず駆けつける忠義の武将です』とお耳に入れておこう。さすれば、将軍様も織田家が滅びぬように気にかけてくだるはずじゃ」


「有事のおりには、幕府を守るため六角様と共に戦うことが盟約の条件……ですか。なるほど、仰せごもっともです。我が夫・信秀も、天下に静謐せいひつをもたらすためにいずれは上洛したいと常々申しておりまする。定頼様と夫の志は、一緒だったのですね。感服いたしました」


「おお、分かってくれたか、春殿。儂は嬉しいぞ」


 定頼は好々爺然とした笑顔でそう言い、手を打って喜んだ。


 ……本音を言えば、経済力豊かな織田家を幕府守護の軍隊の一つとして、六角軍の従属下に置いておきたいと最初は企んでいた。しかし、話している途中で気が変わったのである。


 織田家嫡男の信長は、定頼が見たところ、類稀たぐいまれなる才を秘めた麒麟児きりんじである。必ずや天下の行く末を左右する英傑となるだろう。定頼が信秀の頭をおさえつけて従わせることができても、次の世代の義賢が信長をずっと制御できるかは怪しいような気がする。


 北近江の浅井や北伊勢の諸侍たちと同じように、無理に織田家を属国化させるのは下策だ。力でおさえつけたら、遠くない将来、反骨精神旺盛な信長が六角の足元で大火事を起こしかねない。


 尾張国の一奉行に過ぎぬ信秀・信長父子の身分は低いが、家格が上の定頼が「共に幕府を支える協力者」として同等に扱ってやれば、織田も六角に対して好意を持つはずである。幕府親兵しんぺいの候補として織田家を味方にしておくには、そうやって少しずつ手なずけていくほうが得策だろう……。


 そこまで考えたうえで、定頼はこのような条件を掲示したのである。そんな思惑があるとは、春の方のみならず、信長や政秀もさすがに気づいていないようだった。


「――承知いたしました。その旨、父の信秀に伝えまする」


 政秀と目配せをし合った後、信長は恭しく頭を下げながら定頼の提案に同意するのであった。


 かくして、六角と織田の盟約は成った。

 この日に結ばれた両家の縁が、後年の桶狭間合戦における勝敗を左右することになっていく――。








<織田と六角の同盟について>


 この時点(1548年)で織田と六角が盟友関係にあったという史料は見つかっていないので、このあたりのお話はだいたい創作です(^_^;)


 ただ、近年、「桶狭間合戦時に信長と六角氏が同盟を結んでいたのでは?」という説が出てはきています。


『桶狭間合戦討死者書上』(名古屋市の長福寺所蔵。江戸時代に書かれたと見られる)によると、「近江の六角氏の手勢が桶狭間合戦で織田方として参戦し、二七二人が戦死した」と記されています。


 この史料の記述が本当なら、この同盟関係はどこまでさかのぼれるのか……?

 信長が桶狭間合戦前夜に京都に上洛しているので、その時に対今川戦のために何らかの政治工作を信長が行ったのかも知れない。

 もしくは、美濃への対策(道三に下剋上された土岐頼芸を支援するため?)として親世代の信秀と定頼が古くから盟約を結んでいたのかも知れない……。

 色々と想像力が働いてしまいますが、この小説では「どうせなら、定頼が存命のうちに織田六角同盟イベントをやろう。信長は六角の楽市などをリスペクトしているみたいだし」と考え、かなり早い段階で織田と六角を盟友関係にしました(*^^*)


 ……ただ、江戸時代には沢田源内という偽書作りのプロフェッショナル(?)がいて、六角氏関係の偽史料を作っているもようなので、歴史学的には慎重な検討が必要かも知れません(>_<) 『桶狭間合戦討死者書上』がある程度信用できる史料か否か今後の研究が待たれます。


 沢田源内については、前にも紹介した『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』(ミネルヴァ書房刊)の著者である村井祐樹氏もあとがきで「あえて言おう、カスであると」(原文そのまま)と言及されていますからね……(^_^;)



 織田六角同盟が真実かどうかは分かりませんが、物語的に面白いので今作品ではいちおう桶狭間合戦に六角勢が参戦する予定です(^^ゞ

 桶狭間まで私の気力と体力がもったらの話だけど……(白目)

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